< (1) 窪津王子-坂口王子ー郡戸王子-上野王子 (04/07/03)
晴れ
地下鉄天満橋-「窪津王子」-八軒家船着場跡-御祓筋-南大江公園-「坂口王子」-榎木大明神-安堂寺町通り-上汐町筋-高津神社-「郡戸王子」-生国魂神社-上之宮-「上野王子」-四天王寺-熊野権現遥拝石-超願寺(竹本義太夫の墓)-JR天王寺
京を出発した熊野詣は、下鳥羽から舟で淀川を下り、渡辺の津といわれたこのあたりで上陸する。後に八軒家と呼ばれるようになった船着場である。
京阪天満橋駅の南筋向いにある「永田屋昆布本店」の軒下に「八軒屋舩着場の跡」の碑がある。
「この地は江戸時代には八軒家と称し淀川を上り下りの三十石船の発着場として さらに古くは渡辺といい紀州熊野詣での旅人の上陸地として栄えた また大江山の鬼を退治したといわれる渡辺綱はこの地を支配した摂津源氏一族の出身であり『地獄門』で知られる遠藤盛遠が袈裟御前を見初めたのもここに架けられた渡辺橋の渡りぞめの時のことと伝える 楠正行がこの橋からなだれ落ちる敵兵を救いあげ衣料を与えて国へ帰してやったという美談は明治初年わが国が万国赤十字に加盟のとき伝えられて感銘を与えた」
昭和四十年五月 牧村史陽識
(いずれも永田屋昆布本店配布のパンフレット「八軒家の今昔」より)
坐摩(いかすり)神社行宮。ここに熊野九十九王子の第一王子、窪津王子(または渡辺王子)があったという。
坐摩神社は、地下鉄本町近くにある。「御由緒略記」によると「神宮皇后が新羅よりご帰還のおり、淀川南岸の大江、田蓑橋の渡辺の地に奉祀が始まりとされています」とある。窪津王子については触れられていない。
御祓筋を南へ歩き始める。「アリの熊野詣」の出発である。
しかし、興味をひくものはなにもない、ただただ暑いばかりのビルの谷間である。
御祓筋の北端にある「熊野かいどう」の碑。
「熊野街道は…上町台地の西側 脊梁にあたる御祓筋を通行したものと考えられる…」
御祓筋を1.7キロほど歩いた右手に南大江公園がある。ここの南西角にある狐坂大明神。
ここが坂口王子があったと伝えれれる朝日神明社の跡地である。
「朝日神明社跡」の碑。
「朝日神明社は、天慶年間(938-947)に平貞盛が創建したという。…熊野王子のひとつの坂口王子の伝承地である…」
御祓筋を上ってきて細くなった突き当り、朝日神明社旧跡の南に樹齢600年と推定される榎(実際は槐=えんじゅ=だという)がそびえている。根元に榎木大明神の祠が置かれている。
古代からのランドマークだったのだろう。
榎木大明神の南側に「直木賞」で知られる直子三十五の文学碑がある。直木は明治24年(1891)にこのあたりで生まれた。
「きっとなせる市蔵」
「なせる」
大久保市蔵はそういってうなずくと吉之助の手を握った
軽輩のすべてはおなじ心で磯浜を桜島を眺めていた
直木三十五「南国太平記」
これは新聞に掲載された薩摩藩のお家騒動を題材にした小説だそうだが、わたしは読んでいない。
御祓筋を左折して安堂寺通りにはいる。古い家並みとなる。鋼製品を扱う商店が目につく。
真新しい「熊野街道」の石碑が立っている。大阪府、大阪市、大阪市教育委員会が競うように整備を進めている。
空堀(からほり)商店街の東端をかすめるように通り過ぎる。
「ろまん街道」とネーミングしているこの商店街は、古い町屋をそのまま店舗にしたりのユニークな町おこしで注目スポットになっている。
上汐町筋を南下する。町の雰囲気がすっかり変わる。
古い看板。南区は中央区に変わったが、「上汐1」は同じ。
一本、横の道に入ったために、偶然にも前を通ったサントリーの「樽ものがたり」家具展示場。
1カ月ほど前にジュンク堂に積まれていた宣伝パンフで、オープンしたことは知っていた。こんなところにあるとは。
飛騨・清見村のオークビレッジは、かつて、その樽材から家具を作っていた。今も、オークヒルズの食堂では、樽材で作ったピュアモルト・スピーカー(スピーカーはパイオニア製で、ボックスが樽材)が心地より音楽を響かせている。
わが家のリビングのテーブルが買い替えの時期にきている。オークビレッジ製が第一候補だが、こちらも手ごろな価格で心が揺らぐ。
長堀通りを通り越してから、「郡戸王子」は高津宮にあったのだ気づき、暑い道を引き返す。
といっても、神社境内にそれらしき碑などはない。
生国魂神社は来たことがあるので、横目に通り過ぎる。
またも遠回りしてたどり着いた「上宮社跡」。マンションの玄関にあった。
ここが四天王寺を守る7社の一つである上之宮(上野王子社)。
巨人・元木選手の母校・上之宮高校が、目の前にある。アテネ五輪出場OB選手の名前が掲げられている。
四天王寺四天王寺の西門。
土曜日だったが、四天王寺高校の女子生徒が下校してくる。
四天王寺の南門の「熊野権現遥拝石所」。ここから南に一直線に熊野への道が延びる。
四天王寺の門についている「転法輪(てんほうりん)」。
「法輪は、お釈迦さまの教えが他に転じて伝わるのを輪にたとえたもので、仏教の象徴です。
合掌して、『自浄其意』(じじょうこい=心が清浄となりますように)と唱えて軽く右にお回しください。」
四天王寺の南門で出て、まっすぐ行くとすぐに「超願寺」がある。
ここに浄瑠璃の中興・竹本義太夫の墓がある。
堀越神社を谷町筋の向こうにみる。ここに窪津王子が合祀されているそうだが、あまりの暑さに、横目で素通りする。
今回はここまで。
琵琶湖周歩の旅 その14 坂本ー瀬田唐橋
(14) 比叡山坂本-瀬田唐橋 (04/05/22)
(水無瀬-JR大山崎-京都-JR比叡山坂本)-穴太-志賀-近江神宮-三井寺-長等-三橋節子美術館-浜大津-琵琶湖文化館-なぎさプロムナード-膳所公園-粟津の晴嵐の碑-瀬田唐橋(ゴール! ゴール!! ゴー~ル!!!)-JR石山-JR京都-水無瀬
天気=うす曇り
距離=約16キロ 総歩数=32,676歩
9:17
にぎやかな会話の輪に加わる。いつもはひとり旅だったが…。
9:44
国道を避けて日吉神社の参道へ。
9:53
表通りを避けて裏道に迷い込むと、懐かしい「仁丹」のマークがかかっていた。
9:55
日吉東照宮の参道。坂本の町は、いたるところに神社仏閣があった。
10:08
「右 大津道」「左 日吉神社」
道端の碑は、新しいもののようだった。
10:10
瑞慶山盛安寺。
由緒はわからなかったが、随分と立派な寺だった。
10:14
高穴穂(あのう)神社に参る。
地名は穴太(あのう)。戦国時代に活躍した近江近郊の石積み(穴太積み)職人の集団、穴太衆の地元だ。
10:43
京阪石坂(石山-坂本)線にそって歩く。
この鉄道路線も京阪電鉄の合理化でいずれは消える運命にある。
10:44
「この花の名前知ってる?」
「シラン」
10:59
大津京を造営した天智天皇を祀る近江神宮。
6月10日の「時の記念日」には、天智天皇が日本で初めて漏刻(ろうこく、水時計)を作った故事にちなんで「漏刻祭」が行われると案内にあった。
11:08
史跡近江大津宮錦織(にしこうり)遺跡。
天智天皇が築いた大津宮の遺跡との見方が強くなっている。
11:16
大津市役所前の道には、大津絵の代表的な絵が。
11:33
ノンストップで三井寺まで歩いた。
近江八景「三井晩鐘」で知られる高い鐘楼がある。
11:46
「この花の名前知ってる?」
「アヤメ?」「ショウブ??」「それともカキツバタ???」
11:53
第一疎水。琵琶湖の水が向こうから、足元のトンネルに流れ込んでいる。
この水が山科-蹴上と流れ、京都の飲料水となる。
12:01
長等公園の一角にある「三橋節子美術館」
12:06
三橋節子の生涯と作品を描いた「湖の伝説」(梅原猛著)は20年以上前に読んだ。その作品が展示されている。
まずはビデオでその生涯を振り返る。
京都の美術館で回顧展が開催中で、展示は少ないのではと心配したが、展示室には代表作の「花折峠」と「三井の晩鐘」が展示されていた。
〒520-0035 大津氏小関町1-1
長等創作展示室 三橋節子美術館
電話 077-523-5101
入場料 210円
12:42
「この花の名前知ってる?」
「知らん」
12:45
鮒寿司で有名な阪本屋。
琵琶湖のフナはブラックバスなどの外来魚の攻勢に敗れ、すっかり獲れなくなった。おかげで鮒寿司も、あまりに高価。素通りする。
12:54
浜大津の大津港。ここから竹生島への観光船が出発する。
13:03
大津生まれの花登匡の顕彰碑があった。
「泣くは人生 笑いは修業 勝つは根性」
「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」が出世作と刻まれている。
13:05
「お腹、減ったな」と話しながらなぎさプロムナードの整備された湖岸を歩く。
13:09
明智光秀の弟、明智左馬之助が天正10年、兄光秀の死を知り、大津から坂本へ湖上を馬でとってかえしたという「明智左馬之助の湖水渡り」の碑があった。
13:12
琵琶湖ホール前の案内板。
女房が代表をしている女声合唱団「コール マーテル」の指導者、K氏が出演するオペラ「ジプシー男爵」のポスターが。もちろん女房はチケットを買っている。
14:21
膳所公園まで来た。
公園には四高桜が移植されていた。
14:35
{ゴール!!」
わたしたちの本当のゴールも目の前に迫ってきた。
14:42
近江八景「粟津の晴嵐」の碑。
14:48
目の前の流れが琵琶湖から瀬田川に変わる。
14:52
1年前の5月24日に出発した瀬田唐橋が目の前に。
230キロ、よくぞ歩いた。
14:58
唐橋の中ノ島には「「日本の道百選」の碑が立っていた。
15:02
左はゴールししたふたり。
右は1年前に出発したときのふたり。
さて、両方の写真で違っているところは何カ所あるでしょうか?
15:03
わたしも、満足感を腹(?)に記念撮影。
15:08
一周の途中で何度も見かけた「瀬田から右回り○○lキロ」「左周り○○キロ」の標識の「どちらに回っても230キロ」があるはずだと探すが、残念ながら見つからなかった。
これは、たぶん大阪港からの距離を示す標識。
15:10
出発-ゴールの日本三名橋「瀬田の唐橋」
椅子をつくる ~飛騨・清見村、Oak Village(オークビレッジ)にて
GWの交通渋滞を懸念して、早朝に出発した。ところが、名神-東海・北陸道ともに混雑はなく、9時半には早くもひるがの高原SAに。駐車場でひと眠りしたあと、途中で昼食に高山ラーメンを食べ、集合時間の午後1時前にオークビレッジに到着した。
木工セミナーが開かれた「森の自然学校」。3泊4日コースが基本だが、わたしは1日少ない2泊3日で参加した。参加費(46,000円)には、初日の夕食から最終日の昼食までの食費と宿泊代、受講料、保険料が含まれている。
時間のかげんで希望していた「角材と板から作るペザントチェア」は断念。キット(16,800円)を製作することに。
座板、背板、脚4本、くさび6個で構成されている。
用意してきた設計図と現物の板を合わせる。細かなデザインを相談したあと、墨付けにかかる。
ハンドソーで墨にそって部材を切り取る。
最初に刃が入る瞬間は、やはり緊張する。もう後戻りはできない。
座面にくぼみをつけるため、丸カンナで削る。
材料は栓(せん)の木。、木目が均等に通っており、あまり堅くないので気持ちよく削ることができる。
旋盤で丸棒を削る参加者。角材が見る見る丸くなり、思いの太さに変化してゆく。
実はこれを経験してみたかったのだが…。
夕食はオークヒルズの「森のレストラン」で。この日のメニューは、ワカサギのから揚げとホタルイカののったサラダ、豚のカツレツ、スープ。これに生ビールを追加して大満足。
森の自然学校代表の稲本裕氏(オークビレッジを主宰する稲本正氏の実弟)もテーブルについて、木工談義がつきない。
宿泊は「どんぐり邸」で。最初の夜は4人相部屋だった。
GWの前半に開かれた「漆塗りセミナー」から引き続き参加していた2人は、さすがに1日早く終了して帰宅した。
昨秋に女房と泊まった「くるみ館」ほどきれいではなかったが、一日の作業疲れからすぐに寝込んでしまった。
2日目の作業が始まった。
通信木工講座「木工スクール匠流」の第三代総師範、永田康夫さん(右端)から説明をうける参加者。
粉だらけになって木を削る。
持参したサンダーで荒削りしたあとはサンドペーパーで。削っては表面を触り、ただただ無心の時間が過ぎてゆく。、
座面の裏側から4本の脚を叩き込む。
座面の表側。脚の中央に溝を切っておき、そこにくさびを打ち込む。これで脚が抜けなくなる。
4本の脚で自立した。椅子らしくなってくる。
体にあわせて脚の高さを調節する。
わたしの椅子は座面までの高さを43センチにして、のこぎりで切り落とした。
昼食は沖縄風タコライス。
ご飯の上に、千切りレタス、味がついたひき肉、さいの目きりのトマト、チーズをのせればできあがり。ニラいりのスープもおいしい。
あっさりとしたデザインのポイントとして背板への象嵌(ぞうがん)に挑戦する。
トリマーで幅7ミリ、深さ5ミリほどの溝を掘る。色の濃い木材を溝と同じ幅に切って、埋め込む。
かんなで埋め込んだ木を削り、表面の凹凸を消す。
3日目。
オークビビレッジのショールームや森の博物館は、GW中とあって訪れる人が絶えない。
前夜、夕食後にもう一度作業場にやってきて彫刻刀で彫ったサイン。
来年もやってきたいという思いを込めて「’04」といれる。
背板を座板に差し込み、くさびでとめた。
浸透性木材保護着色材をしみこませ、布でふき取る。
リボスの「クノス」という自然健康塗料だ。
ニスやペイントと違い、刷毛目を気にしなくてもいい。
完成した椅子を前に、思わず表情がほころぶ。
オークビレッジ http://www.oakv.co.jp/
オークヒルズ http://www.oaknature.co.jp/
〒506-0101 岐阜県大野郡清見村牧ケ洞1025-2
木工セミナーでご一緒した西村寅雄さんから送られてきた写真集です。西村さんは茨木市在住で、わたしの車で一緒に帰宅しました。話しているうちに京都の下鴨中-洛北高の先輩ということがわかりました。
熊野九十九王子を往く 京洛の熊野社
京洛の熊野社
熊野若王子神社 (2004/04/16)
下鴨からの帰宅途中に寄る。雨が降っていたので、車を乗り付けてお参りした。
熊野詣にあたっては、この滝で浄めを行ってから出発したと伝わる。
熊野詣や伊勢参宮のとき、禊の木としてして、罪けがれをはらい清めるお守りとして用いられた。
「この梛守は、受験・結婚・その他すべての苦難をナギはらうお守りです」(パンフレットより)
京都市左京区若王子町2
東山三十六峰のふもと、哲学の道の起点にある。
熊野神社 (2004/05/30)
京都市左京区聖護院山王町43
東山(東大路)通と丸太町の交差点、バス停は「熊野神社」の西北角にある。
三本脚のこの烏は、神武天皇東征のとき、熊野灘の那智海岸に上陸した神武天皇を熊野から大和に入る険しい道を先導した鳥という。
日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている。
聖護院の森は「八ツ橋発祥の地」といわれ、境内にはその碑と「八ツ橋中興の祖」西尾為治(1879-1962)の銅像がある。
東山通にめんした北側には「八ツ橋発祥の家」と大きな提灯にかいた西尾家八ツ橋の店が。近くには、西尾家と聖護院八ツ橋の本家が道を隔てて向かい合っている。
「熊野牛王宝印」の6文字が、「烏点(うてん)」で記されている。烏点とは、熊野神社の神使である八咫烏を図様化し、その間に宝珠をデザインしたもの。熊野本宮は92羽、熊野新宮は48羽、熊野那智は72羽で、ここは新宮の故をもって48羽が描かれている。
熊野牛王は祈願神として用い、願意を記して捧げることで、その願いが神に届くとされている。
新熊野神社 (2004/05/30)
京都市東山区今熊野椥ノ森町42
熊野神社から東山通を南下、祇園-清水坂-智積院を横目にJR東海道線を越えた右側にある。バス停や地名は「今熊野」。
後白河法皇が平清盛に命じて紀州熊野の土砂材木等をもって社殿を造営させて聖地熊野をこの地に再現させた。この御土は往時をしのび、「熊野三山」から奉納されたもの、とある。
琵琶湖周歩の旅 その13 和邇ー坂本
(13) 和邇-坂本 (04/04/03)
天気=うす曇り
距離=約11キロ 総歩数=25,456歩
10:14
今回のスタートは和邇。京都から湖西線の各駅停車でやってくる。
10:22
花見に行っても、どこも人でいっぱいだろうからと琵琶湖へ。
「琵琶湖周歩の旅」も終盤にして、初めて女房と一緒に歩く。
10:23
道端でニラが白い花を咲かせている。
10:27
だれもいない和邇南浜から北方を振り返る。比良が背中になっている。
10:43
懐かしい看板がかかっている。新聞販売店でもないのに、どうして?
10:47
シイタケが分厚く育っている。おいしそう。
10:53
琵琶湖大橋が大きくなってくる。
10:59
壁に大きく「社団法人 日本鳩レース協会/王将競翔連合」の文字。そんな団体があるんだ!
右側の櫓にハトはレースを終えた帰ってくるのだろうか。
11:19
国道沿いのJR小野を通り過ぎる。
11:21
遂に出発の大津市に戻ってきた。
11:37
.真野川を渡る。桜が咲き、親子が釣りを楽しんでいる。
11:39
琵琶湖大橋西岸の琵琶湖タワー。大きな観覧車が運転していないのは知っていたが、その前のドライブインまで休業してしまったとは。
すぐ横のコンビニで弁当と缶ビールを仕入れる。
12:30
出島(でけじま)灯台。今堅田の先端に明治8年(1875)立てられた、全国でも類をみない木製の灯台。
風をさけて湖岸で弁当を開ける。
12:44
堅田の「浜通り商店街」と看板にあるが、商店はどこにある?
人通りもない静かに湖岸の道。
12:49
堅田港から対岸を見る。1年ほど前にその前を歩いた佐川急便の体育館などが見える。
12:53
堅田の浮御堂。参拝する善男善女の列が続いている。
正面に回ると拝観料300円。手だけ合わせてご遠慮申し上げる。
13:11
天神川の土手にはユキヤナギが真っ白に。その先に黄色いレンギョウ。対岸には桜とカラフルである。
13:23
「ボンジュール神戸」の移動パン屋の屋台が出ている。ここのメロンパンは皮がパリッと焼きあがっており、結構イケル。1個120円ナリ。
14:09
雄琴の歓楽街を横目に。
風営法施行以降、ネオンの瞬きも随分おとなしくなった。それでも昼間から客引きのニイちゃんもたっていて、それなりに。
14:52
JR雄琴までのはずが、通り過ぎてひと駅先の比叡山坂本まで歩いてしまう。
これでテンパイ。あと1回でゴールになる。
琵琶湖周歩の旅 その12 高島ー和邇
(12) 近江高島-和邇 (04/03/27)
(水無瀬-JR山崎-JR近江高島)-乙女ガ池-鵜川四十八体石仏群-白鬚神社-北小松水泳場-近江舞子水泳場-松の浦水泳場-JR志賀-JR蓬莱-JR和邇(-JR山崎-水無瀬)
天気=晴れ
距離=20.5キロ 総歩数=35,222歩
8:46
携帯の充電が切れかけていた。阪急水無瀬駅前のコンビニでペットボトルのお茶とともに乾電池を買い、ホームで充電器をセットする。
9:41
湖西線の蓬莱付近から比良を見上げる。蓬莱山の頂上付近にはまだ白い雪が残っている。
9:58
自宅から1時間ちょっとでスタートの近江高島に着いた。アクセスがずいぶんと楽になった。
10:03
大溝城跡。織田信長の甥、織田信澄が対岸の安土城とほぼ同年代に築いた城の石垣が残っている。
10:07
乙女ガ池。大溝城は内湖の乙女ガ池を外堀にしていた。いまは整備されて遊歩デッキができている。
10:10
乙女ガ池は壬申の乱以来の古戦場として知られるそうだ。
「大船の香取の海に碇をおろし いかなる人か思わざらむ」(万葉集)
10:17
湖岸にでる。春の陽を浴びて、湖面がきらきらと光っている。
10:30
鵜川四十八躰仏。天文22年(1553)にこの地の守護職で観音寺城主の六角義賢が、亡母の追善のため48体の阿弥陀を造ったと伝えられる。今は33体が穏やかな表情をたたえている。
10:37
湖上に立つ白鬚神社の大鳥居が見えてくる。
10:41
「2拝、2拍、1拝」。社殿に向かって形どおりに参拝する。
10:46
重要文化財の社殿から、朱塗りの鳥居を見る。
10:56
あまり変化のない湖岸を国道に沿って歩く。正面には比良の山並みが連なる。
11:14
「うかわファームマート」に立ち寄る。採れたての野菜などが並ぶ。昼食用に3色弁当(たけのこご飯、細まきずし、ちらしずし」(450円)をゲット。フキノトウ(200円)、えびマメ(200円)、イサダの佃煮(250円)をみやげにする。
11:41
北小松の港。のんびりとバスフィッシングを楽しむ人が。
かつて、わたしもここで息子と釣り糸を垂れたことがある。
11:57
道端の桜。まだつぼみは堅い。
12:39
近江舞子水泳場で弁当を食べる。
若い女性3人がやってきて、湖面に向かって手を合わせ、声をそろえて「般若心経」を唱和し始める。
12:41
松は緑に砂白き、雄松が浜の乙女子は・・・(琵琶湖周航の歌)
夏になれば人であふれる近江舞子も、季節外れとあって静か。
13:06
北比良の静かな集落を縫うように抜ける。
13:07
ハッサクが収穫されないままに大きな実をつけている。
13:46
松の浦水泳場まできた。ちょっと疲れた。木陰で休んでいると、水上スキーが目の前を横切った。
13:57
左に湖岸、右に湖西線の高架という単調な風景のなかを歩き続ける。志賀駅も通りすぎる。l
14:55
歩きつづけて和邇までやってきた。今回はここまで。
駅前スーパーの食堂にはいり、生ビールでひとり乾杯。
琵琶湖周歩の旅 その11 今津ー高島
(11) 今津-高島 (04/02/28)
(水無瀬-JR山崎-JR近江今津)-今津港-二つ石-水鳥観察センター-新旭浜園地-しんあさひ風車村-安曇川-近江白浜-萩の浜-(JR近江高島-水無瀬)
天気=曇り
総距離=17キロ 総歩数=28556歩
9:08
JR京都から湖西線の新快速に乗る。「スキー湖西レジャー号」と名がついているが、スキー客なんていない。スノーシューを担いだおじさんやら、キャンプに行く一家はいたが・・・。
10:09
JR近江今津からさあ出発。
「琵琶湖周航の歌記念館」の前の歩道には歌詞を刻んだプレートが。「われは湖の子 さすらいの・・・」
10:10
竹生島に渡る観光船は、3月まで冬季運休中。桟橋は閉じられたままである。
10:23
鳥居の先に置かれた二つの岩とほぼ同じ岩が沖合い100メートルの湖中にもあり、渇水になると姿を現すことから、毎年ここで雨乞いをするのだという。
10:26
竹生島を間近に見る遥拝所跡。曇り空のこの日は、竹生島は霞んでいる
10:29
木津港跡に立つ常夜灯。昔はここから西国第30番札所のある竹生島への船がでていたという。
10:37
新旭町の水鳥観察センター。
10:39
湖上一面に黒い「点」が広がる。水鳥が羽を休めている
10:45
湖岸に伸びる新しい道。桜が植樹されていて「さくら街道」の名が
11:03
芦を刈ったあとの下草を焼いている。あちこちから煙が
11:09
新旭浜園地の木道を行く
11:38
おばあちゃんが差し出すえさを求めて首をつきだすガチョウ
11:38
道の駅・しんあさひ風車村。その名の通り、大きな風車が立っている
11:49
定規で引いたようなまっすぐな道。車はほとんど走ってこない
12:02
安曇川町にはいったことろで出会ったおなじみの標識。ゴールまであと60キロ。
12:14
対向車線を走ってきたベンツがクラクションを鳴らして止まった。バックして降りてきたのは小学校時代の友達、田端くんだった。あまりの偶然にお互いにびっくり。
12:31
安曇川を渡る。左に見えるのが「びわこ子どもの国」。ガイドにはレストランがあると書いてあったが、営業してそうもない。ああ、お腹が空いてきた
12:35
あまり変化のない湖岸をひたすら歩く。かなたに比良の山並みが
13:21
人ひとりいない近江白浜水泳場
13:29
枯れて枝が折れた「四高桜」の老木
13:41
「四高桜」の碑。昭和16年、旧制第四高等学校(金沢、父親の母校)漕艇部の11人がボート練習中に突風にあって遭難死したのを悼んで1000本の桜が植えられた
13:57
近江高島駅前には大きなガリバーの像が。山手にガリバー青少年旅行村がある
芦生原生林ハイク
11月1日(土)
午前8時30分 JR京都駅八条口に集合
【アクセス】 トヨタ・ノア(8人乗り、レンタカー)
JR京都駅-京都市内-八瀬-大原-途中(とっちゅう)-花折峠-坊村-梅ノ木-川合-平良-生杉(おいすぎ、地図の右上)-生杉ブナ原生林登り口(地図のP、WCの印があるところ)
【コース】
生杉ブナ原生林登り口-三国峠-(枕谷)-中山神社-(上谷)-杉尾峠-(上谷)-中山神社-地蔵峠-生杉ブナ原生林登り口
【昼食】
弁当とオニオンスープ、コーヒー、紅茶
【2次会】
京都駅の居酒屋で
10:38
ちょうど2時間で生杉ブナ原生林登り口に到着。
すでに20台以上のクルマが駐車している。
10:48
初っ端からブナの原生林を登る階段状の急坂が待ち受けていた。一気に汗が噴き出す。
11:25
三国峠。峠といっても頂上とおなじで、京都、滋賀、福井の境に位置する。
北側から登ってくる道は、若狭の鯖をひと塩して京に運んだ「鯖街道」のひとつだった。
11:26
6人で記念撮影。
風邪にもかかわらず大汗をかいてくれたかた、ほんとにご苦労さま。
11:28
ああ、しんど!! 日ごろ、ゴルフで鍛えてるとはいえ・・・。
11:28
三角点(776m)に立つ。でも気になるのは風景ではなく、わが腹のこと。
11:32
人の手が加わっていない雑木林のなかを下る。
11:35
カサコソと気持ちのよい音をたてる、落ち葉が積もる柔らかい道。
11:38
心配した天気もよかった。紅葉の向こうに青空が広がる。
11:41
こんなすばらしい道は、いつまでも続いてほしい。ゆっくりと歩く。
11:42
山の紅葉は奥が深い。
11:49
5時前に東京・八王子の家を出て、「のぞみ1号」でやってきた鎌田。それにしても、こんな山奥への山行が日帰り可能だなんて。
11:54
上流に人家なんて存在しない。安心して湧き水を飲む。うまい。マイルドなノド越しだった。
12:32
枯れ葉のクッションの上での昼食。弁当にオニオンスープ、食後にコーヒー、紅茶もついて大満足。朝が早かったかた、ちょっと大の字。
12:34
上の写真の原の視線の先。古木の樹上2メートルあたりに、きのこができている。
12:56
何の実だろうか?
「サワフタギ」というハイノキ科の落葉樹。5、6月に白い花をつける。
果実は瑠璃色なので、別名は「ルリミノウシコロシ(瑠璃実の牛殺し)」。
12:57
植物図鑑が欲しくなってくる。
13:18
中山神社に着く。
祠に開いた丸い窓を見て、「巣箱神社だ」。
13:24
野田畑湿原は木道ができている。杉も植樹され、このあたりは人工が加わっている。
13:28
枯れススキの向こうに紅葉。絵になる風景が広がる。
13:54
栃の古木に耳をつける。聞こえてくるのは…。
13:55
ドサリと倒れた古木。それまでは日が射さなかった地面に太陽の光が届くようになり、笹が生えている。周囲とは散った植物相になっている。
13:59
由良川源頭に近い川を渡る。
14:22
快調なペースでぶっ飛ばし、時間的に無理だとおもっていた杉尾峠に立つ第1次アタック隊員。
第2次隊も到達したが、カメラ班が同行していなかったので写真はない。
15:00
倒木の前で。
上から垂れ下がっている何本ものロープには、等間隔で光センサーがついていて、太陽光が射しこむ時間を記録している。
15:02
みんなで見上げる先に何があるのかな?
15:54
地蔵峠に着く。小さな祠に赤い前垂れをした地蔵さんが祀られていた。
15:57
グラデゥエーション。緑から赤までの絵の具を並べたパレットのよう。
16:11
人工のグラデゥエーション。これだけの葉っぱをだれが並べたのか・・・。
16:24
生杉ブナ原生林の入り口に戻ってくる。
芦生原生林の今後のあり方に関するアンケートに答える。
19:07
京都駅の居酒屋。ああ、お腹が空いた、何を食べようか。
19:07
きょうもビールがおいしい。
19:08
東京組の2人も参加できてよかったです。
次回はまた、ひざと腰が不調なかたも体調を整えて一緒に行きましょう。
琵琶湖周歩の旅 その10 菅浦ー今津
(10) 菅浦-今津 (03/10/25)
(水無瀬-JR山崎-永原-)菅浦-奥出浜園地-大浦-二本松水泳場-海津大崎-義経隠れ岩-海津-湖のテラス-白鷺橋-知内浜-今津浜-今津港(-JR近江今津-山崎-水無瀬)
距離=約26キロ、総歩数=35,139歩
7:26
JR京都駅。今回からは湖西線に乗る。永原行きの普通は7時37分発。連絡するバスのかげんで、これまでにない早い出発となる。
9:03
ログハウス風の永原駅では、福井との県境にある「山門水源の森」へのハイキング・ツアーの受付を準備中。弁当つきで2000円という。
9:29
湖国バスで前回の終点、菅浦へ。
須賀神社の参道が、ぐっと色づいている。
9:51
紅葉した桜の枝の間から、海津大崎がある岬を眺める。
湖面との境に赤い帯ができている。こちらと同じで桜並木が続いているのだろう。
9:58
丸子船が展示されている。
北陸と京阪神とを結ぶ湖上交通の手段とし使われていた琵琶湖独特の船。丸太を二つに割ったものが舷側につけてあり、「丸太船」が「丸子船」になったと説明版にある。
10:28
真鴨の飼育場。姿は見えないが「グワァ、グワァ」とにぎやかだ。
真鴨は、鴨のなかでも最も栄養価が高く、美味という。古くから北琵琶湖の冬の味の代表だったとか。
10:50
奥出浜園地の方位板。現在地は琵琶湖の北の端にある。
10:53
道端に咲く菊。黄色が鮮やか。
11:02
琵琶湖の北端のひとつ、大浦の浜。
近くには丸子船を展示する「北淡海・丸子船の館」もある。
11:06
真っ赤になったとうがらし。辛そう。
11:08
八幡神社の御旅所。社はなく、湖を背に狛犬が立っている。
11:18
ズラリと駐車したRVのうしろには、みんなボート・トレーラーがつながっている。
バスフィッシングをするボートが多いのも、これで納得する。
11:36
海津大崎へと続く道は桜のトンネルになっている。桜並木は4キロもある。
春にもう一度歩いてみたくなる。そのときは、こんなに静かではなさそうだが。
11:58
対岸の岬に菅浦が見える。あそこから歩いてくる。
竹生島の後ろには伊吹山がかすむ。
トンネルをくぐると海津大崎に着く。
12:13
「暁霧・海津大崎の岩礁」と琵琶湖八景のひとつに数えられる景勝地。
のんびりとコンビニ弁当を食べる。
12:49
「義経の隠れ岩」。源義経が北国へ逃れる途上、海津に上陸する際、しばし身を潜めたという言い伝えがある。
13:06
海津の町を抜ける。
造り酒屋の前には大きな樽。軒下には「さかばやし」と呼ばれる大きなすぎ玉がぶら下がる。昔は新しいすぎ玉を出すことで、新酒ができたことを宣伝した。
13:07
旧海津港跡。明治3年に、大津-海津間が蒸気船で結ばれた。その桟橋が、杭だけになって残っている。
13:08
入り江にそって波よけの石積みが続く海津独特の風景を振り返る。
13:09
道端のなんてことはない料理旅館の名前をみると「湖里庵」とある。かの狐狸庵先生こと遠藤周作が愛し、名付け親にもなった旅館である。改めて揮毫を見ると、「周作」と読める。
13:10
「湖里庵」の裏(湖側)に回ってみる。「1日1客」で知られるが、外観はなんてこともない建物である。
13:29
マキノサニービーチ(高木浜)にそびえる「湖のテラス」。上部のテラスには階段で上がれるようになっているが、施錠していないドアを開けるとくもの巣が張っている。ちょっとご遠慮する。
14:12
高木浜から今津浜に続く5キロほどの道は、防風林の黒松が植えられている。
クルマの騒音は聞こえず、土に枯れ葉ガ積もったクッションのある道は、疲れた足にやさしい。
14:18
松林の下を歩いてマキノ町から今津町にはいる。
「湖西の松林」は「日本の白砂青松百選」にも選ばれている。
14:50
浜分沼園地にはガチョウが飼われている。「ガー、ガー」とにぎやか。
15:11
石田川を渡ると、いつもの看板。全行程の3分の2にち近づいている。
15:29
今津の浜にある旅館「福田屋」。もう営業していないのだろう、かなり朽ちている。
小さなころに、ここに泊まったことがある。
15:30
「福田屋」の裏の琵琶湖。ここで釣り糸を垂れる写真が、わたしのアルバムに残っている。
15:39
竹生島に渡る観光船が着く今津港。
今回のゴールとする。
15:41
「きょうは今津か長浜か」のメロディーが流れてくる。「琵琶湖周航の歌記念館」だった。
JR今津駅の前にある。
琵琶湖周歩の旅 その9 賤ヶ岳ー菅浦
(9) 賤ケ岳-菅浦 (03/10/05)
(水無瀬-JR山崎-長浜-木ノ本-)近江山梨子-飯浦-藤ガ崎-塩津神社-塩津浜-月出-月出展望所-つつじ平野営場-須賀神社-菅浦(-JR永原-近江今津-水無瀬)
距離=約15キロ、総歩数=29,200歩
8:25
山崎-木ノ本間のJR運賃は1890円。琵琶湖周歩の旅では最高額となる。
山崎駅の自動券売機には運賃表示がなく、初めて駅員に行先を告げて購入する。「旅に出る」という気分だ。
10:20
新快速が長浜に着くと、観光客がドッツと降りてしまった。ものすごい数だ。みんなが「黒壁」を訪れるのだ。
近江今津行きに乗り換える。特急寝台車を改造した車両で座席が大きく、ベッドの名残が窓の上にある。交・直流の両区間を走るため、こんなヘンな車両が走っているのか…。
10:21
長浜の次は、全国で「虎」がつく駅はここだけという虎姫。
「阪神V」の記念入場券が話題になっている。途中下車したかったが、ダイヤをみればとても無理。
10:31
JR木ノ本駅の袴線橋から賤ケ岳(中央)を眺める。いい天気だ。
10:50
湖国バスに乗って賤ケ岳トンネルを抜けると、前回の終点「近江山梨子」。
バスはきょうの目的地の「菅浦」行き。たったひとりの乗客を降ろす運転手は「どこを歩くんですか?」と聞く。「はい、一日かけて後を追います」
10:50
あの岬の先端に菅浦はある。その先に竹生島が浮かんでいる。
前回から2週間もたっていないが、すっかり秋の空になっている。
11:04
飯浦の奥琵琶湖ドライブイン。竹生島から観光船が戻ってくる。
ドライブに、ツーリングに最高の季節だ。バイクもズラリと並んでいる。
11:09
藤ガ崎から振り返る。中央の海岸沿いに賤ケ岳トンネルの出口が見えている。その左上が賤ケ岳の山頂。
大きな琵琶湖だが、このあたりでは対岸の様子がよく見える。
11:25
西浅井町(にしあざいちょう)に入る。大津市、草津市、守山市…。いくつめの市・町だろうか?
11:29
道路脇のいつもの看板。遂に左回りに歩いてきた瀬田唐橋からの距離(写真右)が、これから歩く距離(同左)を上回る。旅も半ばを過ぎる。
11:40
湖畔の道をショートカットして塩津神社に着く。
11:45
琵琶湖の最北端まで来た。
「味鎌の塩津を指して漕ぐ船の名は告りてしお逢わざらめやも」(万葉集)
塩津浜は古来から湖上交通の要地で、京畿と北国を結ぶ旅人や物資の集積地としてにぎわったという。
12:14
日本全国、どこにでもありそうなコンビニだが、今回のコースではJR木ノ本駅からJR永原駅まで、駅前を含めてついにひとつもお目にかからなかった。
国道沿いに1軒だけあったラーメン店で焼きそば定食を食べる。
12:16
ムシロに干された大豆。秋の陽をいっぱいに浴びて、乾燥した鞘から「プチッ、プチッ」とマメが音を立てて飛び出している。
一粒ちょうだいして口に入れてみる。お天道さんの恵みを十分にすったマメは、それだけで甘さが感じられる。
12:37
クルマはほとんど走ってこない湖岸の道を、月出の集落を目指す。
道端に続く彼岸花は、さすがに色あせている。
12:53
里の秋-。
柿がたわわに実をつけている。
12:55
月出の集落から一気のに上り坂になる。
振り返ると、秋桜が風に揺れている。
13:12
月出展望所から見下ろす琵琶湖。
湖岸を右手から歩いてきた。賤ケ岳の向こうには伊吹山が。
13:23
奥琵琶湖パークウェーと平行して「近江湖辺の道」は続いている。
アップダウンの連続で、歩き応えがある。
14:39
「クマ出没、注意!」の看板があちこちにある。
ちょっと気にして歩いていると、お地蔵さんを祀る小さな祠に出合う。
15:14
急坂を下りると突然、きれいに掃き清められた須賀神社の参道に出る。
15:19
菅浦の浜。
ここも古くから琵琶湖の水運を担う漁村だった。
15:29
大きな銀杏の木が目印になっている「菅浦」の停留所から、木ノ本行きのバスに乗り込む。
1台の同じバスが片道1時間をかけて、日に何往復かするという。
15:47
バスは次回のコースを下見させてくれるように走りJR永原駅へ。
予定通りのゴールとなったが、ログハウス風の駅舎の中にも、あたりを見渡しても、缶ビールは売っていない、ああ…。