青春18 宇野と姫路で食べました

 「青春18きっぷ」でやって来た岡山・宇野です。カンカン照りでした。
 昼飯は、「ブラタマノ 宇野港てくてくマップ」に1番で紹介されていた「大阪屋」です。
 「魚定食」(800円)の鯖煮は、テカテカに光ってました。ということは、甘くて濃い味付けでした。

 魚は、カウンターに並んだのから一品を選びます。どれもうまそうでした。

 みそ汁に玉子が浮かんでいました。
 名物らしく、「かつ丼に玉子入り」と注文しているい常連もいました。

 わたしはこちらも。

 宇野は漁港ではないので、魚で食べさせる店ではなかったようです。何でもありです。工場のユニフォーム姿や高校生まで、地元に愛されている食堂でした。

 昭和23年創業と、わたしより1歳年上です。周囲は空き地になって、孤塁を守っています。

 大阪屋
 0863-21-4026
 岡山県玉野市築港2-3-20

 帰りの電車に乗り疲れて姫路で途中下車しました。改札を出たすぐ横の「播州うまいもの処」で目に止まりました。
 実は過去の青春18でも来ています。姫路おでんの「ちょい飲みセット」(1000円)です。

 おでん5種とまたもビールのセレクトです。

 薄味のおでんは、生姜醤油につけていただきます。

 出汁の薄さを写そうとレンズを向けて、コンニャクが姫路城に型抜きされていることに気づきました。

 お隣は「玉子焼き」の店でした。何だろうと不思議でしたが、明石焼きのことでした。

 姫路の地酒と姫路おでん本舗
 姫路市豆腐町222 ピオレ姫路おみやげ館うまいもん処

青春18 宇高連絡船の発つ港・宇野

 「青春18きっぷ」を、久しぶりに買いました。さて、どこに旅しようか? 本末転倒のようですがそれはいいとして、高松に讃岐うどんを食べに行くか。で、思いついたのが宇野(岡山・玉野市)でした。
 新聞社に入社したわたしの初任地は高松でした。宇野から宇高連絡船に乗って見知らぬ地へ向かったのです。昭和49(1974)年の春でした。半世紀が流れようとしています。

 連絡船の遺構は、コンクリートの塊りのこれだけでした。当時の岩壁の係留施設の一部です。それでも経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されています。

 宇高連絡船は明治43(1910)年に開航しました。本州と四国を結ぶ重要なルートでした。
 わたしは高松勤務時代に、坂出港沖で行われた瀬戸大橋建設に向けた海底試験爆破実験を取材した覚えがあります。
 瀬戸大橋が完成したのは昭和63(1988)年のことで、連絡船は廃止されました。

 青春18きっぷでJRの普通(新快速も)を乗り継いで宇野までやって来ました。かわいい駅舎です。
 昔は連絡船を降りた乗客がそのまま乗車できるほどの長い編成の列車が停車するホームが何本もある駅でした。
 でも覚えているのは、ホームとそれにつながる連絡船の桟橋だけです。途中下車したことはなく、宇野駅の改札外は知りません。

 今も小豆島などへの観光船は出航します。

 この辺りに連絡船の桟橋はあったのでしょう。

 目の前は香川県の直島です。アートの島とした蘇りました。

 「UNO」って、ゲームではありません。
 日射しが強かったです。早々に退散しました。

 港にはアートも展示されています。
 「船底の記憶」は、スクリューにいろんな鉄製品が散りばまれています。

 「宇野のチヌ」も、よく見ると傘だったヘルメットだったり。
 いずれも瀬戸内国際芸術祭の出展作品です。

 玉野競輪も児島ボートも、わたしは無縁でした。

 フェリーが停泊してました。

 直島に寄港して高松に向かうようです。でもガラガラでした。

 わたしは高松で1年ほど勤務した後、岡山に異動になりまたした。高松の夜が懐かしくて、週末の夕に岡山からマイカーを走らせてここまでやってきて、高松に渡ったものです。
 その時に乗ったのが四国フェリーでした。瀬戸大橋開通で利用客が減り、令和元年の12月で運休していました。

青春18きっぷ 久しぶりに青春する

 学校が夏休みとなりました。と同時にシーズン・インです。
 JRの「青春18きっぷ」の夏季バージョンが、きのう20日から使用開始となりました。買いましたよ。久しぶりです。
 わが家近くのJR島本です。みどりの券売機で、いとも簡単に購入できました。
 (画像は一部を合成しています)


 
 券売機の「トクトクきっぷ」をタップすると、すぐに「青春18きっぷ」が出てきました。
 1枚と指定して、クレジットカードを挿入、パスワードを入力すると、あっという間でした。
 

 乗車券の他に、使い方や領収書、アンケート用紙までがプリントアウトされました。

 机の引き出しから平成20年前後の切符の残骸が出てきました。このころは、シーズンごとに買って、あちこちに出かけていました。
 調べてみると、29年の夏に、長野まで1泊で出かけたのが最後でした。もう6年も前です。
 さて、長時間の各駅停車の列車旅は今でも大丈夫でしょうか?

京都・出町 「みつばち」の宇治氷とあんみつ

 暑い京都の昼下がりです。ちょっと冷たいものをと、京都府立医大病院から河原町をちょっと上がった「みつばち」に寄りました。「京のちいさな あんみつ屋」です。
 わたしのセレクトではありません。奥さまは10数年前のわたしの入院時に、独りでやって来たことがあるそうです。
 「宇治氷(柳桜園さんの抹茶)」(850円)をいただきました。きめ細かなかき氷です。口に含むと、たちどころに消え去ります。冷たさと、濃厚な抹茶の香り、甘さが残ります。

 寒天と赤えんどうが別皿です。

 南房総産の天草(てんぐさ)を使ってじっくりと煮込んだこだわりの自家製寒天です。弾力がある口触りで、磯の香りすら感じるほどです。

 追い蜜をかけて、最後まで変わらないお味でした。

 奥さまはシンプルなあんみつでした。

 抹茶の柳桜園は、二条通御幸町にある茶道三千家の家元御用達の老舗です。

 女性たちでいつもにぎわっているのは知ってました。独りでこの暖簾をくぐる勇気はありませんでした。

 店先に木槿(むくげ)が一輪、大きな花を咲かせていました。

 みつばち
 075-213-2144
 京都市上京区河原町今出川下ル梶井町448-60

 河原町を渡った出町輸入食品を久しぶりにのぞきました。ちょっと買い物をすると、コーヒーのサービスがありました。

 ポテトチップスも一片を味見させてもらいました。

 スペイン産のポットチップスが並んでいました。気になりました。

 コーヒーが好きだった母が、ここのブルーマウンテンを愛飲していました。よく買いに来たものです。

 出町輸入食品 本店
 京都市上京区河原町通今出川下ル栄町359-2

 定期検診のほうは、CT、RI検査ともに異常はなく、腫瘍マーカー値も下がってひと安心でした。

反田恭平ピアノリサイタル2023を聴く

 奈良・橿原の県立橿原文化会館大ホールで、「反田恭平ピアノリサイタル2023」を聴きました(13日夜)。
 1000人を超す大きなホールです。それがソールド・アウトの満席でした。大阪や京都などからもファンが詰めかけていたのです。
 開演直前まで、念入りに調律が行われていました。

 前から4列目の中央の席でした。
 目の前のスタインウェイのふたの裏側が、弦を反射して光っているのが印象的でした。

 プログラム(一部変更あり)は、近代ロシアのスクリャービン、ラフマニノフとショパンの影響を受けた2人から始まりました。
 わたしは、その日に病院で受診した2つの検査で疲れていたのか、不覚にもこっくりとする瞬間もありました。
 後半のショパンは、これは圧巻でした。雷が落ちたのかと思わせるほどの爆音が、ホールに鳴り響く場面もありました。でもそれは一瞬のこと。心にグイグイと迫ってきたのは、圧倒的な弱音!でした。これまでに聴いたことがない最弱音に息をのんでいると、その音色はいく重にも変化して、一音一音がしみわたりました。そのバリエーションの豊かさに驚きました。
 拍手にスタンディングにブラボーが途切れません。5曲もアンコールを弾いてくれました。
 その極みが、アンコールで弾いてくれたラルゴでした。何度も聴いています。でも、この夜のラルゴが、ショパンの母国・ポーランドに対する思いを、これまでになく静かに熱く表現しているように思えました。聴くたびに限りなく進化する反田くんでした。

 なんだか反田くん一座がどさ回りしているような案内です。

 ホール前には「増長天」が飾られていました。、

 近鉄・大和八木から歩いて5分ほどのところにありました。

 近鉄特急で帰宅しました。

 大和八木のホーム内にあるコンビニで、缶を買って乗り込みました。ガラガラの車内で、余韻とともに楽しみました。

「哲&友号」 大川で浸水せずに進水

 山の友だちの「天満の哲」さんが、ヘンなことをしでかしました。
 ペットボトルをつないでボートをつくり、大阪湾に漕ぎ出すという奇想天外、いや気宇壮大な計画です。
 進水式を挙行するという知らせに、わたしも大阪・大川に駆けつけました。
 結果は無事に浸水、ではなくて進水。なんでもやってみようーの遠い昔のロマンが戻ってきたように、みんなの笑顔がはじけました。

 大阪・天六に近い哲さんのスタジオ「音太小屋」に集合しました。哲さんとその仲間たちです。「だれも欠けずに帰って来られるかな」の声も。

 分解したボートを台車に載せて歩いて出発です。

 早速に荷崩れを起こして、前途多難の様相です。

 大川(淀川の支流)の源八橋下流にある大阪ふれあいの水辺にやってきました。


 
 テープを張って組み立てです。

 浮かびました。「哲&友号」と命名されました。
 早速、哲さんとSさんが乗りこみます。

 岸をゆっくりと離れました。沈没するようなことはないようです。

 初航海を終えて、どや顔の2人です。

 対岸には帝国ホテル大阪や高層マンションがそびえます。どこを航海しているのかと思わせます。

 思わず笑顔がこぼれます。

 哲さんは、へっぴり腰で立ち漕ぎに挑戦です。

 水を漕いで、様になってます。

 警備員も見に来ましたが、お目こぼしにあずかりました。
 オトナの遊びは、撤収も完璧でした。

 都島橋を帰ると、わが母校の大学ボート部が練習中でした。あんな風に大川の本流を進み、大阪湾まで漕ぎ出るのはやり絵空事だったのでしょうか。

 音太小屋に戻って乾杯しました。哲さんの夢に便乗させていただき(ボートには、怖くて乗りませんでした)、ありがとうございます。

リスボンの町を市電28番は走る

【 paso a paso 3 2023/06/10-02 】

 リスボンの町です。坂道の曲がりくねった線路の向こうからトラムが走ってきました。ここでは「市電(エレクトリコ)」と呼びます。その28番線です。
 急いでカメラを構えました。走り去るのを追いました。
 これに乗るためにリスボンまでやってきたようなものです。次の停留所までいって、次の電車に乗り込みました。

 28番線は、「7つの丘」と呼ばれる起伏の多い町を、ガーガー、ギシギシと音を立てながら進みます。狭い路地も抜けていきます。

 町を半周するような路線です。1往復半も乗りました。(画像は「地球の歩きかたポルトガル」より)

 運転手は、長い髪の女性でした。

 始発駅のマルティン・モニスでは、定員しか乗せません。おかげで1時間ほど待たされました。
 走り始めると途中駅からどんどんと乗り込んできて、すぐにいっぱいになりました。

 カテドラル(リスボン大聖堂)の前で通過するのを待ち構えました。

 見飽きることなくシャッターを切りました。

京都・桂 中村軒の宇治ミルク

 きょうの京都は、最高気温が36.8度にも達しました。暑かったです。帰り道に桂の中村軒に寄って、かき氷をいただきました。
 「宇治ミルク」(940円)です。奥さまが頼んだ「あんみつ」の金時(あん)も回ってきました。宇治金のできあがりです。

 ほおばると、すぐに溶けるきめ細かなかき氷です。冷たくて、甘いです。
 若いころは「あんこ、怖い」でしたが、し好が変わったようです。

 「あんみつ」もおいしそうです。

 ねっとりとした白玉を口に含みながら、氷を流し込みます。たまりません。

 追いシロップです。食べ進んでも、変わらずに濃厚味です。

 床の間には、祇園祭の長刀鉾の扇が飾られていました。

 坪庭が涼し気です。

 祇園祭のミニチュアが展示されていました。

 これまでの中村軒

 御菓子司 中村軒
 075-381-2650
 京都市西京区桂浅原町61

トラムを横目に歩きました

【 paso a paso 3 2023/05/18-2 】
 ポルトの町は、大好きなトラム(路面電車)が走ってます。巡礼路のドウロ川沿いの道も、クラシックなトラムが行き来していました。乗車するわけにはまいりませんが、抜き去られるのも気持ちよかったです。

 前面にカゴをぶら下げた車両がやってきました。

 思わず振り返ります。格好良すぎます。

 ちょっと幅広に見えます。

 トラムの走り去る音です。モーターがうなるのがたまりません。

 STCPトラム博物館(Museu do Carro Eléctrico)がありました。これは見学するしかないでしょう。

 きれいに整備されています。

 トラムはポルトガル語でカーロ・エレークトリコ(carro eléctrico)、つまり電気馬車というそうです。
 1872年に馬車軌道として開通し、1895年に電化されました。

 チビッ子たちも見学に訪れていました。

 日本の平安貴族がのった牛車とよく似た格好をしています。

 これが開通当時の姿のようです。

 巡礼を再開しました。

 河口近くのカンタレイラで線路は途切れていました。
 昔は、わたしが巡礼初日を終えたマトジーニョスまでつながっていたそうです。