京街道を上る 其の壱 大坂を発つ

 「京街道」を歩きました。
 京街道は、大坂・高麗橋から淀川左岸を進み、淀を経て京に向かう街道です。文禄5年(1956)に、豊臣秀吉が築かせた「文禄堤」が起源とされます。江戸時代に伏見から大坂に向かう道には、東海道の延長として伏見、淀、枚方、守口の4宿が設けられ「東海道五十七次」とも呼ばれました。
 このうちの大坂-枚方間をウォーキングしました。

 2010/02/14 08:41=高麗橋を出発します。
 久しぶりにやってきた北浜は、三越が姿を消し、跡地には高層マンションが建っている。東横堀川にかかる高麗橋の上は阪神高速が走っている。橋の東詰に「里程元標跡」の碑が建っている。明治時代に里程元標が設けられ、西日本の主要道の起点となっていたそうです。 

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京都迎賓館を参観する

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 京都御苑内にある京都迎賓館を拝観しました。

 「藤の間」(晩餐室)の「光天井」です。指物と和紙を使った間接照明になってます。キリッとした幾何学模様が見事です。

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 壁面には巨大な綴れ織(西陣織)の「麗花」。日本の四季の花があしらわれています。

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 指物もすばらしいです。

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 大会議室の「夕映の間」です。

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 「比叡月映」

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 「愛宕夕照」
 
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 東西に2つの綴れ織がかかっています。

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 晩餐会用の食器が並んでいます。

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 「藤の間」の障子越しの中庭です。

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 「聚楽の間」からの中庭です。

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 参観には事前申し込みが必要です。

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 30分ほどの見学でした。日本の工芸の粋を見た思いです。それにしても贅沢なものです。

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京都・一条・大将軍 妖怪ストリートを歩く

 一条百鬼夜行、妖怪大集合の図です。

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 京都・北野天満宮のちょっと南の筋、一条通りです。

 「千二百年前の平安京一条通り。古くなって捨てられた道具類が妖怪(付喪神)に化けて、夜の一条通りを行進したという怪異伝説があります…」

 そこから現代の大将軍商店街に蘇った妖怪たちです。
 一番上は、「妖怪ラーメン」の店のです。洋装店のやパン屋のやら、それぞれ個性派ぞろいです。

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 詳しくはHPをご覧ください。

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 通りに面して「大将軍八神社」があります。方除の守護神です。

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名古屋・熱田神宮 「あつた蓬莱軒」のひつまぶし

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 名物「ひつまぶし」がお目当てで、名古屋・熱田神宮までやってきました。「あつた蓬莱軒」の「蓬莱陣屋(本店)」です。創業明治6年の味です。「ひつまぶし」はこの店考案の登録商標です。 

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 「ひつまぶし」(2730円)です。

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 「作法」に従っていただきました。
 まずは、櫃(ひつ)にはいったご飯に十字にしゃもじをいれて、4等分します。
 最初に4分の1は、そのままいただきます。
 関西風で腹開きです。皮がパリッとしています。脂は良い具合におちているんでしょう。うまい!
 次は薬味をのせます。ノリとネギです。それだけで、すっかり変わります。味が深くなりました。
 さらにノリ、ネギにわさびもおとして出汁をかけて湯漬けにします。これはこれで、濃厚な味わいです。
 どれもおいしいです。「お好きなので」という最後の1杯は、薬味のせにしました。わたしは、これが鰻の味がすばらしいと感じました。

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 午前11時半開店です。11時前についたら、すでに行列です。でも、すぐに開店となり、ほとんど待つことなく店内へ。料理のすぐに出てきました。1時間くらい待つことは覚悟してましたので、ラッキーでした。
 写真は、カメラがオートフォーカスになってなくて、見事なピンボケですが、コレしかないので掲載します。

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 調理場からもうもうと煙が上がってます。臭い、あるいは匂い充満です。

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 腹ごなしなんていったら神さまにしかられますが、熱田神宮に参拝しました。お宮参りや七五三でいっぱいでした。南門を出ると「神宮南門店」があり、ここも待ちの客であふれてました。
 本店は、東海道五十三次の「宮の宿」の本陣跡の隣にあるので、「陣屋」です。
 蓬莱軒/本店陣屋  地図
 052-671-8686
 〒 456-0043 愛知県名古屋市熱田区神戸町503

清水坂 京のブランド

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 清水坂を歩きました。
 産寧坂との角にある「七味家」です。昔からここにあります。ここの七味は、わが家に欠かせない一品です。

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 八つ橋は、いくつかの店がつくってます。清水坂で見る限りは、「西尾」が優勢です。

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 かつては、圧倒的シェアだったはずの「聖護院」です。

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 生八つ橋に餡をつめた「おたべ」も人気商品になりました。
 さらに続きます。

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鉾立ての夜の祇園祭

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 早くも提灯に灯が入った函谷鉾(かんこぼこ)です。まだ鉾立ての夜(12日)です。祇園ばやしも流れてきます。

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 提灯の電球は、今年から白熱球をやめて、省エネタイプの蛍光電球に換えたそうです。気のせいか、明るいようです。

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 菊水鉾でもはやしがはいってました。

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 粽(ちまき=1000円)をかうと、鉾に登らせてくれました。
 「蘇民将来子孫也」。マンションですが、玄関に掲げておきます。

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 ちょっと早い時間です。長刀鉾(なぎなたぼこ)では、まだ屋根に職人があがって作業中です。

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 まだ骨組みがむき出しの鉾です。釘は使わず、縄で組み上げていきます。

東海道五十三次 ゴール!!

 08/03/24
 
 お江戸日本橋から500キロにならんとする距離を歩き継いだサトウに敬意を表して、最後の石山ー三条大橋間を、「どたぐつ3」のみんなで歩きました。

 9:09

 あいにくの曇天となった。
 石山から膳所に向かう。

 9:18

 篠津神社の門は左右非対称。膳所城の遺構をを移築したそうだ。

 9:34

 膳所神社には、篠津神社と同じ造りの門が。

 9:43

 

 10:32

 すだれ屋が残っている。琵琶湖の葦でで作るのだろう。

 10:02

 義仲寺に着いた。

 11:05

 10:06

 「古池や…」の有名な芭蕉の句碑。
 芭蕉の墓と朝日将軍・木曽義仲の墓は背中合わせ。

 11:07

 10:12

 バショウが枯れている。

 11:10

 国道1号に沿って逢坂山を越える。

 11:13

 逢坂の関。

 11:54

 京都市に入る。マンホールの蓋は、中央に京都市章。周りに御所車の車輪がデザインされているが、あっさりとしている。

 12:23

 山科駅前で、ちょっと早いが乾杯!!

 12:35

 昼食は、海鮮丼セット。

 12:56

 ラクト山科の東東来にて。

 14:04

 蹴上のインクライン。満開の桜の下を歩くはずだったが、まだつぼみ。おかげでだれもいない静かさ。

 14:39

 京都・三条大橋にゴール!!
 労をねぎらって、三条大橋では舞妓さんが出迎えてくれました。ウソです。舞妓衣装に身を包む体験中のしろうとさんです。

 14:40

 五十三次を歩き通して満足の表情。

 14:41

 弥次さん喜多さんの像の前で。撮影は佐芳カメラウーマン。

 14:42

 親子で。

 14:54

 こんな手ぬぐいが記念に配られました。ありがとう。

大阪・島本町の最高峰、釈迦岳で食べるカップヌードル

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 あまりに天気が良いので、久しぶりに軽登山靴を引っ張り出して山に登りました。阪急・水無瀬駅前の自宅から歩き始めて3時間。大阪・島本町の最高峰、釈迦岳(631.4メートル)の頂上です。
 駅前のコンビニで買ってきた「カップヌードルMiso(みそ)」です。まずはバーナーでお湯を沸かします。

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 初めての味です。みそラーメンです。具も結構、はいってます。味は、まあまあ、ってところです。

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 おにぎりも買ってきました。1個170円が30円ひきでしたが、こちらは具も大きく、「新潟産コシヒカリ」もいい味です。

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 釈迦岳は、残念ながら展望はあまりありません。でも頂上を独り占めです。
 ここから西に30分ほどで、京都西山のポンポン山(678.9メートル)ですが、そのまま長岡京市側の善峰寺に下山しました。
 万歩計は、2万歩を大きく越えてました。
 

祇園祭の路地

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 一瞬の静寂です。
 祇園祭はきょうが宵山。鉾町は、昼からにぎわってます。
 とある路地に入ってみると、その喧噪が嘘のようです。祇園囃子も聞こえてきません。

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 「京都市中京区新町通錦小路上ル百足屋町380」というのがその路地の所在地です。
 だからでしょう。提灯に書かれた百足屋は、「むかでや」です。それはわかりましたが、百千足館は・・・、「ももちたるかん」だそうです。2階には能舞台もあるそうです。

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 新町通に面した入り口です。
 民家を再生させて、カフェやイタリアンレストランなんかができています。本日は、前を通っただけです。

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琵琶湖疏水の洞門石額

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疏水の洞門石額1-2

 琵琶湖から京都・蹴上を結ぶ琵琶湖疏水ができたのは、明治23年(1890)のことです。洞門(トンネル)の上には、明治の元勲らの筆になる石額が彫り込まれています。
 久しぶりにMy折りたたみ自転車DAHONで走りました。
 「氣象萬千(きしょうばんせん)」 伊藤博文 筆
 千変万化する気象と風景の変化はすばらしい(宋・岳陽樓記の一部)
(訳文は京都市上下水道局のHP「琵琶湖疏水の洞門石額や石碑をご案内」から=以下も同じ)
 第一疏水は、琵琶湖畔からまっすぐに三井寺に向かって流れ出します。
 第1トンネルは長さが2436メートルもあります。ほとんど人力だけで掘った難工事だったそうです。 

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 「廓其有容(かくとしてそれかたちあり)」 山縣有朋 筆
 悠久の水をたたえ、悠然とした疏水のひろがりは、大きな人間の器量をあらわしている
 京から大津に抜けるメインルートは逢坂越ですが、もうひとつ小関越というのがあります。かなりの急坂を越え、山科に下りました。住宅地が始まるあたりに、第1トンネルの出口はありました。

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 「仁似山悦智為水歓歡(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ)」 井上馨 筆
 仁者は知識を尊び、知者は水の流れをみて心の糧とする(論語)
 護岸がきれいに、あまりに人工的に整備されています。これじゃ、まるで「とゆ」です。どうしてこんなことをするのでしょうか。

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 「隨山到水源(やまにしたがすいげんにいたる)」 西郷従道 筆
 山にそって行くと水源にたどりつく
 第2トンネルの出口は、きれいな煉瓦が積まれています。

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 「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」 松方正義 筆
 第3トンネルの手前には、日本で最初の鉄筋コンクリート製の橋がかかっています。

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疏水の洞門石額6-2

 「美哉山河(うるわしきかなさんが)」 三条実美 筆
 なんと美しい山河であることよ
 武者小路なにがしの専売特許のような言葉ですが・・・。
 インクラインの上部から見える洞門です。かなり距離があるので、望遠レンズ(420ミリ)に、1.7倍のテレコンバーターをつけて写しました。

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 「雄觀奇想(ゆうかんきそう)」 北垣国道 筆
 見事なながめとすぐれた考えである
 インクラインをくぐる「ねじりまんぽ」の上にあります。
 北垣国道は、琵琶湖疏水の建設にあたった第3代京都府知事です。
琵琶湖から京都・蹴上までの詳細は、HP版「琵琶湖疏水の洞門石額」をごらんください。