大阪・日本橋 「なかなか」のさば塩焼き定食

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 気持ちよく歩きました。会社を出ると、日差しはありますが、さわやかな風が吹いてます。どこにするかと南海通を東へ。吉本のあたりは、相変わらずすごい人出ですが、かどのまむしの「いづもや」には「閉店」の張り紙が。「夫婦善哉」名残の老舗も閉めたんですか。
 そのまま黒門市場まで歩いて、「黒門ごはんばー なかなか」にしました。

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 本日のなかなか定食(どれも880円)から選んださば塩焼きです。白身の刺身、厚揚げと小芋、さやえんどうの煮物、山菜と温泉タマゴをのせた茶そばと、盛りだくさんです。ご飯もおいしいです。

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 さばの塩焼きは、ポロリと身がはずれて、塩味も適当です。どれも「なかなか」の味です。

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 なかなか  地図
 06-6636-6886
 〒 542-0073 大阪市中央区日本橋1丁目22-30

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 黒門市場は、きょうもにぎわっています。鮮魚店なんかの店頭を見ながら歩くのは、楽しいものです。

北野線のちんちん電車「N1」@大宮交通公園

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 懐かしい「ちんちん電車」です。最後まで京都市内を走っていた北野線に乗ったことがあります。廃線跡を歩いたこともあります。
 大宮交通公園(京都市北区大宮西脇台町)に1800型とともに保存されている「N1」は、その北野線を走っていたかわいい車両です。Nは、狭軌(narrow)の略で、軌道幅が1068ミリしかありません。
 京都電気鉄道(京電)は1895(明治28)年、塩小路東洞院-伏見京橋間にわが国最初の一般道路を走る路面電車を走らせました。出発のときなどの合図に、鐘が「ちんちん」と鳴ったことから、「ちんちん電車」と呼ばれました。1912(明治45)年になって、京都市営電車(市電)が走り始め、京電は吸収されます。それでも、狭軌の北野線などはそのままで、四条通の一部区間では、最後まで3本レールで運行されていました。

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 色あせた側面に、京都市交通局のロゴが残っています。

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 架線がありませんが、ポールは残っています。
 終着の京都駅や北野に着くと、車掌が窓から身を乗り出してロープをたぐり寄せてポールをおろしていたのを覚えています。

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 狭い車内です。現代の若者が傍若無人に足を伸ばすようなスペースはありません。

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 「No6」と改番されています。

チンチン7

 図書館で借りてきた京都市電にかんする書籍です。これを見ているうちに、本物と再開したくなりました。