見事にアテがはずれました。旅の様子を毎日更新するつもりでしたが、予期せぬトラブルに見舞われ、復旧できなくなりました。
おかげで、ゆっくりと旅を続けることができましたが。
これから、時間をかけて思い出を書き記してゆくことにします。
で最初は、オーストリア航空OS56便、エアバスA340-200「Europa」の1食目の機内食です。前回とはちょっと違ったメニューですが、味の方はまあそこそこといった程度です。
Wien und Praha ’05
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2005/05/14~21
2005年5月。「プラハの春音楽祭」が聴きたくて、旅に出ました。
昨年夏には55歳到達のリフレッシュ休暇で、「ザルツブルク音楽祭」を聴くためにウィーンとザルツブルクを訪れました。夫婦で初めての海外旅行は、楽しい思い出をたくさん作ってくれました。
さて、ことし。今度は勤続30年で、もう一度、特別休暇をとることができました。夏には本社移転を控えており、仕事が忙しくてとても休めないだろうとあきらめていましたが、春になって移転計画の先が見え出すとなんとかなりそうな感じがしてきました。ホームページで調べてみると、「プラハの春」のオープニング・コンサート(毎年、スメタナの命日に「わが祖国」が演奏される)は無理でしたが、バッハの「ヨハネ受難曲」ならチケットが取れることがわかりました。女房は、大学OB・OGの合唱団で今秋、「ヨハネ受難曲」を歌うために練習中です。「どう、聴きに行く?」と誘いをかけるとすぐにのってきました。
まさかの2年続きの旅行は、あっという間に「決行」となりました。
となると、あそこに行きたい、ここにもと、一度行っているだけにかえって欲もでて、ウィーン、ブダペスト、プラハを訪ねるプランができあがりました。航空券とホテル、プラハでの空港への出迎えだけは、前回と同じWeb利用の個人旅行代理店に頼みました。音楽会などのチケットや「ブダペスト1日ツアー」は、すべてネット予約しました。「プラハの春」もフォルクスオパーもクレジットカード支払い、現地でのチケット引き渡しでしたが、まったく問題はありませんでした。
エコノミークラスでヨーロッパまでの往復はさすがに疲れました。それ以上に今回もまた、すばらしい体験を重ねることができました。
9:05
いよいよ二度目のウィーンに向けて出発です。関西空港も慣れました。
9:26
これから搭乗するオーストリア航空OS56便、エアバスA340-200「Europa」です。
前回は座席ごとにテレビ・ディスプレーがついていて、たいくつしのぎに映画をみましたが、今回はありませんでした。
11:28(JST)
まずは飲み物のサービスがあり、ワインを頼みました。
1食目の機内食。セレクトは「チキン」です。
その後、間食に「スープはいかがですか?」ということで「日清チキンラーメン」のミニカップがでました。のどが乾くので、ビールも頼みました。
13:49(JST+7)
時差で時計を7時間進ませました。で2食目となりました。すしがついてますが、あまり代わり映えはしません。
16:30
ウィーンで4泊したホテル「ドゥ・フランス」です。
作曲家のブルックナーが定宿にしていたそうです。1872年創業の老舗「5つ星」ホテルです。
リンク沿いのショテントアー(Schottentor)にあり、地下鉄や路面電車の駅からもすぐ近くです。フォルクスオパーでの観劇で帰りが遅くなった夜や、グリッツィングに出かけるのも路面電車1本で行くことができて、とても便利でした。
団体ツアーもたくさん泊まっているようでしたが、ロビーや朝食の食堂で出会うこともなく、いつも静かでした。
部屋もさすがに立派でしたが、ツインルームのベッドは意外と小さく、こんなところでこちらの巨体のオバさんたちは困らないのかなと不思議でした。
17:15
朝に関空を発ち、12時間も飛行機に乗ってウィーンに着くとまだ夕刻です。時差7時間の魔術です。1日が31時間もある計算になります。
さっそく町にでました。美しい建物に囲まれたアムホーフには、土曜日ということで市が立ってました。
17:16
薬学のシンボルである蛇と天使を描いたエンゲル薬局です。19世紀末の新しい芸術運動「ユーゲントシュティール」を代表する建物だそうです。
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“> 17:16
ウィーン在住の知人、Yさんがホテルまで迎えにきてくれました。 さっそく話しながら町を散歩しました。
17:20
オーストリアは第2次世界大戦が終わって60年の記念行事が行われていました。
それにしても、ペスト柱を白い布で覆ってしまうのはどういうことなのでしょうか。英雄広場のカール大公像は木の箱で覆われていたし、当時をしのぶのか広場の芝生には畑ができてました。ちょっと理解不能です。
18:16
Yさんと食事に入ったケルントナー通り近くのビアレストラン「1516」です。最初の一杯は店名にもなっている「1516」という地ビールです。
店内の大きなテレビスクリーンではオーストリアで開催中のアイスホッケー世界選手権を放映中。オーストリアがゲットするたびに、大きな歓声があがってました。
18:18
注文した料理のひとつ(左)は、ちょうど旬の白いアスパラガスがはいったサラダです。
19:11
Yさんはこの後、声楽のレッスンのため、SudBahnhof(南駅)から夜行列車でミラノに出発されました。その列車料金がたったの28ユーロ。信じられない安さでした。
19:20
9カ月ぶりのシュテファン寺院です。こんなに早く「再会」できるとは思ってませんでした。
19:24
二度目とあって、「ウィーンにやってきたのだ」といった前回のような感激はありませんでしたが…。
19:25
シュテファン寺院の正面右手の壁面に残る「05」の数字。ナチス・ドイツに対する抵抗運動の印だそうです。
1931
オルガンの響きを実感しました。
夜のDome(大聖堂)です。ミサが行われてました。パイプオルガンが天上の響きを奏でます。バッハの調べが、信者を敬虔な気持ちへ導いてくれる大道具であることがわかりました。
この夜はテレビ中継が入っており、ライトアップされていました。
19:59
振り返るとここにもパイプオルガンが。この夜は正面右手のオルガンが使われていました。
20:16
ホテルに帰る道すがら、あんまりきれいなので内部にはいった建物。ブランドショップが並び、中庭には噴水がありました。
Wien
7:46
時差のかげんで、旅の初めは早く目が覚めます。この日もじっとしておれず、早朝から行動開始となりました。
ホテルのすぐ横。ショッテントアーにあるヴォティーフ教会です。空に突き出た白いモザイク屋根が華麗なゴシック様式の建物です。
7:59
演劇の殿堂、重厚なブルク劇場です。屋根の飾りを見ているだけで時間がすぎます。
8:01
リンクの外側には、市庁舎(Rathaus)がそびえています。19世紀後半にできたネオゴシック建築です。中央塔の上には槍を手にした騎士像が立ち、高さは107メートルもあります。
8:05
フォルクス公園(Volksgarten)を散歩しました。ナポレオン戦争の後の1823年に造られたウィーン市民の憩いの庭園です。
正面にホーフブルク(王宮)が見えます。
8:21
王宮を見つめるように皇妃エリザベート(シシー)の真っ白な像がありました。
8:23
「ゼルトザーメ・フラウ(風変わりな女性)」といわれるシシーですが、今も人気があるようです。
8:31
ペスト柱と同じように、英雄広場のカール大公の騎馬像も箱に覆われていました。
8:37
英雄広場には、なんと畑が出現していました。これも、ナチス・ドイツの統治下の苦しかった時代を偲ぶためのようです。
8:46
王宮広場のモーツァルト像です。植え込みのト音記号は、今回は茶色でした。赤い花が咲く(左下は昨年夏に撮影)のはいつのことなのでしょうか。
2006年はモーツァルトの生誕250周年になります。ウィーンやザルツブルクで記念イベントがいろいろ企画されているようです。また、行きたくなりそうです。
9:01
パプスブルク家ゆかりのアウグスティーナ教会です。
リストが「光り輝くように美しかった」と娘のコジマへの手紙に書いた16歳のシシー(皇妃エリザベート)の結婚式もここで行われました。
9:05
たまたま通りかかったら、オルガンの調べが聞こえてきます。入ってみると、ミサのためかオルガニストが練習中でした。観光客も入ってきますが、パイプオルガンには興味がないよう。ずーっと立って聞き惚れていたのは私たちだけでした。
教会ではよくミサが行われています。翌日の16日は、シュテファン寺院で聞くつもりのと同じモーツァルト「戴冠ミサ」が予定されてました。
モーツァルトの「戴冠ミサ」の案内ちらしです。
最初はこれを聞くつもりでスケジュールを組んでいましたたが、シュテファン寺院でも行われることがわかり、他の日程のかげんで、こちらはあきらめました。
9:45
ウィーンの最初の朝は日曜日。前夜も訪れたシュテファン寺院で、ミサが行われます。ウィーン在住の知人に聞いたら、「カソリックです、という顔してたら大丈夫ですよ。ミサですから、チケットなんてありません」とのアドバイス。ちょっと早めにいったのですが、もう大きなドームが信者でいっぱいでした。
9:56
祭壇右手にコーラスとオーケストラが入って、モーツァルトの「戴冠ミサ」が演奏されています。
ところが、CDで聴く演奏とは大違い。1曲終わるたびに、司祭の話があり、儀式がはさまり、そしてまた演奏。うーん、ミサとはこんなものだったのかと、改めて感じ入りました。
9:03
ドームの後方は観光客でいっぱいでした。
9:11
ペーター教会です。11世紀に建てられたウィーンで2番目に古い教会だそうです。
ガイドブックには天井のフレスコ画は必見とありましたが、今回も素通りしてしまいました。
10:25
朝が早かったので、カフェ「デーメル」が開くの待ちかねるように早くも休憩です。
ここのトルテは、二人で1個でちょうどでした。みやげには、「トルテ」の本家争いをしたもう一方の店のを買って帰りました。ここのは阪急梅田店でも買えますから。
10:36
これ、みんなお菓子です。
右下のには大きなプレートがついてますが、創業者でしょうか。いや、違うような?
ミュージアム・クオーターにあるレオポルド美術館です。エゴン・シーレの作品が充実しています。
11:17
正面がレオポルド美術館です。
MQ(ミュージアム・クオーター)の中庭には水色の不思議な格好をしたオブジェがいくつも置かれてます。子供は下の穴にもぐりこみ、カップルは上部の傾斜を背に日光浴をしてました。
12:50
路面電車は素敵です。いろんな路線の電車が次々にやってきて、渋滞のない道をスイスイと走ってる。24時間パスを買っているので乗り放題で、一駅でものってしまいます。これだけ便利だから、市街地では車を使わないパーク・アンド・ライドも根付いているよう。京都市電はとっくの昔に消えてしまったけれど、もったいないことをしたような。
ちょっと古い停留所もそのまま残ってます。わたしがよく訪問しているブログ「Tripper Archives」にも登場していたところです。
それにしても「検札なし」の乗車券システムの不思議。ウィーン在住の知人がこんな風に教えてくれました。
「抜き打ちでやってくる検札にみつかると、罰金で1カ月分の定期料金を払わされる。1年に12回、検札に遭遇すればトントン、以下なら安上がりということ。でも、みんな買ってるようですけど」
12:59
オットー・ワーグナーのデザインで、1899年にできた地下鉄のカール・プラッツ駅です。今はカフェーになってました。
12:56
ブラームスもウィーンゆかりの音楽家だったのですね。失礼しました。
ムジーク・フェライン(楽友協会)のガイドツアーのチケット。1枚5ユーロなのに、この立派さ。きっと、本物のコンサートのチケットと同じ台紙を使っているのでしょう。ああ、ここでウィーン・フィルハーモニーを聴きたかったんですがね。
13:37
ムジークフェラインの銘板です。読めますか?
13:44
ブラームス・ザールは、室内楽の演奏会などで評判のよいホールです。
13:46
舞台に上がってみて、ちょっとびっくりしました。置かれていたピアノはスタインウエーでしたが、あまりの古さ、みすぼらしさといったらありません。本当にこれを使ってリサイタルが開かれるのでしょうか。
13:52
あこがれの黄金ホール(Goldener Saal)です。
毎年、テレビで見るニュー・イヤー・コンサートはここで演奏されてるうですね。ああ、ここで本物(ちんどん屋ではない)のコンサートを聴きたかった。でも、日程があわず、ガイドツアーで我慢しました。残念。でも、次は! という課題が残りました。
13:53
天井もこの金ピカ。あまり趣味がいいとはいえそうにありませんが。
13:55
舞台はこの通り。床が傷だらけですり減ってます。ひょとしたら、カラヤンやベームの足跡が刻み込まれているのかもしれません。
13:57
かぶりつきに座ってみました。
13:57
かぶりつきから見上げれば、こんな風にパイプオルガンが見えます。
14:43
モーツァルトに作曲を依頼した興行師、シカネーダーが作ったアン・デア・ウィーン劇場です。
ネコをあしらったような看板は、開催中の「ウィーン芸術週間」のシンボルです。
18:08
なんでもふたつあります。
ウィーン・フィルハーモニーにウィーン・シンフォニー。その本拠地は、ムジークフェライン(楽友協会)とコンツェルトハウス。ウィーン国立音楽大学にウィーン市立音楽大学。そして国立オペラ座(Wiener Staatsoper)と、ここフォルクスオパー(Volksoper)。
フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念した1898年に建てられて劇場ですが、外観ではオペラ座ほどの貫禄はありません。
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18:18
ロビーに観客が集まってきました。
売店をのぞいてみると、映画館の「おせんにキャラメル」の雰囲気でした。
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21:46
スメタナのオペラ「売られた花嫁」は新演出なのか、学校の体育館が舞台。ところが、なぜ学校なのかは最後までわからずじまいで、もうひとつの印象でした。ザンネン!!
Budapest 1day tour
6:22
ブダペスト1日ツアーの迎えをホテルのロビー待っています。予定の6時半には、ミニタクシーがやってきて、待ち合わせ場所のオペラ座へ。
ここからバスで国境を越えて250キロほど離れたブダペストへ向かいました。
ツアーが現地代理店主催で、ブダペストまでは英語ガイドのみ、ブダペストでは日本語ガイドがついてくれるというものでした。10数人の参加者のうち、日本語はわれわれ2人。ほとんどが英語国民で、ドイツ語とラテン系の人もいました。
ウィーンからバスで3時間ほど。初めて陸の国境を越えました。バスに乗り込んできたのはオーストリア側の出入国管理官。パスポートに「出国」のスタンプを押していきましたが、ハンガリー側はフリーパス。帰りはどちらも素通りで、パスポートには出国しただけの記録が残りました。
10:08
バスはブダペストに着きました。この立派な建物は車窓から写したオペラ座です。
10:09
世界遺産に指定されているアンドラーシ通りです。ペスト地区を英雄広場からドナウ川に向かって2.5キロ続いています。さすがに街路樹も両側の建物もきれいです。
10:30
アンドラーシ通りの突き当たりにある英雄広場です。
マジャール民族による国土征服1000年を記念して1896年に造られた広場です。建国記念塔の上には大天使ガブリエルが。
10:19
建国記念塔の台座にはマジャール7部族の長が並んでいます。
10:19
英雄広場の左手にある国立博物館です。
10:19
対称的に対置されたこちらは国立美術館です。
10:23
ハナガリアン狂詩曲?? これどもちゃんと音楽になってるんです。すばらしい。
みてください、バイオリンのおじさんの楽器の方向を。肩当ては何のためにあるんでしょうか。それでもa線だけで「うんちゃ、うんちゃ」とリズムをとってました。
写真を撮らせてもらったお礼に、ユーロ硬貨をバイオリンケースに入れてきました。
11:03
手作りの刺繍がすてきです。
11:04
11:44
11:06
チェスの駒です。みているだけで楽しくなります。
11:18
ブダペスト東駅の駅前商店街です。
ならんでいる商品は!! ちょっとすごい、ひと昔前のものでした。
11:34
ツアーで予約した昼食は一人13ユーロでした。パプリカがよくきいたスープ「グヤーシ」から始まります。
わりと日本人のくちにはあう味だと思います。
11:46
二品目は、ブタ肉の上にトマトソースがかかっています。これもおいしかったです。
11:59
デザートにはチョコレートケーキがでてきました。でも、これはケーキ? あまりのパサパサに、スプーンが進みませんでした。
13:2
だれがとっても絵はがきになります。
13:04
王宮の庭のコダーイ像です。
ゆっくりくつろいでいるようですが、まわりにはフェンスが。工事中の庭園の片隅に、忘れられたように置かれてました。
「母国語であるわらべうたや民謡から音楽教育をはじめなければならない」というコダーイ・システムという音楽教育法は、日本にも信奉者がいます。わたしの奥さんも。
それなのに母国・ハンガリーではどうなっているんでしょうか。気にかかります。
13:06
王宮の丘から見下ろすドナウです。向こうには国会議事堂とマルギット島が。
13:06
くさり橋です。夜はライトアップされて、さらにきれいになるそうです。
13:17
ブダペストでわれわれのためについてくれた日本語ガイドは 九州の大学で1年間だけ日本語を学んだという30歳くらいの男性でした。この人がびっくりするマルチリンガル。ハンガリー人ですが、生まれはルーマニアで二重国籍。「ハンガリー語はフィンランド語と似ている」という。ドイツ語、フランス語、英語に、「イタリア語とスペイン語も、よくしゃべれないけでわかる」とペラペラと日本語で説明してくれる。頭の中はどうなっているのか。
「ぼくは数学専攻で、日本では格闘技を学んで卒論を書いた。弟は小さいときから政治家志望で、今はルーマニアの政権党の副党首をしている」とか。きっと、ものすごいエリートなんだ。
13:30
旧東ドイツ製のトラバントがまだ健在でした。パタパタと空冷エンジンも騒々しく走っているのも見ました。
10年ほど前、ドイツに行ったとき、「あれはボール紙でできている。いなか道に駐車してたら、ウマに食べられてしまうそうだ」とバカにしたように話を旧西ドイツの男性から聞いたことがあります。
日本人が、3万円で買ったトラバントを日本に運んだら、運賃だけで30万円もしたそうです。蓼食う…ではないですが、ファンもいるんですね。
13:33
13:39
漁夫の砦です。
1896年に建国1000年を記念して建造された砦です。ドナウ川とペスト地区の街並みを眺める観光スポットになっています。
13:44
王宮内にあるマーチャーシュ教会です。
1867年、オーストリアとハンガリーは二重帝国となり、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート皇妃の戴冠式はこの教会で行われました。
14:03
15:06
ツアーの自由時間です。
地下鉄に乗ってコダーイ記念館に向かいました。「コダーイ・クロンド(交差点)」という駅があります。そこまでの乗車券を買おうと自動販売機に紙幣を入れてもいうことをきいてくれません。何度も失敗して、通りかかった女性に助けを求めましたが、ちょっと試しただけで「ダメみたい」みたいなことを言って行ってしまいました。ウィーンのおばちゃんは、ものすごく親切だったのに。
次の駅まで歩いて、再び試しましたが、またもダメ。話に夢中のおじさんに聞いたら、「あっちに券売所があるよ」とそこから見えない角の向こうを指さしました。1回乗車券は160フォリント、日本円にして80円ほどでした。
やっとの思い出購入した乗車券です。1回乗車券は160フォリント、日本円にして80円ほどでした。
15:07
15:11
コダーイ記念館は祝日で休館ということは知ってました。それでも行きました。
やっとたどり着いた記念館。それなのに、みるも哀れ。入り口は朽ち果てた建物からの落下物に当たらないように、材木の覆いが。あまりのみすぼらしさに唖然とし「これでは開館していても、展示もしれているね」。まだまだハンガリーは、共産時代から抜けきってないみたい。
15:12
蓄音機に耳を傾けるレリーフが壁にかかってました。その壁は黒くすすけたままで、入部は剥離したままでした。整備されるには、まだ時間がかかりそうです。
15:15
コダーイが実際に住んでいたアパートです。ここが記念館になっていて、愛用の家具や生活用品などとともに直筆の譜面や書籍などの資料が保存れているそうです。
15:39
リストの左手です。
15:39
「ほれほれ、そこの人、もっと静かに」。きっとリストは怒っているはずです。
像の礎石はめくれあがり、「こんな人、知らない」とばかりに、すぐ横までカフェーのテーブルが。遠来の観光客が記念撮影するスペースもないとは。
ウィーンでは、音楽家はもっと大事にされていました。市民公園のシュトラウスも、中央墓地のモーツァルトにも花輪がありました。それなのに、ハンガリー人としては一番有名なはずのリストもコダーイもこのありさまです。世界に自慢できる観光資源でもあるはずですのに。
15:43
リスト音楽院です。日本人からの留学生も多いようです。
15:50
リスト広場には11軒のカフェーが連なっているそうです。
16:21
エルジェーベト(エリザベート)広場まで歩いて戻ってきましたが、集合時間まで間があるのでカフェーでひと息いれました。わたしはビールですが、女房はミネラルウオーター・ノーガスを。要するに「お冷やだけでいいわ」ということです。
町の両替商でフォリント紙幣に交換しましたが、地下鉄に乗り、絵はがきを買えば、ああもう買うものがない!!
16:49
出発を待つツアーのチャーターバスです。トイレ付きの豪華バスでした。
16:49
日本企業の広告看板の向こうに聖イシュトバーン大聖堂がのぞきます。
16:50
フワフワとタンポポの綿毛のようなものが舞ってました。なんだかむずがゆくなって、忘れていた花粉症のことを思い出しました。
18:49
国境です。帰りは検査官がバスに乗り込んでくることもなく、スーッと通過してしまいました。
ウィーンに到着後は、オペラ座で下車して日本料理店「天満屋」に直行。みそ汁でおにぎりをほおばりました。ほかにも、鯖の塩焼きとか、揚げ出汁豆腐なんていうのも頼みました。
Wien
7:03
ホテルで毎朝メールチェックをしました。日本時間なら昼過ぎになるので、都合がよかったです。
7:37
「きょうは天気が悪そうだね」と、話しながら朝食を食べました。「予定通り、ウィーンの森に行くか」と。
ところが、ホテルを出ると雨。あわてて部屋に戻り、もう一枚重ね着して出かけました。
9:47
ウィーン北郊のカーレンベルクの丘にある教会です。
きょうは平日の火曜日。グリッツィングから乗ったバスは、遠足に出かける幼稚園児の集団といっしょでしたが、小雨が降る中をカーレンベルクに降りたのは、われわれだけでした。
9:43
カーレンベルクの丘の展望台から眺めるウィーン市内です。
中央にフンボルト・ヴァッサーがデザインしたゴミ処理場の煙突がそびえています。
9:45
中央の四角いエリアがシェーンブルン
宮殿です。
昨夏、汗を流して歩いたグロリエッタがよくわかります。
9:36
自動案内アナウンス装置です。日本語もありましたので、2ユーロを投じて、聞きました。ほかに観光客はひとりもいません。ちょっとさみしい。
9:46
9:54
ウィーンの森の地図です。コースはいろいろあります。
10:12
雨もあがって、静かな田園地帯を下ります。
10:10
カーレンベルクの丘から下ってくると、一面、ブドウ畑が広がります。彼方にはドナウの流れと「第3の男」の観覧車があるプラターが。そして、ウィーンの市街からシェーンブルン宮殿までが見渡せました。
10:28
カーレンベルクの丘から散歩してくると、あたりののどかな風景とは不調和な屋敷の横を通りました。何台もの監視カメラが周りを見回しています。
ここの元ご主人はイラクのフセイン大統領だそうです。この細い坂道を登って、あのかたもやって来たのでしょうか。
いまは、イラクの公館になっているらしいですが、どなたもお住まいの様子はありませんでした。
10:43
マロニエです。和名はセイヨウトチノキといいます。パリなどの街路樹で知られてますが、花を見たのは初めてです。
遠くから見ると、白っぽい房が上向きについているようにみえますが、近寄るとちょっとピンク色の花弁が可憐でした。あちこちで見かけました。
10:42
Beethovengang-ベートーベンの散歩道の入り口です。ここから、静かな小道が下っていきます。
10:48
ベートーベンが「田園」の曲想を得たという小川が流れてます。いまでは、すぐ近くに住宅があって、その小川も下水が流れ込んでいるのか、ちょっと幻滅の風景でした。当時は、馬車に揺られないとやって来られない田舎だったのでしょうが。
10:47
10:47
まだ若いころのベートーベン像です。
10:51
ちょっとカーブしているだけで、小道、いや小径という雰囲気がするものです。
10:51
左手にガイドブック、右手に折りたたみ傘をもって。
11:07
ベートーベンガング(小径)からエロイカ(英雄)ガッセ(通り)と下ってきて、「ここのホイリゲはまだ閉まっているね」とベンチに腰掛けました。ペットボトルを口に見上げると、「史跡」を表す4本のリボンが。
ベートーベンが第9の4楽章「合唱」の部分の構想をふくらませたという「メイヤーの家」でした。
「引っ越し魔」のベートーベンらしく、あちこちの家に滞在したようで、また、その記録が残っているのがすごいところです。
11:17
「杉玉」が出ています。まるで日本と同じです。新酒のワインができたのでしょう。
11:27
ベートーベンが弟あてに遺書を書いたという「ハイリゲンシュタットの遺書の家」です。この家を気に入っていたそうで、11回も滞在し、交響曲2番はこの家で生まれたそうです。
11:32
路地に面した家の木のドアを押すと、中庭が。正面に、その家はありました。展示室になっており、おじいさんから「見るのか?」といった感じで入場料を徴収されました。そして、「遺書」の説明をしたガイドブックの日本語ページを開いて「ここを読め。買わなくていいから、すんだらここに置いといてくれたらいい」と言い残して、どこかに行ってしまいました。なかなか親切でした。
11:40
「夏の家」というのもありました。1898年の夏、この家の2階の部屋を借りて「田園」を完成させたそうです。
ちょっと疲れたので、ここからバスに乗り、二駅先のグリッツィングまで行きホイリゲに直行しました。
12:08
グリッツイングにあるホイリゲ「Zum Martin Sepp」です。キノコ料理が人気という店ですが、季節はずれのうえ、さすがに昼前からここにくる客は少なかったようです。それでも頼みました、「ワインを」と。
新酒のワインを飲ませてくれる酒場です。料理は、店内のウインドーをのぞいて、「これ、とあれ」と指さすだけです。
こんな時間からワインを飲んで、最高です。
ちなみにお代は-
店内でもらったのが右の精算書
ブタの焼き肉 32eur/kgの肉を1切れもらって172g、5.5eur
添え物(小)×2 ブロッコリーとポテトを頼みました 1.5*2=3eur
サラダ(大) 生野菜などを大皿に盛りました 6.9eur
これに野外のテーブルで頼んだワインが2つ。これが手書きの精算書にある4.40eurで合わせて19.8eur、日本円にすると2800円ほどになりました。
12:37
ああ、おいしかった。皿の上を見てください。きれいに平らげています。
12:38
ちょっと離れたテーブルでは、初老の3人組が大きなスペアリブをほおばってました。
13:14
「Karl Marx Hof」という有名な集合住宅です。
13:15
あちこちで日の丸に「Sushi」と書いた看板を見ました。もっとも、日本のすしとはちょっと違うようで、実際に経営者は韓国や中国系が多いそうです。
この看板は、ハイリゲンシュタットの地下鉄にあったスタンドで見かけました。
Sesamhuhuchen
「ごま味の若鶏」となりますが、カレーソース風味とあるので、チキンカレーみたいなものでしょうか。
Fischtempura これはわかります「天丼」です
Vegetarisvhe
Box ベジタリアン・ボックスです。なぜか豆腐がのってます。
Japan-Ente Enteは鴨ですが、なぜJapanとつくのかわかりません。照り焼きソースでぱりぱりに焼いたとり肉がのってます。
どれも3.8eur、日本円にして530円ほど。コンビニ弁当と大差ありません。
13:23
地下鉄に乗るのも慣れました。
地下鉄の乗車券です。
今回は24時間チケット(5ユーロ)を2回買いました。
左上は、空港へ向かうときに買ったCATの乗車券です。
14:03
「黄金のキャベツ」をいただくセセッション(分離派会館)の地下には、グスタフ・クリムトの壁画「ベートーベン・フリーズ」が展示されています。
1902年に開かれた分離派展のために作られたフレスコ画で、壁面の三方に描かれています。ベートーベンの「交響曲9番」をモチーフに、社会への風刺と幸福への憧れを表現しているそうです。
ちょっと戸惑ったのは、料金を払う場所が見あたらなかったこと。そのまま展示室まで入ってしまいました。どうやら無料だったようです。それならと、カタログを購入しました。
14:06
ウナギだって、ほら元気なのが売られてます。
ウィーンっ子の胃袋を満たすナッシュマルクトです。でも、まさか、ウナギを蒲焼きにしては食べないでしょう。日本食レストランは別にして。
それにしても、おいしいものは世界共通ということを実感します。
14:07
どうしてこんなにきれいな「赤」なのでしょう。
ナッシュマルクトは今回もカラフルでした。
14:07
14:07
14:08
今が旬の白アスパラガスです。この品揃えをみると、貴重品なのでしょう。それとも人気が高くて、売れてしまったのでしょうか。
14:11
気になってた店です。この液体は何なのか?
答えは「ビネガー」でした。
「Gegenbauer」というこの店、なんと日本語のホムページまでありました。
14:12
Apfelessig mit Honig (Cider vinegar with honey)
Weinssig mit Barlauch (Wine vinegar wild garlic)
Himbeeressig (Paspberry vinegar)
Paprikaessig (Red pepper vinegar)
Tomatenessig (tomato vinegar)
いや、いろいろとあるもんです。今度は味が気になってきました。
14:17
ギュロスのスタンドです。
大きなナイフで、肉をこそげ落とすようにして切ります。カメラを向けるとポーズをとってくれました。買わなくてごめんなさい。
14:23
Sushi chips、すなわち海苔巻きのおかきのことのようです。隣に並んでいたのが、Japan chips。こちらは海苔が巻かれていませんでしたから。おもしろい食べ物が並ぶのはナッシュマルクトです。
15:58
ちょっと疲れてました。シュテファン広場でアイスクリームを食べて、休憩です。
16:19
ウィーンの楽譜専門店「ドブリンガー」です。K先生に頼まれていた声楽の楽譜を探しました。
VIE→PRG
13:04
突然、プラハの地下鉄です。
ここにくるまで、ハプニングの連続でした。
まずはウィーン。空港へはCATという直通鉄道で行くつもりでした。地下鉄のウィーン・ミッテ(中央駅)で乗り換え、ここのオーストリア航空窓口でチェックインもすませました。あとはゆっくり空港へ行こうと地下ホームに降りても、他に客はいません。おかしいなあと1階に戻ると、予定していた列車は運休になったので、S-bahn(OBB=オーストリア国鉄の在来線)に乗れという。ちょっと離れた別の乗り場まで歩いて、なんとか空港を通る列車に乗り込みました。車内検札があり、乗車券を買ってないことに気づきましたが、ままよとCATの乗車券を見せたら、すんなりOKでした。
次はプラハ空港。税関を出ても、手配の迎えがいません。名前を書いた紙を掲げて待っていた業者は客とのドッキングを果たしてどんどん減っていくのに。「ここのタクシーは悪質なのが多くて、ボラれないように注意が必要」と聞いていたが、やはりホテルまでタクシーで行かなければだめかなとおもいつつ、出迎えサービスに携帯から電話しました。わたしの携帯は第3世代のVodafoneで、そのまま国外で使用できます。相手はすぐに出てきて、英語でなんと説明するかとあせっていると、「Are
you Japanese speaker?」と天使の反応。すぐに日本語が話せる係員に代わってくれて、問題も間もなく解決しました。
13:37
ホテルにチェックインをすませ、中心部のムスティークへ。
カフェを見つけて飛び込みました。ああお腹が空いた。
13:59
毎正時には仕掛け時計が動き出す。
観光客が集まってきて、その一瞬を待っていました。
14:03
雨が降ってきて、肌寒い天気です。
14:04
旧市庁舎の壁にある「12人の使徒像の天文時計」です。毎正時になると、鐘の音とともに12人の使徒があいさつをしてくれます。
14:04
14:35
ネポムツキーの像です。銅板に触ると幸運がもたらされると言い伝えられ、みんなが触るのでピカピカに光っています。
14:49
カレル橋から眺めるヴルタヴァ川(モルダウ)です。
川の上だけに肌寒い風が吹き抜け、冬に逆戻りです。
15:00
旧市街側の橋塔は上がれるようになってましたが、ここまで上がってくる観光客は多くはありませんでした。
15:01
橋塔の上から眺めた旧市街です。「百塔の都」というのが納得できる風景です。
15:02
丘の上にある王宮と、茶色の瓦が印象的なプラハの街です。
15:05
カレル橋の左右には15体づつの聖人像が立っています。
幅約10メートル、長さは500メートル以上あります。
15:30
旧市街です。日本にはこのような町並みは存在しません。
15:40
石畳に蹄の音を響かせて観光馬車が行き交います。
かわいい飾りをつけた白馬もいました。
15:41
旧市街広場を背にして馬車が走ります。絵になる風景です。
15:49
コンサートのチケットはインターネットで予約しました。
昨夏のザルツブルク音楽祭のチケットは、すぐに郵送されてきました。ところが、今回は現地でのピックアップだけです。しかも代理店は住所しかわからず、わざわざ通り名が記されたチェコ語のプラハ市街図を堂島のジュンク堂で買っていきました。
行ってみると、市街の真ん中、一番にぎやかな通りのよく目につくところにその代理店はありました。ネットで予約したときの受付ナンバーをプリントアウトした紙を見せると、簡単に発券してくれました。
ヨハネ受難曲 800コルナ=3200円
チェコトリオ 350コルナ=1400円
安い。日本で聴けば、この何倍を支払わなければならないか。
15:52
ウィーンでも気になっていた「ギュロス」を買いました。これが夕食の一部になってしまいました。
19:30
チェコ中央銀行の正面です。
ネットで、「ホールの入り口は左手から回った裏庭に面している」という書きこみを読んでいたので、迷うことはありませんでした。そうでなければ、ちょっと困っていたでしょう。
CNBホールは、チェコ中央銀行の中にありました。
Ceska narodni banka。英語ならチェコ・ナショナル・バンクの頭文字ですね。
チェコ・トリオ(ピアノ三重奏)の演奏会は、ここのホールが会場でした。
20:50
休憩時間にはワインを飲む習慣がついてしまいました。楽しみな時間です。
21:53
チェコ・トリオの演奏はピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」(チャイコフスキー)。大好きな曲です。ごっつい馬力のあるバイオリンのおばさんと、ひょうひょうとしたチェロ、二人を泳がせて出しゃばらないピアノの素敵な演奏でした。
小さなホールでのアットホームなコンサート。日本人は、われわれ夫婦とあと一組(?)だけでした。
22:23
「Prazske jaro 2005」(プラハの春音楽祭)のオープニング・コンサートは今年もスメタナの命日の5月12日に、市民会館のスメタナ・ホールで行われました。今年は、コリン・デービス指揮のロンドン・シンフォニーの演奏でした。曲は決まっていてスメタナの「わが祖国」です。
チェコ民主化翌年の1990年5月12日。スメタナ・ホールに42年ぶりに亡命先から帰国したラファエル・クーベリックが立ち、「わが祖国」を演奏した姿は、テレビでみた記憶があります。バルコニーにはビロード革命の立役者、ハベル大統領の姿があったはずです。
本当は、このコンサートを聴きたかったのですが、チケットがとれませんでした。
Praha
8:28
パソコンに向かってメールチェックするのは朝の日課になってました。
9:39
路面電車に乗って、プラハ城の西側までやってきました。真っ青に晴れ上がって気持ちの良い天気です。
9:40
石畳の道を下っていくと、正面に聖ヴィート大聖堂が見えてきます。
9:51
城門の前では観光客相手のパフォーマンスが行われてました。
9:52
プラハ城を守る衛兵です。どうしてこんなに足が長いのでしょうか。並んでみて愕然としました。
9:53
内側から見たプラハ城の正門です。門外のフラチャニ広場にはものすごい数の観光客が押し寄せてます。門内の衛兵たち(右側)は、どうしたものかと相談しています。
といのはウソで、正面側では上の写真のようにイケメンの衛兵は何事もないように前ををみて立ってました。
<
10:04
聖ヴィート大聖堂の内部です。ここまで入るだけなら入場料はいりません。
9:58
この天井の高さには圧倒されます。
10:00
左手3番目が、チェコを代表するアールヌーボーの画家、アルフォンス・ミュシャ、こちらの読み方ではムハのステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」です。
ほかにも美しいステンドグラスがありますが、聖書の物語を知らない身には、あまり絵柄を理解できませんでした。
10:08
10:17
南側広場から見上げる大聖堂です。
10:21
聖ヴィート大聖堂です。ムハのステンドグラスを見て外へ出ると、青い空が広がってました。そこに突き刺さる尖塔のすごさです。
926年に建築が始まり、ロマネスク様式から途中でゴシック様式に変更され、完成したのはなんと1929年のことです。木造建築の国に生まれた身には、信じられないような時間の経過です。
10:23
聖イジー教会と、右側が聖イジー修道院です。
黄金小路に入るには入場券が必要でした。小路は土産物店ばかりなんですが。
10:31
カフカの「変身」(読んだことはありません)が、マルクス「資本論」の「貨幣の資本への転化」の「転化」と同じVerwandlungであることを、大昔に学びました。それ以上は知りません。
プラハ城内の「黄金小路」は、かつて練金術士が住んで、金を作りそうとがんばったところだそうです。左から2つ目の青い家にはフランツ・カフカも住んだことがあります。
とはいえ、中国人がほとんどだった観光客は、「カフカ」のプレート(左下)には気が付かないように通り過ぎていました。
10:46
「NO22」と表示がある青い建物が、カフカが暮らした家です。
わたしの買った数少ないみやげです。
「Bookmark」、しおりです。プラハ城の黄金小路にある土産物店で買いました。ひもの両端に鉛細工の小物が結びつけられていて、これを本の開いたページにはさみます。
ポットとカップ
象とクローバー=どういう関係なのかわかりません
太陽と月
本と老眼鏡=これを買いました。メガにではなく老眼鏡でしょう
パイプとたばこ
リンゴとかじったリンゴ=これはなかなかイケてます
馬とタツノオトシゴ=これも意味不明
太陽とアザラシ
本とフクロウ=ミネルヴァのフクロウはせまりくる黄昏に飛び立つ?
帽子と傘
フォークとナイフ
犬と骨
いやいろんな組み合わせがあるものです。価格は? 忘れました。
11:07
茶色の瓦屋根が印象的なプラハの街並みです。
11:09
中央に見える二つ並んだ尖塔がティーン教会です。
11:09
まるでミニチュア細工のような家が並んでいます。
11:15
何か記念になるものはないかなあと、お土産を物色中です。
11:42
カレル橋の王宮側です。観光客であふれています。
11:50
旧市街と城を結ぶカレル橋は1357年、カレル4世時代に建築が始まり、1402年に完成しました。欄干には30体の聖者がならんでいますが、そのひとつがイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルです。
その聖人をかついでいる男性は、まげあり、ダンゴ鼻あり。いかにも日本人(東洋人?)をイメージしているようです。
日本人はその名をよく知っている聖フランシスコ・ザビエルの像です。
11:57
カレル橋の上はホコ天になっています。橋というより、広場のにぎわいです。あちこちからにぎやかな音楽が聞こえてきて、静かに客の似顔絵を描いている人がいて。
とにかく人が多いのに驚かされます。外国人観光客(といってもだれが外国人かあまりわかりませんが)から、修学旅行生に遠足の子供まで。ただし日本人にはほとんでど会いませんでした。
12:04
12:24
ヴルタヴァ川越しに見上げるプラハ城です。中央にそびえているのが聖ヴィート大聖堂。天気がいまいちで、空も美しくありません。それでも風が吹き抜ける「冬」のカレル橋は観光客であふれています。
12:25
ブルタヴァ川沿いのスメタナ博物館の前からみたカレル橋と王宮です。
12:52
プラハの名物Pivnice(ピヴニツェ=ビアホール)、「ウ・カリハ」です。
席につくと、ボーイが聞いてくれました。
「食前酒はいるか?」、「ワインかビールか?」。
でビールと頼むと、大きさなど聞かずにドーンと登場しました。日本の大ジョッキより二回りくらい大きなのが。さすがに女房には、だまっていたけどちょっと小ぶりのが。
口当たりがものすごくよい。アルコール度は5度ちょっと日本のビールとも変わらないようなのに、いくらでも飲めてあまり酔わないません。「水の感覚」という言葉が理解できまっす。
料理は、スモークポークのクリネード、ザウアークラウト添えを頼みました。もちろん、日本語メニューがあります。クリネードはポテトをつぶして焼いたもので、ねっとりとした蒸しパンといった感じ。もう一皿のチキン料理も日本人の舌にあって、きれいに平らげました。
このジョッキの圧倒的な迫力はどうでしょう。味はくせがなく、スーッツとのどを通ります。
13:45
「ウ・カリハ」は作家のハシェクが通った店で、「兵士シュベイクの冒険」の舞台になったそうです。壁には、小説を題材にした落書きがあり、主人公・シュベイクなどのグッズも売られていました。
13:47
14:06
ヴァーツラフ広場の端にそびえる立派な国立博物館です。
14:02
1989年11月17日に始まった民主化要求デモは、連日10万人を超える人々がこのヴァーツラフ広場(広場というが、実はプラハ市内中心部の大通り)を埋め尽くしたというこてです。
いまでは、そんなことは昔話のようににぎやかなショッピング街でした。
14:50
ムハ美術館に行きました。日本人に愛されているのか、あまり出会わなかった日本人が多くきてました。館長さんも、日本語でにこやかにあいさつしてくれました。
額縁に入れて飾ろうと、一番気に入ったまっすぐにこちらをみすえたようなきりっとした表情の女性画のコピーを買いました。折らないように大事に持ち帰ったのに、別の作品が入っていてがっかりしました。
15:40
火薬塔です。
15:47
モーツァルトが愛した町です。1787年、郊外にあるベルトラムカ荘滞在中に「ドン・ジョヴァンニ」が作曲されました。そして、このエステート劇場でモーツァルトの自らの指揮で初演されました。
映画「アマデウス」も、大部分をこの町で撮影しています。
ちなみに「f」をデザインした空色の旗は、「プラハの春音楽祭」のシンボルです。
午後7時半なのに、まだまだ空が青い旧市街広場です。8時から始まるコンサートに時間があったので、ぶらりと歩いてきました。。
左がゴッシク様式のティーン教会、その下の広場中央にあるのがヤン・フス像、右側が天文時計のある旧市庁舎、さらに聖ミクラーシュ教会が続きます。
この写真は、パノラマ撮影を合成したものです。左右で段差ができたのをそのままにしてます。
19:08
二つ並んだ尖塔が美しいティーン教会です。
19:14
夕日を浴びる旧市庁舎です。
19:15
日が傾くと、急に冷え込んできます。半信半疑でもってきて冬のコートが、本当に役立ちました。
抱えているのは「ヨハネ受難曲」のスコアーと対訳です。
19:36
Rudolfinum(ルドルフィヌム=芸術家の家)は、19世紀の後半に約10年をかけて建設されたそうです。現在はプラハ交響楽団の本拠地になっています。
19:51
Rudolfinumのドボルザーク・ホールは、本当に素晴らしいホールでした。こんなに響きの素晴らしい音楽的なホールは、たぶん日本にはないでしょう。
19:51
ホールの天井です。
無粋な音響板がぶら下がっているだけの日本のホールとは大きな違いです。
21:57
バッハの「ヨハネ受難曲」を聴きました。
ペーター・シュライヤー(テノール歌手=舞台中央)が指揮を振り、物語を進めるエバンゲリスト(福音史家)を歌う2役でした。さすがに、ずっと昔に聞いた「美しい水車小屋の娘」ほど声にハリはありませんでしたが、すべて暗譜には感心しました。
コーラスは6人×4声で24人。たったこれだけなのに、オルガンのような響きでした。
最高の音楽会でした。
22:31
ライトアップされた王宮です。夜景を見るために、路面電車から降りるつもりでした。でも時間が遅く、電車の本数が減っているので、あきらめて車窓から眺めただけで、そのままホテルに帰りました。
PRG→VIE→
プラハで2泊したホテル「モラーン」です。
古い建物を利用しているようですが、内部はきれいに改装されており、簡素ですが、気持ちのよいホテルでした。ベッドは、ウィーンと同じで狭かったのですが、部屋はこちらのほうが広かったです。
朝食の食堂もこじんまりとしてますが、きれいなチェコ娘さんが気軽にコーヒーのおかわりをもってきてくれ、気持ちのよい朝でした。
地下鉄の駅から3分ほどという便利さがなによりです。おまけに、同じ場所の路面電車の停車場からは、プラハ城やルドルフィヌムにも1本で行けてなによりでした。
8:27
旧市街広場の上空にヒコーキ雲ができました。
8:27
朝の日を浴びる旧市庁舎です。
8:16
8:16
新旧シナゴーク、現存するヨーロッパ最古のユダヤ人教会です。13世紀に建てられて、16世紀に増築されたから「新旧」です。切れ込みの入った屋根の格好がかわっています。
8:19
こちらもシナゴークです。屋根の上に6角のダビデの星がのっています。
8:31
路地裏までこのとおりです。
石畳の細い道に車は入ってきません。ごみひとつ落ちてません。玄関を出るとそこは路地、共用の廊下の感覚なんでしょうか。
8:32
朝から仕事に精が出るペンキ屋さんです。なにやら口ずさみながら楽しそうに仕事をしています。
どこを歩いてもきれいな町の秘密がわかったような気がしました。古くなれば補修する。たったそれだけのことなんですね。
日本では、とんと見かけなくなった光景だと思いませんか。
8:34
シトロエンのクサラ・ワゴンです。わたしの車と同じです。でもちょっと後ろ姿が違うなあと思ったら、ルーフ後部にピンと立っている角、じゃなかったアンテナがありませんでした。
8:40
朝の火薬塔です。登ってみたかったのですが、入口がわかりませんでした。
それにしてもこの空、どうしてこんなに青いのでしょうか。カメラがおかしくなったのではないかと疑ってしまいます。
8:46
地下を走るから地下鉄ですが、東京の大江戸線も顔負けの深いところを走ってます。いざとなれば、線路はそのまま核シェルターにでもなるのでしょうか。
エスカレーターもものすごく長く、ものすごくスピードが速いです。それなのに犬も平気で乗ってます。慣れとはこわいものです。
ここはB線の「ナーメスティ・レプブリキー駅」で、次はA線と交差する「ムスティーク」、ホテルは二つ先です。何回も乗っているうちに、チェコ語の車内放送も、駅名くらいは聞き取れるようになりました。
8:55
ホテルに近い路面電車の停留場です。いろんな路線の電車が次々にやってきます。車両も新旧いろいろで、2両連結が多いですが、1両のも走っています。
11:45
プラハの空港です。市内からはちょっと離れており、タクシーで550コルナかかりました。
一応、免税ショップもあり、息子の土産にブランドもののTシャツを買いました。
11:46
プラハからウィーンに向けて飛ぶチロリアン航空(オーストリア航空の子会社)は、昨夏乗ったザルツブルク-ウィーン間と同じちっぽけな飛行機でした。
→KIX
7:27(JST)
帰ってきました。そろそろ日本の領海に入っているはずです。
7:27
帰りは偏西風のために行きより1時間ほど早い11時間ほどのフライトです。
空席も多く、2人分のシートに横になりましたが、それでも疲れました。
「次はビジネスクラスで行きたいね」と希望だけは膨らませておきます。
9:05
関空に無事、降り立ちました。新大阪までの特急「はるか」を待っています。
たいしてみやげは買ってませんが、結構な荷物になりました。
荷造り完了
なんとかパッキングも済みました。忘れ物はないはずですが。
いよいよ明朝、出発します。昨夏と同じオーストリア航空のOS56便です。10時20分関西空港発です。その2時間前着となると、ああ、早く寝なくては。
機内食も出ましたが、さて、何を食べたかさっぱり覚えてません。
想定外の出来事
とんでもない事態の発生です。この忙しいのに、メーンのパソコンがまたもやダウンしました。ウイルス? そんな警告がでて、起動しなくなりました。そのうえ光ファイバーへの切り替え工事も加わって、そちらの設定変更まで加わりました。
出発は明後日に迫ってます。メーンのパソコンの復旧は、帰国後になります。アップしようと準備していた写真も、パソコンとともに昇天したので、今回は写真なしの書き込みです。
京都一周トレイル 北山東部 その2
北山東部②
戸寺-江文神社-江文峠-静原-薬王坂-鞍馬-貴船口-二ノ瀬 2005/05/12
総歩数=16,655
大原の「戸寺」で京都バスを下車する。
8時半前に家を出て、四条河原町ではほとんど待ち時間なしで大原行きのバスがきた。
前方に金比羅山が見える。山肌のちょっと白くなっているところが岩肌になっていて、京都のロック・クライマーの訓練ゲレンデになっている。
あそこの畑でとったばかりのエンドウだけどいらない? と一輪車を押したおばちゃん。おみやげに買ってしまった。400円は安かったのか?
小松均は孤高の人生を貫いた昭和の画家だそうだが、残念ながら知りません。
金比羅山に向かうクライマーが追い抜いていく。ヘルメットをさげ、ザイルをかついで。
江文神社に参拝する。
江文峠への道を歩む。
ここは、中学校(京都市立下鴨中学校)のときの年に一度のマラソン(適応遠足-そんな呼び方だったか)のコースだった。ここを息を切らして走ったのだ。
江文峠。中学生のときはなかった車道ができている。
この道は父親が好きで、よく車に乗せてドライブした。
遠くに静原が。
水田の稲は順調に育っているのだろう。
静原神社で休憩する。
静かなたたずまいだ。
のんびりしていると「歩こう会」の一団がやってきた、百人以上の団体で、さすがにすぐに退散した。
石垣の花。
コンクリート敷きの急坂を上る。
薬王坂二尊板碑。
赤松の根本に立つ板碑で、二体の阿弥陀如来が彫られている。
右側の道から薬王坂に登ってきた。
その昔、伝教太子が鞍馬で薬王如来像を造り、比叡山に帰ろうとこの坂を越えたとき、薬王がその姿を現したことから、この名が付いたという。
義経ブームで観光客を集める鞍馬に降りたつ。
鞍馬山の正面。本殿には、ここからケーブルカーも出ている。
叡山電鉄の終点、鞍馬駅。
今回はここを素通りする。
鞍馬石は庭園の石材として珍重されてきた。
貴船口。鳥居をくぐり、左に行くと貴船神社がある。
二ノ瀬近くのガレージで見つけたシトロエンBX。シルバーに塗装され、外観はこれまでみたBXでは最高の状態を保っていた。
、
叡山電鉄の二ノ瀬駅。新緑の中から叡山電車がやってくる。
絵になる風景
ドナウの水は濁っていても、絵になる風景です。ウィーンの西方、ヴァッハウ渓谷で、川下り船がデルシュタインの町に着こうとしているところです。
今度の旅では「ドナウの真珠」と讃えられるブダペストにも行きます。先ほど、ウィーンの旅行代理店から1日バスツアーのバウチャーがファクス送信されてきました。
古い街には…
石畳の古いまちには、こんなクルマが似合うんですね。
シトロエン2CV。真っ赤なのと、ちょっと地味なのと。どちらも街の雰囲気にとけ込んでます。
こんなのでのんびりとドライブしたいものです。
Weiβwein,bitte.
Weiβwein,bitte.
昨年夏のウィーンで、なにはともあれ覚えた(思い出した)ドイツ語です。「白ワイン、ください」
日本の造り酒屋は、新酒ができると軒先に「さかばやし」と呼ばれる大きなすぎ玉をぶらさげます。
ドナウ川下りで訪れたデルシュタインはワインの産地。この麦細工は「新酒あります」という「さかばやし」をデザインしているようです。
ウィーン・カード
ウィーン・カードを買うか、72時間フリーパスにしておくか、それとも中1日はブダペストに行くのだから24時間カードを買うか。それほど値段は変わらないのに、ちょっとでも安くしようとあれこれ迷ってしまいます。
それにしてもウィーンの交通機関って不思議ですね。あれで無賃乗車はないのかと。何回もトラムを回る路面電車に乗りましたが、自動券売機(写真左)で切符を買っているひとは、ついに見かけませんでした。
地下鉄でナッシュ・マルクトに行ったとき、改札で乗車券の提示を求められはしましたが。(2004/08)
いま、何色?
日本ではサクラが終わり、ツツジがきれいなシーズンです。フジもヤマブキも咲いてます。
モーツァルトのト音記号はいま、何色なんでしょうか? もうすぐ確かめに行きます。(2004/08)