サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂です。この日、3度目です。すでに午後9時を回ってました。この旅で、こんな時間まで外にいるのは初めてです。
飽きることなく見上げてました。
大聖堂前の広場の人影も少なくなりました。名残は惜しいですが、またやってくるぞと心に誓って離れました。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂です。この日、3度目です。すでに午後9時を回ってました。この旅で、こんな時間まで外にいるのは初めてです。
飽きることなく見上げてました。
大聖堂前の広場の人影も少なくなりました。名残は惜しいですが、またやってくるぞと心に誓って離れました。
【9/13】
サンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラル/大聖堂の祭壇中央には、聖ヤコブ/サンティアゴの像が祀られています。その像に後ろから抱き付き、無事、巡礼が終わったことを報告し、感謝の気持ちを伝えます。
わたしも同じように抱き付き、頭を像の背中にあてました。
クリスチャンでなくても、自然とそんな振る舞いをとってしまいました。なんの不自然さもありませんでした。
肩越しにみる大聖堂です。
地下には、聖遺物がはいったとされる銀の箱が置かれていました。
わたしも祭壇に向かって、静かな満ち足りた時間を過ごしました。
サンティアゴ巡礼のメーンイベントともいえるのが、大聖堂での巡礼者のためのミサです。毎日正午から行われます。
ミサでは、その日午前までに大聖堂に到着した巡礼者の出発地と国籍が読み上げられるのというです。
巡礼事務所でコンポステーラ/巡礼証明書をいただいたその足で、大聖堂に向かいました。
すでに聖堂はかなりの参拝者で埋まっていました。中ほどの端に空いている席があったので、腰かけました。まわりには、巡礼を達成したといった風情の人たちが多いです。
見上げるとパイプオルガンです。でもだいぶ古い様子で、これが実際のミサで使われていたかは不明です。
足元にザックを投げ出してミサを待ちます。
正午にミサは始まりました。でも、何が語られているのかは理解できません。修道女が讃美歌をリードします。オルガンが響きます。
巡礼者のリストも読みあがられたようです。「サリア」という、わたしが出発した地名は何度か聞こえましたが、「ハポン(日本)」の方は…。
そのあたりの音声をお聞きになりたいかたは、上記をクリックしてください。
ミサも終わりに近づき、聖体拝領が行われました。パンが配られましたが、信者ではないわたしは、そのまま座っていました。
ミサはこれで終わるのかと思っていると、それからボタフメイロが焚かれました。この様子は、すでに「大聖堂のボタフメイロ」として記しています。
夕刻に訪れた静かな大聖堂です。
大聖堂に到着した巡礼者は、オブラドイロ広場から正面階段を上がり、栄光の門から入り、エッサイの樹が彫られている大理石に手を当てて無事に到着した感謝の祈りを捧げます。
その栄光の門は修復のため閉鎖されていました。工事用シートの隙間から見たエッサイの樹です。ここがゴールにできなかったのは残念ですが、もう一度、訪れたいという思いを残しました。
何年か後に、再び「Paso a paso 2」を記したいという望みを抱いて、今回のサンティアゴ巡礼のブログ記を閉じます。
【09/13】
長い長い巡礼の道を歩いてきた巡礼者が、初めてサンティアゴ・デ・コンポステーラの町を目にするのが、モンテ・ド・ゴソです。直訳すれば「ゴソ山」となりますすが、「歓喜の丘」と呼ばれています。
見晴らしのよい一角に、町を指さす巡礼者の像が立っていいます。
わたしも巡礼5日目の朝、ここに到達しました。
振り返ると、木々の間から朝日が昇ってきました。
朝日を浴びるサンティアゴ大聖堂の3本の尖塔がくっきりと見えます。
思わず目頭が熱くなる瞬間でした。
昨夜(16日)、帰宅しました。久しぶりに「一番搾り」を飲んですぐに寝てしまいました。時差のかげんもあって、早くから目覚めてしまいました。きょうから社会復帰です。
巡礼の思い出もつづっていきます。
2013年9月13日
わたしのサンティアゴ巡礼も最終日を迎えました。サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂まで10キロほどを残すだけとなりました。
最後の朝は、モンテ・デ・ゴソ/歓喜の丘で日の出を迎えようと出発しました。丘の上にあるローマ法王・ヨハネ・パウロ2世訪問記念のモニュメントで、東の空から朝日が昇ってきました。
100キロ余の巡礼でした。大聖堂は目の前です。もう足の痛みは消えてました。