八幡・橋本 「やおりき」のランチ

 京阪橋本駅の目の前に、なんともノスタルジックなたたずまいの「洋食の店 やおりき(八尾力)」がありました。きょうはいつもより1時間遅く、正午になって店が開くのを待って一番乗りしました。
 「ランチ」(800円)です。ちょっと待たされました。おかみさんが独りで、おおいそぎ調理してくれました。
 手作り感満点のハンバーグです。ちょっと大きめに刻んだタマネギが甘いです。 

 圧倒的迫力の目玉焼きです。ジュワーッと黄身がこぼれました。

 「大正10年に、主人のおじいちゃんが開いたんです」とおかみさん。ということはことし100歳の、立派な百年食堂です。売春防止法が施行される前の橋本がにぎわっていた時代も、壁のおじいさんの古時計は知っているのです。

 リーズナブルなメニューです。
 常連のおじいちゃん、あばあちゃんがやってきて昼ご飯を食べていました。

 アサヒビールの「スタイニー」は、昭和39(1964)年に発売された小瓶のビールでした。

 京阪の改札をでて、わずか3メートルの近さです。

 やをりき
 075-981-6636
 八幡市橋本中ノ町33

京城勝覧を巡る 第十日 男塚女塚と橋本

 江戸時代の京ツアーガイド「京城勝覧」(貝原益軒)の第九日は、「高雄槇尾栂の尾に行道」です。
 きょうはちょっと天気も悪そうなので、第十日「八幡山にゆく道」を先取りしました。石清水八幡宮がある八幡までは、わが家から歩いてでも行ける距離ですが、車で麓を巡りました。

 京城勝覧では『男塚女塚あり。女郎花(おみなえし)の名所なり』と記されています。
 その女塚、通称「女郎花塚」は、石清水八幡宮の南にある「松花堂庭園」の中に残ります。

 傍らに咲くオミナエシです。秋の七草のひとつですが、実際には夏から咲いていて、もうお終いです。

 謡曲「女郎花」について説明されていました。

 静かな松花堂庭園を一周しました。
 江戸時代初期の文化人、松花堂昭乗が当初『石清水八幡宮』の境内に造った草庵「松花堂」などを明治になって移築した回遊式庭園です。

 あちこちに茶室があります。
 ただし、「松花堂」がある内園は、3年前の大阪北部地震の被害を受けて、修復のために閉鎖中でした。

 椿園には、いろんな椿があります。今は花はありません。

 土産店は「おみなえし」という店名でした。

 入園料は100円でした。
 隣には、松花堂弁当が食べられる「京都吉兆 松花堂店」があります。ただし、本日はまだ閉まっていました。開いていても、5000円オーバーの弁当です!
 「京都吉兆 松花堂店の松花堂弁当」はコチラ。

 この辺りの住所は「八幡女郎花」です。

 東高野街道を1.5キロほど北に戻り、八幡市図書館へ右折した路地です。
 アスファルトに埋もれかけて、「小野頼風塚」の石碑が立っています。

 民家の間をすり抜けたところにある『男塚』、通称「小野頼風塚」です。

 芦は女塚の方にたなびくので「片葉の芦」と呼ばれるそうです。残念ながら、雑然と茂ってました。

 東高野街道は高野街道につながり、高野山に達します。さらに小辺路を熊野神社まで歩いたことがあります。
 

 男女は『放生川』に身を投げまし。

 左の鳥居が、『山下にも高良(たから)のやしろ有』と記された高良神社です。

 車で走れば10分ほどの橋本までやってきました。大坂と京都を結ぶ京街道の中間にあり、石清水八幡宮の参詣口としてもにぎわった町です。
 コインパーキングに駐車して京阪電鉄の踏切を渡ります。向こうには、雑草の茂る空き地がありました。

 こちらは3年前の資料写真です。友だちと折り畳み自転車、DAHONで走ったことがります。
 橋本遊郭の歌舞練場だった立派な2階建てが残っていました。すでにツタで覆われていますが、朽ちて撤去されたようです。

 そのときに教えてもらった西遊寺の門前の石碑です。
 「湯沢山茶九蓮寺」と彫られています。
 山崎の合戦の折、立ち寄った羽柴秀吉が茶を所望したところ、洞ヶ峠を決め込んだ寺は、湯だけを提供したそうです。そこで秀吉の命名です。「ゆ たくさん、ちゃ くれん 寺」

 ちょっと見には、古い街道筋の風情です。

 こんなに装飾を施しているのは民家ではありません。

 今は旅館になっています。営業を続けている店は、多くはありません。

 軒下に残る電燈照明の跡です。これが遊郭だった名残です。

 渡し場の跡です。
 柳谷観音、山崎、愛宕と対岸の地名が並びます。

 淀川堤防から町並みを振り返ります。

 正面が天王山です。アサヒビール大山崎山荘美術館の赤い屋根が見えます。

 西を向くと、水無瀬のわたしの住むマンションも見えています。

 京阪橋本駅前の食堂で昼飯を食べて帰宅しました。

ショパンコンクール 2nd round  準備完了

 第18回のショパンコンクールがワルシャワで開かれています。ポーランドという遠い国でのステージですが、今ではネットのYouTubeライブ中継ですべての出場者の生の音をリアルタイムで聴き、見ることができます。
 80人ほどの1次予選の間、わが家のリビングにあるオーディオ装置につながったテレビは、大音量のピアノが鳴りっぱなしでした。
 さて、きょうから2次予選です。日本人は8人も残りました。奥さまたちの大注目、反田恭平くんはあす10日午前3時50分からの演奏となりました。
 奥さまは早起きするそうですが、問題はどこで聴くかです。草木も眠る丑三つ時過ぎに、マンションで大音響は発せられません。
 わが家には防音したピアノレッスン室があります。そちらで聴けるようにわたしの部屋の装置の引っ越しをしました。

 ノートパソコンには、小さなスピーカーがついてますが、これではたいした音は出ません。
 アンプとスピーカー、それにUSB-DACをつなぎました。
 このUSB-DACは、デジ・アナ変換部は安価なキットですが、出力部にトランスを入れてインピーダンス変換をしています。柔らかい音が出ます。

 スピーカーは、ヤフオクで落札。ウォールナットの突板を張ってきれいにしたAURATONEです。 
 モニタースピーカーらしく、近くで聴くと素晴らしいピアノを響かせてくれます。
 ちょんまげ姿の画像は、1次予選の反田くんです。また全曲を聴いてしまいました。

 準備万端です。
 さて、わたしは今夜はどうしましょうか?

京城勝覧を巡る 第八日 愛宕山にのぼる道

 貝原益軒の記す京のツアーガイド本「京城勝覧」の第8日は「愛宕山にのぼる道を記す」です。南東の清滝から表参道を登り、月輪寺を通って下るコースが紹介されています。
 わたしは丹波側の宕陰(とういん)にある嵯峨樒原(しきみはら)から裏参道を登り、表参道を下る縦走ルートを歩きました。
 愛宕神社の境内で食べた昼飯は、JR京都駅で買ってきた駅弁「六甲縦走弁当」でした。ご飯少な目、おかず豪勢、なにより器がコンパクトと益軒さんもうらやましがりそうな弁当でした。
 京城勝覧には「食」の話は登場しませんが、わたしにとっては欠かせないテーマです。 

 スタートの嵯峨樒原に立つ愛宕神社の鳥居です。ここまでが境内です。

 「火廼要慎(ひのようじん)」の神さまが祀られている愛宕神社です。愛宕山の山頂(924m)にあります。比叡山よりも高いです。三角点(889.8m)は、別の場所にあります。

 清滝近くまで下ってくると、愛宕山鉄道のケーブル軌道敷が残っています。6つのトンネルを抜けるこのルートを山頂駅まで登ったこともあります。

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自分でつくる シジミのボンゴレ・ビアンゴ

 ボンゴレはイタリア語ではアサリだったはずです。ということは、シジミ・ビアンゴで良いのでしょうか。調べてみたら、ボンゴレは2枚貝
全般を指すので、ボンゴレ・ビアンゴでも正解のようです。
 それはともかく、抜群のシジミの出汁がしみこんだパスタです。

 難点は、身を食べるのが面倒なことです。とても食べきれません。

 大きく口を開けた缶も、ジョッキ感覚で素晴らしいです。

 刻んだのは、ニンニクとイタリアンパセリだけです。
 シジミは、朝から塩水につけて砂出ししておきました。

京都・嵐山 「蕎麦処 いわを」の冷やしにしん

 嵐山で食べた昼飯です。天龍寺の門前にあるいわをは、30年ほど前に何度か来たことがあるそば屋です。最近も前は通っていますが、いつも満員でした。
 きょうは、時間帯も遅かったせいもあってガラガラでした。
 「冷やしにしん」(1,200円)にしました。熱いのは敬遠したくなる暑さでした。
 にしんが甘すぎることもなく、いいお味です。器は小ぶりに見えましたが。細めのシャキッとしたそばが、たっぷりと入ってました。
 九条ねぎと千切りのショウガでいただきました。七味は不要でした。

 あたり前にこの瓶を頼めるのがうれしいです。

 蕎麦処 いわを
 075-861-3853
 京都市右京区嵯峨天龍寺造路町19

京城勝覧を巡る 第七日 愛宕山鉄道の廃線跡と大河内山荘

 貝原益軒の記す京ガイド「京城勝覧」の第七日は、『嵯峨にゆく道』です。これまでになく多くの名所旧跡が網羅されています。『上下の嵯峨見所多し朝ははやく出べし』の注意書きもあります。
 わたしは最初に、益軒さんの時代には存在しなかった愛宕山鉄道の廃線跡をたどりました。
 愛宕山に登る参拝者を運ぶため嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)が、昭和4(1929)年に開設されました。しかし、戦時中にレールを軍に供出して、わずか15年で廃線となりました。
 その遺構は多くはありません。最大のものが、今も清滝につながる幹線道路として使われている清滝トンネルです。単線の鉄道トンネルとして開通しました。その途中には、架線柱の残骸が朽ちて残っていました。

 『野ノ宮(野々宮)』の辺りの竹林です。まだまだ観光客は少なく、静かでした。

 「大河内山荘」に初めて入りました。時代劇映画の大スター、大河内伝次郎が30年の歳月をかけて作り上げた回遊式の借景庭園です。これほど素晴らしい庭園とは知りませんでした。
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京城勝覧を巡る 第六日 善峯寺のシュウメイギクと金蔵寺のアサギマダラ

 貝原益軒の記した京ツアーガイド「京城勝覧」の第6日は『大原野 小鹽(塩)にゆく道』です。京都西山の淳和院の御陵がある『小鹽山』から『善峯寺』まで南下します。
 わたしは逆に歩きました。善峯寺は、境内に5000本あるというシュウメイギクがあちこちに咲いていました。
 『西岩倉』と書かれている金蔵寺では、満開のフジバカマの上をアサギマダラが乱舞していました。

 益軒は、東寺から吉祥院、桂の里、久世、向日明神と歩いて大原野に達します。小鹽山については『大原野の上の山なり』と書かれているだけです。

 『三鈷寺(さんこじ)』は、善峯寺のすぐ北にあります。初めてお参りしました。

 金蔵寺は、5月にクリンソウを見に来たばかりです。きょうも静かでした。

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