「数」ある欧州旅 『20』

 スペイン・サンティアゴ巡礼から2つ。
 巡礼の朝は早いです。この日も6時半にはプエンタ・ラ・レイナのアルベルゲを出発。開いていたカフェでクロワッサン、スーモ・ナハーラ(オレンジジュース)、カフェ・コン・レチェ(カフェオレ)とお決まりの朝食を取りました。さて、歩くかと外に出ても、まだあたりは真っ暗です。
 スペインは、ヨーロッパでもほぼ西の端に位置するのに、サマータイムもあって朝日が昇るのはこの時期は8時半ごろでした。

 巡礼も終盤近く。オ・セブレイロの峠の村で見つけた「貸し自転車」の広告です。これに乗って、20キロ先の麓の村、トリア・カステラまで2時間で走り降りることができます。足が痛かったので、かなり誘惑的でした。6時間ほどかけて、自分の足で歩きましたが。

 ウィーンのナッシュマルクトは、通りに沿って市が立ってます。そこで泳いでいたのは「Aale」、まぎれもなくウナギでした。1キロ、20€は高いのか安いのか? 調理法も不明です。まさかかば焼きはないでしょう。

 ドイツ・ライプツィヒの街角です。ウェディングドレスの新婦が通り過ぎました。

 FINNAIRで行くヘルシンキは、日本からは一番近いヨーロッパです。
 ベルリンからの帰り道も、ここで乗り継ぎました。ヘルシンキ・ヴァンター空港は、こじんまりとした空港です。ムーミンや北欧デザインの土産物が素敵でした。

Myメモリー 廃村八丁

 歳をとると、いろんな昔を思い出します。
 芦生の森を歩きました。「廃村灰野」に「佐々里峠」への分岐がありました。この2つのキーワードで浮かんだのが「廃村八丁」です。南西に3時間という佐々里峠のさらに同じほど離れた南西にあります。
 時は1965年秋までさかのぼります。わたしは高校1年生でした。その当時で、八丁はすでに1941(昭和16)年に最後の住民が離れてから24年が立って、廃村になってました。
 土蔵に近代的なビルや富士山、水着姿の女性が描かれたのはいつのことかはわかりません。当時から、知る人ぞ知るスポットでしたが、その土蔵も朽ち果てようとしていました。 

 ネットを調べてみると、それから22年後の「山と渓谷」(1987年3月号)に掲載せれた全景がありました。
 今は、もう存在しないでしょう。

 若かりし日のわたしと、Nくん、Kくんです。では、だれがカメラのシャッターを押したのでしょうか?

 もう1枚にヒントはあるのですが、手前の男性が誰であるかは、記憶にありません。

 この土蔵で泊まったはずです。
 食事の準備です。懐かしい灯油を燃料としたラジュースでコッフェルを熱しています。ご飯は飯盒で炊いたのでしょう。

 これまでのMyメモリー