「ツール・ド しまもと」を歩く 西国街道を西から東へ

 わが町・島本を古代の一級国道だった西国街道が貫いています。JR島本の駅前には「西国街道史跡案内」という陶製の案内板が立っています。
 西南端の高槻側から歩きました。ポカポカ陽気の日和で、途中でアウターを脱いでしまいました。
 街道をふらふら歩いてくると、いろんな光景が見えます。水無瀬神宮への道を通り過ぎてくると左は柳谷観音です。若山神社にも行けます。

 街道沿いの浮世離れしたような理容店です。営業してます。

 西村亭は、ついに閉店してしまったようです。うどんとかなんとか丼とかのメニューがぶら下がっていた看板は真っ白です。

 牛乳は毎朝、ビンに入って宅配されるものでした。懐かしの牛乳受け箱です。
 春日牧場は、茨木にあったローカルの牛乳メーカーだったようです。

 記念写真は写真館で撮ってもらうものでした。

 「時代屋の女房」が出てきそうな風情です。

 新聞販売店もご覧の通りです。

 もう少し手前にあったこの店舗も。
 競争相手だったとはいえ、同じ業界で暮らしたものとしては寂しい限りです。 

 西国街道の東北端、山城との国境に建つ関内神社です。本殿(室町時代)の扁額には「鎮疫神」とあります。こんなご時世です。御利益を期待してしまいます。

 JR島本の駅前にある歴史文化資料館に初めて入ってみました。
 展示されていた「山崎通分間延絵図」は、文化3年(1806)に、道中奉行所が測量調査した西国街道です。

エスビット専用 アルコール・バーナーに風防をつける

 アウトドアでメスティンでの調理に重宝しているパチもののエスビット(五徳)と自作アルコール・バーナーです。
 ところが、ちょっとした風が吹くと、アルコールのか弱い炎はあおられて火力が弱くなります。
 簡単な風防(ウインド・シールド)をつくりました。シェラカップを載せてもピッタンコです。

 アルコール・バーナーをつくった銅板の残りです。設計図にあわせてケガキします。
 カッターナイフで両面から10回ほど削ると、簡単に切れます。
 2枚の板ができれば完成です。
 台形にしているのは、画像のようにエスビットは上蓋の傾斜を45度にして、小さな鍋を載せることができるようにつくられているからです。 

 試してみると、わずかですが銅板の厚みが加わってエスビットにバーナーが収まりません。

 エスビットの上蓋を止めているリベットの頭が邪魔をしています。
 風防にドリルで穴を開け、ハサミで切り欠きをつくりました。
 これでぴったりと固定できるようになりました。

 底に並べて収納します。

 強い風のときには、アルミ製の蛇腹の風防の出番でしょう。
 効果を試すのが楽しみです。

エスビット専用 アルコール・バーナーをつくる