アナログ回帰 管球EQアンプを改造する

オランダから直輸入した真空管、CV4024(12AT7)を使った管球EQアンプです。LPを聞くために必要な装置です。
3月に、バラックセットで組み上げて使用してきました。電源部は密閉されているのがいけなかったのか、夏の日に時々、熱暴走したかのような不調を訴えました。
長く使っていくために、きれいなケースに収納し直しました。この移設は当初からの想定で、それに対応できるような配線にしてました。

すっきりとした構成になりました。上蓋をとじれば完成です。

肝心の音出しは、なかなか手強いです。コンデンサーを増やしたり、はずしたり。いくつかの試行錯誤で、なんとか使用できるまでに、戻りました。あとは、ぼつぼつと改良することにします。といっても、簡単な回路だけに、手を加える余地はあまりありません。
左下が管球EQアンプです。とりあえずオール管球のアナログ・システムがそろいました。

わたしの「アナログ回帰」はこちら。

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ライプツィヒ、ワイマール メンデルスゾーンとリストを訪ねる

 【6/8】
 ライプツィヒはバッハだけでなく、メンデルスゾーンにとってもゆかりの町です。
 聖トーマス教会の正面側にメンデルスゾーンの立派な像があります。
 1809年2月3日にハンブルクで生まれ、1847年11月4日に、ライプチィヒで亡くなっています。
 20歳のとき、バッハの「マタイ受難曲」の公開演奏を作曲者の死後初めて行ったことで知られます。

 メンデルスゾーンが指揮者をつとめたゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地、ゲヴァントハウスからそれほど遠くないところにメンデルスゾーン・ハウスがあります。メンデルスゾーン家は、銀行業で成功していたため、家もこの通りに立派です。

 建物の手前に入り口はあります。

 メンデルスゾーン資料館に残されているピアノです。

 旅行用バッグが置かれています。

 気持ちのよい中庭です。右手にはメンデルスゾーンが開校し、校長となったライプツィヒ音楽院の施設があります。

 木陰でくつろぐ音楽院の学生たちです。

 メンデルスゾーンの胸像が、ハウスを見上げています。

 環状道路沿いにはメンデルスゾーン音楽演劇大学がありました。
 メンデルスゾーンは1843年にドイツ初の音楽高等学校であるライプチィヒ音楽院を創設しました。同校の日本人留学生第1号は瀧廉太郎でした。

 【6/9】
 ワイマールにはリスト・ハウスがあります。1869年から亡くなる867年までここで暮らしました。
 ワーグナーやブラームスもこの家を訪れているそうです。
 

 内部の撮影は許可されていませんが、リストのデスマスク、作曲に使用したピアノなどが展示されていました。
 

 マルクト広場からそれほど遠くないところにワイマール・フランツリスト音楽院はありました。
 ブダペストのリスト音楽院と比べると、ちょっとこぢんまりとしていました。

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ドレスデン 奇跡の復活、フラウエン教会とゼンパー・オーパー

【6/5】
フラウエン教会(聖母教会)はドレスデン旧市街の真ん中にあります。何度か前を通りました。さて入ろうと行ってみると、ドアの前はちょっとした行列です。とりあえず並んでみました。
正午前にドアが開いて招き入れられると、なんと「オルガン礼拝」が始りました。信者ではありませんが、敬虔な気持ちで、荘厳に響き渡るオルガンの音を浴びました。

18世紀前半に建てられたバロック様式の教会です。柱がない堅牢な大きなドームが特徴です。
ドレスデンが一夜にして焼け野原となった連合軍の空爆にも耐えましたが、内部に火が回り、2日後に崩壊したそうです。
共産党政権時代はがれきの山のまま放置されていましたが、ドイツ統一後の1994年から10年余をかけて昔の姿に再建されました。

黒い部分は昔の教会の石材がそのまま使われています。その一部が展示されています。
この再建作業は「世界最大のジグソーパズル」と呼ばれました。

「君主の行列」は、ザクセン王をはじめ総勢93人の歴代君主が、マイセン磁器タイルで表現されています。

空襲を奇跡的に免れた壁は、長さが102メートルもあります。
向こうがフラウエン教会です。

ドレスデン城のガイドツアーでしょうか。すごい衣装の女性が現れました。

ゼンパー・オーパーも空襲で焼失しました。1985年に再建されています。
ここは、ドレスデンにやってきた夜に、ゼンパー・オーパーの「メンコン」を楽しみました。

19世紀の劇場建築家の巨匠、ゴットフリート・ゼンパーによって宮廷劇場として建設されたオペラハウスです。

イタリア・ルネサンス様式の華麗な内部です。

まるで宮殿のようなゆったりとした廊下です。

窓からは大聖堂が目の前です。

ホールの見事な天井です。

天井の高いオペラ座は、ベルリン・フィルハーモーニーとまた違ったすばらしい音響空間でもありました。

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ベルリン フィルハーモニーのプレッツェル

【6/10】
今回の旅の総仕上げは、ベルリン・フィルハーモニーで聞いたベルリンフィルの定期演奏会でした。その感動は、ベルリンで「ベルリンにやって来てよかった フィルハーモニーに酔った夜」と書いています。
Berliner Philharmonie/ベルリン・フィルハーモニーは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地のホールの名前です。
演奏会が始まる1時間以上前にいそいそとやってきました。ポツダム広場駅で地下鉄をおり、SONYセンターのあたりまでくると、演奏会に向かう人がぽつぽつと歩いてます。後をついていくと、そのままホールのロビーに入ってしまいました。
さっそく白ワインです。プレッツェルもかじりました。
ボーデン湖畔でのブレゲンツ音楽祭でも、「トスカ」の開演前に白ワインを飲み、プレッツェルをかじったのを思い出しました。

水は自由に飲めます。こちらでは水は有料なので、珍しいです。カップは三角錐でテーブルに置くことはできません。なんらかの意図があるのでしょう。

ドレスアップした人たちが、思い思いに開演を待ちます。

正面入口には、チケットの確認ゲートもありましたが、わたしがいるのはその内側。最後までチケットを見せることはありませんでした。

このホールは1963年に竣工しました。五角形のヴィンヤード型で2,440席あります。

わたしの席からの眺めです。指揮のマリス・ヤンソンスの動きがよく見えました。こんなに楽しく、すばらしい演奏会はありませんでした。

パイプオルガンは、右側にあります。

休憩時間には、庭に出てくつろいでいる人もいます。このあたりは、外部との境はありません。ということは、ホールにいくらでも紛れ込んでくることもできるはずです。

ドイツやその他のヨーロッパ各国には、列車に改札口がありません。列車はすぐに検札にきますが、トラムや地下鉄はたまに抜き打ちで私服係員が検札に回ってくるくらいです。
チケットをもっているかどうかは、双方の信頼関係の上に成り立っているということなのでしょうか。

感動の演奏会が終わって、フィルハーモニーを後にしました。

昼間に訪れたフィルハーモニーです。その右のドームがSONYセンターです。

フィルハーモニーの前は、ヘルベルト・フォン・カラヤン通りです。

ネットで確保したチケットです。
ベルリン・フィルはS席で2枚で250EUR(約25000円)でした。数年前に大阪・シンフォニーホールで聞いたベルリン・フィルは、さして良い席ではありませんでしたが、それでも1人でそれくらい支払ったはずです。
真ん中は、ライプツィヒ-ベルリン間のDB(ドイツ国鉄)の乗車券です。ベルリンの市内交通が到着日の1日乗り放題というサービスをつけています。
ホテルももちろん、ネットで予約しました。
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ライプツィヒ 幻に終わった「PLAY BACH」

【6/9】
bachfest/バッハ音楽祭は期間中、聖トーマス教会やニコライ教会、ゲバントハウスなどいろんな会場で、いろんな演奏会が開かれます。
そのプログラムに「Jacques Loussier Trio」の文字を見つけたときは、え、ホント!!と、一瞬、目を疑いました。
1960-70年代に「PLAY BACH」のタイトルでまさに一世を風靡したのがジャック・ルーシェ・トリオでした。それが出てくるのか!!
半ば信じ、半ば疑いながら午後9時開始のマルクト広場オープンステージに行きました。
確かにピアノ・トリオが演奏しています。でも、ジャック・ルーシェ・トリオでないことは明らかです。????

演奏は進みますが、左の画面に大写しになっている流ちょうにピアノを弾いているのが誰なのかといったインフォメーションは一切ありません。演奏の合間にピアニストはマイクを握り、ドイツ語でなにやら話します。その言葉の端に「ジャック・ルーシェ」という音も混じったようですが、当然のこととして理解できませんでした。

期待したホンモノとは違いましたが、結構楽しいバッハに引き込まれました。
マルクト広場に面した旧市庁舎の時計は午後10時を指そうとしています。でも、まだ空はこの青さです。

ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団は、クラシックのLPを聞きはじめたころからの馴染みです。その本拠地のゲバントハウス(織物会館)の大ホールです。ここに入ってみたかったので、8時から始まる「Bach und Jazz」という演奏会のチケットを買っていました。
でも、この演奏があまりにも紋切り型で、最初の休憩時間でさよならしました。

東ドイツ時代に建てられたホールです。もう一度、ゲバントハウス響の演奏をゆっくりと聞きたい思いを残して、そそくさとマルクト広場に向かいました。

bachfest2012のプログラムです。

Jacques Loussier Trio の文字は確かにあります。

ライプツィヒの町はバッハだけではありません。サッカーのユーロ選手権が開かれていたので、町のカフェは遅くまでテレビ応援のファンでにぎわってました。

PLAY BACH のLPを見つけました。
ジャック・ルーシェ・トリオの演奏で、初めて「イタリア協奏曲」を聴き、オーケストラと競演した「ブランデンブルク協奏曲第5番」を知りました。わたしのバッハの原点です。
今度の休みには、このLPに針を降ろしましょう。

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ベルリンにやって来てよかった フィルハーモニーに酔った夜

 旅の総仕上げはベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会でした。
 指揮はマリス・ヤンソンス、バイオリン独奏はツィンマーマン、オケはもちろんベルリン・フィルです。
 プログラムは、スメタナの売られた花嫁序曲、マルティヌのバイオリン協奏曲、そしてドボルザークの交響曲第9番「新世界より」と、チェコの作曲家の3作でした。

 新世界が終り、拍手の渦に包まれたフィルハーモニーです。

 拍手は鳴りやまず、オケが去った後のステージに呼び戻されたヤンソンスです。
 指揮者の一挙一頭足にこれほどまで釘づけになったのは、初めての体験です。ヤンソンスは格好よすぎます。
 小気味よい動き。時に指揮棒を左手に持ち替え、右手の指先を全部使って表現する。小柄な体が、限りなく大きく見えました。
 アムステルダ・コンセルトヘボウを指揮して人気を一身に集めているのがよくわかります。今年のウィーンのニューイヤー・コンサートの指揮ぶりも思い出しました。
 コンサート・マスターが樫本大進なら、もういうことはなかったのですが。それだけが残念。

 フィルハーモニーの響きは、聖トーマス教会とも、歌劇場のゼンパー・オーパーとも違って、ひとつひとつの音が明瞭に聞き分けられるオケのための空間であることがよくわかりました。

 長いと思っていた旅もあっという間。あすの飛行機で帰国します。旅の思い出は、改めて記していきます。

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ライプツィヒ 感動の夜 「マタイ受難曲」を聴く

 バッハの「マタイ受難曲」を聴きました。ライプツィヒの聖トーマス教会です。バッハが400年前に作曲して演奏した作品が、その同じ教会で同じスコアーが再現されました。
 鈴木雅明が指揮するバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)。ライプツィヒでも評価されているのを証明して、教会は満席でした。
 素晴らしい演奏でした。ドームに響くバッハの音。バッハの祈りが聞こえてきました。

 終演後、カウンターテナーの青木洋也さんにもあいさつできて、女房は大満足です。ここまで追っかけてきました!!

 静かになった聖トーマス教会です。

 8時に始まった演奏が終わったのは11時。それからホテルに戻り、冷蔵庫に冷やしていたワインで乾杯しました。3EURほどのワインですが、とにかくおいしいです。
 最高の夜です!!

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bachfest オープニング・コンサートは音の洪水

バッハゆかりの聖トーマス教会でのEroeffnungskonzert(オープニング・コンサート)でbachfest2012は始まりました。これを聞くためにやってきたライプツィヒです。

オルガンによるバッハの「プレリュードとフーガ BWV547」で始り、長い開会宣言(?)のスピーチがあり、独英2カ国語(いずれにしろよくわかりませんが)で曲目説明がありました。

聖トーマス教会聖歌隊とライプツィヒ大学合唱団の合唱は、それだけで高いドームに響き渡ります。

最後はMax Reger(1873-1916)という近代の作曲家の「Psalm 100,op.106]」でした。合唱にゲバントハウスの管弦楽、オルガンも加わり、これでもか、これでもかという音の洪水でした。
演奏が終わって喝采に応えているのは指揮者で聖トーマス教会カントーレのゲオルク・クリストフ・ビラーです。他の演奏者は見えません。

教会の祭壇に向かって座っています。その背後の2階で演奏しています。
大音響が束になってこぼれ落ちてきました。コンサートホールでは体験したことがない響きでした。

正面が祭壇です。
全員が立ち上がって、後ろを振りかって拍手です。

聖トーマス教会の横には、実直そうなJ.S.バッハの像が立っています。

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ドレスデン ゼンパー・オーパーの「メンコン」

プラハからEC(国際急行)で2時間余り。ドイツ・ドレスデンにやってきました。第2次大戦で、一夜にして壊滅しながら、見事に復興を果たした都市です。
ゼンパー・オーパーは、東ドイツ当時のドレスデン国立歌劇場、現在はザクセン州立劇場の愛称です。さっそくコンサートを楽しみました。
休憩時間には、「Weiss Wein(白ワイン)」(4EUR=約400円)を楽しみました。よく冷えて、フルーティーなワインです。

プログラムのメーンはユリア・フィッシャーのバイオリン、ユーライ・ヴァルクハ指揮のドレスデン・シュターツ・カペレです。
素晴らしい演奏会でした。5階席まである歌劇場です。ものすごくよく響きます。オケの厚みが違います。
バイオリンのフィッシャーは、まだ若そうな小柄な女性です。ところがその音は、ビンビンと突き刺さってきます。これまでにCDなんかで聞いていたメンデルスゾーンのバイオリン・コンチェルト(メンコン)とはちょっと違う感じでしたが、エネルギッシュな素晴らしい演奏でした。
ほぼ満席の会場は大拍手で、4回もステージに呼び戻しました。アンコールにはパガニーイの超絶技巧曲をこれまた圧倒的なテクニックで弾ききりました。

ライトアップされたゼンパー・オーパーです。
「やっぱり来てよかったね」と感動とともに振りかえりました。

ドレスデンは現在、6日の早朝です。窓の外はゼンパー・オーパーやフラウエン教会が朝日を浴びて光っています。

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いずみホールでバッハの「マタイ受難曲」を聴く

 イースター(復活祭)だったきのう8日、大阪・OBPのいずみホールでバッハの「マタイ受難曲」を聴きました。
 演奏前のいずみホールです。S席ですが、予約では2階バルコンしか取れませんでした。でも、1階も後部はかなり空いていました。
 左と右で2つのパートが分かれます。オルガンも2台です。さらに1部の終局では、センターから3つめのオルガンが見事な低音を響かせました。

 演奏は鈴木雅明指揮のバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)です。3年前のイースターにも、同じBCJのマタイを聴いています。

 カウンターテナーの青木洋也さんも出ていましたが、あまり独唱はありませんでした。残念!

 6月に独・ライプツィヒでバッハ・フェストが開かれます。
 ツアーのパンフレットもはみ込まれてました。バッハの生誕地・アイゼナッハからワイマール、ライプツィヒさらにドレスデンを回る音楽三昧の旅です。こんな旅をしてみたいです。

 いずみホールの外観です。住友生命OBPプラザビルの一部です。
 
 いずみホール
 大阪市中央区城見1-4-70
 06-6944-1188

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