梅雨入り前の最後の好天でした。東山三十六峰を巡る3回目は、蹴上から南禅寺の裏山とでもいうべき4峰を歩きました。それぞれに山名を表示したプレートがあり、4戦全勝の好成績でした。
第16峰の若王子山(にゃくおうじやま、183㍍)のすぐ前には学校法人同志社の共同墓地があり、創始者の新島襄、妻の八重らが眠っています。
若王子山から雑木の間を100㍍あまり行くと、第17峰南禅寺山(197㍍)でした。
京都市左京区南禅寺福地町というのが所在地です。
わたしは右京区の産院で生まれましたが、両親は当時、南禅寺の塔頭の一間を借りて住んでいました。わたしの最初の住民登録地は左京区南禅寺福地町だったはずです。赤ん坊のときに見上げていた町内の山というわけです。
暑い1日でした。冷麺が食いたいなと歩きました。
山を下りた天王町から丸太町を河原町まで歩いて、「冷たいまぜ麺、あります」という店と巡り合いました。
冷たいビールとともに、ああうまかった!