トロッコ嵯峨駅 最後の日のデゴイチと駅チェンバロ

 JR嵯峨嵐山駅に隣接するトロッコ嵯峨駅です。ここからトロッコ列車(嵯峨野観光鉄道)が発車します。
 駅構内のSL広場に展示されていた「D5151」は、老朽化して年明けから解体、撤去されることになりました。きょうが最後の公開日でした。
 大きな動輪で長い貨物列車をグイグイと引っ張った昭和12年(1937)製造の過熱テンダー機関車は、役目を終えて鉄の塊に戻ります。

 我が国SLの完成形で、「デゴイチ」の愛称で親しまれて国産最大の名機でした。

 D5151は長く旧大鉄局吹田機関庫に所属して東海道線や山陽線で活躍。昭和46年(1971)に廃車となりました。京阪くずはモールで展示された後、嵯峨にやって来ました。

 近くで見ると、錆も浮いています。

 動輪のオブジェ越しです。

 名残のヘッドマークをつけています。

 「19世紀ホール」では、「駅ピアノ」ならぬ「駅チェンバロ」が開かれていました。チェンバロが生で聞けるちょっと珍しい光景です。
 立派なパイプオルガンもあります。

 トランペットやオーボエ、ヴァイオリンなどを、チェンバロの軽やかな響きが支えていました。

 大阪音楽大学の学生さんたちの演奏でした。
 指導しているチェンバロ奏者は、わたしのFaceBook友だちです。

 反対側にはベーゼンドルファーのグランドピアノもあり、こちらでも演奏されてました。
 駅ピアノというよりは、ミニコンサートの雰囲気でした。
 ピアノの後ろにもSLが並んでいます。

 特急「はと」や「つばめ」のヘッドマークが懐かしいです。

 「ジオラマ京都JAPAN」にも入ってみました。

 梅小路機関庫が再現されています。転車台が回転しています。

 広いスペースに京都の光景がコンパクトにまとまられています。こちらは金閣寺です。

 嵯峨野トロッコ鉄道が走ります。

 旧二条駅に客車が到着します。

 こちらは京都駅です。トワイライト・エクスプレスが停車しています。

 トロッコ列車は、満席で発車していきました。

 トロッコ嵯峨駅
 京都市右京区嵯峨天龍寺車道町11−1

大阪城 「わたしの桜」の紅葉と 「モツレク」と

 大阪・OBPのいずみホールでモーツァルトの「レクイエム」を聴きました。その後、ちょっと足を延ばして「わたしの桜」を見に行きました。
 第二寝屋川にかかる新鴫野橋のたもとに生える桜の木です。立派に成長しています。それが大阪城をバックに赤い紅葉となっていました。
 残念ながらすでに太陽光はなく、鮮やかな色彩は拝めませんでした。

 支柱にプレートが張り付けられ、募金者の名前が刻まれています(画像処理しています)。わたしの名前もあります。
 建築家の安藤忠雄さんらの呼びかけで「平成の通り抜け」として平成20年、毛馬から大阪湾までの大川に3000本の桜の並木をつくろうという募金・植樹活動がありました。5億円以上が集まったそうです。その1本です。

 OBPのビル群に向けて連なる桜並木は、みんなそのときの植樹です。

 内濠にかかる極楽橋です。オーストリア・グラーツのエッゲンベルク城に残る「豊臣期大坂図屏風」に描かれていたあの極楽橋です。

 まるで豊臣期の極楽橋にかかっていた「唐門」を模したような観光船が通りました。

 石垣の上から見下ろしました。

 天守閣はやはり立派です。
 インバウンドばかりとすれ違いましたが、胸を張って「The OSAKA」を自慢できます。

旧第四師団の立派な建物は改装されてレストランなどが入っています。

 「ザ・コナモン・バル 利休」でたこ焼きをつつきました。

 ソースやトッピングはセルフというスタイルでした。わたしはオーソドックスにソース、鰹節、青のりです。

 大阪城公園では「ラーメン・フェスティバル」なるイベントが行われていました。どの店も大行列のようでした。その反動か、こちらは空いていました。

 ザ・コナモン・バル 利休 (THE KONAMON BAR RIKYU)
 06-6484-9455
 大阪市中央区大阪城1-1 MIRAIZA OSAKA-JO 1F

 いずみホールで聴いたのは「同志社CCDアルママータ12thコンサート」でした。
 2つの「レクイエム」が演奏され、ラターは抑え気味の合唱が素晴らしかったです。伴奏は管楽器とオルガンの小編成でヴァイオリンやビオラが入っていないせいか、モーツァルトでは鎮魂の曲がしっとりと耳に流れ込んでこないのがちょっと残念でした。

キース・ジャレット 懐かしの「ザ・ケルン・コンサート」を聴く

 キース・ジャレットのピアノをCDで聴きました。懐かしの「ザ・ケルン・コンサート」です。30~40年前にカセット・テープにダビングして、何度も何度も聴いていました。音源は何だったかも記憶にはありません。CDは先日、アマゾンで中古を買いました。
 1975年1月24日に、独・ケルンのオペラ劇場でライブ録音された完全即興のソロ・コンサートです。まだLPが全盛だった時代です。
 耳に馴染んだフレーズが蘇りました。時にうなり声が混じり、床を踏む音まで入ってます。
 こんな音だったとは思いますが、ちょっと金属質にも聞こえます。
 気になって、このところの愛聴盤であるアリス=紗良・オットのCD「NIGHT FALL」に替えてみました。これは安心してピアノの音が聴けます。1か月余り前に、ベルリンのフィルハーモニーで生を聴いたばかりです。まあ、ライブ録音とスタジオ録音、さらに録音年代の差ということにしておきましょう。
 CDを久しぶりに聴いたのは、プレーヤーが新しくなったからです。といっても20年ほど前の「DENON DCD-1650AZ」です。それなりの銘器でした。「ジャンク品(動作不良)」というのを、ヤフオクで格安で2台落として、1台をドナーにして合体修理しました。正確な測定はしていませんが、機嫌よく回っています。 

 キース・ジャレットは、クラシックの正統派演奏でも聴かせてくれます。
 J.S.バッハの「平均律クラーヴィア曲集」の第1、2巻(各2枚組)もあります。時間をみつけてゆっくりと聴きましょう。
 
 

西宮 カトリック夙川教会で「ロ短調ミサ曲」を聴く

 カトリック夙川教会で、J.S.バッハの「ロ短調ミサ曲」を聴きました。
 指揮・テノールは畑儀文、大阪バッハ合唱団の合唱でした。奥さまもソプラノで歌ってました。
 この教会で聴くのは3度目です。席は自由です。早くから並んだので、1階の前列でも座れたのですが、2階の最前列にしました。教会の高い天井に舞い上がる音楽を聴きたかったのです。狙い通りに、大合唱団の迫力に富んだ美しいハーモニーに包み込まれました。鳴り渡るトランペットの響きが、圧巻でした。
 バッハ晩年の2時間にも及ぶ大作ですが、テンポの良い運びにぐんぐんと吸い込まれてゆきました。

 尖塔が美しい教会です。

 カトリック夙川教会
 西宮市霞町5-40
 0798-22-1649

京都・出町 「田舎亭」の玉子かけご飯セット

 京都・下鴨で、あやうく「昼飯難民」になるところでした。
 1軒目。ネットの評価などで食べたいと思っていた下鴨神社近くのうどん屋は、予定外の臨時休業。
 2軒目。ちょっと西に歩いた人気洋食店は、もう2時に近いというのに「すみませんが最低で40分のお待ち願います」。
 3軒目。そこから南へこれまた歩いた洋食店は、すでに1時半に営業終了。
 4軒目。出町まで歩いて目指したサバ寿司のおいしいうどん屋も、ちょっと前に店を閉じて、店員らが食事中。
 万策尽きかけところ、河原町今出川の交差点の向こうに暖簾がかかった「田舎亭」が見えました。まるで砂漠のオアシスでした。よく冷えたビールがうまかったです。
 「玉子かけご飯セット」(800円)です。温かなご飯に、こだわりの玉子とチリメン山椒なんかが載っています。薄めの出汁醤油をかけてぐちゃぐちゃと混ぜると、これはいい味です。

 ミニそばです。これも出汁を味わうためについているみたいです。

 どこにでもありそうな店名ですが、わたしが少年だったころに、ここの近くにあったレコード店で初めてEPを買ったころにもあったはずです。近くにある大学に通った奥さまは知ってました。

 隣は駐車場です。奥まで見渡せます。ウナギの寝床です。幅3㍍ほどの店は、列車食堂のように細い真ん中の通路をはさんで、両側にテーブルとボックスシートが並んでいます。
 午後3時を回っているのに、少なくとも観光客とは思えない客が途切れませんでした。

 田舎亭
 075-231-3819
 京都市上京区今出川通河原町西入大宮町313

 食事のあと、下鴨神社をもう一度ブラブラして、北山の京都コンサートホールに向かいました。
 「京都の秋 音楽祭」が開かれています。

 「時の響きスペシャル ショパンコード」を聴きました。
 作曲家でピアニストの西村由紀江は、御年50オーバーとは思えない美貌とスタイルです。ショパンの「別れの曲」から「101回目のプロポーズ」の音楽まで、楽しいひと時でした。次に登場したソノダオーケストラもおもしろいショパン・ジャズを聴かせてくれました。ところが、最後のゲストで、見事にずっこけました。「どこがショパンなの??」

 ラグビーの日本-南ア戦が気になったので、アンコールは聞かずにそそくさと退出しました。

ベルリンの響き ロウヴァリとアリス=紗良・オットがラヴェルのピアノ協奏曲で共演

 ベルリン・フィルハーモニーのアーカイブで、「ロウヴァリとアリス=紗良・オットがラヴェルのピアノ協奏曲で共演」が公開されています。
 ベルリンでの感動のコンサートです。わたしは初日20日に聴きました。この画像は同じプログラムの21日の収録です。

 ベルリンのクラリネット、ヴェンツェル・フックスがインタビューしてます。紗良の生き生きとした表情が素敵です。

 ベルリン・フィルハーモニー ベルリンの音と天女の響き

ウィーン国立音楽大学に「入る」

 「音楽の都」と呼ばれるウィーンの、音楽の最高学府がウィーン国立音楽大学です。
 2日前に一緒に食事をした知り合いのお嬢さんは、ここに留学してヴァイオリンを学んでいます。
 無断でしたが、キャンパスに立ち入るのは無試験で大丈夫でした。

 「名誉会員」と書かれた銘版です。錚々たる名前が並んでいます。
 指揮科は世界最高峰といわれ、ワルター、カラヤン、アバド、アーノンクール、メータ、シノーポリ、ヤンソンス・・・と、みんなここで育ちました。

 日本語が混じるその夜のコンサートの案内が掲示されています。
 受賞者8人のうち、なんと4人が日本人です。誇らしい限りです。

 キャンパスには枯れ葉が舞っています。まだ夏休み中なのか、学生の姿はありません。

 宿泊しているホテルから、U3路線の地下鉄に乗るためウィーン・ミッテに向けて歩きました。
 そういえば、お嬢さんが「大学はミッテから7分」と話していたことを思いだして、寄り道しました。

 ペンキの文化なんですかね。日本建築では、こんなことはありえません。

 ヨハン・シュトラウス像のあるシュタットパーク(市立公園)の樹々の向こうに、シュテファン大聖堂がそびえます。

ベルリン・フィルハーモニー ベルリンの音と天女の響き

 ベルリン・フィルハーモニーの響きに酔いました。
 シベリウスの交響曲第1番が終わり、拍手に包まれたフィルハーモニーです。フィンランドのフィルハーモニー初登場の指揮者、Santtu-Matias Rouvaliが、コンサートマスターの樫本大進と握手したところです。
 やはりベルリンの音です。管がさえわたり、弦がまろやかに包みこみます。最初に聴いた時ほどの感動はありませんでしたが、旅のフィナーレにふさわしい夜となりました。

 ラベルのピアノ協奏曲は、アリス・紗良・オット。ミュンヘン生まれの母親が日本人ということで、それだけに親近感がわきます。
 ステージには裸足で登場。金色のラメのドレスが細い体に光ります。
 演奏は、シャープで繊細でした。舞台を降りるときは、ひらりとまるで天女のよう。モデルのような美しさにいっぺんにファンになってしまいました。

 記念にCDを購入しました。

 【追加画像です】
 この夜は、カメラは持参しませんでした。すべてスマホでの撮影です。

 ポツダム・プラッツのSONYセンターの裏へと進むと、フィルハーモニーの黄色いホールが見えてきます。ワクワクとする瞬間です。

 今回は、裏口から入りました。

 開演には時間があります。当日券の窓口には行列ができてます。

 わたしたちの席は、前から5列目です。ネットで予約しました。

 休憩時のロビーです。

 感動の時間を過ごしました。玄関から別れを告げました。

エスターハージー宮殿 ハイドン・ザールの思わぬ響き

 アイゼンシュタットを訪ねました。ウィーンからポストバスで1時間半ほどです。ハイドンが40年もの間、仕えたエスターハージー侯爵の居城、エスターハージー宮殿の大広間が改装されて「ハイドン・ザール(ホール)」になっています。
 ドアを開けると、リハーサル中です。小編成のオーケストラのハーモニーが限りなく美しいです。チェンバロの音も、心地よく響きます。テノールは、易々と歌っているのに、まろやかに広い空間に広がります。
 得した気分で椅子に腰かけ、聞き惚れます。これだけで、はるばるやて来たかいがあります。

 ハイドンは、1961年にエスターハージー候に仕え、弦楽四重奏などの数々の作品を生み出しました。

 エスターハージー候の至宝が展示されています。

 正面の2階がハイドン・ザールです。中庭にもリハーサルの音がこぼれてきています。

天気予報はあまりよくなかったですが、見事に晴れ上がりました。