「田園」の夏の家

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 「夏の家」というのもありました。1898年の夏、この家の2階の部屋を借りて「田園」を完成させたそうです。
 ちょっと疲れたので、ここからバスに乗り、二駅先のグリッツィングまで行きホイリゲに直行しました。   (2005/05/17)

ここで「合唱」が

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 ベートーベンガング(小径)からエロイカ(英雄)ガッセ(通り)と下ってきて、ここのホイリゲはまだ閉まっているねとベンチに腰掛けました。ペットボトルを口に見上げると、「史跡」を表す4本のリボンが。
 ベートーベンが第9の4楽章「合唱」の部分の構想をふくらませたという「メイヤーの家」でした。
 「引っ越し魔」のベートーベンらしく、あちこちの家に滞在したようで、また、その記録が残っているのがすごいところです。  (2005/05/17)

ハイリゲンシュタットの遺書の家

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 ベートーベンが弟あてに遺書を書いたという家です。この家を気に入っていたそうで、11回も滞在し、交響曲2番はこの家で生まれたそうです。
 路地に面した家の木のドアを押すと、中庭が。正面に、その家はありました。展示室になっており、おじいさんから「見るのか?」といった感じで入場料を徴収されました。そして、「遺書」の説明をしたガイドブックの日本語ページを開いて「ここを読め。買わなくていいから、すんだらここに置いといてくれたらいい」と言い残して、どこかに行ってしまいました。なかなか親切でした。

ご主人はどちらに?

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 カーレンベルクの丘から散歩してくると、あたりののどかな風景とは不調和な屋敷の横を通りました。何台もの監視カメラが周りを見回しています。
 ここの元ご主人はイラクのフセイン大統領だそうです。この細い坂道を登って、あのかたもやって来たのでしょうか。
 いまは、イラクの公館になっているらしいですが、どなたもお住まいの様子はありませんでした。   (2005/05/17)

ホイリゲでのんびりと

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 グリッツイングにあるホイリゲ「Zum Martin Sepp」です。キノコ料理が人気という店ですが、季節はずれのうえ、さすがに昼前からここにくる客は少なかったようです。それでも頼みました、「ワインを」と。
 新酒のワインを飲ませてくれる酒場です。料理は、店内のウインドーをのぞいて、「これ、とあれ」と指さすだけです。
 こんな時間から酔っぱらって、最高です。
 ちなみにお代は-
 店内でもらったのが右の精算書
  ブタの焼き肉  32eur/kgの肉を1切れもらって172g、5.5eur
  添え物(小)×2 ブロッコリーとポテトを頼みました 1.5*2=3eur
  サラダ(大)  生野菜などを大皿に盛りました  6.9eur
 これに野外のテーブルで頼んだワインが2つ。これが手書きの精算書にある4.40eurで合わせて19.8eur、日本円にすると2800円ほどになりました。   (2005/05/17)

ベートーベンの散歩道

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 ベートーベンが「田園」の曲想を得たという小川が流れてます。
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 いまでは、すぐ近くに住宅があって、その小川も下水が流れ込んでいるのか、ちょっと幻滅の風景でした。当時は、馬車に揺られないとやって来られない田舎だったのでしょうが。
 雰囲気はわかりました。もうちょっと坂を下れば、あのホイリゲです。
         (2005/05/17)

マロニエの咲くころ

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 和名はセイヨウトチノキ。パリなどの街路樹で知られてますが、花を見たのは初めてです。遠くから見ると、白っぽい房が上向きについているようにみえますが、近寄るとちょっとピンク色の花弁が可憐でした。あちこちで見かけましたが、写真はウィーン郊外のカーレンベルクの丘です。 (2005/06/17)
 

馬にも食われず

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 旧東ドイツ製のトラバントがまだ健在だった。パタパタと空冷エンジンも騒々しく走っているのもみた。
 10年ほど前、ドイツに行ったとき、「あれはボール紙でできている。いなか道に駐車してたら、ウマに食べられてしまうそうだ」とバカにしたように話を旧西ドイツの男性から聞いたことがある。
 日本人が、3万円で買ったトラバントを日本に運んだら、運賃だけで30万円もしたそうだ。蓼食う…ではないが、ファンもいるんだ。   (2005/05/16)
 

リストは怒っている

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 「ほれほれ、そこの人、もっと静かに」。きっとリストは怒っているはずだ。
 像の礎石はめくれあがり、「こんな人、知らない」とばかりに、すぐ横までカフェーのテーブルが。遠来の観光客が記念撮影するスペースもないとは。
 ウィーンでは、音楽家はもっと大事にされていた。市民公園のシュトラウスも、中央墓地のモーツァルトにも花輪があった。それなのに、ハンガリー人としては一番有名なはずのリストもコダーイもこのありさま。世界に自慢できる観光資源でもあるはずなのに。  (2005/05/16)