月例ポンポン山 寒い1月から始めます

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「月例ポンポン山」を、ことしの目標にしました。毎月1回、ポンポン山に登ろうというわけです。
友達のSくんが、昨年1年かけて達成した「三草山月例登山」を真似たのはいうまでもありません。あちらのようにスタンプ帳はありませんが、ポンポン山には結構、バリエーション・ルートがあります。12本は無理としても、いろんな道をたどれます。3月には福寿草、4月にはカタクリの花が咲く自生地もあります。
で、意を決して登った寒い1月のポンポン山です。頂上直下の斜面には、氷の柱ができていました。

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ポンポン山は、京都市西京区と高槻市の境界にある山です。頂上の看板には標高678.9と一気通貫、ウソのような数字が並んでいます。ちょっと古いエリアマップ「京都西山」でも同じ標高が記されていますが、国土地理院の2万5000分の1「京都西南部」では678.7となっています。20センチ、山頂が削られて低くなったのでしょうか。
頂上で足を踏み鳴らすと「ポンポン」というからポンポン山、というのが、わたしの古くからの認識です。
第1回は、最もポピュラーな高槻市側の神峯山寺(かぶさんじ)から京都側の善峯寺(よしみねでら)に抜ける縦走ルートを歩きました。

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ポンポン山で食べる 「日清のどん兵衛」

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ポンポン山に登りました。昨年の夏以来です。
寒いです。高槻市側から2時間15分かけて登ってきてかいた汗が、一気に凍り付きます。ゾクリとします。
温かな「日清のどん兵衛 天ぷらそば」がサイコーです。汁をすすると、ほっとします。麺はまっすぐです。天ぷらはさっくりとしています。

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JR島本の駅前にある、いつものローソンで買ってきました。鯛めしと生たらこのおにぎりも、ちょっと高いシリーズを奮発しただけのことはあります。

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クッキングストーブの火力がイマイチでした。ほぼ同時にスタートした隣の男性のヤカンからは、間もなく景気よく湯気が噴き上がりましたが、わたしのはなかなかです。ボンベのガスが減っているのでしょう。ところが、時代物のわたしののメーカーは、もう生産していなくて、新しいボンベは手に入りません。なんということでしょう。

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この寒さなのに、ポンポン山は夏と同じようににぎわっていました。

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ポンポン山で食べる コンビニおにぎり 8/26

ポンポン山に登りました。
頂上で食べるコンビニおにぎりは、この夏2度目です。
「お~いお茶」は、カチンカチンの冷凍でしたが、保温なしでここまで運んでくると、わずかに冷たいくらいです。

きょうも広い頂上は、サミッターがあちこちに。この暑いのに。

JR島本駅の前で記録のために撮影したカットは、午前7時45分です。頂上まで、今回も3時間半、かかりました。
万歩計は、汗臭いパンツのポケットに入ったまま洗濯機に直行して、昇天しました。歩数は不明です。

頂上からメーンルートの本山寺-神峯山寺へ下る道は、アスファルトの照り返しがきついので敬遠しました。西側へまっすぐ下り、出灰に出ました。これで「いずりは」と読みます。
きょも大量の汗を流すことができました。満足です。

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釈迦岳で飲むお茶

 なんともなタイトルになってしまいました。冷たいお茶です。
 地元・島本町の最高峰、釈迦岳(631.4メートル)です。標高を調べようとネット検索したら、わたしのブログがひっかかりました。5年ほど前に登ってます。じつは、先週も通過してます。ここから30分ほど歩くとポンポン山です。
 何回かきてますが、この眺望のないピークでこれだけの人と出会ったのは初めてです。山ガール3人組、トレールランニングとおぼしき女性1人、それに同年配の男性。山がにぎやかなのはうれしいです。

 地元では「楠公さん」と呼んでいる桜井駅址です。ここが出発点で、釈迦岳からは京都側の善峯寺へ下山しました。本日の歩数は2万7321歩でした。

 いつものJR島本駅前のローソンで買いました。まずは朝食のサンドイッチをかじりました。
 ペットボトルのお茶は「冷凍ボトル」で、かちかちの凍ってます。でも、保温もしないでザックにさしていたので、釈迦岳についたときは、すっかり溶けていました。

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ポンポン山で食べる コンビニおにぎり

大阪・水無瀬の自宅から歩き始めて3時間半、ポンポン山に登りました。京都市西京区と高槻市の境界に位置する標高678.7mの山です。
暑い1日でしたが、水無瀬渓谷-大沢-釈迦岳と歩いたルートは、ほとんど炎天下にさらされることがない木陰ばかりで助かりました。
山頂でおにぎり2個をほおばりました。

出発点のJR島本駅前のローソンで買ってきました。

頂上からは、三川合流(木津川、宇治川、桂川が合流して淀川になる)がはるかに眺められます。

「頂上に近づくにつれて足音がポンポンとひびくことから通称ポンポン山と呼ばれていま」ということです。

JR島本駅前で朝食のサンドイッチを食べたのは午前6時47分でした。目を覚ますと、暑くならないうちにと何も食べずに出てきました。

西国街道の桜井の駅です。ここは1336(建武3)年、湊川の戦いに向かう楠木正成が息子の正行と今生の別れをした地とされます。父子の像も建ってます。

ポンポン山からは、高槻側のメーンコースを本山寺-神峯山寺(かぷさんじ)-神峯山寺登山口と歩き、午後零時19分の高槻市営バスに乗ってJR高槻駅に向かいました。久しぶりのロングウオークでした。万歩計は3万2321歩でした。

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続京都三弘法まいり 仁和寺の御室桜はまだ蕾

 仁和寺の境内も、ソメイヨシノは満開です。
 「京都三弘法まいり」のもう一つの寺、御室の仁和寺です。兼好法師の「徒然草」に出てくる「仁和寺の法師・・・」の、あの寺です。

 ミツバツツジの紫をバックに咲きます。

 強い風が吹くと「落下盛ん」です。

 ところが、肝心の御室桜は、まだ「つぼみふくらむ」です。

 背が低い八重桜で、開花は遅いです。

 境内には、御室八十八霊場があり、ミニお遍路を巡ることができます。

 これで四国お遍路を再開する準備は整いました。

 仁和寺
 京都市右京区御室大内33
 075-461-1155

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GXRを手に 京都・二条城を散歩する

 二条城にやってきました。小学生以来。あるいはもっと小さかったか。ということは半世紀ぶり!!新しいカメラを手にすることがなかったら、わざわざやってこなかったでしょう。

 国宝・二の丸御殿です。外人観光客らでにぎわってます。

 早咲きの桜が咲いてます。「カンヒザクラ」とプレートが。「寒緋桜」でしょうか。

 晴れたり曇ったり、ちょっとポツリときたり、安定しない天気です。それに結構寒いです。

 二の丸庭園です。このあたりの石に腰掛けた少年の写真がアルバムにあったはずです。

 本丸楼門をくぐります。

 天守閣跡から比叡山をあおぎます。

 内堀はきれいな水をたたえています。

 もちろん世界文化遺産です。
 正確には「元離宮二条城」というそうです。

 京都市中京区二条堀川西入ル二条城町541

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京都・東山 「あじき路地」あたりを歩く

 六波羅蜜寺近くのカフェ「柴洋」でこの日曜日、昼飯を食べました。カウンターに載っていた京都本をくっていると、「あじき路地」が。かつて、テレビで紹介されていたのを覚えていた相方が「近くですか?」と聞くと-。ご主人がていねいに地図を書いて教えてくれました。
 そこに住むことを条件に、ものづくりに携わる若者が借り受けて工房なんかにしている長屋が連なる「あじき路地」です。

 「にちようびのパン屋」は、ここだけ戸を開けている店でした。上がり込んで「チーズパン」なんかを買いました。

 喫茶店でしょうか。室内から話し声は聞こえました。

 こちらは??
 何も下調べをしてませんでした。もう少し予備知識があればよかったです。

 井戸はまだ現役なんでしょうか。

 お地蔵さんはきれいに掃除され、花が飾られています。

 長屋には家庭風呂なんてないのでしょう。銭湯は必需品です。向こうに「大黒湯」の煙突がそびえます。

 1筋北には「田中図子」がありました。路地(ろうじ)は行き詰まりの袋小路ですが、図子(ずし)は貫通してます。

 宮川筋側の出口は、2階建ての家の下を抜けています。北側、南側と分けて図子の住民の表札が並んでいます。

 宮川町は京都五花街のひとつです。
 舞子さんもあちこちに、ということではなくて、あちこちにある流行の「舞子変身処」で着付けをしてもらった素人さんです。

 あじき路地
 京都市東山区大黒町通松原下ル2丁目山城町284

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東海道本線旧線 旧逢坂山隧道あたり

 鉄道遺跡を訪ねました。関西にも鉄道形成時代の面影を伝える遺産が数多く存在します。でも、ここはナンバー1スポットでしょう。近くは何度も通ってますが、初めてです。
 
 明治初期の過去から、平成の現代に向けて開けた空間です。

 「これやこの行くも帰るも別れつつしるもしらぬもあふさかの関」(蝉丸法師)で知られる逢坂関。ここを貫いて日本人技術者の手のみで「逢坂山隧道(ずいどう=トンネル)」は掘られました。1878(明治11)年11月に着工し、1880(明治13)年 6月に竣工しました。
 日本初の山岳トンネルで、現存する最古の鉄道トンネルの東出口は、大津市の西端、国道1号沿いに残っています。右は、後に複線化のために掘られたトンネル跡です。
 汽笛一声新橋を~で走り始めた汽車は、ここを抜けて京都-大阪に向かいました。

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朝鮮通信使も通った「唐人澪」あたりを歩く

 「唐人澪(とうじんみお)」は、江戸時代の朝鮮通信使が利用した公的な水路のことです。大阪・大正あたりの尻無川(しりなしがわ)がそれにあたります。
 朝鮮人街道を鳥居本から草津まで歩いたつながりで、海からの上陸地点を散歩しました。
 京セラドーム大阪の横を流れる尻無川を集団でのおぼってくる水上バイクの一団です。江戸時代の大阪人も、こんな風にのぼってくる通信使の大船を見に集まったそうです。

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