ラグビーの聖地、下鴨神社で古希のお祓い

 ラグビーW杯は、日本2連勝で盛り上がってます。そのラグビーの「聖地」とされるのが、京都・下鴨の下鴨神社です。
 そこには「第一蹴(だいいっしゅう)の地」という石碑が立っています。明治43年(1910)、ここ糺(ただす)の森で旧制第三高等学校(現・京都大学)の学生が慶応義塾(現・慶応義塾大学)の学生にラグビーを習い、初めてラグビーボールが蹴られたのです。
 この石碑は昭和44年(1969)に建立されました。わたしが、ここのすぐ近くにある下鴨中学を卒業した4年後のことです。
 きょうは下鴨中学の「古希同窓会」でした。母校を再訪し、下鴨神社で祈祷を受けました。

 絵馬はラグビーボールです。

 「京都人の密かな愉しみ」(NHK-BS)で、和菓子屋の若女将(常盤貴子)が、腹違いの弟と出会う訳あり風に描かれたシーンに使われたのが、この石橋です。

 世界遺産の下鴨神社です。参拝者が途絶えたタイミングで写しました。今はにぎやかですが、昔はいつもシーンと静まり返っていました。

 下鴨神社に祀られている「賀茂建角身命(かもたてつぬみのみこと)」は、八咫烏(やたがらす)に化身して神武天皇を熊野から大和へ道案内したと伝えられています。3本脚のやたがらすは、サッカー日本代表チームの胸のエンブレムに描かれています。サッカーとも縁があります。
 

 同級生の和菓子屋の社長が、下鴨神社の氏子総代を務めています。その口利きで、丁寧な古希のお祓いを受け、本殿近くまで見学させていただきました。

 昔と変わらない懐かしい下鴨中学グラウンドで記念撮影。左上は比叡山です。
 この後、JR京都駅のホテルで開かれた同窓会には、100人を超える同級生が集まりました。

京都五山の「送り火」と矢田寺の「送り鐘」

 京都の盂蘭盆のフィナーレは、京都五山の送り火です。わたしが少年だったころは、自宅の2階窓からも「大」の上部が見える、あたり前の光景でした。それを、その気になって眺めたのはいつ以来でしょうか?
 見物客でいっぱいの出町柳の土手の上から、初盆の母を送りました。
 タイミングよく雲間が晴れて、満月が姿を見せました。思わず拍手が沸き起こりました。

 丸太町から鴨川の右岸を歩きました。
 荒神口あたりの亀の渡しは、昨日からの雨の影響で水没していました。
 出町柳までくると、正面に大文字山が臨めました。すでに先客でいっぱいでしたが、なんとか座れました。
 午後8時の点火を待ちました。
 点火されると、一気に「大」の文字が現れました。

 残念ながら「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居型」の残る4つは見ることができませんでした。

 送り火の前に「送り鐘」をつきました。寺町三条を上がったところにある矢田寺(矢田地蔵尊)です。
 「京都人の密かな愉しみ BLUE 送る夏」(NHK-BS)の一編に登場していました。

 ローソクを灯し、線香をあげました。

 今年の盂蘭盆は、六道珍皇寺の「迎え鐘」で初盆の精霊を迎え、興聖寺で供養し、矢田寺で送り鐘をつき、五山送り火とともに送りました。

 矢田寺(矢田地蔵尊)
 京都市中京区寺町通三条上ル523

 送り火が消えて京阪・出町柳まで人の流れと歩きました。しかし地下の改札口への道は大混雑でした。
 ちょっと東に歩いたところに「鳥貴族」がありました。すぐに座れて、とりあえずの一杯でした。送り火の後にとも思いましたが、焼き鳥にも食らいつきました。

 初めての鳥貴族でした。リーズナブルな価格設定のせいか、この夜も満席でした。

宇治 「伊藤久右衛門 本店茶房」のにしんそばと盂蘭盆

 宇治の興聖寺で、母の初盆供養をしました。台風が過ぎ去り、暑くなった1日でした。
 昼前だったので、いつも込んでいる「伊藤久右衛門 本店茶房」ですが、すぐに座ることができました。パフェがおいしそうでしたが、お腹も空いてきたので「にしんそば・かやくごはん」(1340円)にしました。
 甘いにしんが載っています。この時期ににしんが続きました。茶そばも、しっとりとおいしいです。 

 薄味のゆばと、茶葉の佃煮が箸休めでした。

 ゆっくりといただいて店を出るときは、茶房はウェイティングの列。売り場も大混雑でした。

 伊藤久右衛門 本店茶房 
 0774-23-3955
 宇治市莵道荒槙19-3

 菩提寺である興聖寺で、初盆・盂蘭盆供養を待ちました。マツの葉にたまった前夜来の雨粒が、日を浴びて輝いていました。

 初盆のお塔婆をいただきました。

 法要が終わると、よく冷えた葛切りがふるまわれました。黒蜜の甘さもほどほどで、ツルリと爽やかでした。

 曹洞宗 仏徳山興聖寺
 0774-21-2040
 宇治市宇治山田27-1

京都・東山 六道珍皇寺に「六道まいり」

 「六道まいり」で京都・東山にある六道珍皇寺に参りました。「お精霊(しょうらい)さん迎え」とも呼び、京都では13日から始まり16日の五山の送り火に終る盂蘭盆(うらぼん)を前にして、7日から10日までの4日間に精霊(御魂 みたま)を迎えるために六道珍皇寺に参詣する風習があります。
 わが家にも、初盆を迎える新仏さんがおられます。それほど信心深いわけでもなく、バッハの宗教曲に耳を傾け、スペインのサンティアゴ巡礼に心を寄せる身ですが、初めての参詣でした。

 門をくぐった参道わきに、高野槇(こうやまき)の枝を売る店が並んでいました。
 古来より、精霊は槇の葉に乗って冥土より帰ってくるとされています。 

 一枝、600円でした。

 本堂前で、水塔婆(みずとうば)に父と母の戒名を書いてもらいました。

 「迎え鐘」を打つ順番を待つ行列から見えるところに、六道まいりの手順が説明されていました。

 迎え鐘を打ちました。垂れ下がった綱を引っ張ると、「ゴーン」。鐘は見えません。
 長い行列を覚悟していましたが、朝が早かったせいか、それほど待たなくてもよかったです。

 本堂にロウソクを灯しました。

 本堂にお参りしました。

 線香を灯し、水塔婆を浄めました。
 「仙壽院佳心妙道大姉」というのが、5月に亡くなった母の戒名です。

 地蔵尊宝前で、用意された高野槙で水回向を行ない、水塔婆を納めました。

 六道珍皇寺の裏庭には、平安時代の陰陽師、小野篁(おののたかむら)が夜毎、冥府通いのため使っていたという井戸が残っています。

 この日の京都は、最高気温が38度近くありました。

 名物の「子育飴」です。

 「菱六もやし」のもやしは麹菌のことです。

 あちこちに路地(ろーじ)があります。

 「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生といわれています。この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境(接点)の辻が、「六道の辻」です。
 平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り」をされたことや、小野篁の冥界への井戸があったことから「冥土への通路」とされたのだそうです。

梅雨です あじさいとかたつむり

 梅雨入りでした。待ち望んでいたわけでもないですが、朝からカメラをもって近くの島本町ふれあいセンターに出かけました。
 アジサイが雨滴を溜めて、ほっと一息ついているようでした。

 実は、かたつむりを探していました。
 そのまま車を走らせて、あじさいで有名な柳谷観音まで行ってみました。境内のあじさいを見るには拝観料が必要です。門前のあじさいをゆっくりと見ながら歩いていると、大きいのがいました。

 ちょっとグロテスクで、あまりお見せするほどのこともありませんが。
 なぜかたつむりの画像が必要だったかは、改めてーー。

こんなのを作っていました。

DAHONで走る 背割堤の桜 2019

 天気が良さそうなので、急に思い立ってマイ・折り畳み自転車、DAHONで走りました。淀川の河川敷をのんびりと上り、木津川、宇治川、桂川が合流する三川(さんせん)合流域に向かいました。30分ほどでした。
 木津川と宇治川が合流する先端に続く「背割堤(せわりてい)」は1.4kmも桜のトンネルが続く人気スポットです。昨秋の台風でたくさんの桜が倒れたと聞いていました。
 27日に開花した桜は、ことしもきれいな薄いピンク色でした。

 もうすぐ開花という蕾もいっぱいでした。

 恒例の「背割堤さくらまつり」は、あす30日から4月7日までです。その前日とあって、まだ静かでした。

 悲しい風景です。樹齢40年ほどの老木は、台風の強風に耐えられず、枝が折れてしまいました。根こそぎになった木もあります。このあたりは、上空がスカスカでした。

 アチラの方の記念撮影に出くわすのも恒例になりました。

 こちらはうらやましい光景です。ベンチに置かれているのはワインでしょうか。あすからは、人が多くてこうはいきません。

 花もちらほらなら、遊覧船の客もまばらでした。「乗船料はあすから1500円のところ、きょうは500円」と客引きしてました。

 わたしのDAHONです。久しぶりに乗りました。

 さくらであい館の展望エレベーターは、ひと足早く27日から有料(300円)になってました。桜も咲いていないので、ご遠慮しました。

 それでも観光バスまでやってきていました。

 帰り道に、水無瀬神宮に寄りました。
 枝垂れ桜は満開近しの状態でした。

大阪・道頓堀 「今井」のきつねうどんと「フェルメール展」

 大阪・天王寺の大阪市立美術館で開かれている「フェルメール展」を見に行きました。その前に、主催している産経新聞社の大阪本社(浪速区湊町)で「栄光のフェルメール 17世紀オランダの光と影」という篠雅廣・市立美術館長の特別講演を聴いて、予備知識を充填しました。
 久しぶりの「なんばの昼食」は、奥さまのリクエストで道頓堀の「今井」に行きました。ここに来れば、これしかありません。ま、そんなだけではなくメニューにはたくさん並んでますが、「きつねうどん」(810円)です。
 大阪のうどんです。昆布がよく効いた自慢の出汁です。揚げは、甘口です。讃岐うどんのように麺が主張するのではなく、主役は出汁です。おいしく最後まですすりました。

 「おうどんだけでは ちょっと物足りない方へ」というサイドメニューの「Aセット」(540円)も頼みました。かわいいご飯に漬物、小鉢、デザートがついてます。
 小鉢は菊菜のぬたでした、こちらも上品な味付けでした。

 デザートは夏ミカンのゼリーでした。口がすっきりとしました。

 この店だけが、今や周辺からは別世界です。

 道頓堀 今井 本店
 050-5570-5507
 大阪市中央区道頓堀1-7-22

 道頓堀は、インバウンドも含めて若者らでにぎわってました。長い行列ができているのは、なんとあちらもこちらもたこ焼き屋でした。

 大阪市立美術館にやって来ました。きょうもよい天気でした。

 フェルメールの6作品が並んでました。
 パンフレットの表紙になっているのは、日本初上陸の「取り持ち女」でした。美術館では、通路の先に鮮やかな赤と黄色が飛び込んでくるような、絶妙な配置で展示されていました。
 講演会での説明で、見るべきポイントを押さえており、右手のデカンター(?)の位置などを、興味深く鑑賞しました。
 ドレスデンの国立古典絵画館で見たことがあり、懐かしい再会でした。
 これまでにフェルメールは、アムステルダム国立美術館、ベルリン絵画館、ドレスデン、ウィーン美術史美術館、それに東京、京都で見ています。オランダ・ハーグのマウリッツハイス(美術館)は、目の前まで行ったのに、その日が年に一度の国王パレードで休館だったのが心残りです。

 天王寺公園は、わたしの学生時代と比べるとずいぶんときれいになっています。「慶沢園」に入ってみましたが、ウメはそろそろお終いでした。

 黄色いアセビヒイラギナンテン(花に詳しい方からご指摘を受けました。確かに葉がヒイラギです)が咲いていました。

 池に、美術館が反射していました。

ボヘミアン・ラプソディ ~天に突き上げて

 話題の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。いまさらながらですが、そろそろ行かないと、終わってしまいそう。やっと時間ができました。

 「あの人、だれ?」
 10年も前に訪れたスイス・レマン湖畔のモントルーです。そのときは、フレディ・マーキュリーはもとより、クイーンのことも名前くらいしか知りませんでした。
 右腕を天に突き上げて歌う姿が、映画の中で何回も再現されました。
 出生、異彩を放つ風貌、セクシャリティーからくるコンプレックスを突き破ろうとするかのポーズでした。その先に圧巻の「We are the champions」がありました。

 足元には「Lover of Life – Singer of Songs」と刻まれていました。

 モントルーには、フレディの録音スタジオがあったそうです。フレディは、変わらずこの湖を見ていました。
 隣町のブべーに立つチャップリンの像や、オードリー・ヘプバーンが暮らした村を訪ねることはできませんでした。でも、フレディには呼び寄せられたのでしょうか。

 JR高槻の駅前にある「アレックスシネマ」は、平日の昼間とあって、ガラガラでした。あまり聞きなれない「爆音」に2時間ほど、さらされました。

 

初参り 宇治田原・猿丸神社と宇治・興聖寺

 体調もやっと回復したので、遅れてしまった初参りに出かけました。
 京都・宇治田原の山の中にある猿丸神社です。瘤(こぶ)取りの神「猿丸さん」として親しまれ、近年は「がん封じ」の神さまとしても信仰を集めています。
 調べてみると、わたしは2013年から毎年参っています。その前年の手術の前に、大津に住む義妹夫婦が参って、御守をもらってきてくれたのが縁です。おかげで、再発(再燃)もなく、7年目も元気に過ごすことができました。

 「木のこぶ」が並んでいます。瘤取りのお礼に奉納されたものです。参拝者はこれを自分の体に押し当てて、ご利益があることを願います。

 本殿の前には、石造の猿が鎮座しています。
 今年も厄除けの笹をいただきました。

 お茶所に入ると、薪が赤い炎を上げています。おしい煎茶をいただいて、温まりました。この辺りは宇治茶の産地です。

 「猿顔絵馬」が人気です。目鼻を自分で描きます。

 参道には、あちこちにツバキが咲き誇っていました。

 猿丸神社 
 京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺粽谷44
 0774-88-3782

 宇治田原から宇治川の天ケ瀬ダム近くに出て、平等院の横を走って対岸にある興聖寺にやって来ました。わが家の墓があります。
 年末の掃除にもやってこられなかったことを詫び、墓石をきれいにして新しい花を供えました。
 法堂にお参りに行くと、昨日、行われた「新年大般若祈祷法要(秋葉講)」の真っ赤な幟が掲げられたままになっていました。 

 法堂の正面まで進むと、よく目立つ場所に母親が願主となって奉納した幟(のぼり)が翻っていました。

 赤い幟で、いつもとは違った風景でした。

 興聖寺は、道元禅師が「曹洞宗初開道場」として開きました。

 興聖寺
 宇治市宇治山田27-1