DAHONで走る 背割堤の桜 2019

 天気が良さそうなので、急に思い立ってマイ・折り畳み自転車、DAHONで走りました。淀川の河川敷をのんびりと上り、木津川、宇治川、桂川が合流する三川(さんせん)合流域に向かいました。30分ほどでした。
 木津川と宇治川が合流する先端に続く「背割堤(せわりてい)」は1.4kmも桜のトンネルが続く人気スポットです。昨秋の台風でたくさんの桜が倒れたと聞いていました。
 27日に開花した桜は、ことしもきれいな薄いピンク色でした。

 もうすぐ開花という蕾もいっぱいでした。

 恒例の「背割堤さくらまつり」は、あす30日から4月7日までです。その前日とあって、まだ静かでした。

 悲しい風景です。樹齢40年ほどの老木は、台風の強風に耐えられず、枝が折れてしまいました。根こそぎになった木もあります。このあたりは、上空がスカスカでした。

 アチラの方の記念撮影に出くわすのも恒例になりました。

 こちらはうらやましい光景です。ベンチに置かれているのはワインでしょうか。あすからは、人が多くてこうはいきません。

 花もちらほらなら、遊覧船の客もまばらでした。「乗船料はあすから1500円のところ、きょうは500円」と客引きしてました。

 わたしのDAHONです。久しぶりに乗りました。

 さくらであい館の展望エレベーターは、ひと足早く27日から有料(300円)になってました。桜も咲いていないので、ご遠慮しました。

 それでも観光バスまでやってきていました。

 帰り道に、水無瀬神宮に寄りました。
 枝垂れ桜は満開近しの状態でした。

ボヘミアン・ラプソディ ~天に突き上げて

 話題の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。いまさらながらですが、そろそろ行かないと、終わってしまいそう。やっと時間ができました。

 「あの人、だれ?」
 10年も前に訪れたスイス・レマン湖畔のモントルーです。そのときは、フレディ・マーキュリーはもとより、クイーンのことも名前くらいしか知りませんでした。
 右腕を天に突き上げて歌う姿が、映画の中で何回も再現されました。
 出生、異彩を放つ風貌、セクシャリティーからくるコンプレックスを突き破ろうとするかのポーズでした。その先に圧巻の「We are the champions」がありました。

 足元には「Lover of Life – Singer of Songs」と刻まれていました。

 モントルーには、フレディの録音スタジオがあったそうです。フレディは、変わらずこの湖を見ていました。
 隣町のブべーに立つチャップリンの像や、オードリー・ヘプバーンが暮らした村を訪ねることはできませんでした。でも、フレディには呼び寄せられたのでしょうか。

 JR高槻の駅前にある「アレックスシネマ」は、平日の昼間とあって、ガラガラでした。あまり聞きなれない「爆音」に2時間ほど、さらされました。

 

初参り 宇治田原・猿丸神社と宇治・興聖寺

 体調もやっと回復したので、遅れてしまった初参りに出かけました。
 京都・宇治田原の山の中にある猿丸神社です。瘤(こぶ)取りの神「猿丸さん」として親しまれ、近年は「がん封じ」の神さまとしても信仰を集めています。
 調べてみると、わたしは2013年から毎年参っています。その前年の手術の前に、大津に住む義妹夫婦が参って、御守をもらってきてくれたのが縁です。おかげで、再発(再燃)もなく、7年目も元気に過ごすことができました。

 「木のこぶ」が並んでいます。瘤取りのお礼に奉納されたものです。参拝者はこれを自分の体に押し当てて、ご利益があることを願います。

 本殿の前には、石造の猿が鎮座しています。
 今年も厄除けの笹をいただきました。

 お茶所に入ると、薪が赤い炎を上げています。おしい煎茶をいただいて、温まりました。この辺りは宇治茶の産地です。

 「猿顔絵馬」が人気です。目鼻を自分で描きます。

 参道には、あちこちにツバキが咲き誇っていました。

 猿丸神社 
 京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺粽谷44
 0774-88-3782

 宇治田原から宇治川の天ケ瀬ダム近くに出て、平等院の横を走って対岸にある興聖寺にやって来ました。わが家の墓があります。
 年末の掃除にもやってこられなかったことを詫び、墓石をきれいにして新しい花を供えました。
 法堂にお参りに行くと、昨日、行われた「新年大般若祈祷法要(秋葉講)」の真っ赤な幟が掲げられたままになっていました。 

 法堂の正面まで進むと、よく目立つ場所に母親が願主となって奉納した幟(のぼり)が翻っていました。

 赤い幟で、いつもとは違った風景でした。

 興聖寺は、道元禅師が「曹洞宗初開道場」として開きました。

 興聖寺
 宇治市宇治山田27-1

福 壽 平成三十一年元旦

 あけましておめでとうございます。今年も『「どたぐつ」をはいて・・・』をよろしくお願いいたします。
 わが家も、穏やかなお正月を迎えることができました。

 お雑煮は、山利商店の京白味噌のいいお味でした。

 手作りローストビーフも、満足の色です。

 蓮根と人参の飾り切りは、わたしの役目でした。

 初詣は、地元・島本町の若山神社に参りました。
 2歳半になった孫娘も、一生懸命登りました。

 境内からは、三川(木津川、宇治川、桂川)合流の辺りがよく見えました。

 大宝元年(701年)行基が勅命にて勧請した由緒ある神社です。

Myメモリー 山城30山最高峰の皆子山、洛北高の仮装行列

 京都府最高峰の皆子山(971.5m)です。近く、友と登ることになりました。
 古いアルバムをめくっていると、出てきました。高校生だったころの「紅顔の美少年!?」です。一緒に登ったクラスメートのHくんは、京一中から続く洛北高校の山岳部員でした。彼がシャッターを押してくれたのでしょう。左側の人はたまたま居合わせた方のはずです。
 「山城三十山登山」の創始者で先輩の今西錦司氏が、この山の名付け親で、末娘に皆子と名をつけたという縁があります。三十山の最高峰でもあります。再訪が楽しみです。

 アルバムの隣のページに張られていた写真です。
 洛北高校では、3年生の秋の体育祭に仮装行列をするのが最大のイベントでした。夏休みから、何日もかけてクラスごとに大きな山車をつくりました。わたしのクラスは「くれおぱとら」でした。当日はみんなが仮装して学校の周りを練り歩いたのです。もちろん、わたしも写っています。
 受験勉強もせずに、こんなことに精を出していたのですから、結果は自ずと明らかではあります。
 このときのクラスメートが昨夜、久しぶりに京都・錦の料理店に集合しました。男性ばかり10人でした。あれこれと、思い出話は尽きませんでした。

Myメモリー 槍穂縦走 ’75

 5万分の1地図が2枚、なぜか兄の地図ボックスから見つかったと返還されました。40数年前のMyメモリーが蘇りました。
 1975年夏に北アルプスの槍穂高を縦走した記録です。新聞社に就職して2年目の夏休みのことです。岡山支局勤務でした。
 8月28日に夜行で松本に着き、上高地から槍沢を登って殺生ヒュッテ泊。29日に槍ヶ岳から南岳、大キレットを通って北穂高小屋へ。30日には奥穂、前穂高岳と縦走して岳沢を上高地に下山しています。
 地図の裏に押されたいくつもの山小屋のスタンプが、汗でにじんでいます。右端の燕山荘(燕岳)は別の日に登ったものです。

 槍ヶ岳は表銀座コースの東鎌尾根からも2回は登っています。常念岳から蝶岳を通って徳沢園に下山したこともあったのです。なんと43年前の11月2日には、常念小屋に泊まっていました。すっかり忘れていました。
 写真もどこかにしまい込んでいるはずですが、すぐにはわかりません。

 国土地理院発行の5万分の1地形図のうち、上高地と槍ヶ岳です。当時の登山の必携品でした。
 価格は印刷されていませんが、最初は1枚50円くらいだったと記憶しています。
 現在のようにYAMAPなんかでダウンロードといった便利な時代ではありませんでした。

 

京都水族館 ~孫娘と一緒に

 京都水族館に初めて行きました。孫娘(2つ)のお相手です。
 ジャンプ!! イルカのショーが始まりました。
 さすがに台風がやって来る前の日です。

 よく教育されています。というか、イルカの賢さがわかります。

 かわいいイルカたちでした。でもー
 牛豚はOKでもイルカはNO。有無をいわせず水族館を閉鎖に追い込もうとするSSの無法には、賛同しかねます。

 京都水族館
 京都市下京区観喜寺町35-1(梅小路公園内)
 075-354-3130

 梅小路公園の入り口に、懐かしい京都市電が止まっていました。「935」です。
 「京都市電の残影」を探していたのは10年も前のことです。

Myメモリー 廃村八丁

 歳をとると、いろんな昔を思い出します。
 芦生の森を歩きました。「廃村灰野」に「佐々里峠」への分岐がありました。この2つのキーワードで浮かんだのが「廃村八丁」です。南西に3時間という佐々里峠のさらに同じほど離れた南西にあります。
 時は1965年秋までさかのぼります。わたしは高校1年生でした。その当時で、八丁はすでに1941(昭和16)年に最後の住民が離れてから24年が立って、廃村になってました。
 土蔵に近代的なビルや富士山、水着姿の女性が描かれたのはいつのことかはわかりません。当時から、知る人ぞ知るスポットでしたが、その土蔵も朽ち果てようとしていました。 

 ネットを調べてみると、それから22年後の「山と渓谷」(1987年3月号)に掲載せれた全景がありました。
 今は、もう存在しないでしょう。

 若かりし日のわたしと、Nくん、Kくんです。では、だれがカメラのシャッターを押したのでしょうか?

 もう1枚にヒントはあるのですが、手前の男性が誰であるかは、記憶にありません。

 この土蔵で泊まったはずです。
 食事の準備です。懐かしい灯油を燃料としたラジュースでコッフェルを熱しています。ご飯は飯盒で炊いたのでしょう。

 これまでのMyメモリー

京都人の密かな愉しみ その4 興聖寺と盂蘭盆会

 盂蘭盆会(お盆)の法要が、檀徒となっている宇治・興聖寺の法堂で営まれました。
 お参りをすませ、経木(お塔婆)をいただきました。

 薄曇りで、暑さは和らぎました。この後、墓参りをしていると、ポツリときました。
 昨年は、カンカン照りでした。大勢の参拝で長時間待たされてぐったりしました。覚悟してましたが、ことしは静かにお参りすることができました。

 「京都人の密かな愉しみ」(NHK)に、ロケ地として何度も登場しました。
 ロケ地巡りでやって来たわけではありませんが、いい眺めに変わりはありません。

 道元禅師が最初に開いた「修行道場」です。今も座禅の修行が続けられています。

 広い庫裏です。

 番組では、三八子(常盤貴子)の母が訪ねてくるシーンに使われていました。

 大きな釜が並びます。
 番組では、寺男となったヒースロー教授が里芋をむくシーンに登場しました。

 このブログ内の「京都人の密かな愉しみ」と興聖寺

 興聖寺
 0774-21-2040
 宇治市宇治山田27

 

信州・安曇野 「オーベルジュ メイヤの樹」のオムレツ

 「オーベルジュ メイヤの樹」の朝食です(17日)。オーナーシェフの望月和弘さんが、テーブルの脇でオムレツを手際よく焼いてくれました。
 フワリとした、きれいなオムレツでした。

 ことわりをいれて動画を撮影させていただきました。ササッと手を動かし、いとも簡単にはいでき上がりです。さすがにプロです。

 ハムにベーコン、ソーセージと、どれもこだわりの味でした。

 モモのジュースからスタートしました。

 トーストもさまざまです。

 コーヒーにフルーツ、八ヶ岳のヨーグルトと、朝からおいしくいただきました。

 すぐ近くの北アルプス展望美術館のあたりを散歩しました。
 コマクサが咲いていました。といっても野生ではなく、プランターの中でした。

 
 ニセアカシア(?)が白い花をいっぱいにつけていました。
 黄色い建物はオーベルジュ、赤いのはわたしのシトロエンです。

 常念岳は雲の中でした。