京城勝覧を巡る 初一日 東山から大将軍へ

 江戸時代中期の儒学者、貝原益軒に「京城勝覧(けいじょうしょうらん)」という書があることを知りました。
 弥次さん喜多さんのような観光客に、京の洛外を巡る1日観光コースを17回で紹介しています。江戸時代版の観光ガイドブックです。
 昨夜のKBS京都のテレビ番組で、その1日目を巡っていました。
『三条小橋大橋をこえ なはての町を下り建仁寺六波羅清水へ出いでそれより粟田口までの道をしるす。今日は見物所多しこまかにみるべし』(「
京城勝覧」の原文引用は『 』でくくります)
 夏の間、どこにも出かけないで巣ごもりしているうちにすっかりなまってしまった体です。なんとかしようと、できるだけ「密」を避けて歩こうと思います。

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伊勢参り その4 山の辺の道・北ルートを円照寺まで

 梅雨が明けたらガンガン照りでした。お伊勢参りの4回目は、奈良市街から南を目指しました。
 大阪・玉造を出発した伊勢本街道と合流しましたが、本街道はJR万葉まほろば線とほぼ平行にまっすぐ変化のない道を南下します。
 わたしはちょっと外れて山の辺の道・北ルートを歩きました。天理からの南ルートほどには見どころはありませんが、東海自然歩道でもある静かな道でした。
 ゴールは、ちょっと短いですが天理との中間点となる円照寺でした。山の中にたたずむ趣のある寺でした。

 山の辺の道はよく整備されていました。あちこちに句碑がありました。
 「かるかたのたかまとやまをたかみかも いてくるつきのおそくてるらむ」(大伴坂上郎女)

 夏空が広がりました。向こうが生駒山系です。

 昼飯は近鉄奈良に戻って食べました。
 ギンギンに冷えた生ビールといただきました。

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ちょっと山歩 向谷山と大沢のスギ

 きょうも天気予報は、午後から崩れると。ならばそれまでにと、近場を山歩しました。
 大阪・島本町のわが家から見上げる北の峰に電波塔が立っています。そこが向谷山(むこうだにやま、478.2m)という名の山であることを、最近になって登山アプリのYAMAPで知りました。
 せっかくならと、その近くの「大沢のスギ」にも回りました。樹齢800年の大阪府天然記念物です。

 向谷山は、ポンポン山への行き帰りによく歩く府道79号からちょっと入ったところにあります。頂上には三角点はありますが、たった1枚ぶらさがっていたプレートは、色あせて山名が読めません。

 向谷山の頂上は眺望はありません。戻る途中のテレビ大阪の中継塔の前から島本町が見渡せました。わたしの住むマンションも確認できました。

 柳谷観音はアジサイのシーズンが終わって、静かでした。
 睡蓮のすっきりとした花手水が、涼しさを演出していました。

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伊勢参り その3 ニュータウンをリングワンデリングして奈良まで

 歩いてお伊勢さんの3回目は、木津から奈良街道・終点の東大寺転害門へと歩きました。
 旧道からは外れていても車でなら何度も走ったことがあるルートです。
 ところが頼り切って歩いていたスマホのマップがダウンして、州見台(くにみだい)で道に迷いました。雪山と違って遭難の危険はありませんが、夏の日のリングワンデリングで干上がりました。
 歩いたおかげで旧奈良監獄のレンガ造りのレトロ建築ともめぐり合いました。

 明治の末に9年間だけ存在した大仏鉄道の遺構もありました。

 1300年余の時を越えて佇む東大寺創建当時の大門、転害門です。ここが奈良街道の終点です。
 門が3つ、並びました。

 昼飯は、迷い込んだ(?)ガーデンモール木津川の「来来亭」で、念願の葱ラーメンでした。うまかった!

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伊勢参り その2 JR奈良線に沿って木津まで

 歩いてお伊勢参りの2回目です。JR城陽から奈良線とつかず離れずで木津まで歩きました。奈良までのつもりが、すでに18.5キロも歩いていました。
 梅雨の中休みです。街道歩きには幸いなことに、からりとは晴れ上がりませんでした。それでも暑かったです。
 半袖のTシャツ姿でした。家に帰ってシャワーを浴びてびっくりしました。首と腕に、くっきりと日焼けの段差ができていました。これからの伊勢参りの旅には、日焼け対策が必要です。

 奈良街道の長池の宿辺りを歩いていると、「カン、カン」と踏切の音がしました。路地をのぞき込むと、みやこ路快速が通過しました。現代の飛脚か早馬ですかね。

 青田の中をブルーの電車がさっそうと横切ります。

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伊勢参り その1 京を旅立つ

 お伊勢さんに、もう一度、参ろうと思います。
 きっかけは単純です。先日のNHK「ブラタモリ」の伊勢神宮再放送で、近江友里恵アナが「修学旅行のとき以来」と話していました。わたしは修学旅行以来、近くは通っても参っていません。
 古い写真です。京都市立葵小学校の6年生のわたしが写っています。内宮の前です。昭和36(1961)年のことです。ちょうど60年前ではないですか。ならば「還暦伊勢参り」とまいりましょう。折角ですから、わが足で歩いて。
 伊勢本街道は、大阪・玉造を出発して暗峠を越え、奈良、榛原、奥津と歩んでいきます。京都人ならまずは東海道を下ったのでしょうが、わたしは奈良街道を奈良まで行き、伊勢本街道と合流しようと思います。
 1日目は、宇治川にかかる観月橋をスタートして、城陽まで歩きました。

 「明治天皇御駐輦所(ごちゅうれんしょ)観月橋」の碑は、明治天皇が明治10(1877)年の関西行幸で訪れたことを記しています。
 鉄ちゃんとしては、並行してかかる近鉄京都線の観月橋(正式には澱川橋梁)に目が向きます。昭和3(1928)年に奈良電(現在の近鉄)のために架けられた、橋げたのない巨大トラス橋です。

 宇治川を渡ると、豊臣秀吉が巨椋池(おぐらいけ)を南北に貫いて築いた小倉堤を進みます。
 街道から路地をのぞくと、堤の上を歩いていることがわかります。

 大きな松の木が1本あるだけで、旧街道の趣があります。

 それにしても暑い1日でした。
 伊勢までは大阪・玉出から160キロ。京都からでもさして変わらないでしょう。スペインのサンティアゴ巡礼では毎日20キロ以上を歩いていました。もはやそんな元気はないですので、ゆっくりと、区切り区切りに歩みを進めたいと思います。

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京都・雲ケ畑 足谷でベニバナヤマシャクと会う

 雲ケ畑の足谷にベニバナヤマシャクヤク(紅花山芍薬)を見に行きました。雲ケ畑を代表する花だそうです。
 京都北山の雲ケ畑は、中学生のころからハイキングルートとして何度となく歩いてますが、この花を見たのは初めてです。
 純白の花弁が、半開きでふんわりと蕊を覆って、はじらいの表情を見せています。

 めしべは、個体によって本数が違うようです。

 ヤマシャクヤク(ヤマシャク)にベニバナと冠しています。紅色をしているのが特徴なのでしょうが、ここで咲いているのはみんな真っ白です。

 ヤマシャクヤクはもう少し早い時期に咲くようです。別の品種です。

 アップで撮影しています。実際には花の直径は6-7センチほどとかわいいです。鑑賞用の大輪のシャクヤクとは大違いです。

 高さは50センチほど。スラリと伸びた茎の先に咲いています。

 つぼみもかわいいです。

 ベニバナヤマシャクヤクは京都府のレッド・データブックで絶滅危惧種に指定されています。
 京都府は、雲ケ畑出谷町足谷地区を「ベニバナヤマシャクヤク成育地保全地区」に指定して保護しています。

 「雲ケ畑・足谷 人と自然の会」という団体が、京都府の委託を受けた巡視活動が行っています。
 ゲートとなっている足谷小屋です。ここで入山届に記入しました。わたしは事前にこの会にメールで問い合わせて、入山の許可をいただきました。

 ゲートから一本道で延びている作業用道路を進みます。かなりの急坂もありました。

 ゆっくりと歩いてちょうど1時間。作業道路の終点です。
 この辺りにベニバナヤマシャクヤクが咲いていました。

 「九芍亭」と名づけれたツリーハウスのような休憩施設があります。
 この前のテーブルを借りて昼飯の弁当を食べました。

 クリンソウの群生地を木道で抜けて、さらに奥まで山道は続いているようです。桟敷ヶ岳への稜線へとつながるようです。

 咲き遅れたクリンソウが、一輪だけ花をつけていました。

 クリンソウの大群落です。咲いているときにやってくればすごい光景でしょう。

 タツナミソウ(立浪草)が可憐な花をつけています。

 エゴノキが白い花を垂らしています。

 ツルアジサイ(蔓紫陽花)が、大きな花を咲かせています。

 コアジサイは、薄紫に輝きます。

 ヘビイチゴでしょうか。あまりおいしそうではありません。

 コショウノキとプレートに書かれていました。胡椒のように辛いそうです。

 京都市内を上り、上賀茂神社の横を通って雲ケ畑に向かいました。もくもくバスの終点、岩屋橋からさらに祖父谷峠への林道を走ったところです。

 ゲート付近では携帯電波が拾えず、YAMAPを作動させることができませんでした。途中から動いています。

京都・洛西 大原野神社の睡蓮

 大原野神社を散歩しました。
 睡蓮があちこちに白い花を開けていました。

 夜になると花を閉じることから眠る花、睡蓮です。午後遅くになっていたので、早くも閉じている花も多かったです。

 赤いアーチの橋がかかります。モネの「睡蓮」を思い起こさせる風景です。

 鯉沢池は、奈良・春日大社の近くにある猿沢池を模してます。

 大原野神社は延暦3(784)年、長岡京遷都に際して藤原氏の氏神である奈良・春日大社の分霊を祀ったのを起源とする神社です。

 大原野神社
 京都市西京区大原野南春日町1152
 075-331-0014

京都西山 老ノ坂から大暑山、小塩山へ

 二十四節気の大暑(たいしょ)はまだ先ですが、暑い一日でした。東海自然歩道の大阪ー京都間の欠落部分となっていた小塩山-沓掛山間を埋める2回目は、老ノ坂峠から大暑山(おおしょやま)、小塩山と歩きました。
 大暑山は、初めてのピークです。3等三角点はありますが展望はなく、ただ暑いだけでした。山名の由来は、知りません。

 【2021/06/02 10:38】
 阪急・桂から京阪京都バスに乗り、前回ゴールとした老ノ坂峠までやってきました。

 国道9号の老ノ坂トンネルです。京都縦貫道ができてからは、ここを走ることはめったにありません。

 トンネル入り口の手前からルートは始まります。「西山連峰トレッキングルート」と記された、比較的新しい案内が立っています。

 旧山陰道に合流します。向こうの亀岡方面から京都まで歩いたことがあります。
 「クマ出没注意」ののぼりを見て、ぶら下げている熊鈴が鳴るようにセットしました。

 山陰道は「これより山城の国」です。ここから街道を外れて大暑山を目指します。

 梅が実を膨ませています。

 卯の花がいたるところで満開です。

 尾根筋に出ましたが、結構な勾配です。

 関電の鉄塔まで上がってきました。ひと汗かきました。

 さらに階段まで現れました。

 【11:16】
 やっとピークといた感じですが、その先は予想通りの無粋な金網フェンスでした。NTTのアンテナ跡地です。

 山の中腹に京都西山団地が造成されています。でも売れ残った(?)のか手前はソーラー発電団地になってます。

 広い団地を縦貫して嵯峨美大のグラウンドの横から、再び山道になります。

 【11:56】
 緩やかな山道をたらたらと登っていくと、あっけなく大暑山に到着です。といっても眺望もなく、すぐに退散しました。

 峰続きに小塩山を目指します。
 このルートはさしてアップダウンはなく、オフロードバイクが走ったタイヤ痕がいっぱい残っています。

 ちょっと広い山道とはいえ、突然、土にうずもれかけた廃車が現れました。

 「玉蓮院」と書かれた立派な門が現れました。脇には「日章突撃隊修練道場」とも。人の気配は感じられません。

 大原野から小塩山に通じる管理道路(一般車は通行不可)に出てきました。
 西山自然保護ネットワークのボランティアで、カタクリ保護地の整備に行ったときは、この道を車で上がりました。

 真っ赤な実が成っています。

 毎春、カタクリ観察のために大原野から登ってくる道と合流しました。

 カタクリ保護地の「炭の谷」はロックされて静かです。

 小塩山の頂上にある淳和天皇陵です。こんなに山の上にある天皇陵は珍しいのでしょう。

 【12:36】
 小塩山の頂上を示すプレートは、天皇陵の裏側、陵より低いところにあります。

 ベンチに最適な木が転がっていたので、ここで昼飯にしました。
 カタクリの咲くシーズンだと、ハイカーでいっぱいです。きょうは最初から最後まで、誰とも出会いませんでした。

 湯を沸かしてコーンスープをつくります。

 阪急・水無瀬駅前の「Pao(パオ)」で買ってきました。

 熱いスープですが、おいしいです。

 尾根筋を通る陵墓道を下ります。金蔵寺との分岐まできましたが、そのまま下りました。

 麓まで下ってきました。きょうは、きれいな花とは出会えなかったと、道端のアメリカフウロにレンズを向けました。

 【13:49】
 金蔵寺から下ってくる東海自然歩道と合流しました。
 この後、数分で阪急・南春日町のバス停に到着、ゴールとしました。すぐにバスはやってきて、阪急・東向日から帰宅しました。
 これで東海自然歩道に沿ったルートは箕面の明治の森から、京都・宇治の先まで一本につながりました。

京都西山 唐櫃越を沓掛山から老ノ坂へ

 花の画像も、昼飯の画像もないので、とりあえずは珍しい自撮りです。ひとり沓掛山(くつかけやま)の山頂です。
 唐櫃越(からとごえ)は、古くから山城国と丹波国をつなぐ道です。明智光秀が京の本能寺を襲ったときに夜を徹して走り抜けたとも伝えられます。
 阪急・上桂あたりから稜線をたどって沓掛山を越え、亀岡・馬堀までがハイキングコースとなっています。わたしは途中の老ノ坂まで歩きました。 

 東海自然歩道は、箕面の明治の森から東京まで延びています。
 正確にルートをたどっているわけではありませんが、箕面の西の池田から、春にカタクリの花が咲く小塩山まではつないで歩いてます。さらに沓掛山から京都一周トレイルを逆回りに伏見桃山まで、さらに宇治、びわ湖までも歩いています。
 途中の欠けている小塩山-沓掛山間をつなげようと思います。この間は距離はあまりありませんが、前後の交通の便も考えて老ノ坂で区切ることにしました。

 【2021/05/31 09:43】
 阪急・上桂から歩きました。バロックザールの前を通ります。音楽会ともご無沙汰です。

 苔寺との分岐です。ハイキングコースも案内があります。

 住宅街が終わると、すぐに竹林です。

 登りは緩やかで、気持ちの良い尾根道が続きます。

 丁塚です。京都一周トレイルのゴールとなる苔寺近くからここに登ってきたことがあります。

 東海自然歩道の標識です。
 自然歩道はポンポン山から金蔵寺を通って大原野に下り、大枝、桂坂を抜けてきます。

 山の中を歩いているつもりですが、すぐ近くまで桂坂の住宅地が迫っています。

 桂坂野鳥遊園の上部までやってきました。

 京都市街が一望できます。東山三十六峰がなだらかです。

 あたご山参拝所との表示に、ピークまで上がってみましたが、雑木が茂っていて眺望はありませんでした。

 【11:19】
 沓掛山(414m)の山頂です。三角点と小さなプレート1枚のほかには、何もありません。
 誰もいないので、ミニ三脚を出して自撮りしました。

 愛宕山のピークがのぞいています。

 沓掛山までのルートはよく整備されていました。平日ですが10人ほどのハイカーとすれ違いました。
 ところが一転、亀岡側は歩く人が減るのでしょう。道も荒れたところが多いです。

 大きな倒木が横たわります。

 切り株の断面はまだ新しいです。

 左手に小塩山の頂上が臨めます。

 赤いテープが要所にはぶら下がっています。

 【11:55】
 久しぶりの案内板だと、一度は通り抜けました。でもここが分岐かとYAMAPでルートを確認して、引き返しました。

 南西に下るルートには、京都府警の黄色いテープが通せんぼをしています。でもルートはコチラで間違いないと進みました。

 しばらく下ると、右手下に林道が見えてきました。正解でしたが、林道までは急斜面です。そのまま林道と並行する山道を下りました。

 ちょっと道を見失いそうになる急斜面もありましたが、道は続いていました。

 このあたりでと一気に林道に向けて下ると、ゲートの前でした。

 放置されて雑草が茂る造成地に出てきました。向こうが小塩山です。

 【12:24】
 国道9号の老ノ坂バス停に出てきました。ちょっと早いですが、ここを今回のゴールとしました。
 30分に1本の京阪バスがすぐにやってきたので、阪急・桂まで乗車。駅前のなか卯でよく冷えたざるうどんとどんぶりを食べて帰宅しました。

 次回は、ここから小塩山に登ります。