「数」ある欧州旅 『17』

 アムステルダムの中央駅は、どこか東京駅と似ています。
 「17」は、市内に縦横に伸びるトラムの行き先のひとつです。コンセルトヘボウ(コンサート・ホール)へは5番でした。

 アムステルダムにやって来たのは、マリス・ヤンソンス指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラのコンサートを聴きたかったからです。ベルリン・フィルで聴いて、すっかりファンなったヤンソンスのコンセルへボウでの最後のシーズンでした。
 座席は、発売開始と同時にネット予約しましたが、ちょっと後ろの17列でした。

 アムステルダムは、運河の町です。遊覧ボートで巡りました。音声ガイドは20か国語もありました。日本語は「17」でした。

 ブリュッセルの街角です。17は小さいです。

 ドイツ・リューネブルクのニコライ教会です。教会が閉まるのは5時です。
 この教会でわたしの奥さまたち女声アンサンブル「コール マーテル」が、日曜ミサに献歌しました。高いドームに澄み切った声が響き渡りました。あの日、洗礼を受けたパウル君は、わんぱく坊主に成長しているのでしょうか。

 こちらは、欧州旅に出発する関西空港です。
 かつては、オーストリア航空のウィーン直行便が飛んでいました。上から下まで真っ赤なコスチュームのキャビン・アテンダントが格好よかったです。復活してほしい路線です。

「数」ある欧州旅 『16』

 後半戦の「16」となりましたが、ナンバー探しは途端に苦戦です。

 マドリードのチャマルティン駅16番ホームに停車するrenfe(スペイン国鉄)の特急・Alviaです。ホーム端に改札があり、乗車券のQRコードがチェックされました。手荷物は、空港と同じX線検査もありました。
 スリにご用心の駅でもあり緊張しましたが、乗ってしまうと快適でした。

 サンティアゴ巡礼では、ドミトリーのアルベルゲ(巡礼者用宿泊施設)に泊まりました。
 オ・セブレイロの峠にある公営アルベルゲでは、指定されたベッドは上段でした。足が痛かったので、下段が希望だったのです。
 ベッドの選択は先着順が多いです。前から数人目に並んでたので、ちょっと不満でしたが、実際に寝てみると隅っこで頭の上が窓という快適スペースでした。
 

 プラハの旧市街広場には、この町のシンボルの古い天文時計があります。それをデザインした土産物もいろいろありました。ちょっと苦しい16です。

 ベルリンの目抜き通り、ウンター・デン・リンデンを歩いていると、見た事がない車が飾られていました。
 調べてみると「ブガッティ・ヴェイロン16.4グランスポーツ」です。なんとか16が見えるということで。

「数」ある欧州旅 『15』

 「15」です。折り返し点まできました。
 ベルリン中央駅の15番ホームからは、Sバーン(都市高速鉄道網)が発着します。地下区間も多いため第三軌条方式による電化が採用されています。地下鉄が5階に止まり、長距離列車は地下ホームという常識の逆転が、この駅で迷子になりそうだった原因でしょうか。
 2006年、サッカーのドイツWカップにあわせて開業した比較的、新しい駅です。 

 同じような鉄骨構造ですが、ベルリンのテーゲル空港は、1948年のベルリン封鎖時に、わずか49日で滑走路が建設されました。東西冷戦時の物資空輸の拠点でした。
 新空港(ブランデンブルク空港)ができると廃港と決まってますが、まだ健在のようです。

 ドイツ版新幹線のICEです。ドレスデン発フランクフルト行きに乗りました。
 座席指定車といったものはなく、シートの上に表示されている区間だけが予約されてます。このシートもアイゼナッハ(バッハの生誕地)からフルダの間以外は、自由に座れます。
 ICEは電光表示ですが、古い車両では手書きのカードが差し込まれていました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼では、わたしのスマートフォンにバルセロナで手に入れたボーダフォンESのプリペイドSIMを挿していました。おかげで野外でもほとんどの場所でネット接続はもちろん、国内通話ができました。

 こちらはカタール・ドーハのハマド国際空港です。欧州ではありませんが。
 デューティ・フリーの店も充実しておみやげ購入客らでにぎわっています。支払いはユーロでもできますが、つり銭はUSドルかQR(カタール・リヤル)です。

「数」ある欧州旅 『14』

 「14」といわれても、あまりピンとこない数字です。ジャイアンツのファンでもないし。
 スペイン。サンティアゴ巡礼からの帰り道。サンティアゴ・デ・コンポステーラ空港からライアン・エアーでバルセロナに飛びました。
 海外でのLCC(格安航空機)の利用は初めてでした。ザックは別料金で預けましたが、大方の人が機内持ち込みでした。同じ巡礼帰りの男性が、規定サイズを超えたザックを頭上の収納スペースに必死になって詰め込んでいるのがこっけいでした。

オーストリア・ザルツブルクで「夏の音楽祭」を聴いた日の朝です。こんなに寒かったのです。ことしの夏はどうだったのでしょうか?

 イタリア・ミラノのトラムです。低床の新型車も走ってますが、オレンジ色の古い車両が好きです。後方の円形の建物は、ダビンチの「最後の晩餐」の壁画が残っているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院です。

 スイス・チューリッヒのトラムは2度目です。それにしても町の雰囲気とぴったりとくるブルーです。

「数」ある欧州旅 『13』

 西洋では「13」は忌み数として敬遠されることがあるようです。
 スイスの鉄道には存在しました。アイガーの麓の村、グリンデルワルトにはベルナー・オーバーラント鉄道で向かいます。インターラーケン・オストを出発して最初の駅がヴィルダースヴィルです。左の窓からシーニゲ・プラッテ展望台に登るシーニゲ・プラッテ鉄道のかわいい電気機関車が見えました。「13 Matten」の製造年はなんと1914年。今も現役ならもう100歳を越えてます。

 「上野駅13番ホームのトイレ」はちょっと有名でした。
 チューリッヒ中央駅の13番ホームです。SBB CFF FFS(スイス国鉄)のオフィシャル・ウオッチが正確な時間を表示しています。太くて黒い時分針に、赤い団子の秒針という、モンデーンのデザインは視認性が高いです。みやげにした同じデザインの腕時計は壊れてしまいましたが、壁時計は健在です。

 マルクス経済学が主流だった大学の経済学部で学びました。この顔には見覚えがありました。
 ドイツ・ライプツィヒの街角で偶然、出会ったカール・マルクスです。いわば聖書だった「資本論第1巻」はここで出版されました。

 マドリードのバラハス空港です。ザックを太いラッピングフィルムでぐるぐる巻きにしてもらいました。これで安心の10ユーロでした。

 あと13キロ。スペイン・サンティアゴ巡礼も残りわずかでした。秋の気配が漂い始めた道を、愛おしみながら歩きました。

「数」ある欧州旅 『12』

 ギリシャ数字では「ⅩⅡ」です。
 スイス北部の町、ザンクトガレンです。ユネスコ文化遺産の大聖堂の壁面を飾るクラシックな文字盤と、時計店のモダンな数字のコントラストが美しいです。

 ザンクトガレンの大聖堂にも古い図書館がありました。
 こちらはウィーン郊外のドナウ川沿いにあるメルクの大聖堂です。ここにも立派な図書館がありました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼でピレネーを越えて最初の夜を過ごしたロンセスバリャスの修道院アルベルゲ(巡礼宿)です。ここしか泊まるところはありません。
 指定されたベッドは「227」。宿泊料の12ユーロは、巡礼の宿全体からするとちょっと高目でした。

 プラハのトラムです。数珠繋ぎになっています。後方にプラハ城がそびえていました。

 スイスの氷河鉄道に乗りました。サンモリッツからツェルマットまで8時間もかけて走りました。
 中ほどのブリークに停車しました。ホームに降りて体を伸ばしました。

「数」ある欧州旅 『11』

 こんなに小さな「11」しか見つかりませんでした。
 ベルギーのアントワープです。「フランダースの犬」の舞台となったノートルダム大聖堂の下にあるカフェで昼食を食べました。大聖堂のカリヨンがドヴォルザークの「わが母の教え給ひし歌」を、そしてビートルズの「レット・イット・ビー」を奏でていました。

 アントワープの駅から大聖堂まではトラムに乗りました。一方通行の曲がりくねった路地をトラムは「チンチン」と走っていました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼で毎夜のごとくお世話になった「ペルグリーノ・メニュー(巡礼定食)」を、ちょっと詳しくご紹介です。
 ファーストから1皿選びます。パエリア、スパゲティ・ボロネーゼ、スパゲティ・カルボナーラ、キノコのリゾット、ミックスサラダ、赤い豆(小豆?)とソーセージ、白い豆(白いんげん?)スープ。
 2皿目はこんな具合。目玉焼きハム・チップス添え、豚ロース肉・チップス添え、チョリソー・チップス添え、パン入りイカ、鶏手羽先・チップス添え、そしてチキンナゲット・チップス添え。さて、どれにするか迷います。
 デザートは、ヨーグルト、アイスクリーム、オレンジからのチョイス。さらに水かワインがついてきます。ワインは赤で、ハーフボトルが多かったです。
 これだけ食べてたったの11€、1500円しませんでした。

「数」ある欧州旅 『10』

 きょうから2桁の「10」です。
 スペイン・サンティアゴ巡礼から、道半ばの大聖堂の街、レオンです。城跡から旧市街に入りました。

 巡礼スタートの日。ピレネー山脈を越えました。ホタテ貝のシンボルマークと矢印に、最後まで導かれました。青空が抜けるようでした。

 ウィーンのハイリゲンシュタットにあるホイリゲです。新酒のワインを飲ませてくれます。日本の杉玉と同じようなのがぶさがっていました。

 プラハの街角です。路地でペンキ屋さんが鼻歌交じりで壁の補修をしていました。

 10€札は、日本の1000円よりちょっと高い感覚ですが、最も使いやすい紙幣です。

 オーストリアのザルツ・カンマーグート地方です。陶器の町、グムンデンで乗っていたOeBB(国鉄)が臨時停車。バスへの振り替え輸送になりました。降り立った駅前から市街地行きのトラムが発車していきました。
 みやげにした緑色の幾何学模様が美しいグムンデン焼の長い皿を、今も大切に使っています。

「数」ある欧州旅 『9』

 「9」まできました。
 ベルリンの名所、ブランデンブルク門の前です。人力のタクシーが客待ちをしていました。


 
 オーストリア・ザルツブルクの目抜き通り、ゲトライデ・ガッセに面したモーツァルトの生家です。内部は、当時の様子を再現した展示館になってました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼で、イラゴ峠の麓の村、フォンセンバドンのアルベルゲ(巡礼宿)の案内です。コミュニティー・ディナーは9€でした。なにせ、アルベルゲが数軒あるだけといった村です。これを食べるしか選択肢はありませんでした。
 料理はおいしかったですが、同じテーブルを囲んだ人たちとのコミュニケーションがなかなか大変でした。

 またも、鉄道のプラットフォームです。ドイツ・ライプツィヒからドイツ版新幹線のICEに乗ってワイマールに小旅行しました。

「数」ある欧州旅 『8』

 「8€」と石畳にとまる赤い車体にも、玄関にも書かれていました。ユーロはいわずと知れたユーロ(EU)圏の通過です。
 ところがここはチェコのプラハの街角でした。ちなみに車は、旧東ドイツの国民車、トラバントを改造しています。実はタイ式マッサージの店の宣伝でした。

 チェコは、EUに加盟した後も、独自通貨のチェコ・コルナ(CZK)を使っています。
 南ボヘミアのチェスキー・クルムロフの鉄道駅から旧市街まで乗ったバスの料金は8コルナでした。日本円で40円ほどでした。

 スイスは、スイス・フランを使っています。
 大聖堂の街、ザンクト・ガレンを一望できる丘にミューレックというかわいいケーブルカーで上がりました。丘の上の菓子屋さんでは、古いケーブルカーをデザインした焼き菓子を売っていました。8フランと12フランでした。 

 ブリュッセル郊外の市です。おいしいワッフルを買って、その場でかじりました。
 きれいなリースは8€でした。みやげにしたかったですが、ちょっとかさばりすぎそうで、あきらめました。まあ、生花は通関でストップでしょう。

 ベルリンで聴いたベルリン・フィルハーモニーの演奏会は、125€でした。席は「8列」と前方で、指揮のマリス・ヤンソンスがびっくりするほど格好良かったです。

 ウィーンのシュテファン大聖堂の裏手にあったフィガロハウスです。いまはきれいに改装されてモーツァルト・ハウスになってます。
 ここでモーツァルトは「フィガロの結婚」を作曲しました。踊るような自筆譜なんかが展示されていました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼の1枚。ポンフェラーダは、テンプル騎士団の城や教会が見えてからの道が、まだかまだかと遠かったです。