太閤道を若山まで 山パスタを食べに登る

 おじいさんは山へ柴刈りに出かけました。
 そんな感じの裏山ともいうべき太閤道を若山まで登りました。
 昼飯は、メスティンでナポリタン風のパスタをつくり、のんびりといただきました。「プシュ―」と恒例の儀式も行いました。
 目の下には水無瀬のわがマンションや駐車場のマイカーまでが見えていました。

 太閤道は、高槻市の磐手橋から島本町の若山神社まで5キロほどあります。
 羽柴秀吉が本能寺の変を知って、水攻めの備中・高松城から「中国大返し」で戻ってきて、天下分け目の陣を山崎で張ったときに通った道といわれます。
 何度も歩いてますが、きょうは初めてのルートから登りました。

 見晴らし台からは、淀川の向こうに霞んだ大阪市内のビル群や、あべのハルカスも見えていました。

 【2020/11/22 10:25】
 水無瀬の自宅マンションのベランダから眺めた太閤道です。右上の紅白の鉄塔の辺りで昼飯を食べました。

 自宅から歩き始め、名神高速をくぐって山裾までやって来ました。用水池に黄葉が反射しています。

 【10:54】
 ここから登ります。
 知人が昨日、このルートを歩きました。YAMAPのデータを参考に、わたしもトライしました。
 「火の用心」の赤い標識があるので、関西電力の巡視ルートなのでしょう。

 筍を栽培している竹林を進みます。

 やがてルートを見失いました。ところどころにテープはあるので、大きく間違ってないだろうと急坂を登りました。

 最初の鉄塔の下までやって来ました。これでルートを確認できました。

 ルートにはテープが張られています。勾配もなだらかになりました。

 2本目の鉄塔から振り返ります。
 木津川と、石清水八幡宮のある男山です。

 山崎の合戦は、正面の天王山の向こう側の麓で行われました。。

 北側の山も見えてきました。左のコブがポンポン山、右が島本町最高峰の釈迦岳、その右は小塩山でしょう。

 太閤道に合流しました。

 【12:04】
 若山は太閤山とも呼びます。

 新しい三角点が立っています。

 太閤道からちょっと南にずれて、見晴らし台というスポットです。
 地図上には、ここからまっすぐに下るルートが存在します。降りてみようかと思いましたが、休憩していたベテラン風に聞いてみると、「下れるけど、最後のところにフェンスがあって、出られないそうですよ」とのことでした。やめておきました。

 少しバックして、丸太のベンチがある休憩スポットまで戻ってきました。
 行きは老夫婦がお弁当を開けておられました。ちょっと遠慮しました。

 わたしのマンションもよく見えます。
 カメラをデジタル望遠にセットして撮影しました。駐車場に止めているわたしのマイカーが見えています。
 ここでパスタをつくりました。

 持ってきた材料です。
 パスタは、「すいすいパスタ」という方法で、1時間ほどたっぷりの水につけてあります。これで茹で時間が短縮され、茹でる水も少なくてすみます。

 メスティンで調理するためのような板が、丸太のベンチに渡されていました。
 アルコール・バーナーの火力もそこそこにあります。待ち時間は、「京都仕込」とパッケージされたプレモルです。

 まな板に使っているベニヤ板を忘れました。でも大丈夫、ベーコン、タマネギはなかったので紫タマネギ、それにニンニクを刻みました。
 オリーブオイルにニンニクとタカノツメの香りを移します。
 ベーコンとタマネギを炒めます。
 ベーコンなどをふたに取って、パスタにトマトジュースを注ぎます。茹で水は使っていません。
 ベーコンなどを戻し、マッシュルームも加えて茹で続け、水分を飛ばしたら完成です。
 ピーマンがなかったので、ちょっと彩に欠けました。

 【13:23】
 1時間以上も休憩して、行動再開です。三川(木津川、宇治川、桂川)の合流域が見渡せます。

 左手には、新大阪GCでプレーするゴルファーがフェンス越しに見えます。

 この急坂を下れば、ゴールは近いです。

 【13:58】
 若山神社に着きました。
 七五三の一家が、神主さんいシャッターを押してもらって記念撮影していました。

 紅葉はもうお終いです。
 自宅に帰り着いたのは2時半ごろでした。