京都 石塀小路の石畳

石塀小路1

 京都・祇園の「石塀小路(いしべこじ)」を歩きました。
 清水寺から産寧坂、二年坂と下り、豊臣秀吉の妻、寧々ゆかりの高台寺近くまできます。左手に、あまり目立たない路地があります。そこが、目指す石塀小路です。

石塀小路2

 小料理屋など、夜が商売の店ばかりです。昼間は人影もまばらです。

石塀小路3

 ジグザグの道を、石塀に沿って下っていきます。

石塀小路4

石塀小路5

石塀小路6

 最後は、民家の下を通り抜けます。
 向こうから不思議そうにこっちを見ていたビデオ片手の外人さんに話しかけました。「高台寺への近道ですよ」と。わたしの英語、通じたかな?

石塀小路7

 通りに抜けると祇園下川原です。こんな風景にも出会います。といってもこれはホンモノの舞妓さんではありません。こんな衣装に変身して、町を歩く舞妓体験が流行っているのです。
 ところで、、このページのカテゴリーが「京都市電の残影」となっているのに気づかれましたか。電車は登場しませんがね。
 小路の御影石が、京都市電の軌道敷に敷かれていた石なのです。京都市電の廃止後、取り外した石が再利用されました。銀閣寺近くの哲学の道や、西京極競技場のマラソンゲート前などにも敷かれています。

北野線の遺構を発見!!

北野線1

 梅小路公園からの帰り道、傘をさして歩きました。七条西洞院まできて、「そうだ、ここを北野線が走っていたのだ」と立ち止まりました。
 北野線が廃止になった昭和38年(1963)から45年もたっています。当時を伝えるものなどあるはずがないと思ってましたが…。
 左側の3本目の電柱に、釘付けになりました。他のコンクリート製の電柱とは、この1本だけが明らかに違います。

北野線2

 近づいて見上げました。擬宝珠(ぎぼし)をかぶせたような、特徴的な格好をしています。

錦林車庫

 昔の市電の架線を支える電柱は、鉄製(?)でした。どれもてっぺんに個性がありました。この写真は、旧錦林車庫(左京区)の前に残る電柱です(2008/06/28撮影)。
 鉄のパイプをつなぎあわせた電柱なので、中は空洞です。だから頭に「帽子」が必要なのでしょう。

北野線3

 「RM Library N電 京都市電北野線」(ネコ・パブリッシング)は、「京都市電の残影」を追ううえでのバイブルのような出版物です。「北野線のちんちん電車「N1」」では、大阪市立中央図書館で借りたものでしたが、その後、購入しました。
 それを調べると、34、35ページに、こんな写真がありました(撮影・高橋弘氏)。七条西洞院からの光景です。
 左側の信号機の下に写っている電柱を見てください。よく似てると思いませんか。
 この写真は、七条から北を見ているのか、南を見ているのかは不明です。それにしても似ています。

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梅小路公園を走る「N27」

梅小路公園1

 朝からの雨も上がったようなので(実際には、また降ってきました)、買い物のついでに京都・梅小路公園に出かけました。
 「狭軌1型27号車」(N27)が動態保存されています。
 午後3時すぎですが、雨のため空は暗く、ライトを点灯しています。2重ルーフのガラスから漏れる明かりが素敵です。

梅小路公園2

 JRの「梅小路蒸気機関車館」の外周に沿うように線路が敷かれています。

梅小路公園3

 「N27」は、北野線が廃止になる昭和38年7月31日まで、現役で走ってました。運転席のガラス窓が取り払われて、オリジナルの京電カラーに塗装されています。

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わたしも会いたいスイス鉄道「クロコダイル」

クロコダイル

 精巧な1番ゲージ模型です。スイス国鉄Ce6/8Ⅱ「クロコダイル」です。
 スイスからイタリアへ超える「ゴッタルト峠」で使用された機関車です。急勾配急曲線の山岳線を、ワニのように身をくねらせて重量貨物をひいたことから、この愛称がついています。

原信太郎

 鉄ちゃんの会社の同僚から「行きますか」と招待券をもらってました。大阪・梅田の阪神百貨店で開かれていた「鉄道模型フェスティバル」をのぞきました。そこに展示されていたのが、鉄道模型製作歴76年という原信太郎氏のクロコダイルでした。13歳のときに、トタン板にタガネで窓を開けてつくったという第1号機関車も並んでました。
 「スーパー鉄道模型 わが生涯道楽」(講談社α新書)に、原氏の鉄道模型にかける熱意が書かれています。

スイス鉄道

 会社の帰りに、大阪市立中央図書館(西長堀)に寄り、ネット予約していた本を借りました。「スイス鉄道一人旅 行き当たりばったり路線ガイド」(知恵の森文庫、写真中央)です。1999年のスイス鉄道旅行記です。わたしが読んでいた、よく似た「予定なしの乗りまくりガイド」(同)は、2000年の旅行記です。
 帰りの電車でさっそく読んでいると、すぐに「クロコダイル」が登場しました。
 『この鉄道(イヴェルドン・サント・クロワ鉄道=YSteC)にはクロコダイル(鰐)の形をした名物電気機関車がいるのだが、これにまず敬意を表さないといけない』
 
 そして筆者が最初の夜に泊まるのが、モンボヴォンという町の『駅の真ん前にあるホテル』です。

モンボヴォン

 そこなら通ったことがあるはずです。1年前の写真を調べました。私が乗ったGPL(Golden Pass Line)の時刻表から11時30分すぎに通過しています。写真の撮影時間から、田舎駅のカットを割り出しました。拡大してみると、左側の道路沿いにある「50」の制限速度表示版の下に「Montbovon」の文字を確認できました。
 ああ、わたしも「クロコダイル」に会いに行きたいです。

草軽電鉄草津温泉駅跡は、草に埋もれて

草軽電鉄1

 草軽電鉄は、長野・軽井沢と群馬・草津間55.5キロを結んでいた軽便鉄道です。廃線になって久しいです。
 終点の跡地には、「草軽電気鉄道草津温泉駅跡」の石碑だけが建っています。

草軽電鉄2

 石碑は廃線約20年後の昭和58年に建立されています。

草軽電鉄3

 草が生い茂った「浅間台公園」の一角にあります。

草軽電鉄4

 偶然入った「道の駅」で、草軽の「デキ12」に遭遇しました。1/2か1/3の模型です。日本工業大学東京工業高校で製作されて寄贈されたと書かれています。

草軽電鉄5

 垂直に伸びる特徴的なパンタグラフが再現されています。「かぶとむし」と呼ばれた格好がよくわかります。

草軽電鉄6

 JR軽井沢駅前には、実物が保存展示されているそうです。それを見に行くつもりでした。ところが、軽井沢に行った最終日は雨。軽井沢駅南口のアウトレット・モール「軽井沢プリンス・ショッピング・プラザ」から、中軽井沢の「村民食堂」に直行してしまいました。旧JR信越線・碓氷峠の登りにあるアプト式軌道の「めがね橋」も、断念しました。
 そういえば、わが「草軽駅」もほったらかしになってます。涼しくなれば、工事を再開します。

青春18きっぷの旅 伊勢奥津駅の給水塔

奥津駅1

 名松線の終点、伊勢奥津(いせおきつ)駅には、SL時代の名残、給水塔がツタに絡まれて残ってます。
 大量の水が必要な蒸気機関車(SL)は、この給水塔の下に止まり、水をタンクに補給したのです。

奥津駅2

 松阪から1時間12分で、伊勢奥津に到着です。最初は緑の田んぼの中を、やがては谷にそって鉄橋を渡り、トンネルをくぐってきました。

奥津駅4

 ターミナルですが、ホームは1本だけです。

奥津駅7

奥津駅3

 この先にレールはありません。計画では、名張までつながるはずでした。

奥津駅5

奥津駅6

 駅舎は、平成17年に改築されたばかりです。無人の駅には、旅行客が書き残していったノートが置いてありました。

奥津駅7

 伊勢奥津-名張間は、1日3本の三重交通バスで結ばれています。奥津での滞在時間なども計算して、そのダイヤに合わせました。名張まで1時間10分、1010円かかりました。全区間、乗っていたのは、同じ名松線からの若者とふたりだけ。途中で高校生やおばあちゃんら計10人ほどが利用しただけでした。

青春18きっぷの旅 名松線の「キハ11」

キハ11-1

 「青春18きっぷ」の3回目の旅は、JR名松線です。三重県の名張-松阪を結ぶから「名松」として計画されました。昭和10年(1929)に、松阪-伊勢奥津(いせおきつ)間43.5キロが開通しましたが、参宮急行電鉄(現在の近鉄)が先に名張-松阪間を開通させたため、盲腸線のまま延伸はストップ。現在に至ってます。
 伊勢奥津-比津間で1時間に1本しか走っていない「キハ11」を撮影しました。この場所は、JRの各地の撮影ポイントを紹介している本「お立ち台通信」の2巻で紹介されています。ちょっと芸がないですが、同じ場所からレンズを向けました。

キハ11-2

 同じ場所からのカットです。暑い中をここまで歩き、列車がやってくるまで待ちました。

キハ11-3

キハ11-4

 「キハ11-8」です。松阪から、これに乗って、伊勢奥津まで行きました。その後、徒歩で手前の比津方向に戻ってきて、途中で松阪に戻っていく列車を撮影しました。

キハ11-5

 行きの車内から撮影しました。家城(いえき)駅で、対向車とすれ違います。もちろん、単線です。名松線のすれ違い駅はここだけです。

キハ11-6

タブレット

 今では珍しくなったタブレットの交換も行われています。単線区間で、対向車と衝突しないように考えられた安全策です。

キハ11-7

 比津駅に到着した「キハ11」です。

時刻表

 JR時刻表の8月号です。これをぺらぺらと繰っていたら、連載の「終着駅から始まる旅」に名松線と伊勢奥津駅が紹介されていました。
 同じ記事を見たのか、青春18きっぷ利用者とおぼしき同輩が何人も、それに鉄子さんも乗ってました。
 この鉄子さんの存在は、柘植駅での乗り換えで気づきました。ホームで亀山行きの「キハ120」を撮っているさまが、まるでわたしと同じでした。松阪駅を降りると、駅弁を買いにまっすぐに「あら竹」の本店に向かうのまで。鉄子さんは、3150円もする「匠の技 松阪牛物語」をご購入でしたが…。

青春18きっぷの旅 西国1番・青岸渡寺

青春18きっぷの旅 西国一番青岸渡寺

「青春18きっぷ」で、西国一番青岸渡寺まで旅しました。
さすがに帰りは特急と利用しましたが、暑い1日の旅の思い出です。
                          2008/07/26

 6:19

 阪急水無瀬駅前のコンビニで朝食のサンドイッチと飲み物を買って、JR島本に来ました。ちょっと早すぎて、予定より10分早い普通に乗りました。

 6:30

 高槻で快速に乗り換えました。通勤ラッシュ並で、座れません。

 島本駅の改札は、6時30分まで無人です。
 「青春18きっぷをご利用のお客さまは、乗車証明は下車駅か、途中の車掌にお申し出ください」と張り紙がしてありました。最後尾に乗り、車掌に証明してもらったので、「姫路電車区」の印です。

 7:05

 大阪駅の1番線です。予定通りの関空・紀州路快速に乗ります。

 8:31

 和歌山からは御坊行きの各停です。土曜日ですが、学生がたくさんの乗ってました。

 9:47

 御坊に着きました。
 向こうのホームに、紀州鉄道のかわいい気動車がとまっています。

 9:50

 乗り換えで時間があったので、跨線橋を渡ってきました。
 昨年の夏以来の再会です。「青春18きっぷの旅 紀州鉄道に乗る」で紹介しています。

 9:52

 紀伊田辺行きがホームに入ってきました。ワンマン運行ですが4両編成です。

 10:35

 南部駅に停車中です。
 和歌山-新宮間は、紀勢線ではなく、きのくに線と呼びます。紀伊勝浦は、和歌山から数えて47番目の駅です。ひとつずつとまっていきます。

 10:42

 隣のホームを特急が通過します。何台に抜かされたことか。

 10:52

 紀伊田邊に着きました。おなじみの風景が繰り広げられます。隣のホームにとまっている新宮行きは2両編成。席を確保しようと、われ先にと走ってしますのです。

 11:26

 単線運転です。対向車がやってくるのを待ちます。

 11:28

 まもなく「周参見(すさみ)」です。運賃表を見ると。和歌山からでも2210円です。青春18きっぷは、1回分が2150円ですから、すでに上回っています。妙にトクした気分です。

 勘違いしてました。青春18きっぷは、11500円です。5で割ると、2300円となります。

 11:37

 白浜をすぎてからは、乗客はすっかり少なくなりました。18きっぷ利用とおぼしき客が目につきます。

 11:51

 またも通過待ちです。ホームに出て、腰を伸ばします。

 12:09

 海岸に沿って走ってはいますが、トンネルも多いです。

 12:24

 串本です。。本州最南端までやってきました。

 12:24

 串本駅のホームです。昔は、ホームには必ずあった水道です。

 12:31

 岩石がかわったオブジェを形成しています。向こうは大島です。

 12:44

 岬の先端に潮岬燈台が見えます。その向こうはずっと太平洋です。

 12:58

 「脱線ポイント」をゆっくりと観察しました。
 写真左は「赤」です。このまま進むと、ポイントで左に曲がり、草むらに突っ込んでしまいます。でも、よく見ると左側のレールには、右方向に一直線につながっています。
 写真右は「青」です。ポイントが切り替わっています。
 単線区間では、正面衝突防止のために、こんな仕掛けが作られています。

 13:00

 鯨の町、太地です。「たいじ」と濁るのですね。

 13:07

 やっと紀伊勝浦に着きました。
 島本からなんと6時間48分、4940円の旅でした。

 13:15

 腹が減りました。「めはり寿司二代目」に飛び込みました。

 13:27

 勝浦駅前から「神社・お寺前駐車場」行きのバスを待ちます。
 神社は熊野那智大社、お寺は青岸渡寺です。

 往復乗車券(1000円)を買いました。普通料金は片道600円です。

 14:23

青岸渡寺の三重の塔と那智の滝です。

 14:34

 那智の滝のすぐ下にある「飛瀧神社」にも行ってみました。

 14:37

 ここでは、線香のかわりに護摩木をたきます。

 14:46

 滝前バス停で帰りのバスを待ちます。それにしても暑い。汗が噴き出します。
 1杯300円のかき氷でひと息つきました。

 15:50

 紀伊勝浦駅です。この列車に乗れば、11時18分に島本に帰り着けます。でも、ご遠慮しました。

 16:06

 帰りは特急を奮発しました。新大阪まで一直線です。

 特急に乗ると、青春18きっぷは無効となり、乗車券も必要です。
 パソコン予約してましたので、通常より400円安い6500円です。

 16:17

 駅前の土産屋で買ったさんま鮨です。
 これを食べたあとは、新大阪までひたすら寝てました。

 20:03

 各停だったら和歌山の手前を走っているころ、新大阪に到着です。
 隣のホームから新快速に飛び乗りました。

 20:25

 島本に帰ってきました。
 14時間あまり、ほとんど移動してました。こんな経験は、「JR西日本、特定区間170円の旅」以来のことです。

転車台のC型タンク9号@明治村

C型タンク1

 明治村の東京駅-名古屋駅間を往復する蒸気機関車9号です。線路はループにはなってません。終点では転回が必要です。名古屋駅でその様子を観察しました。

C型タンク2

 すべて手動で、それも人力で動かしてます。
 こんな光景が両端の転車台で、10分ごとに繰り返されていました。