大阪・難波 ニューミュンヘン南大使館のから揚げとミナミの夜

 岩湧山に登りました。汗をいっぱいかきました。南海で難波まで戻ってきて、サッポロビアレストラン「ニューミュンヘン南大使館」に直行しました。
 まだ4時半だというのに、広いフロアーは客でいっぱい。関空閉鎖の影響でインバウンドは減っているとのことでしたが、ミナミの夜は相変わらず元気そうでした。
 なにはともあれ、「カンパ~い!」。

 ミュンヘンといえば、から揚げです。大きな鶏肉が、骨までカリカリに揚がっています。

 丸ごとトマトです。ドレッシングをかけていただきました。

 ソーセージの盛り合わせです。

 フライドポテトもはずせません。
 大ジョッキだけでは足りず、わたしはハーフ&ハーフの中を追加しました。

 ニューミュンヘン 南大使館
 06-6631-8827
 大阪市中央区難波千日前12-35 SWINGヨシモトビル2F

 酔い覚ましに夜のミナミを散歩しました。
 法善寺に行ったことがないというFさんと、水掛不動に参りました。

 相変わらずの原色の町です。人通りも変わりません。

 戎橋のグリコの前で、訪日客らに交じって記念撮影しました。

まだまだ暑く、台風傷跡残る 岩湧山

 9月に入って、台風やら何やらが続いてました。久しぶりに晴れ上がった1日となりました。泊りがけで白山登山の計画がありましたが、天候と道路事情から中止となりました。それなら近場でと、大阪南部の岩湧山(897㍍)にいつもの仲間と登りました。わたしにとっては、大学生時代以来でした。
 気温はそれほど高くはなかったのですが、湿度が高かったのか、まだまだ暑く、汗びっしょりとなりました。山道は、あちこちに倒木や枝が散乱しており、台風の傷跡が深く刻まれていました。

 【2018/09/16 10:00】
 阪急-地下鉄-南海と乗り継いで、河内長野から南海バスに乗り滝畑ダムまでやってきました。

 向こうに、これから登る岩湧山の尾根の端が見えていました。

 ダイヤモンドトレールという大阪府南東部の山々を時計回りに二上山、大和葛城山、金剛山、岩湧山、槇尾山と結ぶ縦走コースの中継点です。

 【10:22】
 登山開始です。初っ端から階段も出現する急坂でした。

 台風の強風で吹き飛ばされた枝が散乱していました。

 水場でちょっと休憩です。それほど冷たい水ではありませんでした。

 崩落した山肌を横切りました。ちょっと危険と感じたのは、ここだけでした。

 気持ちの良い風も吹き抜ける植樹帯を進みました。

 【12:03】
 視界が開け、ススキの茅場が広がりました。

 急な階段状の直登で不覚にもわたしは両足が引きつり、その場に倒れてしまいました。
 通りかかった別のパーティーの女性リーダーが、「これ飲みなさい」と、ありがたいことにザックから取り出した薬をくださいました。漢方の知っている薬だったので、すぐに飲み干しました。なんとか回復して、若干の違和感は残りましたが、その後も歩き続けることができました。

 もうすぐ頂上です(Sさん撮影)。

 青い空に、白い線が1本、伸びてました。

 Fさんのアクションカメラで撮影した全天球画像です。新鮮な画像です。
 新しいアイテムが次々の登場します。追いつけません。

 【12:23】
 岩湧山の山頂はハイカーでいっぱい。あちこちで弁当を開けていました。

 わたしのこの日の昼飯は、河内長野駅のコンビニで買ってきたおむすびセットでした。

 頂上で記念撮影です。この看板がある辺りに三角点がありました。

 ススキの穂越しに臨む大阪平野です。

 金剛山(右)、大和葛城山とダイアモンドトレールの山々が連なっていました。

 秋の花々です。その代表がススキ。花かどうかは不明ですが。

 萩があちこちで秋の訪れを知らせていました。

 さて、この黄色い花はー。

 特徴のある格好をしています。ヤマボノホトトギスというらしいです。

 薄紫がきれいです。

 これは桔梗。わたしは撮影に失敗して、Oさんから借りてきました。

 里に下りると、曼殊沙華が真っ赤でした。

 【13:58】
 悪路を下りました。紀見峠までのルートが予想以上に長く、道は荒れていて疲れました。

 道が倒木で完全にふさがれている個所もありました。

 こんな悪路をマウンテンバイクを押して上がってくる剛の方もおられました。

 電線が寸断されています。これでは復旧に時間がかかりそうです。

 川は倒木でせき止められ、流木が折り重なっていました。

 【15:51】
 南海・紀見峠まで下ってきました。歩き応えのあるルートでした。

 スマホアプリ・YAMAPで記録した軌跡は、わたしや同行者2人のものはGPSの追跡が途中で途切れて直線になってました。唯一、きれいな軌跡を残していたOさんの画像です。

ニーダーエッガー 独・リューベックの懐かしの甘さ

 ハンブルクに出張した息子がみやげを買ってきてくれました。「ニーダーエッガーをお願い」と奥さまが頼んでました。
 ニーダーエッガーは、ハンブルクにも近いハンザ同盟都市のリューベックにあるニーダーエッガーという店が作っている名物のマジパンです。 粉末のアーモンドと砂糖などを練り込んで、チョコレートでコーティングしてあります。ピスタチオ、オレンジ、パイナップル、エスプレッソといろいろ味付けされています。
 シットリとしたアーモンド粉の香りとチョコレートの甘さが口に広がります。 

 15世紀初めにリューベックが飢饉に見舞われたとき、パン職人が倉庫に大量に眠っていたアーモンド使って作ったのが起源とされています。今では、ニーダーエッガーがマジパンの店として知られています。

 2010年にリューベックを訪れたときには、ニーダーエッガーの本店で昼飯を食べました。

 レシュティというスイスのジャガイモ料理の上に小エビがのってます。
 時間がなくて、「早くして! 早くして」とウェイトレスをせきたてて、ヘンな顔をされたことを覚えています。

 ハンブルクを離れる朝、ホテル近くのスーパーにニーダーエッガーが並んでいるのを見つけました。奥さまが機内持ち込みバッグにそれらを入れて飛行機に乗ろうとすると、ハチミツの小瓶が手荷物検査で引っ掛かりました。親切な係員が「そこの自動販売機で、ジップケースを2個買って、そこ入れろ。2ユーロだから」と教えてくれました。廃棄は免れて日本へのみやげとなった、思い出の味でした。

今夜の一献 スペイン風イカの鉄板焼きもどき

 スペインの美食の町、サンセバスチャンを紹介したテレビ番組で登場してました。バル巡りで食べていたのか、とにかくおいしそうだった小イカの鉄板焼きです。
 自宅近くの生協に買い物に行ったら、予定にはなかった「ヒイカ」が並んでました。そうだ、あの鉄板焼きにしようと買ってしまいました。
 さて、レシピはどんなのだったかとネット検索しました、見つかりません。「Chipirrones a la plancha」かもしれませんが、確信はありません。テキトーにつくりました。
 熱を加えると、すぐに縮んでしまい、ホタルイカほどの大きさになってしまいました。

 ちょっと塩辛かったですが、いい味です。似て非なるものでしょうが、おいしければそれで良しとしましょう。

 もう一品は、ピーマンのマリネです。
 本当は、ピメンドス・デ・パドロンというトウガラシの素揚げが欲しかったのですが、そんなトウガラシはスペインに行かなくては食べられません。

 ヒイカのゲソをフネから引き抜きます。ゲソは内臓と目の部分は捨てました。
 よく洗って、イタリアンパセリのみじん切りとニンニクを混ぜ込みました。
 岩塩を振りましたが、ちょっと多すぎました。
 よくなじませて、フライパンでサッと炒めました。 

 お相手は、夏中、冷蔵庫で出番を待っていた白です。
 信州・池田町のスイス村ワイナリーのシャルドネです。

ダイニングテーブルをオイルフィニッシュ

 わが家のダイニングテーブルが、毎食後の水拭きのため、油分が飛んでざらついてきました。
 サントリーの「樽ものがたり」という、ウイスキーの蒸留に使った樽のオーク材を再利用したテーブルです。わが家と同じ町内にあるサントリー山崎蒸溜所を見学したときに展示されていました。気に入って、手に入れてからかなりの歳月が流れました。
 仕上げは、塗装ではなく、オイルフィニッシュだったはずです。ならばとオイルを探して、自分ですり込みました。

 ネット通販で購入したリボス(ドイツ)のメンテナンス用オイルワックス・ビボスNo375です。
 50cc瓶が2本のセットで、2000数百円でした。

 成分を見ると、蜜蜂ワックスなどのワックス類やアマニオイルなどすべてが天然素材由来のようです。

 ぼろ布と、無害オイルですが使い捨ての手袋を用意しました。

 まずは試しに、目立たない脚部に塗ってみました。ちょっとかさつき気味だった表面がしっとりとして、いい具合です。しばらく様子を見ましたが、問題もなさそうでした。

 広いテーブルの表面にすり込みました。ニスなどの塗料とは違って、刷毛目が出る心配もなく、作業は簡単でした。
 左が作業前。右が作業後ですが、画像ではその違いはあまりわかりません。ひいき目に見ると、オークの特徴の虎班(とらふ)模様が、ちょっと鮮やかになっています。

 電動サンダーにフェルトパッドをつけて、表面を仕上げました。新品だった時の風合いも蘇って、いい具合に仕上がりました。
 次は、椅子にもオイルフィニッシュします。

自分でつくる キャベツたっぷりソース焼きそば

 真っ赤な紅ショウガでもあれば、もう少しインスタ映えしたはずです。
 ま、お味の方はソース焼きそばですから失敗のしようがありません。冷蔵庫に冷えていたオールフリーでおいしくいただきました。

 最初にそばを焼きました。
 いったん取り出して、豚肉を炒め、たっぷりのキャベツを、その上をそばで覆い、蒸し焼きにしました。

 オタフクの「お好みソース」でした。ちょっと甘そうなので、ウスターソースも加えました。

「数」ある欧州旅 番外編『end ~3571』

 「Top of Europe」(3571m)で、『「数」ある欧州旅』は最終回といたします。
 スイスの名峰アイガー、ユングフラウ、メンヒが連なるベルナーアルプス三山をのぞむクライネ・シャイデックから約100年前に開通したユングフラウ鉄道で、ヨーロッパ最高地点の鉄道駅、ユングフラウヨッホまで行きました。アレッチ氷河なんかの絶景が望めるはずでした。ところが、無情の雨。登ったという記憶だけが残りました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼では、フランス-スペイン国境のピレネーに始まって、いくつもの峠を越えました。
 巡礼も終盤のサン・ロケ峠には、帽子を押さえたペルグリーノ(巡礼者)の像が風雪に耐えて立っていました。

 スイス・エンガディン地方のマローヤです。「アルプスの画家」といわれるセガンティーニのアトリエが残っていました。
 ここからブレガリアの谷を下り、セガンティーニは「天国の入り口」といった村、ソーリオを訪ねました。

 おいしいビールをたくさん飲みました。
 「1516」は、ウィーンでいただきました。ケルントナー通りの近くにあるビアレストラン「1516」のオリジナルビールでした。

 巡礼中のフロミスタで飲んだビールです。特に指定した記憶はありません。「クローネンブルグ 1664」はフランスのストラスブール産でした。

 「1906」も巡礼の途中で飲んだビールです。よく飲んだエストレーリャ・ガリシアのプレミアム・ヴァージョンのようでした。

「数」ある欧州旅 番外編『over 100』

 スイスのアイガーの麓です。ベルナー・オーバーラント鉄道でクライネ・シャイデックから下ってきて、ベンゲンで途中下車しました。駅といってもホームはありません。レールの間には、板がかぶされていました。ラックレールのギザギザもよく見えました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼で、あと200キロ。最後の峠、オ・セブレイロを越えたらゴールも見えてくるはずでした。ところが、積もり積もった疲労が限界に達したのか、左足に激痛が走るようになりました。苦しかった記憶も、今では思い出です。

 オランダ・スキポール空港で乗り継ぎのミラノ行きを待ちました。窓の外を眺めていると、ちょっとヘンな光景が繰り広げられました。
 パンクしたのでしょうか。自動車修理工場のジャッキのようなものが登場して、いとも簡単に前脚をもちあげてしまいました。いくら飛行機が軽いとはいえ相手はBoeing737-300です。

 プラハのマラー・ストラナは官庁街です。在チェコ日本国大使館がありました。
 春江一也の小説「プラハの春」の舞台だったところです。

 ドレスデンで見かけたリムジンです。なんと、かのトラバントの改造車でした。

 スイス・サンモリッツで発車を待つGlacier Express(氷河急行)塗装のELです。マッターホルンの麓の村、ツェルマットまで平均時速は30キロほどで走り、8時間もかかりました。

高槻 関西大学「レストラン ミューズ」の本日の日替り

 「社食」の次は「学食」です。JR高槻の駅前にあるジムで汗をかいて、昼飯は駅の反対側にある関西大学の高槻ミューズキャンパスに行きました。学生食堂「レストラン ミューズ」は、学外者でも食べることができます。本日の日替りは「豚肉の生姜炒め」(300円)でした。これに「かけそば」(190円)と「ご飯M」をあわせてたったの600円でした。みそ汁にしておけば、1コインで済むところでした。学食らしいリーズナブルさです。
 お味の方もなかなかいけます。安かろう、まずかろうでは今の学生は振り向いてくれないでしょう。 

 メニューはそれほど多くはありませんが、一通りはそろっています。

 学食なのに学生は食べられない(10歳未満限定)というお子様ランチもありました。

 広い食堂です。混雑時は一般席のコナーができるようです。

 キャンパスの入り口で、警備員に「学食へ」と告げると、記帳を求められ、入館証を貸し出されました。ていねいな対応でした。

 関西大学高槻ミューズキャンパスには、小学校から中、高、大学(社会安全学部)があります。
 レストラン ミューズは、左の建物の1階です。

 高槻市白梅町7番1号
 072-684-4000

「数」ある欧州旅 番外編『100』

 スペイン・サンティアゴ巡礼で、ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで100キロを示すモホン(道標)です。巡礼では、100キロ以上歩くとコンポステーラ(巡礼証明書)がいただけるため、とりわけ印象深い地点でした。

 2度目の巡礼では、ガリシア州のモホンがすべて交換されていました。ところが、100キロの手前にフェイクのモホンがあることは、きっちりと引き継がれていました。

 こちらがニセモノ。距離表示のプレートが持ち去られ、フェルトペンで100キロと書かれていました。
 改めて見ると、同じような格好をして歩いていたのですね。

 パンプローナ郊外のナバーラ大学の広いキャンパスには、日本語も交えた案内板が立っていました。ここでクレデンシャル(巡礼パスポート)にスタンプを押してもらいました。