伊勢参り 番外 起点は玉造稲荷神社

 歩いて伊勢参りは、京都・観月橋からスタートして、7回で宇陀・榛原に達しました。でもまだ全行程の半分といったところです。
 わたしが歩いている伊勢本街道は、大阪・玉造の玉造稲荷神社が江戸時代の玄関口でした。そこに「起点」と記した碑が建っています。
 遅まきながら訪ねました。伊勢まで約170キロです。 

 江戸時代のお伊勢参りの風景が錦絵になっています。

 社伝によると、垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建されました。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承があるそうです。

 大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家、なかでも豊臣秀頼と縁が深いです。この石鳥居も秀頼に寄進されたものですが、阪神大震災で崩壊、現在は上部だけが残っています。

 秋田実の笑魂碑というのもあります。

 上町台地の北端にあります。この辺りは坂が多いです。

 玉造稲荷神社
 大阪市中央区玉造2-3-8

 10分ほど歩いたところにある玉造稲荷神社分社です。
 こちらには浪花講発祥の地の新しい碑が建っています。浪花講は、伊勢参りなどの旅を安全なものにしようと文化元年(1804)に立ち上げられました。現在の協定旅館のルーツとされます。優良加盟店では「ぼったくり禁止」「飯盛り女を置かない」「賭博禁止」などの規制を設け、目印に浪花講の看板を揚げさせました。

 道標には、なら、伊勢、暗峠の手前にある大師堂と刻まれています。

 浪花講のかわいい御守もあったようです。

 わたしが玉造稲荷神社に参ったのは、これが欲しかったからです。神社が発行している「伊勢参宮本街道行程図」(500円)です。国土地理院の2万5000分の1の地図に、伊勢までのルートが赤線で引かれています。
 開いている榛原などの地図が、冊子のちょうど真ん中の22-23ページです。

 榛原から先は、日帰りで区切ることはできません。途中にはコンビニ一軒ないような山道と田舎道が続くようです。

京都・桂坂 モミジバフウの並木道 2021

 京都・桂坂のモミジバフウの並木道が、早くもお終いを迎えつつあるという情報です。慌てて車で出かけました。
 赤い葉は、落ち葉となって、スカスカに冬枯れた幹までも。
 今年の紅葉は、ちょっと遅いとタカをくくっていました。季節は確実に移ろっていました。

 夕陽を浴びて、いっそう鮮やかに染まりました。

 洛西の高台にあるだけに、市内中心部よりは気温が低いようです。

伊勢参り その7 伊勢本街道を長谷寺、榛原まで

 歩いて伊勢参りのその7です。山の辺の道を南下してきた大和路は、桜井から伊勢本街道に沿って東進します。JR三輪から歩き始めて、長谷寺を通り榛原まで13.6キロほどでした。
 道中で「いせ」の文字と何度も出会いました。
 長谷寺の紅葉を期待していました。しかし、五重塔はまだ緑の中に頭を出していました。 

 長谷寺の前にある茶屋で昼飯を食べて、拝観せずにUターンしました。

 「いせ」が近づいてきたようです。

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自分でつくる ベーコンとブロッコリーのパスタ

 「わたしの分も作っておいて」と、奥さまはちょっとお出かけ。冷蔵庫にブロッコリーがあったので、ベーコンとともに簡単にパスタにしました。
 アーリオ・オーリオのオイルに、刻んだベーコンと生のままのブロッコリー、パスタの茹で汁を放り込んでちょっと煮込みました。ブロッコリーはすぐに柔らかくなってソースの完成です。
 水分がちょっと少なかったようです。口の中の水気が奪われそうですが、いいお味にはなってました。

 ブロッコリー半分を、茎もいっしょに刻みました。パスタは2.5人分で、200gほどです。

伊勢参り その6 山の辺の道を桜井まで16キロ

 「ブエン・カミーノ!」と声をかけたくなるような光景でした。のどかな秋晴れの一日でした。
 歩いて伊勢参りのその6は、天理から山の辺の道を桜井まで歩きました。16キロほどありました。ほぼ平たん路とはいえ、久しぶりのロングウォークとなりました。
 スペインのサンティアゴ巡礼路を歩いているかのようでした。前にも後ろもハイカーが。そしてすれ違う人も。歩いていることの楽しさがあふれていました。

 大神(おおみわ)神社のご神体である三輪山に、きれいな秋雲がたなびいていました。

 大神神社に参りました。

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自分でつくる ロメスパ風スパゲティ大盛り

 ロメスパ、すなわち路面スパゲティのことです。東京の「ジャポネ」が有名ですが、わたしは「リトル小岩井」でした。現役時代に東京出張したときには、隣のビル地下街にあるそちらの「バジリコ」でした。
 あの味が懐かしくて、挑戦しました。
 醤油をちょっと入れた和風の味付けです。皿が盛り上がる大盛りでしたが、食べ尽くしました。

 ロメスパには必須の太麺です。茹で時間は、なんと16分です。しかもアルデンテはダメです。
 くたくたになるまで煮て、いったん湯を切り、オリーブオイルでコーティングして、冷蔵庫で寝かせました。
 ここまでが朝食直後の下準備でした。

 チンゲン菜やタマネギ、ニンニク、豚肉を刻みました。
 味付けは、醤油とケチャップ、コンソメです。化学調味料も入れたいところですが、わが家にはありません。

京城勝覧を巡る 第九日 紅葉には早い三尾を訪ねる

 貝原益軒の記す「京城勝覧」の後回しにしていた第九日です。『高雄槇尾栂の尾に行道』です。高雄は高尾とも書いて、他の2つの尾と合わせて三尾(さんび)とも呼ばれます。いずれも紅葉の名所です。
 ちょっと早いのはわかっていました。でも秋の観光客で込まないうちにと、車で出かけました。
 昼飯は、静かな清滝川の川辺で、途中でテイクアウトしていた京都・穂久彩の「太秦のり弁当」をいただきました。

 京城勝覧の1ページです。

 「♬ 京都栂ノ尾高山寺 恋に疲れた~」は、「京都大原三千院」に続くデューク・エイセスの「女ひとり」のセカンドコーラスです。有名なお寺ですが、わたしは参ったことがありませんでした。
 紅葉はまだ先ですが、きれいにグラデュエーションを描いている枝もありました。

 高雄神護寺は、長い石段を登った山の中腹にあります。
 平安時代に、文覚上人が再興した寺です。「盛遠と袈裟」の戀塚寺で書いた北面武士・遠藤盛遠その後の姿です。

 神護寺では時代劇映画のロケが行われていました。300人はいるかという町人姿らのエキストラが群がり、金堂への正面階段から下の毘沙門堂にかけては市のセットが設えられていて近づけませんでした。

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京都・竹田 中華川食堂の麻婆麺

 自転車を漕いで京都・竹田までやってきました。赤い鳥が歌った「竹田の子守歌」のその地です。「食べログ」を検索した中華川食堂で昼飯にしました。麻婆豆腐の人気店でした。
 わたしは「麻婆麺」(870円)です。
 一気に汗が噴き出しました。辛いです。この上に5段階ほど辛いのがあります。どんな舌をしているのでしょうか。

 細い麺です。でも麻婆の辛さに参って、麺の味はそれほどわかりませんでした。

 生中には、「これでお待ちください」と、いい塩梅のイカの塩辛がついてきました。

 デザートは、ミニ大福でした。辛いのの後で、甘さが引き立ちました。

 5段階の辛さアップの他に、ニンニク増量とかのオプションもあります。

 中華川食堂
 050-5872-5983
 京都市伏見区竹田中内畑町171 第2コーポ森崎 1F

京城勝覧を巡る 第十二日 戀塚寺~盛遠と袈裟

 江戸時代の京都ツアーガイド、「京城勝覧」(貝原益軒)に沿った京巡りは第十二日です。『鳥羽を通り山崎にゆくみち』が記されています。
 『下鳥羽』の説明に、『道の東がはに戀塚寺(れんちょじ)あり。源渡(みなもと・わたる)が妻の塚あり。是鳥羽の戀塚(こいづか)なりといふ』とあります。
 北面武士、遠藤盛遠(もりとお、後の文覚)が自ら殺めてしまった恋する袈裟(けさ)の菩提を弔うために建立したと伝えられている寺です。
 高校生の時に初めて読んだ「新・平家物語」(吉川英治)以来の懐かしい名前でした。

 境内には、袈裟の塚と伝わる宝筐印塔があります。

 盛遠が北面武士として警護にあたった鳥羽離宮の南殿跡です。

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京城勝覧を巡る 第十一日 雲母坂から比叡山に登る

 貝原益軒が記す京都ガイドブック「京城勝覧」の第十一日は、「艮(うしとら=北東)」の方角で、「比叡山に行道をしるす」です。『きらゝ坂(雲母坂)』から『比叡山』に登ります。
 雲母坂は久しぶりです。初めて登ったのは、小学5年でした。もう60年も前のことです。夏休みの自由研究の「比叡山に登る地図を作る」がテーマだったはずです。友だち2人と一緒でした。
 ケーブル比叡駅には、大きな「HIEIZA」ができていました。あいにく曇っていたのでカラーがイマイチですが、とりあえず「還暦!登山達成」です。
 

 大比叡(おおびえ、848.1m)上まで登りました。冷たい風が吹きつけ、冬到来を思わせました。

 阪急を烏丸で降りて、志津屋四条烏丸店に寄ってきました。志津屋といえば「カルネ」でしょう。やはりうまいです。

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