北山西部②
鷹峯源光庵前バス停-千束-坂尻-上ノ水峠-沢ノ池-槙尾-高尾-清滝
総歩数=21,121
10:15
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鷹峯(たかがみね)光悦寺。門前の南天の実が真っ赤になっている。しかし、紅葉はまだ先のことだ。
阪急烏丸から地下鉄で北大路へ、そこから市バス「玄沢」行きに乗り鷹峯源光庵前で下車した。
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10:17
前回は京見峠から下ってきた。ところが、京見峠-上ノ水峠間は、9/25~11/10は入山禁止になっている。松茸のシーズンだからだ。今回は、迂回路としてまっすぐ上ノ水峠を目指す。
すぐにマイナス21度の急坂を下る。
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10:20
千束で出会った三体の地蔵仏。「愛宕大権現」の石碑が立つ。
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10:32
北山杉のトンネルを行く。空気がひんやりしている。
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10:58
上ノ水峠まで登ってきた。
「北山76」のトレイル案内板があった。京見峠は「68」だったので、残念ながら69~75はカットというこになった。
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11:00
遠くに比叡山が霞む。
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11:02
岩肌に二体の地蔵がまつられていた。
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11:16
沢ノ池は、江戸時代に作られたため池だ。
山の中にある静かな池のはずなのに、あほなキャンパーが大音量で音楽を流していた。たまらず、休憩もせずに退散する。
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11:47
北山杉がまっすぐに伸びている。
川端康成の「古都」で「杉の里」として描かれた小野郷あたりも遠くはない。
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12:01
国道162号の栂尾(とがのお)のちょっと下流に降りてきた。まだ紅葉には早いが観光客の車が止まっている。
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12:06
槙尾(まきのお)の西明寺に下る道には案内板のオンパレード。京都一周トレイル、東海自然歩道、丹波散策の道とにぎやかだ。
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12:12
槙尾西明寺の門前。わずかに紅葉したもみじが。
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12:18
高尾神護寺の門前。
川床の茶店は、まだまだ開店休業状態だ。
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12:31
清滝への道を下る。
本日、初めての休憩をとり、コンビニで買ってきたおにぎりをほおばる。
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12:43
これが真っ赤に紅葉するのは12月になってからか?
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13:04
ゴール!!
清滝までやってきた。「北山94」の案内板があった。私が参考にした「Walkウォーク関西版」(2003/04秋冬号、2003年10月発行)では、ここで「永く楽しかった旅も終わった」となっている。
ところが、案内板にはさらに矢印がつづき「西1」の表記が。今年春になって、清滝から保津峡-鳥居本-嵯峨野-嵐山-松尾山-苔寺と続く「西山コース」ができていたのだ。
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13:05
金鈴橋から「終点」の案内板を振り返る。
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13:07
愛宕神社の参道。ここから愛宕山に登るが、かなり苦しい道だ。
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13:11
清滝川にそって西山コースがスタートする。
まだ時間があったが、せっかくの道だから、紅葉したらまたやってこようと、次の機会に残す。
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13:15
清滝のバス停に着くと、ちょっと前にバスは出たばかり。
「清滝遂道」を歩いてみる。戦前、嵯峨から清滝まで鉄道が走り、愛宕山にはケーブルカーが登っていたそうだ。このトンネルは鉄道の線路が走っていた名残だ。信号があるのも「納得できる。
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13:21
小学生のころ、このトンネルを歩いた覚えがある。もっと怖かったような気がする。
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13:22
本日はここまで。
愛宕寺の前で臨時バスの乗り、京福嵐山へ。観光客の間をすり抜けて渡月橋を渡り阪急嵐山へ向かった。
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紋屋図子と西陣あたりを歩きました。
今回は写真が多かったので、HPの方に掲載しました。よろしければ、以下のURLにお越しください。
http://dot117.minibird.jp/HP/zusi/monya-zusi.htm
京都の紋屋図子と西陣あたりを歩きました。
「ビールあります」ののれんに吸い込まれるようにして入った「西陣ほんやら洞」です。
民家を改造したらしく、細長い店の奥には坪庭の名残のような庭もあります。
「きょうのランチ」のビーフシチューは売り切れており、ハンバーグに変更されてしまいました。昨日に続いてのハンバーグになってしまいました。
黒いソースがかかったおおきなハンバーグです。野菜もたっぷりです。パンはこの店での焼きたてです。おいしいです。
大根のみそ汁はちょっとミスマッチとなってしまいました。
食後には飲み物までついて、これで780円とは立派なモノです。
焼きたてのパンを売ってます。コレを買いに入ってくる客も結構いました。
「ほんやら洞」は同志社大の横にある、学生街の穴蔵のような喫茶店でした。その店はいまもありますが、マスターが別に「西陣ほんやら洞」として作ったようです。
久しぶりにカメラをポケットに会社を出ました。今週は、弁当3回と社食ですませてました。さて、どこに行くか?
わたしのが頭の中にリストアップしている「きょうの昼飯候補」から選んだのは「重亭」。ここは、産経新聞が夕刊(9月7日発行)で大きく紹介していました。「創業60年 変わらぬ味 大勢の芸人に愛され」と。そのうち行こうと思っていたところです。
肉の塊からミンチにして、客の注文を聞いてから焼いてくれるハンバーグや、オムライスが名物のようです。でも頼んだのは「ミニハンバーグ盛り合わせ」とライス(計1000円)です。なるほで、小ぶりですが柔らかくてジューシーなハンバーグでした。ソースもおいしく、懐かしい味でした。
京都検定の問題集があります。「京都1000問ドリル」(京都おおきに学会編、講談社、952円)。
正解率601問以上 「たいへんよくできました」
正解率401問から600問 「よくできました」
正解率400問以下 「もうすこししっかりやりなさい」
いや、難しい。テーマによってはほとんどできません。この本は、丸善京都河原町店の最後日に買いました。毎朝、通勤の車中でシャープペンシル片手に試しながら読みました。
「あるく京都」(移動教室出版事業局、743円)は、梅田の紀伊国屋で探しました。「膏薬図子」とかがどこにあるのかを地図で確かたかったからです。いろんな地図がありましたが、これが、目的にあってました。
「京都の不思議」(黒田正子著、光村推古書院、1700円は)は、京都のことをネットで検索してると、よくヒットするのでタイトルは知ってました。きょう、京都の書店で平積みになっているのを見つけて買いました。初めて聞いた出版社です。
「清水の舞台から飛び降りた人は本当にいる?」といったテーマを並べた京都雑学エッセイです。
こんなのを読んでると、次の休みはどこに行こうかと、京都が新鮮に見えてきます。
「天使突抜通(てんしつきぬけどおり)」。なんとすばらしいネーミングでしょう。そんな名の通りが京都・下京区の西洞院通と油小路通(あぶらのこうじ)の間にあります。
東中筋通を下りました。松原通の交差点は天神前町です。そこからさらに行って振り返ると、ありました。「下京区東中筋通松原下る天使突抜1丁目」の町名表示です。
「天使突抜通一丁目」はここです。最近では、通崎睦美さんの本のタイトルで有名です。京都市立芸大卒のマリンバ奏者で、アンティーク着物のコレクターであり、その着物の着こなしで話題になっています。生まれがここで、住宅地図にも同じ姓の家が載っています。
大学の後輩の娘が「通崎好み」という本を持っていたので、ちょっと斜め読みしたことがあります。
消火器の箱です。でも、こんな省略の仕方は天六、谷九、日本一の大阪だけかと思ってました。
立派な門柱の礎石が残ってます。金属のアーチには、電球が付いていた痕もあります。路地を入ってみましたが、変わったモノはありませんでした。それにしてもいわくがありそうです。
住宅が取り壊されたあとは、とりあえずタイムパーキングに、という都心の風景です。それにしても「てんしつきぬけ」かと関心していると、次に見つけたのはそのものズバリ「天使ガレージ」です。ちょっとくたびれた看板ですが、降参です。
天使突抜通は五条通を越えて六条通まで続いてました。
ここまで来ましたが、残念ながら名前以上の景観にはお目にかかれませんでした。
天使突抜通の名は、この五条天神からきています。松原通西洞院の南西角にあります。ちなみに昔の五条通は、現在の松原通だそうです。
「五條天神由来」によると、桓武天皇が京都に都を定めたとき、都の平安を守るために、大和の国宇陀郡から天神(てんしん)を迎え「天使の宮」として建立した神社だそうです。当時、洛中では最も古い神社で、最大の鎮守の森を有していたそうです。
この「天使の宮」を貫通してできた道だから「天使突抜」というわけです。「天使」といってもエンジェルの天使とは関係なかったようです。
五條天神は義経と弁慶が出会った場所とも言い伝えられています。「京の五条の橋の上…」という童謡の橋は、現在の鴨川の五条大橋(石碑があります)ではなく、当時は五条天神の東側を流れていた西洞院川にかかっていた橋のことです-と由来は説明しています。
四条通に面した堺町通と柳馬場通(やなぎのばんば)の間ビルに料理教室はあります。腹ごなしにここを出て、西に向かって歩きました。
京の通り名のうち、東西の通りは「あねさんろっかくたこにしき(姉三六角蛸錦)…」としてよく知られています。今も、京都S大学のテレビCMのバックグラウンドで流れています。
南北の通りについては、わたしもよく知りませんが、こんなのがあるようです。
てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい
寺 御幸 麩屋 富 柳 堺
たか あい ひがし くるまやちょう
高 間 東 車屋町
からす りょうがえ むろ ころも
烏 両替 室 衣
しんまち かまんざ にし おがわ
新町 釜座 西 小川
あぶら さめがいで ほりかわのみず
油 醒井で 堀川の水
新町通を越え、西洞院通(にしのとういん)までのところに幅2メートルほどの細い道があります。上京区では京都府庁の前の釜座通(かまんざ)ですが、下京区の四条から下がる小路は「膏薬図子(こうやくずし)」の名が付いています。
四条の角に立って住居表示を見上げました。
通りの東側は「下京区四条通新町西入下る新釜座町」とあります。
西側は「四条通西洞院東入郭巨山町」となっています。
「郭巨山(かっきょやま)」は、祇園祭の山の名前で、この家が保存場所になっています。屋根の上には魔除けの「鍾馗(しょうき)」がのっています。
細い道をちょっと入っただけで、静かな別世界です。左手に路地がありました。入り口には路地の奥にある家の表札が並んでいます。
民家の壁に埋め込まれたような祠があります。その名は神田神宮。「天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」と由緒が書かれています。
下総国で戦に敗れた平将門の首が都へ運ばれ、ここで晒されたが、ある夜、光を放ちながら東方へ飛び去ったそうです。
膏薬図子は途中で鉤型に曲がっています。
将門の霊を弔うため、空也上人が念仏道場を建てたそうです。その御堂が「空也供養(くうやくよう)の道場」と呼ばれていましたが、いつしかなまって「膏薬」なってしまったというのです。まるで、冗談のようなホントです。
図子の長さは160メートルほど。南側の綾小路からみたところです。
綾小路の東角には杉本家住宅(京都市指定有形文化財)があります。ここは祇園の伯牙山の飾り場にもなっています。