東海道 下も向いて歩こう

桑名

 たまには下を向いて歩いてみると、新たな発見もあります。マンホールです。自治体によって、デザインを競っています。
 東海道五十三次を、桑名から土山まで歩きました。
 出発は桑名です。カラー舗装にあわせたように、マンホールもカラーです。デザインされているのは、「七里の渡」です。

四日市

 四日市市です。市内を流れる「三重川」の図をデザインしたものだすです。カラー版もあり、それをみてやっと理解しました。

亀山

 亀山市は、亀山城多聞櫓と市花の花しょうぶがデザインされています。
 亀山市の前の鈴鹿市では、注意して歩いていたんですが、ついにそれらしいマンホールにはでくわしませんでした。

関

 旧関町(現亀山市)は、鹿、シャクナゲ、キジが描かれています。

土山

 滋賀県に入りました。旧土山町(現甲賀市)では町の木(杉)、町の鳥(きじ)、町の花(茶)が描かれています。
 旅の途中でわたしがシャッターをきった風景は、「東海道五十三次 五十三連写」としてHPにアップしました。よろしければ、そちらをご覧ください。

庄野の宿 1泊2食7035円、「いすゞ」の朝食

いすゞ5

 「正しい日本の朝食」です。
 炊きたてのご飯に生卵をかけ、温かいみそ汁があれば、それで十分です。
 話し好きの女将さんは、同じ団塊世代。「こんな商売をしていると、なかなか休めない。息子の卒業式にも行けなくなった」と。その息子が、「東京の大学」に通っており、それが「東京大学」であることまで聞いてあげたおかげで、「納豆も食べる?」。

いすゞ6

 旧東海道の宿場からはちょっと離れている。昨夜は、暗い道を歩いてきた。今朝はタクシーを頼むと、「送ってあげるよ」と、旦那がクルマを出してくれた。
 東海道を旅する方には、お薦めできる宿です。

いすゞ7

 すぐ近くに大きなベルシティーが。日曜でクルマは少ないが、こに道をまっすぐ走ると、鈴鹿サーキットに着く。何回かやってきたことがある。

庄野の宿 1泊2食7035円、「いすゞ」の夕食

いすゞ1

 東海道五十三次の四十五番目の宿「庄野」(鈴鹿市)です。
 地酒「鈴鹿おろし」にしました。冷やでいただきました。さらりとした味わいです。燗酒はダメですが、たまには清酒を飲みたくなります。

いすゞ2

 庄野の宿から一番近い旅館、ということで予約した「いすゞ」です。1泊2食付きでたったの7035円という安さに、たいして期待はしていませんでした。先にテーブルについていた団体の小学生は、肉料理を食べていました。あれと同じかと思っていると、「東海道を歩いている年配の方と聞いてましたので、お刺身しました」と女将さん。「割烹」の看板も出しているだけに、なかなかのお味でした。

いすゞ3

 百合根の揚げ物と、ワカサギ(?)の酢の物です。

いすゞ4

 いすゞ   地図
 TEL 059-370-1555
 〒513-0833 三重県鈴鹿市庄野共進1丁目4-51

四日市の宿 「うなぎ松岡」のひつまぶし

松岡1

 東海道五十三次を京に向かって上っている友につきあって、三重・桑名から鈴鹿を越えて滋賀・甲賀まで1泊で歩きました。60キロ超。もうヘロヘロです。
 最初の昼食は四日市でした。東海道がそのまま商店街になっている中心街を歩いていて、行きあたりばったりで入りました。「まぶし丼」が580円といので、かえって心配でしたが、「養鰻池直売うなぎ料理専門店」とうたっています。
 「ひつまぶし」(1260円)です。最初の一杯は、そのまま食べます。うまい。あたりです。

松岡2

 「まだこれから歩くから」と、3人で中瓶1本を頼んだら、鰻の骨のから揚げがついてきました。 

松岡3

 2飯目は、薬味とわさびをのせて。これもいけます。
 

松岡4

 
 最後は茶漬けにして。ペロリと平らげました。

松岡5

 

松岡6

松岡7

 これが今回の旅で一番おいしい食事になるとは、この時点では思いもつきませんでした。
 うなぎ松岡/本店  地図
 TEL 059-351-4770
 〒510-0086 三重県四日市市諏訪栄町3-3

東海道五十三次 53連写

2007/02/10-11
 東海道五十三次をお江戸日本橋から京三条大橋に向かって歩いている友がいます。
 わたしも、三重・桑名の宿から滋賀・土山の宿まで60㌔余りを、庄野の宿に1泊して歩きました。鈴鹿峠を越えて総歩数90,000歩に及ぶ旅でした。
 カメラ2台でいつものように撮りまくりましたが、残念なのは桑名市内の写真があまりないこと。「七里の渡」近くのビジネスホテルや、時計店の「正確堂」なんてのは、必写だったと反省しております。

 出発は「焼き蛤」の桑名です。横浜、八王子、大阪から3人が集合しました。
 マンホールにも「七里の渡」がデザインされています。

 梅もほころぶ陽気の中を出発しました。
 鈴鹿峠では気温3度の強い風でしたが。。

 七里の渡し場跡です。手前が揖斐川、向こうに長良川が流れています。これに木曽川の河口が続くところから、「宮」からは渡しとなりました。
 向こうには富士山が見えます!

 調べてみると、「ナガシマスパーランド」の関連施設、「なばなの里」にある「アイランド富士」です。地上45メートルから濃尾平野を一望できるようです。

 鍾馗(しょうき)さんにお目にかかりました。ここは、正しい位置に飾られていましたが、どういうわけか大屋根の上に突っ立っている鍾馗さんもおられました。

 昔の名前は「下さざらい歯科」でした。それが、「らいおん歯科」になりました。どんな心境の変化でしょうか。

 募集しているのは「内職さん」です。けっして「パート従業員」なんかではありません。

 伊勢湾台風の教訓なんでしょうか。

 ここは三重県です。

 こだわってます。「フジイ」ではありません。

 赤ちゃんは何を買ってもらうのでしょうか?

 「10皿100円」です。いや、「もってけ、どろぼー」とは書いてありませんが「無料」です。といわれても…。

 業務不振で不採算部門から撤退を続けているサンヨーです。昔は自転車まで作っていたんですね。

 「P空有」。簡潔明瞭、これでなくては。

 ここは三重県です。

 そういえば「安全な三重肉」(松阪肉ではありません)を売る「東京屋」もありました。

 あちこちでお目にかかりました。

 「うどん」とくればフツーは「丼」でしょう。「中華」とくれば、フツーは「ラーメン」でしょう。
 私の脳みそは堅いのでしょうか!!

 「伊勢みそ」って、柔らかいのでしょうか?

 伊勢参宮道と東海道が分岐する「日永の追分」です。
 「予告」を逆に読むと…?!※◇●☆

 「通り抜け出来ません」といわれても、先を急ぎますものでー。

 四日市市です。

 そろばんは健在です。電卓なんかに負けていません。
 このポスターは、日本商工会議所と日本珠算連盟が作成しています。ということは、日本全国に掲示されているんでしょう。

 「大売り出し」です。でも「4月27日」って? 今年のことなら、待ち遠しすぎます。

 東海道五十三次をお江戸日本橋から歩いてきた連れの巻物風の詳細地図には、「産経新聞」の表示がありました。行ってみれば「イスのサンケイ」でした。

 庄野の宿です。
 「初午祭」です。あちこちの神社で行われています。

 鈴鹿市内では、独自デザインのマンホールを見つけることができませんでした。

 「太田胃散です。いい薬です」

 伊勢神宮のおひざ元です。「三重県神社庁」の勢力圏です。

 亀山市です。

 旧東海道です。亀山城に残る多聞櫓がデザインされています。

 亀山はローソクの町です。
 「亀山ローソク」の本社工場です。

 亀山の宿です。
 「こめや」の跡はそば屋です。

 「とちぎや」は、今も立派に「株式会社栃木屋」です。

 立派な屋号です。

 仲良く同居させてもらってます。

 「おかだや」も岡田屋です。

 「左 停車場」です。

 なんでもあります。
 草もち、うぐいす餅、さくら餅、いちご大福、栗大福、利久まんじゅう、酒まんじゅう。

 なんでもあります。
 呉服、仏壇、貸衣装、本堂落慶大法要、蚊取り線香からサラ金、公明党まで。

 布気皇舘大神社には常夜灯がズラリと奉納されています。
 「株式会社 安全」。わかりやす社名です。でもどんな会社なんでしょう。警備保障、ヘルメット、錠前、シートベルト、信号機、安全ピン?

 距離感を強調するため望遠で撮影したわけではありません。
 わずか10メートルもないところに設置されもネ。

 JR関西線を走るディーゼル・ワンマンカー「キハ120系」です。国道1号のクルマと競走しています。

 首に鈴をつけた鹿が川を渡ってます。よくわかります。

 忘れているわけではなさそうです。あちこちに注連飾りをしたままの家がありました。

 その昔の結納品は、ユビワ、洋傘、ハキモノだったのですか。

 関塾(かんじゅく)ではありません。関宿です。

 日だまりです。仕事にはうってつけです。「桶重」です。

 関宿は、昔の宿場の風情をたっぷり残しています。

 現代の「かじや」です。

 旧関町は、現在は亀山市になっています。

 坂下の宿に立つ五十三次の道標です。
 桑名-四日市-石薬師-庄野-亀山-関-坂下と歩いてきました。
 目指すは鈴鹿峠の向こうの土山です。

 鈴鹿峠を越えます。意味不明です。

 記念撮影です。
 やっと滋賀県に入りました。

 今回のゴールは旧土山町。現在は甲賀市(こうかし)になっています。

 貴生川駅のホーム。
 左はJR草津線、右は信楽高原鉄道。その間に改札口がありますが、何のために?

都七福神 布袋尊 黄檗山萬福寺

布袋尊1

 布袋さんは、「メタボリックシンドロームなんて知らないよ」という顔して、立派なお腹をかかえておられます。
 宇治にある黄檗山萬福寺です。東寺からJR京都駅に戻り、奈良線の黄檗駅まで輪行しました。

布袋尊2

 都七福神の中では、一番立派なお堂「天王殿」に鎮座しています。

布袋尊3

 「当山は修行僧のための禅の専門道場ですが、一般(民間企業・各種団体・学校等)のための坐禅研修も行っており…」
 そうです、わたしも30数年前に社会人になったとき、新人研修でこの寺で坐禅を組みました。当時の人事部長の「趣味」でした。でも、それが思い出になっているのですから、バカにしたものではありません。そのとき以来の「研修道場」です。

布袋尊4

 向こう側は開版(かいぱん)と呼ばれる魚板で、木魚の原型だそうです。時を報じるものとして使われています。

布袋尊5

 都七福神の中では、別格のように立派な寺です。そのかわり、ここだけは入山料(500円)が必要です。

布袋尊6

 あちこちでながめてきた都七福神ののぼりです。
 これで「満願」です。

都七福神 毘沙門天 東寺

毘沙門天1

 毘沙門天は、東寺におられます。
 30センチほど開いたお堂の内部にカメラを向けました。ちょっとブレてます。

毘沙門天2

毘沙門天3

 毘沙門堂は、広い東寺の南西の角にあります。

毘沙門天4

 真言宗で最高の儀式とされる「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」の初日にあたった。高僧が並んで道場の潅頂院に向かって歩いてくる。千百有余年にわたり、宮中で行われてきた行事で、鎮護国家、五穀豊穣、高度豊饒を祈って7日間、21座にわたり祈念の修法が勤められる。

毘沙門天5

 高僧は、赤い傘をかけられて、歩んでくる。カラフルだ。

毘沙門天6

 東寺といえば五重の塔がランドマークになっている。

都七福神 弁財天 六波羅蜜寺

弁財天1

 弁財天は六波羅蜜寺に祀られています。

弁財天2

 七福神のうち、唯一の女性です。あまりにきらびやかすぎて、手が震えて(?)撮影に失敗しました。

弁財天3

 境内に銭洗い地蔵があって、「銭の神様です」と弁財天の前にすわった僧が案内してました。でも「銭集めの神様」のようです。「ご参拝の皆様、この稲穂をお受け取りください。あちらで、色紙を付けてもらってください。(無料です)」。で、無料の色紙をつけもらう横には、熊笹やら福袋やらがずらり。はかられた! と思いながら500円の福袋を付けてもらいました。こんな罰当たりなことを言ったら福がやってこないか。前言撤回です。

弁財天4

 六波羅蜜寺は、空也の寺として知られています。

都七福神 ゑびす神 ゑびす神社  

恵比須1

 
 鯛を左わきに抱えたゑびす神です。

恵比須2

 ゑびす神社は、「えべっさん」、つまり十日ゑびすを前に、早くもにぎわっています。境内や周辺道路には、屋台が準備中です。
 二つ目の鳥居にご注目ください。扁額の部分は白い布で覆われています。

恵比須3

 鳥居の上のには恵比須さんが飾られていて、いつもは扁額めがけて賽銭を入れるようになっています。手前の熊手に入ると中吉で、恵比須さんの顔の下に入れば大吉ということです。でもこの人出で、そんなことをしたら、たいへんなことになります。

恵比須4

 えべっさんとえば、この福耳です。

恵比須5

 早くも「商売繁盛、笹もってこい!」です。でも、まだ静かでした。

都七福神 寿老神 革堂

寿老神1

 寿老神は革堂(こうどう)さんに祀られています。ローソク1本が灯るだけの堂内に安置されています。格子にレンズを押しつけて固定して、スローシャッターで撮影した寿老神の素顔です。

寿老神2

寿老神3

 寿老神堂は、境内の北東の隅にあります。

寿老神4

 山門には千社札がいっぱい張られています。

寿老神5

 革堂は、正確には行願寺といいます。実は一昨年、京都検定を受検したときに、参考書にたびたび登場して、初めて存在を知りました。寺町は、クルマでもよく走る通りですが。
 ここは西国三十三番の十九番札所にもなっていて、朱印をもらっているのは、そちらを巡っている人のほうが多いようでした。