お遍路2日目(11月17日)は、瀬戸大橋も見える宇多津町の78番郷照寺から歩き始めました。
途中にある最後の遍路ころがしの難所、五色台の2カ寺は時間配分から翌日に回してJR-ことでんと乗り継いで一宮寺を打ちました。
ことでんを乗り継いで麓まで行き、屋島に登りました。84番屋島寺にお参りするのは40年ぶりでした。今回のお遍路で回った札所は、すべて40年ぶりでしたが、ほとんど記憶のない寺もありました。
讃岐路をお遍路しました。5月末以来です。
この間、お大師様に無断で異教徒のサンティアゴ巡礼に出かけたりしていましたが、再び「結願」を目指します。
スタートは、70番本山寺でした。早朝の新幹線、特急、普通と乗り継いでやってきました。
「涅槃の道場」の香川県は、比較的近いところに札所が連なっています。JRなどの交通機関も利用しましたので、1日目は弘法大師の故郷・善通寺を経て、77番道隆寺まで8カ寺を巡りました。
83番札所・一宮寺までは、ことでん(高松琴平電気鉄道)に乗りました。JR高松駅から高松築港駅にやってくると、ホームの電車が発車直前でした。自動券売機で乗車券を買っていては乗り遅れそうでしたが、「車内で乗車券を買ってください」と改札はフリーパスにしてもらい飛び乗りました。
何も知らずに飛び乗った電車ですが、あちこちに一眼レフを抱えた「撮り鉄」がいます。へエー、人気なんだと。
木造にニス塗りの円柱には、ギリシャ建築のような彫刻が施されています。
車内で発行してもらった乗車券もレトロです。「10」と「7」をパンチして17日です。ナンバーは「023」となってます。偶然でしょうか。それとも車両番号でしょうか。降車の際に渡しましたが、記念にもらっておくのだった。
運転席もシンプルです。ガタゴトと揺れながら走ります。
一宮駅に着きました。
「ホームに降りて撮影してください。ご要望があれば申しでてください」とものすごいサービスです。乗客がパンフレットをもらっていたので、「わたしもいただけますか」。それで人気の秘密がわかりました。
「20型23号車」は、元々は大阪鉄道(後の近畿日本鉄道)の車両で、1925年(大正14年)に川崎造船所で製造されました。譲渡を受けた後も今に至るまで現役で走っている日本最古の車両だったのです。
2両連結してますが、貫通はしてません。
先頭のこちらの方がレトロに見えた「3000型300号」は、ことでんオリジナル車両で、「近代化産業遺産」の認定を受けてます。でも製造は1926年(大正15年)と、26号の1年後です。
1日に1往復しかしていない「レトロ電車特別運行」に運よく巡りあわせていたのです。
ガイドブックを見ていると、古い橋梁などとともに屋島駅も近代化産業遺産に認定されてました。
84番札所・屋島寺を打った後、雨に降られて高松に戻る途中でここから乗車しました。
お遍路最初の夜は丸亀でした。高松勤務時代の丸亀在住の先輩とン10年ぶりに会いました。連れて行ってもらったのが「一鶴(いっかく)」でした。
「キミ、歯は大丈夫か?」と聞かれて頼んだのは、「骨付鳥」の「おやどり」でした。
文字通りに骨付きの鳥がドーンと登場しました。ニンニクとスパイスたっぷりの油をまとった骨付きの焼き鳥です。
最初はがんばって箸で食べようとしました。でも、周りを見るとみんな骨の先にティッシュを巻きつけて、そのまま頬張ってます。なるほど、シコシコとしてうまいです。ビールが進みます。
他にもたべてますが、写真はこれだけです。およばれして、写真ばかり撮ってられません。
骨付鳥は、創業60年の一鶴が生み出した料理だそうです。
一鶴 丸亀本店
丸亀市浜町317
0877-29-9111
お遍路2日目の夜は、高松でした。久しぶりに夜の町を歩きましたが、すっかり変わってます。
丸亀町商店街からライオン通りに向かい、古馬塲まできました。昔、この辺りに「スナック 倫敦」がありました。このときは、まだ骨付鳥の存在に気づきませんでした。
ライオン通りを歩くと、この通りです。なんと骨付鳥のオンパレードです。あるは、あるは。讃岐といえばうどんでしたが、それに次ぐ名物が誕生していました。
ライオン通りのズラリとかかっている幟も、気がつけば菅野美穂がお薦めの骨付鳥でした。
3日間のお遍路を終え、帰りは安上がりに高速バスです。
缶ビール飲んで、じゃこ天食って、あとは寝るだけです。
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お遍路2日目も、ほぼ予定通り歩きました。
昼飯は、琴電瓦町駅でした。途中下車しましたが、駅前の様子はすっかり変わってます。当然です。わたしが新聞社に入社して初任地として過ごしてから40年です。
駅の近くに、鶏の天ぷらがおいしかった店を思い出しました。そちらの方に歩いていくと、行列のできている洋食店がありました。メニューを見ると「とりの骨ぬき」(450円)があります。これは、行列を並んでも食べないわけにはいきません。
登場したのは、昔と同じとりの骨ぬきです。
なつかしい味です。
忙しく調理しているご主人に聞きました。
「この店、古いんですか」「はい、50年になります」
当たりでした。あの店でした。
おいしい洋食屋として人気の店のようです。
「また、こちらに来られたらいらしてください」。横で聞いていた奥さんに愛想よく送り出されました。
昔は、ガラス戸を開けて入る、居酒屋のような雰囲気でした。改装されてますが、カウンターに座るのは同じです。
洋食 おなじみ
高松市瓦町2-5-10
087-861-7639
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お遍路3日目(26日)も良い天気の予感です。
雲辺寺の南麓にある「民宿・岡田」では、早くから寝ていたので午前5時には目が覚めてしまいました。窓を開けると、白みかけた東の空から美しい飛行機雲が伸びてました。
遍路ころがしの山道をたどって讃岐路に入りました。
お遍路2日目(25日)は、伊予三島から66番札所・三角寺を目指しました。
73段の石段を登りつめると、目の前の山門に釣鐘がぶら下がっていました。到着を知らせるように「ゴーン」とひと突きしてお参りしました。
お遍路初日(24日)は、60番・横峰寺から64番・前神寺まで打ちました。
五月晴れというより、初夏の太陽がカッカと照り付ける1日でした。いつも右手に石鎚山を意識して歩を進めました。
この日、最後に線香を灯し、般若心経を詠んだ前神寺の大師堂の上にも、真っ青な空が広がっていました。
伊予三島駅前のビジネスホテルに泊まりました。フロントで「どこか食事できるところありますか?」で教えられたのは、居酒屋と焼き鳥屋。ホテル筋向かえの居酒屋は後回しにして、焼き鳥屋に行くと常連で満席。他にはとあたりをうろうろしましたが、開いている店はありません。
アーケードがついた通りもありますが、だれも歩いておらず、見事にシャッターが閉まっています。最近の地方都市って、こんなとことが多いですね。
究極の選択で入った「「IZAKAYAここ屋」です。他に客はおらず、薄暗い部屋に通されました。
当然ながら意気は上がらず、腹を満たしておこうと締めに頼んだのが「カマンベールガーリックピザ」(550円)。いずれ冷凍物でも温めてくるんだろうと思っていると、パリッとした薄い皮にニンニク味がすばらしいホンマものでした。
ピザにあわせて「角ハイボール」です。
壁一面にメニューの短冊です。「お勧めはどれ?」と聞くと、この小さな黒板を渡されました。
黒板にあった「セセリ野菜炒め」も食べてました。あとは冷奴も。
本当は、地元の魚でも食べられる店がよかったのですが。
この写真を見て思い出しました。「薩摩茶屋」の文字。そういえば後ろには「三岳」もありました。飲み物くらい屋久島路線の選択もあったかな。
突き当りが伊予三島駅です。見事に開いている店はありません。
これで四国中央市のさら三島中央と念を押した中心地です。
IZAKYAここ屋
愛媛県四国中央市三島中央4-9-27
0896-24-447