東海道五十三次を、わたしも歩いてみたくなりました。
京から江戸に下るか?
文庫本の「決定版 東海道五十三次ガイド」(東海道ネットワークの会21 講談社α文庫)です。1996年に書き下ろされたものが、昨年、加筆・再編集されて再出版されています。最近のブームを反映しているのでしょう。「見返り富士の旅」でも、歩いている中年が大勢いましたから。
カテゴリー: walking & climbing
西国街道 京へのぼる
春のような暖かな一日(2月25日)です。京の都から西国(山陽地方)を結ぶ古来の日本の幹線道路「西国街道」を通って、京七口のひとつ、鳥羽口を目指しました。
自宅から5分も北に歩くと、「桜井の駅跡」があります。「西国街道」の碑が建っており、これは「街角の再発見」としてフジサンケイグループが大阪府下のあちこちに建てた記念碑のひとつです。
見わたせば 山もとかすむ 水無瀬川
ゆうべは秋と なに思ひけむ
(新古今集 後鳥羽上皇)
碑にはこう彫られています。
JR山崎駅前にある離宮八幡宮は、荏胡麻油の生産と結びついてきました。
向日市の下川原地区です。静かな街道の佇まいが残っています。石畳が敷かれ、凝ったデザインの街路灯が並んでいます。
店頭には、早くも筍が並んでいます。
阪急東向日駅に近い梅ノ木あたり。右端に碑や道標が並んでいます。
街道は、桂川に突き当たりました。対岸へは「渡し」があったのでしょうか。彼方に比叡山の山並みが望めます。
吉祥院の商店街を抜けました。
「久世の大根飯、吉祥の菜飯、またも竹田のもんば飯」
赤い鳥-紙風船が歌っている「竹田の子守歌」を思わず口ずさみました。
京の都に到着しました。羅城門までやってきた。児童公園の片隅の石碑だけが、平安京の証なのでしょう。
HP版「西国街道 京へのぼる」もご覧ください。
河原町 本屋を見つける
「本の河原町」「書店の力量が問われる」「ストップ活字離れ」「京都の中心で本を選ぶ」「博士の愛したジュンク」「超ホンの壁」「そうだジュンク行こう」「書店進化論」「本の河原町は不滅です」「BALが変わる!本屋も変わる!」「書店は人材」「見やすい棚をめざして」「品揃え主義」
広告の中に並ぶ書名です。思わず、順に読んでしまいました。通勤途中に阪急京都線の通勤特急で見かけた中吊り広告です。
「河原町 本屋はどこに…」と書いたばかりです。それが、河原町のファッションビルBALの5~8階にジュンク堂がオープンするそうです。あす24日のことです。「四条通りの京都店がライバル!」とは、ちょっと小憎らしいです。
そういえば、大阪・梅田のハービス・プラザにもジュンク堂ができてるんですね。堂島にあれだけ大きなのがあるのに。「勝ち組」ばかりが景気がいいようです。
追加画像です。きょう、地下鉄・御堂筋線で見かけました。「ふたつのジュンク」です。
河原町 本屋はどこに…
京宝・スカラ座
京都・河原町を三条から四条へ向かいました。
1月いっぱいで、「京都宝塚劇場」が閉鎖になりました。1935年オープンの老舗映画館も、シネコンブームに押されて70年の歴史に幕が下りたのです。
わたしも京宝、スカラ座で何本の映画を見たことでしょう。といっても、それほどの映画マニアではありませんので、スカラ座に最後に入ったのは2年ほど前の「戦場のピアニスト」だったでしょうか。
ブックファースト
京都に住んでいたときは、1階の書店によくお世話になりました。
かつては駸々堂書店がはいっていました。バス停がその前にあって、ちょっと立ち読みしてでてくると、バスは行ってしまった。また待たされる-なんて思い出があります。
それが倒産して阪急系のブックファーストになって、こちらも閉め出されてしまいました。
ビーバー
書店の左側(南側)にレコード店のビーバーがありました。早くも落書きされたガラス越しにのぞいてみると、かつてと同じ店名でした。もちろん、CDやDVDのショップに替わってますが。
開店したのは、わたしの学生時代だったはずです。ここでドボルザークの「チェロ協奏曲」(指揮・カラヤン、チェロ・ロストロポーヴィッチ)やマーラーの「大地の歌」、モーツァルト「レクイエム」なんかのLPを買いました。1枚2000円は、学生の身には高額でした。領収書をジャケットの間にはさんでいたはずです。久しぶりにLPで聞いて見たくなりました。
何枚かのLPのジャケットをのぞき込みました。やはり、ありました。
フルトベングラー(通称フルベン)指揮、ウィーン・フィルのベートーベン交響曲第3番「英雄」です。当時の定番でした。
レシートはこんな具合です。
「レコードショップ ビーバー 京宝会館 24 MAR 72 2,000現」
駸々堂
ホテルが建っているあたりだと思います。石造りの立派な駸々堂書店があったのは。それも幻です。
丸善
丸善は昨秋、閉店する最後の日にやってきました。
それにしてもあの立派な建物がカラオケハウスになるんですか。京都の学生は本を読まずに、カラオケばっかり歌ってるんですか。ちょっと寂しい風景です。
蛸薬師
蛸薬師はすっかり若者の街に変身しています。焼き芋屋さんだけは健在ですが。
こ の角にも、わたしの記憶ではちょっと小さいですが本屋があった気がします。
OPA
大きなファッションビルがそびえています。
ここには京都書院とオーム社というともに2階建ての書店が並んでいたのですよね。
京都書院は、文化系というか芸術系が得意な書店でした。3階が画廊になっていて、高校生のときに、友人のはいっているデザイン部が作品展を開き、見にきたことを思い出さしました。
オーム社は理科系の出版も手がけている書店でした。アマチュア無線にこっていたときは、「CQ」という雑誌なんかを買ったものです。
みんな、姿を消してしまいました。
新京極には京極東宝の跡地に紀伊国屋も出店してます。四条にはジュンク堂があります。それにしても、なじみの店がなくなるのは寂しい限りです。
河原町もどんどん変貌を遂げています。変貌そのものは、停滞よりはましかもしれまっせんが、画一的なけばけばしい看板のビルが建ち並ぶ風景からは、京都らしさが失われていくんですね。
東海道五十三次 三条大橋へ
京都・岡崎の京都市美術館です。ここがスタートです。
京都市美術館は、昭和8年11月、東京都美術館に次ぐ日本で二番目の大規模公立美術館として設立されました。設立の機縁となったのは、昭和3年に京都で挙行された天皇即位の大典であり、その記念事業として、関西の財界はもとより多数の市民の協力を得て「大礼記念京都美術館」との名称で開設されました。
京都市美術館のHPの説明です。これでプレートの削られた部分が解明できました。
明治42年、武田五一の設計で誕生した「京都府立京都図書館」、現在は京都府立図書館。建て直されたが、壁面が保存されています。
神宮道から右折して三条通を西に向かいます。
絵に描いたような商店です。どことなく「高貴」な雰囲気も漂います。
「時代を超越した商店街」で紹介した商店街です。
鍾馗さんにも出会いました。
路地です。「三条大橋東二ノ七四」の表札がかかっています。
三条大橋に着きました。
東海道五十三次のゴールです。Sクンがここにやってくるのはいつの日ことでしょうか?
弥次さん、喜多さんも上洛を果たしてほっとしています。
全編はこちらをどうぞ。
「いるかすまし」って?
東海道五十三次の蒲原の宿(静岡県)あたりを歩いていて、意味不明の看板に出くわしました。魚屋です。桜エビやシラスはわかります。でも「イルカスマシ」って何でしょう? いくつも見かけるのです。
開店していた魚屋をのぞきました。でも、ここにいる魚はわかります。
「いるかすまし」発見です。何軒目かの魚屋の冷蔵ケースの片隅、それはありました。小さなパックで1000円もします。珍味なんでしょう。
黒っぽい皮に白い脂肪の塊のようです。乾燥させてあるようです。クジラのコロにも似ているようですが、聞く人がいなかったので、まだ正体不明のままです。
興津まで歩きました。今度は、そのものズバリの看板を発見です。「イルカあります 骨付(あばら)」とストレートです。
店をのぞきましたが、それはどこにあるのか? 「おじさん、イルカってどこにあるの?」
指さされた先のトロ箱がこれ。白色と赤い肉片がパックにはいってました。
「伊豆の港に揚がるのが、清水に回ってくる。うん、イルカだよ。醤油でたくとおいしいんだから。できたのがあったら食べさせてあげるけど、今はないね」
「イルカスマシは、蒲原や由比の方だね」とのこと。イルカの背びれを塩茹でにしたもの薄く切ったものらしい。同じ体験をした人もいるようで、お味のほどはこちらへ。
うーん、イルカか。この話は、動物愛護団体の頭の固いヤカラには内緒にしておきましょう。
「東海道の親不知」で出会った花
真っ青な駿河湾を背にして咲くスイセンです。
ウメも満開でした。
アンコ椿の伊豆も目の前です。
薩埵峠(さったとうげ)を越えました。東海道五十三次の由比から奥津(興津)に抜ける峠道で、「東海道の親不知」といわれる難所です。山塊が海に接する地点で、江戸時代はこの峠道しかありませんでした。今は、東名高速に国道1号、JR東海道線が走っています。
東に富士の高嶺、南に伊豆の岬、西に三保の松原と街道無双の展望が楽しめるはずでした。ところがどうした。肝腎の富士の高嶺はどこに行った? 雲の彼方です。
峠の展望台ではカメラマニア20人ほどが、夕日に染まる富士を撮影しようと、カメラの放列を敷いてました。
蒲原宿の味処「よし川」の桜えびのかき揚げ定食
「駿河湾の恵み」です。東海道五十三次の蒲原から由比のあたりを歩くと、あちこちに桜エビを売る店がありました。
きのう4日の昼食は、当然、桜えびでした。
蒲原の宿にある味処「よし川」で桜えびかき揚げ定食(1360円)を食べました。パリッとした食感がたまりません。天つゆでたべるのもいいですが、塩だけというのもおいしいです。2枚をペロッと平らげました。
桜えびを干している光景です。店にあったパネル写真を複写したものです。
江尻宿・清水港の寿司処「駿河」の花宴
東海道五十三次を、富士川から蒲原-由比-興津-江尻と歩きました。江尻は現在の清水(静岡市清水区)で、ココまで来ればやはり「寿司食いねえ」となります。街道から離れて、「清水すし横丁」にやってきました。全国有名寿司11店が並んでいるところから、寿司処「駿河」にしました。頼んだのは「花宴(かえん)」(1850円)です。
バチ鮪中トロ、同赤身、カンパチ、烏賊、穴子一本握り、薄焼き玉子、いくら軍艦、雲丹軍艦、しらす軍艦、手巻き(鉄火と胡瓜)が各一貫、生桜海老の刺身、渡り蟹のお味噌汁がついています。
生の桜エビです。磯の香りが広がります。
清水すし横丁はエスパルスドリームプラザの中にあります。
ちょっと郊外ですが、JR清水駅前から無料の送迎バスが出ていました。
目の前の港から見上げる富士山です。真っ青な空に、白い富士山が大迫力で迫ってきました。
「東海道五十三次、見返り富士の旅」は、HPに公開しています。
東海道五十三次 見返り冨士の旅
東海道五十三次をお江戸日本橋から京三条大橋に向けて下っている兄弟ブログ『「どた3」は永遠に』の友につきあって、富士川から蒲原、由比、奥津(興津)、江尻(清水)まで歩きました。
背中に富士山を眺める旅でした。ハイライトの薩った峠では、残念なことに雲のかなたでしたが、その美しい姿が目に焼き付いています。
桜えびに清水でのうまい寿司、それに宿での焼き海鮮と温泉と胃袋も体も大満足の旅でした。
2006/02/04
9:42
JR新幹線が富士川を渡る。富士山がきれいだ。
この日は米原付近の雪の影響で、新富士到着が20分ほど遅れる。
9:58
身延線の柚木駅までタクシーでやってくる。ここが今回の旅の出発点となる。
10:04
コース初めての常夜灯と出会う。「左東海道」の碑もある。
10:16
「富士川渡船場跡」の碑がある。
10:18
富士川の鉄橋を渡る。
10:19
富士川上からから富士山を眺める。雄大だ。
10:35
岩淵の一里塚を過ぎる。
11:15
何度でもふり返る。
11:19
東名高速の高架橋を渡る。ここでも正面に富士山がくっきりと。
11:24
夏みかんが実っている。
11:39
蒲原の宿に入る。なまこ壁の商家が残っている。
11:43
こちらは旅籠の名残。
11:45
2階の窓から宿場の街道を眺める。
12:10
昼食は桜エビを。
味処「よし川」で食べた桜えびかき揚げ定食。ぱりっとした食感がたまらない。
12:41
「蒲原宿」の案内モニュメント。このデザインのモニュメントをあちこちで見かける。
13:08
魚屋の看板に「いるかすまし」の文字。何度も見て、気になる。
ついにご対面。たったこれだけで1000えんとは、きっと珍味なのだろう。鯨のころのような脂肪のかたまりと皮がついているようだが、詳細は確認できない。
13:14
清酒「正雪」を製造している醸造所。由比正雪の出生地が近い。
13:22
由比の本陣は「安藤広重美術館」になっている。
13:49
由比町は「日本一の 桜えびの町」という。
大きな桜エビのアーチが駿河湾に向かって建っている。
14:13
由比港の船だまり。ほとんどが桜エビ釣り船で、後部に独特のカゴを積んでいる。
14:42
広重が描いた場所に近いはずだが、肝腎の富士山が見えない。何度もふり返るが、やはり見えない。
14:54
薩○峠(さったとうげ、○は土へんの垂)、への急坂を登る。
15:05
峠に着く。
15:10
やはり富士山は見えない。
薩○峠は、東海道五十三次の由比から奥津(興津)に抜ける峠道で、「東海道の親不知」といわれる難所。山塊が海に接する地点で、江戸時代はこの峠道しかありませんでした。今は、東名高速に国道1号、JR東海道線が走っています。
15:32
駿河湾を背にしたスイセン。
15:37
ウメも花をつけている。
15:39
椿が大輪の花を咲かせている。
15:42
木の間から、本日のゴール、 駿河健康ランド・クア&ホテルが見える。
16:00
興津まで歩きました。今度は、そのものズバリの看板を発見です。「イルカあります 骨付(あばら)」とストレートです。 店をのぞきましたが、それはどこにあるのか? 「おじさん、イルカってどこにあるの?」
16:00
指さされた先のトロ箱がこれ。白色と赤い肉片がパックにはいってました。 「伊豆の港に揚がるのが、清水に回ってくる。うん、イルカだよ。醤油でたくとおいしいんだから。できたのがあったら食べさせてあげるけど、今はないね」 「イルカスマシは、蒲原や由比の方だね」とのこと。イルカの背びれを塩茹でにしたもの薄く切ったものらしい。同じ体験をした人もいるようで、お味のほどはこちらへ。 うーん、イルカか。この話は、動物愛護団体の頭の固いヤカラには内緒にしておきましょう。
16:33
本日の歩数は。
右が私の歩数計。左がサトウの。自宅から測定したとはいえ、あまりに違いすぎる。ピッチ走法とストライド走法の違いか?
最上階のレストラン「マルシェ」に上がってみる。昨日は見えなかった富士山が、手前の薩った峠の向こうにそびえている。
6:24
日の出を待つ富士山。
6:33
1泊したへや。昨夜はいびき三重奏だったはずだ。
6:43
朝食バイキングを食べに再び「マルシェ」へ。
山肌が赤く染まっている。
6:46
和食、洋食食べ放題。富士山が一番よく見える窓際の席に座ることができる。
6:51
駿河湾越しに伊豆半島から朝日が昇る。
8:19
4年前にみんなと昇った剣が峰までよく見える。
8:20
ホテル横の海岸に出る。
想像していた通りの風景である。
8:21
もう一度、薩○峠に戻りたい誘惑にかられる。
記念撮影3態。
8:46
興津に向けて出発。宗像神社には大きな松がそびえている。
9:00
興津の宿は国道1号沿いに石碑が残るだけ。
9:15
清見寺の五百羅漢。表情が素敵。
9:38
地蔵堂の脇に常夜灯が。
9:54
国道1号には100メートルごとにご覧の標識が。
168.4キロは、東京・日本橋から郷里である。
10:06
暖かな天気になった。
細井の松原跡には松が1本だけ残る。戦時中に松根油をとるため、みんな切られてしまった。
10:08
振り返ると、再び富士山の頂が姿を見せる。
10:27
JR清水駅前まで歩いた。
サッカーの清水エスパルスのホームグラウンドである。商店街はエスパルスの黄色い旗でにぎやかである。
広重描く江尻の宿。
10:52
広重と同じ光景を目の前にする。
10:55
満足の表情で。
10:57
11:13
ココまで来ればやはり「寿司食いねえ」となる。街道から離れて、「清水すし横丁」に。全国有名寿司11店が並んでいるところから、寿司処「駿河」にしました。頼んだのは「花宴(かえん)」(1850円)である。
バチ鮪中トロ、同赤身、カンパチ、烏賊、穴子一本握り、薄焼き玉子、いくら軍艦、雲丹軍艦、しらす軍艦、手巻き(鉄火と胡瓜)が各一貫、生桜海老の刺身、渡り蟹のお味噌汁がついています。
生の桜エビです。磯の香りが広がります。
11:31
清水すし横丁はエスパルスドリームプラザの中にあります。 ちょっと郊外ですが、JR清水駅前から無料の送迎バスが出ていました。
11:59
歩道にはエスパルスの選手の足形が。
12:00
清水次郎長の船宿「末廣」。
12:03
清水雛には、次郎長からサッカーボールまでがぶら下がっている。
12:03
これが次郎長親分。意外と小柄である。
12:16
こちらはその名も次郎長商店街にある次郎長の生家。
12:49
静岡電鉄の入江岡駅か見納めの富士山を眺める。
12:53
府中(静岡)まで歩く予定だったが、ここで切り上げる。サトウ、ゴメン。あとは電車で静岡に。