宇治 「伊藤久右衛門 本店茶房」のにしんそばと盂蘭盆

 宇治の興聖寺で、母の初盆供養をしました。台風が過ぎ去り、暑くなった1日でした。
 昼前だったので、いつも込んでいる「伊藤久右衛門 本店茶房」ですが、すぐに座ることができました。パフェがおいしそうでしたが、お腹も空いてきたので「にしんそば・かやくごはん」(1340円)にしました。
 甘いにしんが載っています。この時期ににしんが続きました。茶そばも、しっとりとおいしいです。 

 薄味のゆばと、茶葉の佃煮が箸休めでした。

 ゆっくりといただいて店を出るときは、茶房はウェイティングの列。売り場も大混雑でした。

 伊藤久右衛門 本店茶房 
 0774-23-3955
 宇治市莵道荒槙19-3

 菩提寺である興聖寺で、初盆・盂蘭盆供養を待ちました。マツの葉にたまった前夜来の雨粒が、日を浴びて輝いていました。

 初盆のお塔婆をいただきました。

 法要が終わると、よく冷えた葛切りがふるまわれました。黒蜜の甘さもほどほどで、ツルリと爽やかでした。

 曹洞宗 仏徳山興聖寺
 0774-21-2040
 宇治市宇治山田27-1

京都・東山 六道珍皇寺に「六道まいり」

 「六道まいり」で京都・東山にある六道珍皇寺に参りました。「お精霊(しょうらい)さん迎え」とも呼び、京都では13日から始まり16日の五山の送り火に終る盂蘭盆(うらぼん)を前にして、7日から10日までの4日間に精霊(御魂 みたま)を迎えるために六道珍皇寺に参詣する風習があります。
 わが家にも、初盆を迎える新仏さんがおられます。それほど信心深いわけでもなく、バッハの宗教曲に耳を傾け、スペインのサンティアゴ巡礼に心を寄せる身ですが、初めての参詣でした。

 門をくぐった参道わきに、高野槇(こうやまき)の枝を売る店が並んでいました。
 古来より、精霊は槇の葉に乗って冥土より帰ってくるとされています。 

 一枝、600円でした。

 本堂前で、水塔婆(みずとうば)に父と母の戒名を書いてもらいました。

 「迎え鐘」を打つ順番を待つ行列から見えるところに、六道まいりの手順が説明されていました。

 迎え鐘を打ちました。垂れ下がった綱を引っ張ると、「ゴーン」。鐘は見えません。
 長い行列を覚悟していましたが、朝が早かったせいか、それほど待たなくてもよかったです。

 本堂にロウソクを灯しました。

 本堂にお参りしました。

 線香を灯し、水塔婆を浄めました。
 「仙壽院佳心妙道大姉」というのが、5月に亡くなった母の戒名です。

 地蔵尊宝前で、用意された高野槙で水回向を行ない、水塔婆を納めました。

 六道珍皇寺の裏庭には、平安時代の陰陽師、小野篁(おののたかむら)が夜毎、冥府通いのため使っていたという井戸が残っています。

 この日の京都は、最高気温が38度近くありました。

 名物の「子育飴」です。

 「菱六もやし」のもやしは麹菌のことです。

 あちこちに路地(ろーじ)があります。

 「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生といわれています。この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境(接点)の辻が、「六道の辻」です。
 平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」をされたことや、小野篁の冥界への井戸があったことから「冥土への通路」とされたのだそうです。

梅雨です あじさいとかたつむり

 梅雨入りでした。待ち望んでいたわけでもないですが、朝からカメラをもって近くの島本町ふれあいセンターに出かけました。
 アジサイが雨滴を溜めて、ほっと一息ついているようでした。

 実は、かたつむりを探していました。
 そのまま車を走らせて、あじさいで有名な柳谷観音まで行ってみました。境内のあじさいを見るには拝観料が必要です。門前のあじさいをゆっくりと見ながら歩いていると、大きいのがいました。

 ちょっとグロテスクで、あまりお見せするほどのこともありませんが。
 なぜかたつむりの画像が必要だったかは、改めてーー。

こんなのを作っていました。

DAHONで走る 背割堤の桜 2019

 天気が良さそうなので、急に思い立ってマイ・折り畳み自転車、DAHONで走りました。淀川の河川敷をのんびりと上り、木津川、宇治川、桂川が合流する三川(さんせん)合流域に向かいました。30分ほどでした。
 木津川と宇治川が合流する先端に続く「背割堤(せわりてい)」は1.4kmも桜のトンネルが続く人気スポットです。昨秋の台風でたくさんの桜が倒れたと聞いていました。
 27日に開花した桜は、ことしもきれいな薄いピンク色でした。

 もうすぐ開花という蕾もいっぱいでした。

 恒例の「背割堤さくらまつり」は、あす30日から4月7日までです。その前日とあって、まだ静かでした。

 悲しい風景です。樹齢40年ほどの老木は、台風の強風に耐えられず、枝が折れてしまいました。根こそぎになった木もあります。このあたりは、上空がスカスカでした。

 アチラの方の記念撮影に出くわすのも恒例になりました。

 こちらはうらやましい光景です。ベンチに置かれているのはワインでしょうか。あすからは、人が多くてこうはいきません。

 花もちらほらなら、遊覧船の客もまばらでした。「乗船料はあすから1500円のところ、きょうは500円」と客引きしてました。

 わたしのDAHONです。久しぶりに乗りました。

 さくらであい館の展望エレベーターは、ひと足早く27日から有料(300円)になってました。桜も咲いていないので、ご遠慮しました。

 それでも観光バスまでやってきていました。

 帰り道に、水無瀬神宮に寄りました。
 枝垂れ桜は満開近しの状態でした。

ボヘミアン・ラプソディ ~天に突き上げて

 話題の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。いまさらながらですが、そろそろ行かないと、終わってしまいそう。やっと時間ができました。

 「あの人、だれ?」
 10年も前に訪れたスイス・レマン湖畔のモントルーです。そのときは、フレディ・マーキュリーはもとより、クイーンのことも名前くらいしか知りませんでした。
 右腕を天に突き上げて歌う姿が、映画の中で何回も再現されました。
 出生、異彩を放つ風貌、セクシャリティーからくるコンプレックスを突き破ろうとするかのポーズでした。その先に圧巻の「We are the champions」がありました。

 足元には「Lover of Life – Singer of Songs」と刻まれていました。

 モントルーには、フレディの録音スタジオがあったそうです。フレディは、変わらずこの湖を見ていました。
 隣町のブべーに立つチャップリンの像や、オードリー・ヘプバーンが暮らした村を訪ねることはできませんでした。でも、フレディには呼び寄せられたのでしょうか。

 JR高槻の駅前にある「アレックスシネマ」は、平日の昼間とあって、ガラガラでした。あまり聞きなれない「爆音」に2時間ほど、さらされました。

 

初参り 宇治田原・猿丸神社と宇治・興聖寺

 体調もやっと回復したので、遅れてしまった初参りに出かけました。
 京都・宇治田原の山の中にある猿丸神社です。瘤(こぶ)取りの神「猿丸さん」として親しまれ、近年は「がん封じ」の神さまとしても信仰を集めています。
 調べてみると、わたしは2013年から毎年参っています。その前年の手術の前に、大津に住む義妹夫婦が参って、御守をもらってきてくれたのが縁です。おかげで、再発(再燃)もなく、7年目も元気に過ごすことができました。

 「木のこぶ」が並んでいます。瘤取りのお礼に奉納されたものです。参拝者はこれを自分の体に押し当てて、ご利益があることを願います。

 本殿の前には、石造の猿が鎮座しています。
 今年も厄除けの笹をいただきました。

 お茶所に入ると、薪が赤い炎を上げています。おしい煎茶をいただいて、温まりました。この辺りは宇治茶の産地です。

 「猿顔絵馬」が人気です。目鼻を自分で描きます。

 参道には、あちこちにツバキが咲き誇っていました。

 猿丸神社 
 京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺粽谷44
 0774-88-3782

 宇治田原から宇治川の天ケ瀬ダム近くに出て、平等院の横を走って対岸にある興聖寺にやって来ました。わが家の墓があります。
 年末の掃除にもやってこられなかったことを詫び、墓石をきれいにして新しい花を供えました。
 法堂にお参りに行くと、昨日、行われた「新年大般若祈祷法要(秋葉講)」の真っ赤な幟が掲げられたままになっていました。 

 法堂の正面まで進むと、よく目立つ場所に母親が願主となって奉納した幟(のぼり)が翻っていました。

 赤い幟で、いつもとは違った風景でした。

 興聖寺は、道元禅師が「曹洞宗初開道場」として開きました。

 興聖寺
 宇治市宇治山田27-1

福 壽 平成三十一年元旦

 あけましておめでとうございます。今年も『「どたぐつ」をはいて・・・』をよろしくお願いいたします。
 わが家も、穏やかなお正月を迎えることができました。

 お雑煮は、山利商店の京白味噌のいいお味でした。

 手作りローストビーフも、満足の色です。

 蓮根と人参の飾り切りは、わたしの役目でした。

 初詣は、地元・島本町の若山神社に参りました。
 2歳半になった孫娘も、一生懸命登りました。

 境内からは、三川(木津川、宇治川、桂川)合流の辺りがよく見えました。

 大宝元年(701年)行基が勅命にて勧請した由緒ある神社です。

Myメモリー 山城30山最高峰の皆子山、洛北高の仮装行列

 京都府最高峰の皆子山(971.5m)です。近く、友と登ることになりました。
 古いアルバムをめくっていると、出てきました。高校生だったころの「紅顔の美少年!?」です。一緒に登ったクラスメートのHくんは、京一中から続く洛北高校の山岳部員でした。彼がシャッターを押してくれたのでしょう。左側の人はたまたま居合わせた方のはずです。
 「山城三十山登山」の創始者で先輩の今西錦司氏が、この山の名付け親で、末娘に皆子と名をつけたという縁があります。三十山の最高峰でもあります。再訪が楽しみです。

 アルバムの隣のページに張られていた写真です。
 洛北高校では、3年生の秋の体育祭に仮装行列をするのが最大のイベントでした。夏休みから、何日もかけてクラスごとに大きな山車をつくりました。わたしのクラスは「くれおぱとら」でした。当日はみんなが仮装して学校の周りを練り歩いたのです。もちろん、わたしも写っています。
 受験勉強もせずに、こんなことに精を出していたのですから、結果は自ずと明らかではあります。
 このときのクラスメートが昨夜、久しぶりに京都・錦の料理店に集合しました。男性ばかり10人でした。あれこれと、思い出話は尽きませんでした。

Myメモリー 槍穂縦走 ’75

 5万分の1地図が2枚、なぜか兄の地図ボックスから見つかったと返還されました。40数年前のMyメモリーが蘇りました。
 1975年夏に北アルプスの槍穂高を縦走した記録です。新聞社に就職して2年目の夏休みのことです。岡山支局勤務でした。
 8月28日に夜行で松本に着き、上高地から槍沢を登って殺生ヒュッテ泊。29日に槍ヶ岳から南岳、大キレットを通って北穂高小屋へ。30日には奥穂、前穂高岳と縦走して岳沢を上高地に下山しています。
 地図の裏に押されたいくつもの山小屋のスタンプが、汗でにじんでいます。右端の燕山荘(燕岳)は別の日に登ったものです。

 槍ヶ岳は表銀座コースの東鎌尾根からも2回は登っています。常念岳から蝶岳を通って徳沢園に下山したこともあったのです。なんと43年前の11月2日には、常念小屋に泊まっていました。すっかり忘れていました。
 写真もどこかにしまい込んでいるはずですが、すぐにはわかりません。

 国土地理院発行の5万分の1地形図のうち、上高地と槍ヶ岳です。当時の登山の必携品でした。
 価格は印刷されていませんが、最初は1枚50円くらいだったと記憶しています。
 現在のようにYAMAPなんかでダウンロードといった便利な時代ではありませんでした。

 

京都水族館 ~孫娘と一緒に

 京都水族館に初めて行きました。孫娘(2つ)のお相手です。
 ジャンプ!! イルカのショーが始まりました。
 さすがに台風がやって来る前の日です。

 よく教育されています。というか、イルカの賢さがわかります。

 かわいいイルカたちでした。でもー
 牛豚はOKでもイルカはNO。有無をいわせず水族館を閉鎖に追い込もうとするSSの無法には、賛同しかねます。

 京都水族館
 京都市下京区観喜寺町35-1(梅小路公園内)
 075-354-3130

 梅小路公園の入り口に、懐かしい京都市電が止まっていました。「935」です。
 「京都市電の残影」を探していたのは10年も前のことです。