久しぶりに朝から雨模様。テレビで高校駅伝を見ていたらもう昼でした。
マルタイの「長崎皿うどん」がありました。冷蔵庫の野菜を炒めて「4分」で、と袋に書かれているとおりに簡単に完成です。
味付けは添付の調味料にお任せ。練りわさびを添え、盛り付け後に酢を振りかけただけです。
キャベツ、タマネギ、ニンジンと刻みました。ボリューミーになりました。
嵐電(京福電気鉄道)の北野線は大正14(1925)年、京都電燈によって北野ー高雄口(現・宇多野)間が開業しました。ことしで100周年を迎えました。
新型車両の「KYOTRAM(きょうとらむ/モボ1型)」も今春、デビューしました。100周年のヘッドマークをつけて宇多野のホーム脇の残り紅葉を横目に走りすぎました。
暖かな一日でした。嵐山本線から北野線が分岐する帷子ノ辻(かたびらのつじ)から10駅、北野白梅町まで3.8キロをカメラ片手に歩きました。
冬枯れの鳴滝ー宇多野間です。桜のシーズンにはピンクのトンネルとなります。
帷子ノ辻では、100周年写真展が開かれていました。どれも見入るような嵐電の歴史が詰まっていました。
今はない北野駅を撮影したパネルもありました。
京都の町を歩きました。ダウンコートを脱いでも汗ばむほどの暖かな日和でした。
本編は明日にでもアップするとして、西院(西大路四条)まで戻ってきての昼飲みです。「昼からやってる立ち呑み屋です」の看板に、イチもニもありません。
「本日のお造り 盛り合わせ」(550円)です。タイとサーモンと、もうひとつは? なにはともあれ旨いです。
とりあえずの生中です。
「ちくわの磯辺揚げ」です。揚げたてです。
お隣を見ると、生センマイやらレバーやらがおいしそうでした。わたしはちょっと苦手です。
ジムハイボールを追加で2杯。
マイブームのピーマンも。
テレビ局のカメラも入っておおにぎわいとなりました。本番は前日に撮影したそうで、きょうは料理だけをアップで撮影していました。
路地裏 stand 五光
075-311-5566
京都市右京区西院高山寺町12-12 タカギテナント 1F
オランダのデン・ハーグ(日本では単にハーグとも)は、事実上のオランダの首都ともいえる都市です。国際司法裁判所もあります。
官庁街ともいえるビネンホフの路上カフェでランチとしました。「ロールパン with ベーコン、チーズ、トマト、エッグ」といったネーミングの一皿です。
そして、オランダといえハイネケンです。ラドラーというレモン味のビールも爽やかでした。
訪れたのは、年に一度の国王パレードの日でした。ノッポのオランダ人の後ろから、色鮮やかな衛兵、騎兵、そして王族の馬車を見送りました・
やって来たのは、フェルメールの「「真珠の耳飾りの少女」と再会するためでした。期待に反してマウリッツハイス美術館は、パレードのために臨時休館でした。
フィステーラはスペイン語で「地の果て」を意味します。カミーノ巡礼で西へ西へと800km近くも歩き続けて聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着。さらに100kmほど歩くと大西洋に突き当たります。巡礼の最終的なゴールです。
フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからフランス人の道を歩いた2度目の巡礼でした。バス・ツアーで訪れました。
海辺のレストランでいただいた最高のランチでした。巡礼のシンボル、ホタテ貝にマテ貝にムール貝、エビの数々⋯。そして欠かせないのがボトルでついてきたワイン。長い旅には、こんなごほうびが待ってました。
岬の先端からはるか大西洋を見つめました。
Paso a paso Dos エピ1=10/1 フィステーラ、ムシアへ
ポルトガル北部のポルトから歩いた3度目の巡礼でも訪れました。
高槻のフィットネスジムで気持ちよく汗をかいて、さて昼飯です。久しぶりに商店街を歩いて、向かったのは「ヴァスコ・ダ・ガマ 北園町店」でした。
とここまで、1年前のブログをコピペしました。頼んだのも同じ「季節の野菜カレー」ですが、1300円と100円アップしていました。
うまさには変わりはなく、程よい辛さのこってり濃厚カレーです。ごろごろ野菜とのコントラストもばっちりです。
缶を開けているのも同じです。ジムで流した汗の補充です。
カキのシーズンです。思わず頼みかけましたが、牡蠣鍋を食べたばかりでした。
これまでのヴァスコ・ダ・ガマ
ヴァスコ・ダ・ガマ 北園町店
072-655-8502
高槻市北園町13-30
第二級アマチュア無線技士(2アマ)の無線従事者免許証が郵送されてきました。
総務大臣って誰だったか?と一瞬、考えました。無記名ですが、まあ前任のあのだらしない格好をした方でなくてよかったです。
次は、わたしが高校生だったころ以来の憧れだった14Nhz帯で運用できるよう、無線局免許の申請を行います。
運転免許証と同じカードサイズです。
光線の具合で、富士山と流れる星座、樹林と雲(川?)がホログラムで描かれているのがわかります。
高校生の春と秋に取得した電話級(現4級相当)と電信級(同3級)の免許証と並べてみました。60年もたつと、もう別人です。
受験にはモールス信号の解読が必要(送受信の実技は電信級を取得しているので免除)でした。忘れ去ったトン・ツーの符号を頭に叩き込んでいると、もう一度、モールス符号を使用して交信する電信にも挑戦したくなりました。
その第一歩として、7Mhz帯のモールス通信を受信するための簡単なダイレクト・コンバーション(DC)受信機の製作を思い立ちました。ネットで探すと、個人で安価なパーツセットを販売している方がおられました。「最後の1セット」というのを入手しました。
パーツのうちの小さなコンデンサの印字が老眼の目では読めません。虫眼鏡で拡大して、容量ごとに分類しました。
ハンダづけは好きな仕事です。ぼちぼちと製作を始めました。
ここまで組み上げましたが、さて期待通りに仕上がるでしょうか。
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CQ de JA3UWS
CQは呼び出し符号、JA3UWSはわたしのコールサインです。
次の夢は、こんな交信です。
山城三十山の一座、十三石山に初めて登りました。京都北山を歩く雲ヶ畑山歩き俱楽部の例会でした。
季節は冬ですが、風はなく穏やかな日和でした。それでも今シーズン初の雪とも出会いました。
その昔。雲ヶ畑から京の都に花や柴を運ぶために往来しました。今は廃れた古道です。博識リーダーの講座で教えられるいことが多い、楽しい山歩きでした。
【2025/12/13 09:22】
雲ヶ畑の市ノ瀬に集合。リーダーからルートの説明を受けました。
早刈谷の林道を進みます。
谷に陽の光がこぼれてきました。
シダの上に雪が氷となって降り積もっていました。
だれもいない小屋から焚き火の煙が上がっていました。山仕事をされているのでしょう。
林道を外れて杉林の山道となります。幅は1メートルほどと広く、荷車が行き来したそうです。
満樹峠に到着です。万寿峠とも書きます。
「満樹峠というのは、平安京が造営された時、このあたりの大樹巨材が多く、老木が山に満ちていたから満樹と名付けられた⋯」(金久昌業「北山の峠」)
こんな資料をリーダーがコピーして配布。説明を加えてくれます。
十三石山の頂上直下を歩いていると、なんと山頂標識が転がっていました。風に吹き飛ばされて来たのでしょうか。拾って元のピークに戻しました。
山頂にはいくつもの標識がぶら下がっていました。
そろって記念撮影(メンバー撮影)
少し離れた十三石山西峰も踏みました。ルートはかなり荒れていました。
満樹峠に戻り、氷室に向かて進みます。途中に寺山への分岐がありました。
京都一周トレイルと合流です。おなじみの標識が立っています。
足元には、これもおなじみの像です。
氷室神社の前で昼食としました。穏やかな陽だまりでした。
わたしの昼飯は、途中のコンビニで買ってきた弁当とミニ・カップラーメンです。
久しぶりの「天下一品」です。それらしいお味は?
氷室神社を参拝します。
本殿の前にある拝殿は、東福門院(徳川家康の孫で後水尾天皇の皇后)が寄進した唐破風屋根をもつ珍しい構造だそうです。
桃山風という変わった彫り物が載っています。
氷室の穴も残っています。
ここに冬の雪を貯蔵して、夏に都へ献上しました。菓子の水無月の元祖です。
窪地は3つありました。
小峠を境に、明るい氷室の里から薄暗い盗人谷となります。
3年前には渡ることができた丸太橋は、通行不能となってました。橋脚が腐って、崩れ落ちそうです。
山幸橋まで下ってきました。
雲ヶ畑街道を下り、車をデポしていた柊野運動公園がゴールでした。
スイス・レーティッシュ鉄道のベルニナ線に、イタリア北東部のティラーノから乗り込みました。オープン・ループ橋や山上湖、雄大な氷河などのアルプスの絶景を楽しみ、中間のアルプ・グリュムで途中下車しました。走りすぎるにはもったいない時間でした。
駅舎につながるレストラン「WeissbierGarten」に直行しました。「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」です。
氷河を眺めながらのビールです。サイコーにうまいシチュエーションでした。
パリュー氷河がのぞいていました。
標高2091mにあります。ラックレールを使わない粘着方式のベルニナ・エクスプレスは、グルリっと回って登ってきました。