「妙法」 松ヶ崎東山・西山と宝ヶ池、深泥池

 裏大文字に続いての京都低山ハイクは、五山送り火の「大」の次に点火される「妙法」の火床がある松ヶ崎東山(法)と松ヶ崎西山(妙)です。
 火床の松ヶ崎東山は麓からの入山が禁止になっています。稜線側から下ると、金属製の火床を確認することができました。向こうには大文字が見えています。
 少年時代を過ごした家にも近く、そのころには登ったこともあるはずです。昔の思い出が、あれこれと浮かんできました。

 松ヶ崎西山には「妙」の火床が並んでいました。送り火の中では画数が多いので、火床もあちこちの方向に延びてます。

 昼飯は、宝ヶ池公園の東屋でいただきました。
 烏丸四条で阪急から地下鉄に乗り換えるとき、途中の成城石井で買ってきました。「直火焼ハンバーグ明太ひじき飯弁当」です。即席のとん汁とともにおいしかったです。

 深泥池(みどろがいけ、みぞろがいけとも)にも回りました。京都最古の天然池で、氷河期からの動植物群が生き続けているそうです。


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裏大文字 熊一族と鹿親子にごあいさつ

 裏大文字。そんなネーミングがあるのですね。ネットアプリのYAMAPで検索しているとヒットしました。裏なんばなら知ってますが。
 京都五山の送り火の大文字がある大文字山(465.3m)の北斜面の山々のことです。そのピークの名が、熊一族と鹿親子なんです。
 玄孫(やしゃご)は、親からすると4代後です。玄孫熊山まで大文字山から尾根を伝ってたどってきました。
 ピークハントというよりは、プレートハントの低山ハイキングでした。

 最初は親の熊山です。

 子、孫、曾孫と続きます。

 ひとつ西の尾根には鹿の親子がいました。

 ざっとこんな位置関係でした。

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天王山 ミツマタロードは咲き始め

 天王山のミツマタロードから開花の知らせが届きました。ネットにそんな書き込みがありました。暖かさが戻り、天気も良くなりました。早速、カメラをもって出かけました。
 咲き始めていました。満開の黄色となるのはまだ先ですが、周辺の花が開花しています。新葉が芽吹く前の枝先に咲く春の便りです。

 3つの小枝に別れて、その先に咲くから三椏、三又とも書きます。

 まだ下を向いたままのつぼみは、光を受け銀白色に輝いています。

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交野 サンドイッチ山でサンドイッチを頬張る

 生駒山地の北端にある交野山(こうのさん)、国見山に登りました。その近くにサンドイッチ山がありるのは知ってましたが、ネットを見ていると新サンドイッチ山も登場していました。
 ここはサンドイッチ山の上でサンドイッチを頬張るしかないでしょう。自宅近くのパン屋でサンドイッチを買って出かけました。
 交野山の観音岩の上でへっぴり腰!でのポーズです。

 阪急・水無瀬駅前の「Pao(パオ)」の「ミニピクニックサンド」です。「交野いきものふれあいの里」のベンチでいただきました。

 国見山からも、遠く六甲まで見渡せます。

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京都・万灯呂山 大峰~北峰~龍王の滝を巡る

 大峰山といえば、奈良・吉野の奥にある「日本百名山」にも選ばれている山です。古くから修験道の場として知られています。
 同じ大峰山は京都にもあります。しかも京都・南部の井手町と宇治田原町に。さらにその近くの鷲峰山(じゅぶせん)も北大峰と呼ばれます。
 そのひとつ、万灯呂山(まんどろやま)とも呼ばれる大峰に登りました。
 出発が遅かったので、万灯呂山展望台に着いたらすぐに昼飯でした。奥さまにつくってもらった握り飯を頬張りました。湯を沸かして、途中のコンビニで買ってきたみそ汁もいただきました。

 目の下を流れる木津川、向こうには国見山、交野山などの北河内の山々が見渡せます。先日登った甘南備山も見えました。

 龍王の滝まで下りました。落差は13メートルありますが、全景は見ることができませんでした。

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ポンポン山 福寿草に会いに行く 2021

 スプリング・エフェメラル(春の妖精)のフクジュソウ(福寿草)が、ことしもポンポン山に咲き始めました。
 天気予報の「晴れ」を信じて大原野森林公園森の案内所から登りました。
 太陽の光をいっぱいに浴びて、黄金に光っていました。

 わたしはこれまで、3月になってから見に来ることが多かったです。昨年より1カ月も早いです。

 パラボラアンテナのような花弁を太陽に向け、反射させた光を花粉に当てて熱します。強くなった香りで、昆虫をおびき寄せて受粉するそうです。

 例年になく群生している花が多く感じられます。

 昔は、谷の斜面が黄色いジュータンになったそうです。

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JR京都線 ねじりまんぽの奥田ノ端橋梁

 ちょっと寒さが戻りましたが、よく晴れました。カメラをザックにウォーキングしました。
 西国街道を西に向けて歩きました。お隣の高槻に入りJR京都線に沿って歩くと、いくつもの「まんぽ」があります。
 鉄道や天井川の下をくぐるレンガや石積で作られたアーチ状の小規模トンネルです。その中でも積み上げられたレンガがねじれているのが「ねじりまんぽ」です。
 国内に30ほどしかない珍しいねじりまんぽのひとつが「奥田ノ端橋梁」です。

 線路に対してトンネルは斜めに貫いています。元は川が流れていたようです。
 そのためアーチ部のレンガが斜めにねじって積まれたのです。

 ワープゾーンに吸い込まれるような感覚です。

 基部は普通に積まれ、アーチ部がねじれています。
 アーチ部は交差する線路に対して直角になるよう積まれていて、交差角により左巻きも右巻きも存在します。

 「レンガ造りのアーチ橋」といして「高槻まちかど遺産」に登録され、プレートが設置されています。
 明治9(1876)年に京都-大阪間の官製鉄道が開業しました。このときに外国人技師の指導でつくられました。150年近くも現役です。

 北側から見ると、普通のコンクリート製です。「奥田畑」と書かれていますが、わたしは資料で調べた奥田ノ端橋梁としました。
 京都線が複々線化されたときに、北側に新たに2線が増設されました。トンネルもコンクリート製が延長されたのです。
 上部には、名神・高槻ICにつながる高架道路が走っています。

 ちょっと離れたところから振り返りました。尾根を太閤道が通っています。

 ねじれていないまんぽです。

 翼壁もきれいにレンガが積まれています。

 新名神高速の工事が始まっています。この辺りを通ります。それに関連する関電の鉄塔移設工事が行われていました。

 JR京都線の京都-茨木間に4つのねじりまんぽがあります。

神の宿る山「甘南備山」と一休寺

 甘南備山(かんなびやま)に登りました。京田辺市の独立峰です。標高200m余りですが、古くから神の宿る山として信仰の対象になってきました。
 三角点(201.6m)のある雌山で、昼飯のぜんざいをいただきました。正月のモチが真空パックのまま残っていました。缶詰の餡を加えました。
 甘さほどほどで、ちょっと風が冷たかったこんなシーンで食べると、ホッコリとしました。

 早咲きの梅が開いていました。でも、全体の開花はまだ先のようです。

 下山後に、車で5分ほどの一休寺(酬恩庵)に参りました。
 一休さん(一休宗純)の寺で、菊の御紋の隙間からのぞいた「宗純王廟」と呼ばれる廟所です。一休の出自は後小松天皇の落胤と伝えられ、そのため宮内庁が管理する陵墓になっています。

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十方山で山パスタを食べる

 天王山の奥にある十方山に登りました。わが家発着で山パスタを食べる場所を探して歩いているようなものです。
 メスティンでつくった山パスタです。ソースはインスタントの明太子です。あっという間に出来上がり、そこそこのお味です。
 シェラカップに湯を沸かし、コーンスープもいただきました。やはり温かいスープはうれしいです。

 

 明太子味のパスタソースです。もう少し明太子が入っていればうれしいですが、価格からすれば合格でしょう。
 茹で上がったパスタに和えるだけですから、失敗のしようがありません。
 すいすいパスタは、朝から水に漬けました。
 百均でコンタクトレンズの保管ケースを買ってきました。塩、コショウ、乾燥バジルを入れました。ちょうどう良い大きさですが、きょうは出番がありませんでした。

 ガスバーナーで調理しました。アルコールストーブよりは火力が強く、短時間で調理できます。
 水をたっぷりと含んだパスタ100グラムに、水100CCを加えて加熱します。白かったパスタが、黄色く透明化したら完成です。あっという間です。
 ソースは和えるだけです。

 シェラカップの出番です。

 十方山(304.4m)には三角点もあります。

 麓の椎尾神社で出会ったおばさんは、「C3の近くにミツマタを植えたので、花の季節を前に追肥をしに行く」と話しておられました。そのC3ポイント(緊急時の地点特定名称)まで登ると、まだ若木のミツマタがつぼみを膨らませていました。

 サントリー山で昼飯にするつもりでした。でも時間が早いので、もう一つ北側の尾根にある十方山まで歩きました。

 赤線がきょうのルートで、反時計回りに歩きました。青線はこれまで歩いたルートです。だいぶ輻輳してきました。

「ツール・ド しまもと」 三社参り

 西国街道を歩いていると、新たな発見がありました。古い家の表札の辺りに3つの神社の氏子であることを表すプレートが張られていました。
 若山神社、椎尾神社、水無瀬神宮。いずれも「ツール・ド しまもと」のルート上や、それに近いところにあります。 
 三社参りは、正月の初詣として3つの神社を詣でる風習です。1月は早くも終わりそうですが、わが町の三社参りに出かけました。

 若山神社は、文武天皇の大宝元年(701)に行基が勅命を受けて勧請したのが始まりだそうです。大宝元年って、日本史で習った「大宝律令」が制定された年です。
 祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、別名は牛頭天王(ごずてんのう)で、日本における神仏習合の神です。牛頭天王は京都・祇園の八坂神社の祭神です。

 八坂神社と同じ神紋、「五瓜に唐花(ごかにからはな)」と「左三つ巴(ひだりみっつともえ)」が並んでいます。
 ご朱印をいただいていると、神主が「わたしは以前は八坂神社におりまして・・・」と話されました。「ここは八坂さんの末社なんです」。キュウリの断面をデザインしたような紋が使われていることを納得しました。

 若山神社の「夏越のお大祓い」でいだく茅の輪には「蘇民将来子孫也」と書かれています。西国街道の民家の軒先にも掲げられていました。
 八坂神社の祇園祭の粽(ちまき)と同じ由来です。

 西天王山(若山)の中腹にあります。石段が続いています。

 若山神社
 075-962-1651
 大阪府三島郡島本町広瀬1497

 椎尾神社まで歩いてきました。
 伝承によれば天平18年(746年)に聖武天皇の勅を受けた行基によって創建されました。またも行基です。そして祭神は素戔嗚尊、聖武天皇、後鳥羽天皇(上皇)です。
 後鳥羽天皇も水無瀬離宮から足を運んで本尊を拝んだということです。 

 いつもは無人です。この日は、氏子が竹を切ったり、薪を割ったりしていました。
 やがて、さきほど若山神社でご朱印をいただいた神主がやってこられました。「兼務してるんです」。こちらのご朱印もいただきたかったのですが、ご多忙のようで頼めませんでした。
 神紋は、こちらも八坂神社と同じ「五瓜に唐花」です。

 サントリー山崎蒸溜所の奥にあります。荒廃していた椎尾神社の再興には、ここに蒸溜所を造ったサントリー創業者の鳥井信治郎がかかわっています。
 天王山の北にあるサントリー山に登るルートでもあります。

 椎尾神社
 大阪府三島郡島本町山崎5-1049

 最後は水無瀬神宮です。
 ここは後鳥羽天皇が造営した水無瀬離宮のあったところです。祭神は後鳥羽天皇らです。

 神紋は、現在の皇室と同じ「十六葉八重表菊」です。後鳥羽天皇が菊を愛し、菊紋を自らの印や刀剣などに使われたのが始まりだそうです。

 日本百名水の「離宮の水」の前には、きょうもポリタンク片手の長蛇の列ができていました。

 水無瀬神宮
 075-961-0078
 大阪府三島郡島本町広瀬3-10-24

 寒い朝でしたが、8.16キロの歴史にあふれたウォーキングでした。