高野街道を歩き切りました。東高野街道、西高野街道が合流して歩き始めた高野街道は、京大坂道-不動坂と名を変えて女人堂がゴールです。昔ははここが女人結界で。女性はここから聖地となる高野山には足を踏み入れることが許されていませんでした。
四国88カ所お遍路のお礼参りをするため、ここから高野山金剛峰寺の奥の院までさらに歩きました。
春です、1週間前には咲いていなかった桜も、麓では一斉に開いていました。
山に入ると、蕗の薹が芽吹いていました。
今回は、お遍路を一緒に歩き始めた学生時代以来の友と、「どたぐつ」の仲間と一緒に歩きました。
【10:17】
1週間前には、ここから乗車した南海・高野山の鉄道線終点の極楽橋駅です。それにしてもここで下車する客は、われわれグループ以外にはいません。
【10:21】
不動坂が始まります。まずは朱塗りの極楽橋を渡ります。ここは下界と高野山の聖域を区切る結界だそうです。
橋のたもとにはお地蔵さんが祀られています。
【10:25】
不動坂を歩き始めると、川向うの極楽橋駅に後続の特急「こうや」が到着しました。
【10:31】
道はケーブルカーの下をくぐります。しばらくすると、静かに上りのケーブルカーが通り過ぎました。
【10:36】
高野山までわずか2000メートルです。
【10:58】
きれいに舗装はされてますが、かなりの急こう配を登って、「清(きよめ)不動堂」に着きました。
舗装された堅い道ばかりでは楽しくないので、旧道を選びました。のっけから急坂です。
【11:13】
花折坂に着きました。ここからまた舗装道に戻ります。
道端の陰に雪が残っています。
【11:16】
極楽橋駅には「不動坂 通行禁止」の掲示がありました。
駅員に「通れないのですか?」と聞くと、「自己責任で行ってください」とのこと。
昨年の台風の被害で道の一部が流れ落ちていました。確かに危険ではありますが、徒歩の通行には支障はありません。
【11:19】
ケーブル終点の高野山駅からやってきたバスが走る広い道と合流します。
バスの乗客から、「歩いている人がいるんだ!」といった目で見下ろされました。
【11:28】
女人堂に到着しました。高野街道の終点です。これで登り道はおしまいです。ちょっとあっけなかったです。
東高野街道は4回、西高野街道は1回、高野街道は3回に分けて歩きました。
女人堂で納経を受けました。
【11:48】
金剛峰寺に着きました。さすがに堂々としたお寺です。
【11:50】
竜の彫り物に見とれました。
【12:18】
まずは昼飯と、西端の大門近くまで歩いて、「つくも」で釜飯をいただきました。
あまり待つこともなく、炊き立ての釜飯が登場しました。
【13:16】
次は土産にする胡麻豆腐を求めて、わざわざわき道にそれて老舗の「濱田屋」までやってきました。
【13:21】
次は、菓子屋の「みろく石」です。
あまりにおいしそうだったので「やき餅 草」(105円)をいただきました。お茶はサービスです。
まるで物見遊山です。
【13:34】
「苅茅堂」がここにもあります。学文路でもお参りしました。
【13:38】
車道と別れて参詣道に入ります。高い杉がそびえ、墓が林立します。
諸大名の墓に企業墓と、墓碑銘を詠んでいるだけで楽しいです。
【13:48】
武田信玄の墓の前には、町石が残っています。1町ごとにこんな道程石柱が残る町石道が、九度山から続いています。昔の参詣道です。
お遍路のお礼参りの一団です。
わたしも帷子と輪袈裟は持ってきましたが、着用しませんでした。
【14:10】
奥ノ院は撮影禁止です。
線香をあげました。
【15:07】
無事、お参りを済ませました。
納経帳に最後の朱印をいただき、中の橋駐車場にやってくると、ドンピシャのタイミングで高野山駅行の臨時バスがやって来ました。あわてて飛び乗りました。
「関西の駅百選」に選ばれている駅です。
【15:14】
ケーブルカーはすぐに出発して、本日登った高度を一気に下げます。
【15:18】
極楽橋駅には特急「こうや」が待ってました。向こうには展望列車「天空」も止まってましたが、先発の「こうや」で一直線になんばへ。
ビアレストラン「ニューミュンヘン南大使館」に直行して、名物の唐揚げで、うまい大ジョッキを傾けました。