春キャベツで簡単にペペロンチーノにしました。
すっかり春ですね。天王山でひと汗かいて戻ってきました。帰りのコンビニで買ってきたアサヒの春バージョンがうまいです。
キャベツは芯まで薄く切って使いました。
タカノツメを細かく刻んで入れたので、タバスコ不要のパンチのあるお味となりました。
天気が良かったので急に思い立ってお散歩、いやお山歩に出かけました。
西国街道を歩いて目指したのは天王山のミツマタロードです。
満開のミツマタが、道に沿って黄色い帯をつくっていました。
麓の椎尾神社の鳥居の前のひだまりの桜は、すでに開花していました。
白い桜も花をいっぱいにつけています。
三川合流域を見下ろします。黄砂のせいでしょうか。視界がぱっとしません。
背割り堤の桜は、ことしは元気をとり戻してくれているかと気にかかります。
ミツマタロードという呼び名が定着したようです。
平日ですが、何人ものハイカーとすれ違いました。
小さな花が集まって、ぼんぼりのようになっています。
チョウチョが蜜を吸ってます。
あわてて望遠レンズに取り換えて狙いました。
なかなかこちらをむいてくれません。顔を見せないまま飛び去りました。
作業用道の分岐です。右に行けばボランティア小屋、十七烈士の墓を通って山頂へ。左を行ってもぐるっと回って山頂に通じます。
きょうは正面に見えている頂上に向けて「直登」を試みました。
意外としっかりとした道がありました。
関西電力の巡回路です。右がルートのようですが、山頂は左の方角なので、そちらに進みました。
道は消えましたが、ピンクのテープを頼りによじ登りました。
山頂直下で登山路と合流して、無事に到着です。
きょうは昼飯を準備していなかったので、すぐに下山しました。
山頂からまっすぐ西に降りられそうだったので、これまたピンクのテープを頼りに下りました。
こちらの方が踏み跡は定かではありません。スリップしないように木の枝につかまり下りました。
すぐ下に作業用道路が見えてきました。
真っすぐに下ればよかったのですが、左へ左へと歩きやすい方向に進んでいるうちに、出発点に戻ってきました。
YAMAPの軌跡を調べると、頂上付近で投げ縄のような輪を描いています。
帰りもミツマタロードを下りました。
白い花が咲いています。ハナニラでしょうか。
スミレでしょうね。いや、ムラサキカタバミと教えられました。
クサイチゴでしょう。
野草が一斉に咲いています。
椎尾神社の境内のヤマブキも、黄色い蕾を膨らませています。
サントリー山崎蒸溜所ではコブシ (知人から)ハクモクレンとの指摘がありました。花弁が9枚ですから、そうでしょう-白い花が満開です。
赤線がきょうの軌跡。青は、これまでの累積です。
きょうも天気が良さそうでした。ポンポン山に登りました。
福寿草がまだ咲いているはずですが、花より昼飯。メスティンを使って炊き込みご飯をつくりました。味付けは焼きとりの缶詰です。
シメジも入れ、冷蔵庫に残っていた小松菜も刻んで持ってきました。彩も美しく、大成功です。
ちょっと柔らかかったので、スプーンの方が食べやすかったでしょう。
それにしても山でご飯を炊いて食べたのは、学生時代の合宿以来でしょうか。
銅板でつくったアルコールランプで炊飯しました。ちょっと風があったので、アルミの風防を立てました。
火力が弱かったのか、想定よりもだいぶ長く、15分以上かかりました。
シェラカップで湯を沸かし、即席のみそ汁をつくりました。
同じシェラカップで、ティーバッグ入りの日本茶もいれました。温かいのにほっとしました。
ポンポン山の山頂です。愛宕山がよく見えていました。
小野小町で知られる随心院(正確には隨)を訪れました。お目当てはフォトジェニックな襖絵、「極彩色 梅匂小町絵図」です。先日、テレビ番組でその存在を知りました。写真撮影が許可されていて、SNS映えすると人気沸騰だそうです。
「はねず色」が基調となっています。白色を帯びた紅色の古名です。この時期に境内に咲く梅の色だそうです。
はねず踊り(今年は中止)という、はねず衣装と菅笠の小野小町と深草少将に扮した少女達の童唄と踊りもあちこちに描かれています。
小町の生涯を4枚の絵で表現しています。
1枚目の「生誕の国」は、出羽(秋田)で生まれ育った様子が描かれています。
2枚目は「饗宴の国」。都での宮仕えの様子です。
3枚目は「伝承の国」。宮仕えを辞し、山科小野の里で暮らす様です。
4枚目は「夢幻の国」。山科小野を出て、全国を放浪する様です。
描いたのは、「だるま商店」という2人組の若手アーティストです。
2009年に制作された当時は、狩野派などが描いた花鳥山水の襖絵と同様に撮影禁止でした。ところが、「かわいい」「映える」と、撮影許可を求める声が多くなり、寺も方針転換。現在ではわざわざ「撮影可」と書かれています。
そういえばヨーロッパでは、ウィーン美術史美術館やアムステルダム国立美術館、ベルリン絵画館などでも、「フラッシュ禁止」を条件に写真撮影はOKでした。
この襖絵の前でカメラはスマホをかざす観光客が絶えません。かなりの時間、人影のなくなるチャンスを待ちました。
玄関には、現代アートのジミー西村が描いた小野小町が飾られていました。
百人一首の有名な歌の碑です。
大玄関から見た薬医門です。
反対向きに薬医門越しに見る大玄関です。正面にひな人形が飾られていますが、どうしたことか男雛が左に座っていました。
サンシュユが黄色い花をつけています。
桃山時代に建てられた本堂です。歩くと床がきしみます。
いくつもの流れが複雑に交差します。
境内の小野梅園には、はねず色の梅が満開です。
早咲きの桜も開いていました。
随心院
京都市山科区小野御霊町35
075-571-0025
「鳥居形松明」に向かう京都バスから、開店前の「ぼくらの食堂」が見えました。昼飯はここにしようと決めました。ネットでしばしば目にしている人気店です。
いただいたのは「気まぐれ定食」(1100円)です。
ワンプレートに、おばんさいがきれいに盛られています。菜の花、ナス、ゴボウ、出汁巻き、生麩・・・。学生食堂のような店名ですが、料亭のような本格的な味わいです。
メーンはとり天でしょうか。酢のきいたあんをまとって、ボリュームも申し分ありません。
わたしの席のすぐ横の冷蔵庫に、サッポロの赤星が見えました。これは飲むしかありません。
春のような日差しの下を歩いてきました。サイコーです。
ぼくらの食堂
075-873-6789
京都市右京区嵯峨天龍寺瀬戸川町17-25 コスモプラザ小松 102
京都五山の送り火の最後に灯されるのが、嵯峨鳥居本(とりいもと)の「鳥居形松明」です。京都で育ったわたしですが、この鳥居形だけは、テレビ中継は別にして実際に燃えているのを見た記憶がありません。
曼荼羅山は標高153mの低い山です。その山肌に「⛩」を描いているのですから、遠くからはよく見えないのも納得です。
霞がかかったような視界が開けない日和でした。それでも正面の大文字山(大は確認できません)から比叡山にまで続くなだらかなスカイラインが一望できます。目の下には広沢池、大沢池も見えていました。
白洲正子が愛した石仏です。
大覚寺に向けて下りました。大沢池の畔に、古いのは平安時代という石仏群が並んでいます。白洲はその著、「私の古寺巡礼」(講談社)で、「池のふちにそって、左の方へ廻っていくと、おなじみの石仏群が並んでいる。これらの仏達は、いつ頃誰のために造られたか、何もわかっていない。」と記しています。
「京都人の密かな愉しみ BLUE」(NHK-BS)のテーマソング、「北山杉」では、「あの頃二人は 大覚の白い石仏 触れたり見たり」と歌われています。
紅梅が、白梅が満開です。
大沢池を一周しました。愛宕山が頭をのぞかせていました。
京都・西賀茂の船山に登った帰り道です。京都市バスを堀川三条で途中下車。三条商店街をふらりと歩きました。
人気の中華は、きょうも行列でした。おしゃれなカフェ飯は、山帰りの格好では気がひけます。ここならおじいさんにもピッタリです。
「とんこつらぁ麺」の幟に吸い寄せられました。「特製とんこつらぁ麺」(750円)です。
白いあっさりスープに細麺です。大量の白ネギがアクセントです。もっとハードな豚骨かと思ってましたが、これは食べやすいです。
分厚いチャーシューがホロリと崩れます。
スタートはコチラ。取り放題の高菜なんかをアテにして。
外でのアルコールって、いつ以来でしょうか。
プラス150円で餃子とライスがつきます。さすがにライスは断りました。
三条商店街の人出は、この辺りはたいしたことはありせんでした。
とんこつらぁ麺 嘉晴(よしはる)
京都市中京区西ノ京池ノ内町6-7
075-823-2333
京都五山送り火の3番目に点火される「船形万灯籠」がある船山(317m)に登りました。送り火の火床は、東山の大文字を除くと、どこも入山禁止です。背後の船山の頂上から火床の最上部まで下ってきました。
大文字山、妙法が灯る松ヶ崎東山・西山、そして比叡山までが臨めます。
船山の頂上には、保育園児の卒園記念登山のプレートがたくさんぶらさがっていました。わたしの足にもぴったりの京都低山ハイキングでした。
デヴィッド・ボウイが愛した涙した静寂です。
麓の正伝寺に参りました。方丈の障子越しに見る借景の比叡山です。
苔むした参道にも静けさがありました。
西方寺の境内には、馬酔木が鈴なりでした。
船形は、西方寺の檀家によって維持されています。
女声アンサンブル・クラルスヴォ―チェ(ClarusVoce)が、zoomで合唱した「生きる」です。
国際的な合唱シーンで活躍する松下耕さんが、谷川俊太郎氏の英訳詩に曲をつけました。「Praying for the COVID-19 to come to an end」の副題の通りに、「がんばろう」と歌います。
わたしの奥さまもメンバーの合唱団は、コロナのために一堂に会しての練習がストップしたままです。インターネットのzoomを通じて週に1度の練習を積み重ね、おしゃべりタイムを楽しんでいます。その成果のひとつです。ロゴが入ったおそろいのTシャツも初披露です。
わたしは、画像の編集とYouTubeへのアップロードを担当しました。
メンバー11人個別の口パク画像と音声(こちらは別の方が担当)、背景画像(これも別の方が担当)、歌詞のテロップなど15トラックを合成しました。音声と画像をと合致させるのがたいへんでした。ピタリとは合ってませんが、そこはご容赦を。わたしの非力なパソコン(Intel core i5)は、能力オーバーの過酷な仕事に悲鳴をあげて、フリーズすることもしばしばでした。そのたびに、わたしの方もイライラ。なんとか作品に仕上げることができました。