Paoso a pasp カタール航空の機内食(帰国編)

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 マドリード〜ドーハ〜関西空港と飛んだ帰りの便の機内食です。
 カタール航空は、往復10万円ちょっと(燃料サーチャージ含む)と格安でした。それなのに座席はゆったりとしており、機内食も満足のいくものでした。

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 鶏肉の料理でした。

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 マドリード〜ドーハ間は、ボーイング777でした。

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 出発直後には、軽食が出てました。

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 ドーハ空港で7時間も待たされて、やっと関西空港に向けて飛び立ちました。エアバス330です。座席指定に失敗して、4列シートの内側という、最悪ポジションでした。でも疲れていたので、ほとんど寝てました。
 最初のおつまみです。ワインは、フランス産のシャルドネです。

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 次の食事はパスしました。さすがに空腹感がありませんでした。ハイネケンの缶ビールを飲んだはずです。
 で、夕食です。和食を選択しました。

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白いコメは久しぶりでした。

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 茶そばが団子になっているのは、お決まりのご愛敬です。

 味付けがちょっと単調で、どれも似たような味でしたが、おいしくいただきました。

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Paso a paso マドリード 「プラド美術館」でマルガリータと逢う

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 マドリードに戻りました。ここで一つだけしたかったこと。マルガリータ王女との再会でした。
 プラド美術館には、ベラスケスが描いた「ラス・メニーナス/女官たち」があります。女官たちに囲まれてポーズをとるのがマルガリータです(購入した絵はがきの部分)。
 ウィーンの美術史美術館で会って以来です。

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 「ラス・メニーナス」の2枚左に、赤い色のドレス姿のマルガリータもいました。ベラスケス最晩年の作で、弟子によって完成させられたそうです。
 ウィーンでは、白色、薔薇色、青色のドレス姿を見ています。ふる里のマドリードには、4枚目も残っていたんですね。

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 スペイン絵画の至宝が収蔵されています。でも、もう歩くのは限界です。ゴヤの「着衣のマハ」「裸のマハ」だけを見て、さよならしました。

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 プラド美術館周辺は、犯罪の要注意地区だそうですが、ポリスが警戒してくれていました。

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Paso a paso サンティアゴ・デ・コンポステーラ 「Bispo」のタパス

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食事には事欠きませんでした。スペイン料理は、なんでも口にあいます。おいしいです。
サンティアゴ・デ・コンポステーラのホテルのオバちゃんが教えてくれました。「タパスならここで食べなさい」と地図に印を付けて。

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タパスはbar/バールのカウンターに予め調理して並んでいる小皿料理はです。
指さして、これちょうだい。
薄く切ったパンにパプリカ(ちょっと不明)をかぶせ、ナスの上にサーディンをトッピング。これで正解でしょうか? たっぷりとオリーブオイルがかかってます。

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キノコとひき肉です。タカノツメも効いてうまい。

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串に刺さったエビは、その場で焼いてでてきました。

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ガリシアビールも、ファンになりました。

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天ぷらが、見事な盛り合わせです。

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イカナゴ?? 小魚の左はイカ。右は白身魚の筒切りです。

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貝も並んでました。
しまった、食べそこねた。

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まだ時間が早く、店は空いてました。

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気軽に入れます。

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通りは、観光客でにぎわってました。
人通りは多いですが、巡礼者はひと目でわかります。みんな申し合わせたように足を引きずってます。

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Paso a paso 続・マドリードは人でいっぱい

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【9/7、14】
マドリードは人でいっぱい」と、マドリードのホテルから第一印象をつづりました。その続編の「マドリード点描」です。

ここは旧市街の中心、Puerta de Sol/プエルタ・デル・ソルからちょっと歩いたところにあるPlaza Mayor/マヨール広場です。それにしてもギャルでいっぱい。そろいのザックを背負っているから、修学旅行?
マヨール広場は、4階建ての建物に囲まれた風格ある広場です。

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スペインのといえばドン・キホーテ。1930年にセルバンテスを記念して造られた広場です。付き従うのはロバに乗ったサンチョ・パンサです。

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Paso a paso 大聖堂のボタフメイロ

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 巡礼の目的地、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂です。

 正面の祭壇には聖ヤコブ/サンティアゴの像があります。背後からこの像に抱きついてい巡礼を終えるのです。

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 大聖堂には、大きなボタフメイロ/振り香炉が吊り下げられています。ミサで焚かれるのです。といっても毎日ではありません。特別な儀式とか、多額の寄進があったとか。

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 その日のミサも終わりかけていました。きょうはボタフメイロはなかったなと思っていると。
 修道士(?)が登場して、香炉に火をつけました。もうもうと煙が立ち込めます。

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 修道士が綱を引くと、香炉は左右に振り子のように揺れます。勢いづき、最高潮に達すると45度位に振れてました。
 匂いは、それ程にはしませんでした。

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 昔の巡礼者は、汚れ果てて大聖堂にたどり着きました。汗とホコリの放つ異臭を和らげるのが目的でした。
 現代の巡礼者は、一斉に立ち上がり、ここぞとカメラのシャッターを押してました。

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Paso a paso  何度も仰ぎ見る大聖堂

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聖ヤコブの遺骸が眠るサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂です。
到着したときは、朝日を浴びてました。

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午後の陽を受ける大聖堂です。
日差しが照りつける広場にずっと座っていました。

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夕闇迫る大聖堂です。食事の後にも訪れました。
もう一度、この地に立つことができればいいのですが。

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Paso a paso わたしのコンポステーラ

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 わたしのサンティアゴ巡礼は、達成されました。サリアから110キロ超を歩き切りました。
 コンポステーラ/巡礼証明書をいただくことができました。
 右は、その道中を証明するクレデンシャル/証明スタンプです。

 わたしの人生のひと区切りです。これでわたしの「reborn」、還暦です。新しいスタートです。

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Paso a paso サンティアゴ・デ・コンポステーラの夜をリングワンデリング

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サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂です。この日、3度目です。すでに午後9時を回ってました。この旅で、こんな時間まで外にいるのは初めてです。
飽きることなく見上げてました。

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大聖堂前の広場の人影も少なくなりました。名残は惜しいですが、またやってくるぞと心に誓って離れました。

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Paso a paso サンティアゴ大聖堂 聖ヤコブに抱擁

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 【9/13】
 サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラル/大聖堂の祭壇中央には、聖ヤコブ/サンティアゴの像が祀られています。その像に後ろから抱き付き、無事、巡礼が終わったことを報告し、感謝の気持ちを伝えます。

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 わたしも同じように抱き付き、頭を像の背中にあてました。
 クリスチャンでなくても、自然とそんな振る舞いをとってしまいました。なんの不自然さもありませんでした。

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 肩越しにみる大聖堂です。

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 地下には、聖遺物がはいったとされる銀の箱が置かれていました。

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 わたしも祭壇に向かって、静かな満ち足りた時間を過ごしました。

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Paso a paso サンティアゴ大聖堂の巡礼者ミサ

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サンティアゴ巡礼のメーンイベントともいえるのが、大聖堂での巡礼者のためのミサです。毎日正午から行われます。
ミサでは、その日午前までに大聖堂に到着した巡礼者の出発地と国籍が読み上げられるのというです。
巡礼事務所でコンポステーラ/巡礼証明書をいただいたその足で、大聖堂に向かいました。

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すでに聖堂はかなりの参拝者で埋まっていました。中ほどの端に空いている席があったので、腰かけました。まわりには、巡礼を達成したといった風情の人たちが多いです。

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見上げるとパイプオルガンです。でもだいぶ古い様子で、これが実際のミサで使われていたかは不明です。

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足元にザックを投げ出してミサを待ちます。

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正午にミサは始まりました。でも、何が語られているのかは理解できません。修道女が讃美歌をリードします。オルガンが響きます。
巡礼者のリストも読みあがられたようです。「サリア」という、わたしが出発した地名は何度か聞こえましたが、「ハポン(日本)」の方は…。

大聖堂のミサ(到着アナウンス)
大聖堂のミサ(讃美歌)

そのあたりの音声をお聞きになりたいかたは、上記をクリックしてください。

ミサも終わりに近づき、聖体拝領が行われました。パンが配られましたが、信者ではないわたしは、そのまま座っていました。

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ミサはこれで終わるのかと思っていると、それからボタフメイロが焚かれました。この様子は、すでに「大聖堂のボタフメイロ」として記しています。

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夕刻に訪れた静かな大聖堂です。

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大聖堂に到着した巡礼者は、オブラドイロ広場から正面階段を上がり、栄光の門から入り、エッサイの樹が彫られている大理石に手を当てて無事に到着した感謝の祈りを捧げます。
その栄光の門は修復のため閉鎖されていました。工事用シートの隙間から見たエッサイの樹です。ここがゴールにできなかったのは残念ですが、もう一度、訪れたいという思いを残しました。

何年か後に、再び「Paso a paso 2」を記したいという望みを抱いて、今回のサンティアゴ巡礼のブログ記を閉じます。

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