京都を歩く 金閣寺から銀閣寺へ

 積雪の金閣寺は昨日だけだったようです。でも寒い京都を歩きました。
 金閣寺から鞍馬口通りを東へ。船岡山に登り、賀茂川を渡る出雲路橋では雪をかぶった比叡山を仰ぎました。下鴨神社を抜けてさらに東鞍馬口通へ。疎水沿いを銀閣寺まで、GPSアプリのYAMAPでは計ったように10キロちょうどのウォーキングでした。
 金、銀には、さして意味はありません。
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京都を歩く 市電の残影~北野線

 あすからは寒くなりそうという天気予報です。その前に京都を歩きました。
 テーマは「京都市電の残影」です。20年ほど前に、路線跡や保存車両を見て回ったことがあります。このブログにも、その記録は残っています。
 北野線は京都駅から北野天満宮まで6.3キロをを結んでいました。昭和36(1961)年に廃止されるまで狭軌のままで走っていたチンチン電車です。
 路線跡をもう一度、歩いてきました。

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京都を歩く 羅城門から大極殿 源氏物語ゆかりの地

 きょうも京都を歩いてきまいた。シリーズ化した4回目です。
 羅城門から平安京のメーンストリート朱雀大路(現在の千本通)を上り大極殿、内裏(だいり)を巡りました。源氏物語、そしてNHKの大河ドラマ「光る君へ」の舞台です。
 とはいえ、当時の華やかな都をしのばせるような建造物などはなく、ただただここがその地だったことを記す石碑と案内板だけでした。

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京都を歩く 東山山麓の社寺を巡る

 朝の京都は冷え込んだようです。でも良い天気でした。
 京を、いや今日も歩きました。銀閣寺からスタートして、平安神宮、青蓮院、知恩院、円山公園、清水寺、智積院と東山山麓の社寺を巡りました。
 三十三間堂では、通し矢が行われていました。晴れ着姿のお嬢さんたちが、たすきをかけて弓を引く姿を拝見しました。

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京都を歩く 四神相応の地 青龍から白虎へ

 京の都、平安京は方角を司る四神、北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎に護られた「四神相応の地」にあります。
 玄武の上賀茂神社は参ったばかりです。
 青龍の八坂神社と白虎の松尾大社は京都のメーンストリート、四条通りの東西両端にあります。この10キロほどを歩きました。

 西山の麓にある松尾大社から歩きました。

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京都を歩く 上賀茂神社から下鴨神社に参拝

 食べて飲んでいるうちに松の内も過ぎてしまいました。これはいかんと、京都を歩きました。
 スタートは上賀茂神社です。きょう8日は、もう成人の日でした。境内には、後ろ姿はすべてよしの振り袖新成人が集っていました。
 初詣の人たちもまだまだ多くて、にぎわっていました。

 神馬の神山号は出社していまいた。好物のニンジンをもらって、ご機嫌のようでした、

 立砂を模した竹に、おみくじが花を咲かせています。

 細殿の前に円すい形に盛られた白い砂山があります。

 橘手水には、タチバナの実がいっぱいに浮かべられていました。でもこの手水には、初めて気づきました。

 朱が鮮やかな楼門です。その前の玉橋に整列して記念撮影するのが、わたしの両親が健在だったころの家族の年明けの慣例でした。
 両親と兄家族3人、わたしたち家族4人、プラス犬一匹が最大でした。
 この正月、わが家には娘家族4人、息子家族3人の9人が集まりました。ちょうど一世代が回りました。

 中門には宝船がぶら下げられています。この下を潜ると良い年になるといわれています。

 この朝は、雪が降ったそうです。北向きの屋根には、白い雪が残っていました。

 成人の日の記念撮影が行われていました。どこかの学校の同窓会1クラスでしょうか。

 社家町を歩きます。

 わたしが育った下鴨北園町の近くにある萩公園を通り抜けました。この塔は、3角ベース(少年野球)を楽しんだ児童公園の中央に、当時から同じ姿で立っていました。

 何だろうと改めて見ると、「JOOK」と書かれていました。NHK京都放送局のコールサインです。
 ということは、ここからラジオが流れ、住民がラジオ体操とかをしていたのでしょうか。

 ここには、わたしが小学生だった当時にすでに老朽化して使われなくなったコンクリートのプールがありました。その周りをローラースケートで走り回ったものです。

 当時の通学路を歩き、京都市立葵小学校までやって来ました。
 当時の木造校舎は鉄筋になってますが、それも老朽化してます。

 中学校へ向かう道です。
 2年前の夏の「京の三十三食」で廃墟探検と書いた音色食堂です。
 シャッターが閉まり、手書きの学習塾入塾案内が張られているだけでした。食堂はまだ健在なのでしょうか。

 下鴨神社までやって来ました。

 本殿の前にある言社(ことしゃ)は、干支の守り神です。わたしはうしにお参りしました。

 水みくじは、境内を流れる御手洗川に浸すと文字が現れます。

 次のタスクは、百万遍近くにある金平糖の老舗、緑壽庵清水に寄ることでした。

 いろんな味の金平糖から3種を選んで、土産用にパッケージしてもらいました。
 昨年のポルトガル~サンティアゴ巡礼で、最終日のリスボンでごちそうになった神父さまに届けようと思います。
 金平糖は、鉄砲などとともにポルトガルから渡来しました。

 古い製法を継承しています。

 緑壽庵清水
 075-771-0755
 京都市左京区吉田泉殿町38-2

 この後、東山通を南下。昼飯を食べよう思っていた三条の中華の店は、ものすごい行列。次のからしそばの店は、前に並んでいた若者が「僕で最後といわれてます」。
 四条大橋から鴨川を眺めました。YAMAPを見るとまだ10キロちょっとでしたが、ゴールとしました。

京都・西山 花の寺(勝持寺)の紅葉

「花の寺」として知られる勝持寺です。西山連峰の小塩山の麓にあります。
 西行桜も素晴らしいですが、秋の紅葉もまた素敵です。
 今年は、紅葉を愛でる間もなく、季節は一気に冬が到来しそうです。その前に、真っ赤に色づいた樹々をレンズで追いました。
 ジンバルを使って動画も撮影しました。著作権フリーのピアノ音楽もつけて、あれこれ遊んでいます。

 小塩山大原院勝持寺は、白鳳8(679)年に天武天皇の勅によって創建された古刹です。塔頭四十九院が建立されまたが、「先の戦」の兵火に遭い、仁王門を除いてすべてが焼失しました。この戦って、15世紀半ばの応仁の乱のことです。

 勝持寺
 075-331-0601
 京都市西京区大原野南春日町1194

 坂を下っていくと大原野神社があります。

熊野九十九王子を往く その10 印南~切目

 「熊野九十九王子を往く」の10回目・第3日は、印南から歩き始めました。ところが、前2日のロング・ウォークがたたって左足は痛み続けました。もうこれ以上はダメと観念して、5キロにも達していないJR切目でストップしました。
 切目王子社にはフジバカマが咲き、アサギマダラがやって来ていました。飛来は京都あたりより半月は遅い感じでした。
 紀伊田辺を抜けて、中辺路(なかへじ)のスタート地点である滝尻王子までは。あと3回分が残りました。

 「カン、カン」と遮断機の音がして、ホテルの窓の下を走る紀州鉄道の一番電車が走ってきました。

 JR御坊駅のベンチで、コンビニで買ったサンドイッチをかじって朝食にしました。
 歩行開始時間を計算して、あらかじめ鎮痛剤も飲みました。

 【2023/10/18 08:29】
 印南がこの日のスタートでした。そろそろ鎮痛剤が効いてきてもよい時間なのに、まるで効果はありませんでした。

 ユニークなデザインのカエル橋にあいさつしてゆっくりと歩き始めました。

 印南の港まで出てきました。

 町を出ると、古道は国道から離れて急な登りとなりました。港をふり返りました。

 集落の間を進みます。上りはまだしも、下りとなると足にビンビンと響いて飛び上がりそうに痛いです。

 この日、最初の斑鳩王子社です。

 青い海を右手に進みます。

 コンビニがあったので、休憩しました。まだそれほどに歩いてません。
 ミカンのゼリーを買って、海を見ながらいただきました。

 海岸沿いを切目王子までやってきました。

 教えられて王子わきの急坂を登ると、公園がありました。

 フジバカマに近づくと、アサギマダラが飛び上がりました。

 足の痛さも忘れて、しばしアサギマダラにカメラを向け続けました。

 【10:23】
 切目に着きました。
 これから先は、ちょっとした峠道になります。長く続く下り道を考えると、歩き続ける気が失せました。
 ゴールは、あまりに簡単にやって来ました。たった4.4kmしか進んでいませんでした。
 熊野古道は逃げて行きません。早い機会にリベンジしたいものです。

わたしの熊野詣 都から高野、熊野本宮大社へ

熊野九十九王子を往く その9 紀伊内原~印南

 「熊野九十九王子を往く」のその9は、御坊に泊って2日目です。紀伊内原から印南まで24.1キロも歩きました。
 安珍・清姫の道成寺に参り、太平洋岸を南下しました。おいしい昼飯も食べました。
 前日来のロング・ウォークの疲労からか左足がチクチクと痛くなりました。持っていて鎮痛剤を飲むと、びっくりするくらい痛みは解消。調子に乗ってしまいました。
 計画では切目までと考えてました。さすがにJRでひとつ手前の印南をゴールとしました。

 道成寺の立派な本堂です。安珍・清姫の悲恋物語の舞台です。

 塩屋王子は、祈願すれば美人の子が授かるといわれる「美人王子」です。

 ゴールとした印南町はカエルをシンボルとしています。JR印南駅のすぐ近くにユニークなデザインのかえる橋がかかっています。

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熊野九十九王子を往く その8 湯浅~紀伊内原

 「熊野九十九王子を往く」の8回目を歩きました。
 紀州路をここまで南下してくると、もはや大阪北東部のわが家からの日帰りは、時間的にも、JRの運賃でも難しくなってきます。
 御坊の駅前ビジネスホテルに2泊しました。
 1日目は湯浅をスタートして山道の鹿ヶ瀬峠を越え、古道の石畳を下りました。ゴールとした紀伊内原まで17.7キロと、サンティアゴ巡礼のポルトガルの道以来のロング・ウォークとなりました。

 後白河法皇も通った熊野古道です。当時の石畳が500㍍余にわたって続きました。現存する石畳道の最長です。

 昼飯は、阪和道・広川IC近くのコンビニで仕入れてきました。ルートを通じてコンビニはこの1軒だけでした。飲料水の自販機もありませんでした。

 最後は痛くなってきた左足を引きずってJR紀伊内原にゴールしました。ひと駅先の御坊で泊まりました。

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