6月の「月例ポンポン山」です。早いもので、すでに月例は6回目となりました。
紫陽花(アジサイ)の季節です。ポンポン山の東麓にある西国札所・善峯寺は、紫陽花の名所でもあります。
山門をくぐるときに聞きました。「紫陽花はどうですか」「はい、やっと色づいてきましたが・・・」
残念ながら、その通りでした。梅雨入りしたのに、雨が降らないのだから仕方ないでしょう。
まだまだ色が薄いです。
紫陽花の3カットは、ニコン一眼とマクロレンズで撮影しました。
6月の「月例ポンポン山」です。早いもので、すでに月例は6回目となりました。
紫陽花(アジサイ)の季節です。ポンポン山の東麓にある西国札所・善峯寺は、紫陽花の名所でもあります。
山門をくぐるときに聞きました。「紫陽花はどうですか」「はい、やっと色づいてきましたが・・・」
残念ながら、その通りでした。梅雨入りしたのに、雨が降らないのだから仕方ないでしょう。
まだまだ色が薄いです。
紫陽花の3カットは、ニコン一眼とマクロレンズで撮影しました。
6月の月例ポンポン山でした。
頂上で食べたのは、JR高槻駅のコンビニで買ってきた「俵幕の内(バランス)」(380円)です。ちょっと小ぶりで、一口で頬張れる俵状のおにぎりが入ってます。そこからのネーミングでしょう。
お茶と、それに+αです。
山の掟に反して、こんなのも買ってきました。
前回、隣で昼飯を食べていたおじさん2人組が、「やっぱりこれですね」とシュパー!!としてました。あまりにうらやましかったので、わたしも。
きょうは、それほど日差しはありませんでした、汗をかいたあとのひと口はサイコーです。クセになりそう。ま、すぐに汗となって発散しますが。
エビフライにコロッケ(半分)、焼きサバと、結構こまごまと入っています。ご飯もおいしかったです。
本日のポンポン山も、にぎわっていました。
西山古道を歩きました。
西山三山とも呼ばれる三ヵ寺、善峯寺、楊谷寺(柳谷観音)、光明寺を結ぶ古道を復活させるプロジェクトが進められ、善峯寺~楊谷寺、楊谷寺~光明寺ルートが整備されています。ポンポン山から善峯寺へ下山してきたとき、古道を紹介する案内板に気づきました。
西国札所の善峯寺からスタートします。
山道の三叉路の窪地に、クリンソウの紫の花がきれいに咲いていました。そこだけ日が差し込むので、お花畑になっているのです。
花の撮影に気を取られて、三叉路をそのまま左に進んでしまいました。これが大間違い。柳谷観音に向かう尾根道からそれて、谷を下ってしまいました。途中で気づきましたが、戻るのも面倒で、そのまま下降。途中のキャンプ場から西山古道を逆方向に進み柳谷観音に向かいました。
アオキの実でしょうか。でも今ごろ、赤いまま残っているのは幼虫が内部にいるからだそうです。
眼の観音さまとして知られる楊谷寺(柳谷観音)です。
回り道をしてしまい予定時間をすぎ、雨も降ってきたのでそのまま自動車道を島本町に向けて下り、水無瀬まで歩いて帰宅しました。
というわけで西山三山の紅葉が美しい光明寺には達していません。宿題が残りました。
「週イチ20キロ」の12日は、堺の大小路から河内長野の東高野街道との合流点まで続く西高野街道を歩きました。
高野山を目指すこの参詣道には、女人堂までの一里(約3.9キロ)ごとに里程石が残っているそうです。
最初の「十三里石」は、南海・堺東駅から東に進んだ地蔵堂の脇にあります。
「是より高野山女人堂江十三里」と刻まれています。高野山女人堂への13本の里程石は安政4年(1857年)に建立されました。
すぐ先は、竹内街道との分岐です。
十二里石は、白鷺公園を越えたあたりの地蔵堂にあります。地名の堺市東区関茶屋は、そこに街道の茶屋があったということなのでしょうか。
十一里石は、狭山池近くに石柱だけが残っています。
十里石は、南海・滝谷駅近くにあります。ここも民家の塀際に石柱だけが立ってます。
西高野街道にある最後の九里石は、終点の河内長野近くにあります。地蔵堂には、大峰山の「三十三度」の碑なども並んでいます。
ポンポン山に上る途中の大沢(島本町)で買ってきた原木栽培の椎茸です。火であぶり、レモン汁と醤油をたらしていただきました。
香りが素晴らしいです。うまい!
これだけで500円でした。
釈迦岳に登る途中で、栽培地の横を通ります。この椎茸の出生地はどこでしょうか。
新玉ねぎもおいしそうでした。でもザックに入れて持ち帰るのは大変なので遠慮しました。
ゴルフ場に通じる道端に店を出してます。
5年ほど前にも白ナスといっしょに買ってます。
東高野街道のその4は、近鉄・古市から終点の近鉄・南海・河内長野までです。歩いたのは3日です。
ここで、堺から続く西高野街道と合流し、高野街道となって高野山へと続きます。
富田林には立派な寺内町が保存されています。なかでも重要文化財の「旧杉山家住宅」は、往時の商家がそのまま残っています。
端午の節句を前にして、石川の河川敷にはたくさんの鯉のぼりがはためいていました。向こうは金剛山です。
5月の「月例ポンポン山」です。
大阪・水無瀬の自宅から歩いてポンポン山を目指しました。
水無瀬渓谷を歩くと、シャガの花が満開でした。白く可憐な花です。
一面のシャガの間を進みます。
ちょっと寝坊しましたが、いい天気なので出かけました。「月例ポンポン山」です。
頂上で食べたのは、いつものようにJR島本駅前のコンビニで買ってきた弁当です。「桜島鶏のごっそ弁当」(530円)はワンコイン超と、コンビニ弁当としてはちょっと高いです。そのかわり、鶏肉がうまいです。
鶏飯の他は、おじさん好みのおかずがつまってます。
ごぼう煮です。正月のたたきゴボウのような、いい食感です。
日清食品のカップ麺「京うどん」には、七味家の「ゆず一味」がついてます。
うどんとしては、ちょっとどうなんですか? まあ、汁としておいしくいただきました。
弁当には、ご丁寧にも「お品書き」がついてます。
カップ麺は「どん兵衛」は毎度だし、そばは好きですが「江戸そば」よりは「京うどん」でしょうと、ネーミングで選びました。薩摩と京で「公武合体」です。
インスタントですが、食後のコーヒーもいただきました。
GWとあって、ポンポン山の頂上は、これまでになくにぎわってました。
週イチ20キロ。そんなのが習慣になりつつあります。
今週も歩きました。「東高野街道を高野へ」のその3は、近鉄・石切から近鉄・古市までの約23キロでした。
この区間は、近鉄の5路線を越えていくという「鉄っちゃ」の旅でもありました。
石切から歩き始めてすぐ。ひと駅戻った額田駅で奈良線を越えました。踏切が閉まる音に振り替えると、奈良行の急行が通過しました。三宮から乗り入れている阪神電鉄の車両です。
東高野街道を南下して大和川に突き当たるところまで歩きました。
高架下が大阪線の安堂駅でした。急行が通過してゆきました。
大和川を渡ります。道明寺線の鉄橋が並行してます。向こうが柏原南口です。
道明寺線は南大阪線の道明寺から分かれてJR柏原とを結ぶ短い支線です。終点近くには同じ近鉄の大阪線・堅下がありますが、そことは接続してません。鉄道開拓の歴史があります。
仮に今、つなげても、狭軌(南大阪線)と標準軌(大阪線)と線路幅が違い、相互に乗り入れることはできません。
土師ノ里近くで南大阪線の踏切を越えます。吉野行の特急が通過しました。
今回のゴールとした古市です。向こうに長野線の河内長野行きが止まっています。
古市は、道明寺線-長野線の方が先に誕生して、その後に南大阪線ができたはずです。そのため筆記体の「X」のように道明寺線-長野線の方が直線です。なにかの本で読んだおぼろげな記憶です。
東高野街道を南下する2回目です。
春とはいえ、ちょっと肌寒い日和でしたが、街道筋にはレンゲも咲くのどかさも残ります。
JR学研都市線・星田駅前には、見事なフジが咲いてました。
「野崎参り」で知られる野崎観音(慈眼寺)に参りました。初めてです。
京阪・郡津から歩き始めて20キロほど。最後は街道から外れて近鉄・石切で区切りとしました。