大文字山 眺望よしも、思わぬトラブル続発

 京都五山の送り火で「左大文字」が灯される大文字山(231m)に登りました。東山の大文字山(465.3m)と同じ名前です。ところが、登山となるとあちらほどにはポピュラーではありません。そうとは知らずに、軽い気持ちで登った裏山のハズでした。思わぬトラブルの続発でした。
 それはともかく送り火の火床からの眺めは最高でした。正面の山肌が三角形のところに「大」がくっきりと見えました。

 左大文字の火床がある大文字山の斜面は、管理している左大文字保存会が入山を規制しています。
 このゲートは下山後に通りました。「大」の字の左の流れから下ってきたところですが、ここから登ることはできません。わたしが歩いたように反時計回りに山道をぐるっと回り道する必要があるのです。
 テレビ番組で、ここから松明を背負って送り火の火床へ登る若者のシーンがあったのを覚えています。ここから登れるのだと思っていました。

 下山後は、ブラブラと西陣あたりを歩いて、千本丸太町の角にあったラーメン屋までやって来ました。午後2時を回って、やっと昼飯にありつきました。

続きを読む 大文字山 眺望よしも、思わぬトラブル続発

京都人の密かな愉しみ その11 「柳の水」を飲む

 きょうも気持ちの良い天気でした。ふらりと京都に出かけました。
 吉川英治の「新・平家物語」に登場する名水「柳の水」を探しました。「京都人~」では、夏の味覚編でNHK京都放送局勤務当時の井上あさひアナウンサーが訪ねています。
 阪急・烏丸から北に歩き六角通で左折、3本目が西洞院です。ここを右折したところに「馬場染工業」と看板のかかったビルがあります。通りに面して「柳の水」の表示があり、蛇口から名水が流れ出ています。ビルの内部に入れてもらうと、その井戸があります。
 「柳の水は、地下約90メートルまで掘られており、一度も枯れることなく今もなお染色や飲料水用として利用されています」と、いただいたパンフレットに書かれています。

 観光客にも優しい心配りです。

 蛇口をひねると、冷たい水が出てきます。ひと口、いただきました。爽やかな水です。

 この絵を見て、ピーンときました。「崇徳院と水守だ!」と。

 帰宅後に「新・平家物語」を調べました。
 崇徳上皇の水番から町医者となった阿倍麻鳥(架空の人物)は、源平の盛衰を描く物語を通じて登場します。崇徳院を慕って讃岐にも行きます。長い物語は、年老いた麻鳥が「もともと、わしは、柳の水の水守でもして、一生をおわろうとしたものを…」と、永年連れ添った蓬子に語りかけるシーンで終わります。

 この辺りには平安時代には崇徳上皇の仙洞御所があり、室町時代には茶道の祖・村田珠光が住み、茶人・千利休が「柳の水」を茶の湯に使いました。江戸時代には、織田信長の二男・信雄の屋敷となり、後に肥後加藤家(加藤清正)、紀州徳川家の京屋敷となったそうです。

 「京の黒染屋 馬場染工業」は、1870(明治3)年の創業です。
 
 京都市中京区西洞院通三条下ル柳水町75
 075-221-4759 

 「柳水町」と書かれた古い住居表示がありました。

 この後、西洞院から三条を東に東に歩きました。

 途中、昼飯を食べて祇園まで歩きました。八坂神社の境内にある祇園神水です。
 「京都人~」では、オムニバスドラマ「真名井の女」で、井戸掘り会社(八神鑿泉工業)の跡取りが、会社の女性事務員に入れて貰ったお茶の水を、「祇園神水では」といいます。 

 八坂神社は観光客の姿は少なく、これまでになくガラーンとしていました。

京都人の密かな愉しみ その10 鴨川沿いを歩く~3つの名水

 久しぶりに京都の町を歩きました。阪急で河原町までやって来たのは、半年ぶりです。
 とりたててアテはなく、「京都人の密かな愉しみ」(NHK-BSで2015年から17年まで不定期に5作が放送されたテレビドラマ・ドキュメンタリー番組)のロケ地を鴨川に沿って思いつくままに巡りました。
 さて、この気持ちよさそうなベンチは、どんなシーンだったでしょうか?

 京都は、盆地の下を豊かな伏流水が北から南へと流れています。ドラマでもあちこちの名水(神水)が紹介されました。
 阪急・河原町から歩き始めて、ほとんど観光客がいない朝の新京極を上ります。すぐの右手にあるのが錦天満宮です。この境内の「錦の水」が番組でも紹介されました。ただし老舗和菓子屋の若女将、沢藤三八子(常盤貴子)は登場しません。 

 「銅駝(どうだ)の水」です。夷川を河原町から東に入った銅駝会館の前にその蛇口はあります。
 名水に登録されているわけではない防火用水です。それでもおいしいと汲みに来るファンが絶えないそうです。
 番組でも、「珈琲夢譚」のマスターが自転車で水を汲みに来るシーンで登場します。

 「染井の水」は日本3名水(醒ヶ井、県井、染井)のひとつです。御所の東に接する梨木神社にあります。
 番組では洛志社大学のエドワード・ヒースロー教授(団時朗)が、「この水で割る日本のシングルモルトは最高だ」とうなります。

続きを読む 京都人の密かな愉しみ その10 鴨川沿いを歩く~3つの名水

京都 梅宮大社のハナショウブとアジサイ

 巣ごもりもちょっと緩和気分で、2カ月ぶりに、京都へ車を走らせました。30度を超える真夏日でした。
 右京・梅津にある梅宮大社の神苑には、涼しげにハナショウブが咲いていました。とはいえ、観光客はゼロ。大きなカメラを持ったご同類一人とすれ違っただけです。

 広い池に蓮がポツリ、ポツリを開いています。

 アジサイも見事です。

 この日照りに耐えているようです。

 熟した梅が、いくつも転がっていました。

 日陰の休憩所で弁当を開けました。まだ外食する勇気はなく、水無瀬の自宅近くにある「昼呑ごは鮮酔丸」で持ち帰り弁当を買ってきました。
 メーンの鯖の竜田揚げのほかに、肉やサラダと盛りだくさんです。ご飯は、まだ温かでした。

 パリッと揚がった鯖です。塩加減も結構です。

 昼呑ごはん鮮酔丸
 075-778-1972
 大阪府三島郡島本町江川2-11-16 葵ビル1階

 社務所では、「番ネコ」が職場放棄ですやすやしてます。

 梅宮大社
 075-861-2730
 京都市右京区梅津フケノ川町30

 四条通の西の端から少し北に入ったところにあります。四条通が、いつになく空いていたので東に向けて走りました。渋滞もなく、烏丸を越え、河原町を越え。祇園に入ってもガラガラです。石段下の通りが、これほど空いていたのは、初めての経験です。
 

 祇園から東山通を北上して宝ヶ池までやって来ました。さすがに喉も乾いて、あそこなら大丈夫だろうと国立国際会議場近くのカフェ「ドルフ」に入りました。
 ゆったりとした店内では、何組かがゆっくりとした時間を楽しんでいました。
 大きな窓からの景色が素敵です。

 「キウイのヨーグルトジュビリー」です。さっぱりとしたヨーグルトが、冷たいアイスクリームの甘さを抑えていていました。
 こんなあたりまえの毎日が、早く平常になってほしいものです。

 ドルフ
 075-722-2367
 京都市左京区岩倉東五田町4

京都人の密かな愉しみ その9 雲龍院の走り大黒さん

 京都・東山にある泉涌寺の塔頭、雲龍院まで歩きました。
 「京都人の密かな愉しみ」(NHK-BS)ではオムニバスドラマ「わたしの大黒さん」で走り大黒天が登場しました。
 インバウンドが急減して、京都の町も静けさを取り戻したといわれます。ならば今こそと訪れました。
 「蓮華の間」に独り座ると、4つの雪見障子の四角いガラス窓から、4つの色紙の風景がのぞけました。椿、灯篭、紅葉、松。残念ながら色彩が乏しいシーズンでしたが、その光の取り込み方に感心させられました。

 「書院悟之間」の「悟りの窓」です。梅がすでに花を落としています。訪れるときによって、違った風景が見れるそうです。

 後小松天皇を描いた軸(写真撮影禁止)がかかる床の間の反対側には、四角い窓が開いています。

 「月窓の間」には、床の間の壁が月の形に開いています。そこから入り込んだ光線が、壁に三日月を描きます。

 四角い窓がならぶ障子です。

 水琴窟があります。ポツリ、ポツリと水がしたたり落ちます。

 縁側に腰かけて、竹筒の先に耳を近づけると、澄んだ音色が響きます。

 徳川慶喜が寄進した灯篭です。

 走り大黒天は、台所にあります。目の前で拝みましたが、撮影は禁止です。

 絵葉書の画像と朱印です。
 俵の上に乗った大黒さまとは違って、今にも走りだしそうな左足を踏み出しています。

 庭の河津桜は満開になっています。

 泉涌寺派別格本山 雲龍院
 京都市東山区泉涌寺山内町36
 075-541-3916 

 京都一周トレイルの東山コースが、ここを通過しています。何度もここまでは来たことがあります。

 広い泉涌寺には、人影がありません。

 JR京都から歩き始め、雲龍院を拝観。東山通り北上して東山三条のマルシン飯店で昼食。さらに東山丸太町まで歩いて左折、寺町を阪急河原町まで歩きました。
 9.84キロ、17000歩の「歩いて昼飯」でした。

歩いて昼飯:歩 静かな京都~嵐電を歩く

 「歩いて昼飯」というカテゴリーをつくりました。文字通り、歩いて昼飯を食べに行った記録です。
 アスレチック・ジムのベルトの上を汗をかきかき歩いているのもいいですが、同じ歩くなら外に出ようというわけです。10キロほどは歩いて、おいしい昼飯もいただく計画です。
 その1は、京都・衣笠にある音楽喫茶「ムジーク」でクラシックを聴きながらランチをと、歩行距離を考えて阪急・嵐山からスタートしました。
 いざ、歩き始めると、ずっと横を走る嵐電(京福電鉄)のことばかりが気になって、いつの間にか「鉄ちゃんになる」になってました。
 嵐山本線と北野線が分岐する「帷子ノ辻」です。難読駅名です。嵐電で最もポピュラーなモボ611、621型ですが、3両が並びました。左端は本線を四条大宮に向けて発車したところです。右の2両は、北野線の白梅町行きです。 

 「嵐電嵐山」です。いつも観光客で大混雑しています。それが、ホームの向こうの足湯まで、人影がありません。
 ヒマそうにしていた人力車のニイちゃんは「2月はこんなもんです」と話してましたが、それにしてもチャイニーズはもとより、日本人もいません。「人影が消えたというニュースで、かえって見に来る人もいますよ」。はい、わたしがそれです。

 「車折神社」です。鳥居の前を通りぬける嵐電を、園児が見送ります。わたしの孫を見ているようです。

 「鳴滝」を過ぎると、桜並木の下を走ります。まだ開花には早いです。

 駅名は「〇〇」と括りましたが、読めますか?

続きを読む 歩いて昼飯:歩 静かな京都~嵐電を歩く

京都人の密かな愉しみ その8 市比賣神社の名水「天之真名井」

 洛陽の七名水のひとつ、「天之真名井(あめのまない)」です。河原町五条を下がった一筋目を西にはいった市比賣(いちひめ)神社の境内にあります。
 「京都人の密かな愉しみ 夏」の挿入ドラマ「真名井の女」で、主人公の井戸掘りの青年を守るのが天之真名井の化身であり、その水です。
 美しい青竹から流れ落ちます。 

 神宝の天目椀「天之八塩(あめのやしお)」で汲み出された「若水(わかみず)」が、歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残っています。

 井戸の上には、姫みくじが並んでいます。

 絵馬を掛け、「天之真名井」のご神水を飲んで手を合わせると、心よりの願い事が一つだけ叶うと伝えられています。

 梅がつぼみを膨らませています。

 女人厄除けの神社で、この時も十数人が呼び込まれて祈祷を受けていました。

 市比賣神社
 075-361-2775
 京都市下京区河原町通五条下ル一筋目西入ル

 河原町をクルマで走るときは、いつも目にしてましたが、やって来たのは初めてです。

 このブログ内の「京都人の密かな愉しみ

今宮神社 黄葉と紅葉と

 京都の今宮神社を訪ねました。
 門前の黄葉が見事です。瓦土塀の向こうは大徳寺です。境内の竹やぶの緑とコントラストを描きます。
 今宮神社の境内は、ちょっと遅い紅葉です。それでも赤いです。

 大徳寺の瓦土塀は、昭和40年代に寺の修行僧が築いたそうです。
 

 黄色と赤のコントラストです。

 今宮神社に参るのも久しぶりです。
 奥さまは、このすぐ近くに住んでました。

 こちらは紅葉です。でもシーズンもお終いです。

 この方のおかげで、「玉の輿(たまのこし)神社」として知られるようになりました。
 西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母、桂昌院となったことが「玉の輿」のいわれだそうです。桂昌院は産土の社である今宮神社の再興にも力を尽くしたそうです。

 今宮神社の社地には平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社があったといわれます。長保3年(1001)に設けられた神殿三宇とともに今宮社と名づけられたのが起源だそうです。

 今宮神社
 京都市北区紫野今宮町21
 075-491-0082

 門前通の風景です。
 赤い大鳥居は、2年前の台風の被害を受けて、撤去されていました。再建を祈ります。

 角の店は、知らない人は通り過ぎる喫茶店です。「営業中」でした。奥さまが中学生だったころからあったそうです。

 40年ほども前に、ここで解体されていたグランドピアノの天板を見て、テーブルにしようかと夢想したこともありました。

京都人の密かな愉しみ その7 今宮神社「いち和」のあぶり餅とお玉の井

 京都・今宮神社の門前にある茶店「いち和」で名物のあぶり餅をいただきました。
 竹串に刺したつきての餅を炭火で焦げ目がつくほどにあぶって、甘い白味噌のたれをかけています。
 暖かな一日でした。軒先の床几に腰かけて熱いお茶をすすりながら味わいました。

 食べた後の青竹まで絵になります。

 注文を聞いてから、目の前で焼いてくれます。

 きょうは「いち和」こと、一文字屋和輔です。長保2年(ちょうど1000年)創業という老舗です。
 向かいには、同じあぶり餅の「かざりや」があります。江戸初期の創業ですが、それでも400年です。どういうわけか、そちらのを食べたことが多いです。

 こちらにしたのは、「京都人の密かな愉しみ」(NHK-BS)に登場した「お玉の井」を見たかったのです。番組では、京都の名水(井戸)のあちこちが紹介されました。その一つとして、NHK京都放送局勤務(当時)の井上あさひアナウンサーが訪れてレポートしていました。「ニュースウォッチ9」を降板したときは「あさひロス」と騒がれましたが、結婚が明らかになって、またまたざわざわしています。
 この竹垣の下が井戸です。

 断りを入れて、井戸に降りました。
 「たまに落ちる人もいはるから、気いつけてや」と諭されて。

 深い底から清水が湧き出ているようでした。

 今宮神社東門からの眺めです。
 左がいち和、右がかざりやです。

 一文字屋和輔 いち和 
 京都市北区紫野今宮町69
 075-492-6852

 これまでのこのブログでの「京都人の密かな愉しみ

京都・下鴨 旧三井家下鴨別邸を訪ねる

 近代京都の名建築、豪商・旧三井家の別邸だった「旧三井家下鴨別邸」を訪ねました。招かれたわけではありません。
下鴨神社の南、賀茂川と高野川が合流する三角点の先端にあたる部分にあります。かつては、隣にある京都家庭裁判所の所長官舎だったそうで、その存在すら知りませんでした。重要文化財に指定され、歴史的な建造物として3年ほど前から公開されています。

 南側の庭園に面した主屋の3階には、望楼が設えられていて東山の眺望が楽しめるそうです。五山の送り火の一等席でしょう。
 一般公開はされてませんが、11月に特別公開されます。

 背の高い樹木に囲まれて庭園と一体となっています。

 角度によっては4層建てにも見えます。

 1階座敷です。床の間には三井家の基礎を築いた三井高利の肖像画がかかっていました。

 障子越しに見る明るい庭園です。

 右側にある背の高いムクの木がシンボルになています。

 茶道の水屋もあります。
 この日も茶会が開かれていて、和服姿の婦人が大勢、おれれました。

 格子戸越しに見る内玄関あたりです。

 なにの実でしょうか。たくさん成っていました。

 いろんな線が交差します。

 旧三井家下鴨別邸
 075-366-4321
 京都市左京区下鴨宮河町58-2

 下鴨神社まで歩くと、糺の森では「森の手づくり市~秋の特別編2019」が開かれ、たくさんの店が連なってました。

 わたしが足を止めたのはこちら、銘木の端材です。
 オークやムクなど違った3本の拍子木を結んだようなものがありました。何にするのかと思うとー。なるほど、鍋敷きでした。中型のを買うと、「木工、興味ありませんか」と話しかけてきた店主が、「箸置きかバターナイフでも作ってください」と、いくつもの端材をくれました。

 ラグビーの聖地、「第一蹴(だいいっしゅう)の地」という石碑が立つ前では、少年たちがボールを追いかけていました。

 「下鴨神社杯 タグラグビー大会 ~第一蹴の地でラグビーを」という催しでした。
 対戦表を見ると、葵小、下鴨中、洛北高とわが母校のチームが名を連ねていました。
 ラグビーW杯の日本-南ア戦がある日でした。盛り上がるはずです。