ベルリン・フィルハーモニーのアーカイブで、「ロウヴァリとアリス=紗良・オットがラヴェルのピアノ協奏曲で共演」が公開されています。
ベルリンでの感動のコンサートです。わたしは初日20日に聴きました。この画像は同じプログラムの21日の収録です。
ベルリンのクラリネット、ヴェンツェル・フックスがインタビューしてます。紗良の生き生きとした表情が素敵です。
ベルリン・フィルハーモニー ベルリンの音と天女の響き
ベルリン・フィルハーモニーのアーカイブで、「ロウヴァリとアリス=紗良・オットがラヴェルのピアノ協奏曲で共演」が公開されています。
ベルリンでの感動のコンサートです。わたしは初日20日に聴きました。この画像は同じプログラムの21日の収録です。
ベルリンのクラリネット、ヴェンツェル・フックスがインタビューしてます。紗良の生き生きとした表情が素敵です。
ベルリン・フィルハーモニー ベルリンの音と天女の響き
【Day 7th 2019/09/13】
ウィーンで7泊したアパートメントホテル、Aparthotel Adagio Vienne Cityです。長期滞在を前提に、部屋にキッチンなどを備えています。
ウィーンでの最初の1日は、美術史美術館でゆっくりとした時間を過ごし、シュテファン大聖堂前でアイスクリームをかじってホテルに戻りました。
インスブルックからの移動でちょっと疲れていました。部屋で夕食にしました。
ホテル近くのスーパー、Billaで買ってきたスパゲティ・ボロネーゼを茹でました。それだけのことですが、緊張を強いられる外食から逃れられます。
パスタのソースと勘違いして、パスタも買ってきましたが、ショートパスタ入りでした。
別の日の夕食です。
日本から持ってきた「サトウのご飯」とみそ汁がうれしいです。
冷蔵庫も、バターにミルク、タマゴ、パプリカ、生ハム、チーズ、生野菜、トマト、イチゴ、水、オレンジジュース、ワイン、缶ビールとなかなか充実させています。
コンパクトですが、電磁調理器、冷蔵庫、電子レンジ、食器洗い機、それに食器やフォーク、鍋にフライパンとひと通りはそろっています。
ただし、調味料の類はありません。塩はみやげに買っていたのを開けましたが、困ったのが油です。これがなければ目玉焼きも焼けません。一番小さな瓶入りを買いましたが、ほとんどが残りました。バターも、日本のコンビニで売っているような小さなのは見つかりませんでした。
最初に「サービス」といって通された部屋は、ベッドルームが別室で、リビングも広かったです。
でも、こちらに代えてもらいました。ロッカーには、アイロンとアイロン台もありました。
バスタブが欲しかったのです。やはり、1日の終わりにはゆっくりと湯につかりたいです。
部屋の掃除は、頼まなければ(有料)ありません。部屋を散らかしたままでも外出できるので、それはそれで気楽でした。
地下にはコインランドリーがあります。インスブルック以来の汚れ物をまとめて洗いました。
洗濯に1時間ほど。乾燥にも同じくらいの時間が必要です。待ち時間に、ホテル近くの郵便貯金局を見学に行きました。
オットー・ワーグナーのウィーン世紀末を代表する建築物です。100年前のデザインとは思えません。
シュテファン大聖堂を仰ぎ見るのも4回目になります。
あまりの暑さに、アイスクリームをかじりました。
リンク沿いにあります。ここ「定宿」としたいですが、ウィーンに再びやって来る日はあるのでしょうか。
Aparthotel Adagio Vienne City
Uraniastraße 2, 1010 Wien
【day 13rd 2019/09/19】
ウィーンからベルリンへの移動は、LCCのeasyJetを使いました。
大阪→インスブルック、ウィーン→ベルリン→大阪というルートを、格安航空券のネット検索サイトで調べました。ところがこの全区間を運航しているキャリアはルフトハンザくらいしかありません。ウィーン→ベルリンを除くと、ぐっと選択肢が広がりました。
easyJetは英国を本拠とする欧州LCCの代名詞的存在です。スペインで利用したライアンエアと双璧のようです。
ウィーンとさようなら。
ベルリン・テーゲル空港に降り立ちました。easyJetのオレンジ色がズラリと並んでいてびっくりしました。
ウィーンのシェヴェヒャート空港までは、いくつかのルートがあります。時間はあったので、シニア乗車券が使えるOeBBにしてミッテ駅で列車を待ちました。
隣のホームから、同じレールを走る私鉄のノンストップ・CATが出発していきました。特別料金が必要です。
おしゃれなシェヴェヒャート空港です。みやげのチョコレートを買いました。
チェック・インはスムーズに進みました。
スーツケースが2個あるので、最初から預託手荷物の追加料金を支払っていました。
1時間20分の飛行でした。座席は、それほど狭くは感じませんでした。これくらいなら、飲み物などのサービスなしでも大丈夫です。
テーゲル空港では、沖留めのバス移動でした。
LCCだからというだけではなく、古くて小さいテーゲルの設備のためもあるのでしょう。
バッゲージ・クレームの回転レーンも小さいです。
わたしのスーツケースは2番目に、もう1個もすぐに出てきました。
ネット予約し、ネット送信されてきたファイルをプリントアウトして持参した搭乗券です。
ネットでのeasyJetに対する評価はいろいろですが、わたしは価格からすると十分でした。
ベルリンで2泊したポツダム・プラッツ近くのホテル、Grimm’s Potsdamer Platzの朝食です。
色とりどりのSTAUB(鋳物ホーロー鍋)が並んでます。開けてみると、温かな卵料理です。ベーコン入りだったり、トマト入りだったり。これは保温にもなってアイデアです。
サーモンと葉野菜、トマトとモッツレラも並んでました。スイカは食べてません。
サーモンには、何かのハーブが巻き込まれていて、さっぱりとおいしかったです。
機能的なホテルです。
部屋にはベランダがあり、そこのテーブルには灰皿が載ってました。部屋は禁煙です。
Grimm’s Potsdamer Platz
Flottwellstrasse 45, 10785 Berlin
最寄りUバーン(地下鉄)のバーソロディー・メンデルスゾーン・パーク駅から一駅でポツダムプラッツでした。
2日目の朝は、出発が早くてホテルの朝食を食べていては間に合いません。タクシーを呼んでもらい、テーゲル空港に向かいました。
2012年に利用したときから、「もうすぐブランデンブルク空港ができる。そうすれば廃港」といってました。15年も同じでした。今回も、まだテーゲルです。
朝日が昇ります。
帰りはエールフランスでパリCDG(シャルル・ド=ゴール空港)経由でした。
エコノミーの手荷物は23キロまで。セーフでした。お土産のこまごましたのを詰めたとはいえ、予想より重たかったです。0.5キロの缶ビールも詰まってます。
チェックインでさんざん待たされ、ゲートに入ってほっとしました。といっても、テーゲルのゲート内には、コンビニに毛が生えたくらいのショップが1店あるだけです。
コーヒーとクロワッサンでやっと朝食にありつきました。
イェンバッハはインスブルックからOeBBの特急で東へ15分ほど。人口7000人ほどの町です。ここから南と北に2つの私鉄が走っています。
ツィラータールバーン(Zillertalbahn)は、南に32キロのマイアーホーフェンまでを結んでいます。
週に何日かはノスタルジックな蒸気機関車が1日1往復、運行されるようです。残念ながら運休日で、SLの姿はありません。
SLに似合いそうなクラッシックな客車です。
イェンバッハのOeBBのホームには、2つの鉄道への案内があります。
アッヘンゼーバーンは、OeBBの横にあるホームから出発します。
インスブルックから乗ってきたOeBBのレギオナル・ツーク(各停)です。
車窓からは、雪を覆った尖った山々が連なって見えて、飽きることがなかったです。
帰りのホームです。
東に行けば、ドイツのミュンヘンです。
西に行けば、インスブルックを通ってイタリアのボローニャです。
かわいらしい駅ですが、駅前には何もなさそうです。
ボローニャ行きのオイロシティー(EC)がやってきました。
ガントレット、日本語では単複線といいます。アムステルダムのトラムです。プラハのトラムでも見たことがあります。
いささか「鉄ちゃん」の話題です。町の風景ではなく、レールにご注目を。
ダム広場を過ぎて、ムントタワーが向こうに見える辺りです。道が狭くなってます。なかでも両側の建物が迫る区間は、それまで複線だったトラムのレールが、単線のように狭まります。でもポイントはなく、単線ではありません。複線ですが、相互通行できないだけです。
日本とは逆に車は右側通行です。わたしの乗っているトラムは、黙っていても右側の線路に進みます。
譲り合い精神(?)さえあれば、向こうからくるトラムとガッチンコすることはありません。
ガントレットの区間は、いくつもあります。
トラムの車内です。日本のように、座席が空いているのに立っているといった乗客はあまり見かけません。
アムステルダム・コンセルトヘボウの前に停車するトラムです。
ここは同名のオーケストラの本拠地です。この後ウィーン・フィルの本拠地、ムジーク・フェライン(楽友協会)、ベルリンのフィルハーモニーホールと、名だたるホールを巡りました。
アムステルダム中央駅からトラムに乗り込んだときに、トラム内の車掌から買った1時間チケットです。
帰りは、1時間ギリギリになりタイムアウトと、ダム広場で途中下車しました。
でも1時間の計算の起算と終結の正確なカウントはどうなっているのでしょうか。
上の2枚は、スキポールとアムステルダム間のチケットです。
チューリップの国、オランダらしく、中央駅構内のコンコースにはカラフルな花屋があります。
中央駅には、珍しく改札口が設置されています。今回の旅での改札口は、ここだけです。
スキポールから乗った電車は、デン・ハーグからやって来ました。そちらに行って、マウリッツハイス美術館でフェルメールの最高傑作、「青い耳飾りの少女」に会いたくなりました。
【Day 13rd 2019/09/19】
「朝の調教」を終えて厩舎に戻るスペイン乗馬学校の白馬、リピッツァナー。195年創設の、王宮内にある世界で最も古い乗馬学校です。
ひと息ついて、優しい顔をしています。
昼間は、観光客やフィアカー(観光馬車)でにぎわうホーフブルク(王宮)も、まだ静か。
アウグスティーナ教会に朝日が差し込む。
皇妃・エリザベートとなるシシーもここで結婚式を挙げた。
王宮の彫像にも光が。
デメルの本店は、8時から営業している。
モーツァルト像のト音記号も赤くなった。
リンクをトラムで走るたびにレンズを向けていたシュタットパーク(市立公園)のヨハン・シュトラウス像。朝の光で、やっと撮影できた。
シュテファン大聖堂の壁面も明るくなってきた。
別の日の早朝。ホテルの窓から東の空を眺めた。映画「第三の男」でも有名なプラーターの大観覧車が目の前だった。
シャーフベルクの登山鉄道で知り合った東京のお嬢さんがやり残したとLINEしてきたのは、「ウィーンの町を、電動キックボードで『ういーん!』と走ること」でした。
奥さまは「主人は、『転んで骨折したら大変だから、辞めておきます』と悔しがっています(笑)」と返信していました。
あちこちの町角で見かけたレンタルの電動キックボードです。この半年ほどで、飛躍的に増えたそうです。
レンタサイクルのように一定の駐輪スペースではなく、不要になったところにほっぽられているようです。
さっそうとー。
トラムにも、そのまま持ち込んで。
オペラ座の前で、二人乗りも。
フンバート・ヴァッサーハウスの平らでない廊下にも。
不夜城のようなインペリアルホテルの前にも。
ウィーン国立音大でも。ここに留学中のお嬢さんは「授業が遅れそうになった学生も、乗ってきますよ」。
あらかじめスマホ・アプリにクレジットカードを登録しておき、空いている電動キックボードのQRコードを読み込めばすぐにスタートするそうです。料金は15分ほどで400-500円とか。どこで、いつ、充電するのかはわかりませんが、ヒットするはずです。
まぁ、われわれ世代の王道はこちらなんでしょう。このフィアカー(観光馬車)にも乗ったことはありませんが・・・。
ベルリンのブランデンブルク門の前でも、電動キックボードを見ました。遅からず、日本にもやって来るのでしょうか。
「音楽の都」と呼ばれるウィーンの、音楽の最高学府がウィーン国立音楽大学です。
2日前に一緒に食事をした知り合いのお嬢さんは、ここに留学してヴァイオリンを学んでいます。
無断でしたが、キャンパスに立ち入るのは無試験で大丈夫でした。
「名誉会員」と書かれた銘版です。錚々たる名前が並んでいます。
指揮科は世界最高峰といわれ、ワルター、カラヤン、アバド、アーノンクール、メータ、シノーポリ、ヤンソンス・・・と、みんなここで育ちました。
日本語が混じるその夜のコンサートの案内が掲示されています。
受賞者8人のうち、なんと4人が日本人です。誇らしい限りです。
キャンパスには枯れ葉が舞っています。まだ夏休み中なのか、学生の姿はありません。
宿泊しているホテルから、U3路線の地下鉄に乗るためウィーン・ミッテに向けて歩きました。
そういえば、お嬢さんが「大学はミッテから7分」と話していたことを思いだして、寄り道しました。
ペンキの文化なんですかね。日本建築では、こんなことはありえません。
ヨハン・シュトラウス像のあるシュタットパーク(市立公園)の樹々の向こうに、シュテファン大聖堂がそびえます。
どこで食べても「マ・ク・ド」です。グラーツからの帰り道。改札わきの店で「1st Set」を買って、ウィーン行き列車に乗り込みました。確か4.8EURだったはずです。日本とそれほど変わらないという印象です。レタスが細く刻んであるくらいで、お味もそれほど変わりません。
注文すると、番号のプリントアウトをくれます。その番号がディスプレーに表示されるまで待ちます。
McDonald’s Graz
Conrad-von-Hötzendorf-Straße 91, 8010 Graz,Austria
グラーツの駅舎です。真っ赤な驚かされる天井です。
何もない駅前です。以前は、ここにトラムが停車しました。
ウィーンのハウプト・バーンホフ(中央駅)から出発しました。OeBBの電気機関車で引っ張ります。
隣国・スロベニアのリュブリャナ行き急行です。スロベニア国鉄の水色の客車との混成です。
日本のJRからは姿を消した食堂車も健在です。
アルプスを越えた最初の鉄道、セメリンク鉄道を設計した技師、ゲガの碑と世界遺産のプレートが、このセメリンク駅にあったはずです。でも見あたらないまま通過しました。
記憶違いで、逆方向でした。
帰りは、反対側の窓から気をつけていると、確認できました。
石造の二重アーチが美しいカルテリンネ橋も通過します。カメラを構えてましたが、わかりませんでした。
こちらは二重になっていないので、よく似た橋のようです。