雪の愛宕山に登る わたしはケーブル駅舎跡へ

 雪の愛宕山に登りました。久しぶりに山友のM子さんも一緒です。いつも手作りのデザートを用意してくれます。楽しみにしていた今回は、和菓子屋でも開店できるほどに上手に作られた和菓子でした。
 雪の上に置いてみました。かわいい雪だるまが並びました。「お供えしてある」と通り過ぎた女性ハイカーが声をあげました。あまりの美しさに、そのまま持ち帰り、奥さまとおいしくいただきました。
 山友とそろって、「ハイ、チーズ」です。

 途中の水尾分かれのちょっと上部から表参道を外れてかすかな踏み跡に分け入りました。10分ほど行くと、戦前に存在した愛宕ケーブルの愛宕駅舎が今も残っています。1世紀以上を経た無人のコンクリート建造物が、静かに雪をかぶっていました。

 このところの山行でブームとなっているぜんさいをつくりました。甘くて温かくて、冷えた体に優しかったです。

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京城勝覧を巡る 第十七日 上賀茂神社から正伝寺へ

 江戸時代の儒学者、貝原益軒が記した京ガイドツアー本「京城勝覧」を巡っています。昨秋は第十四日の大原まで訪ねました。この後、びわ湖畔の坂本、瀬田方面と続きます。そちらは桜の咲くころにとっておいて最終第十七日の『たゞすより上賀茂千本までの道を記す』(『 』は京城勝覧の引用です)をマイカーで走りました。
 『上賀茂の西の山下にあり。正傳寺』とある正伝寺の「獅子の児渡し」と名付けられた枯山水庭園です。比叡山を借景にしています。前日の雪が薄っすらと残っていました。
 「デビッド・ボウイが涙した静寂」をそのままに体感してきました。

 『たゞす』とは、下鴨神社の糺の森(ただすのもり)のことです。下鴨で育った身としては、さすが下鴨神社はいまさらという気にもなって省略させてもらい、上賀茂神社がスタートです。
 父母が健在だったころは毎年元日、ここに一家そろって初詣にやって来ました。当時は通行を許されていた重要文化財の玉橋の上で記念撮影したことが思いだされました。

 松の内は、関西では小正月の1月15日までです。「ことしもよろしく~」とお参りしました。

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 歩き始めのポンポン山 2022

 世の中は仕事始めです。わたしは、歩き始めとしてポンポン山に登りました。
 本山寺の駐車場に車を止め、頂上までピストンしました。
 昼飯は、駐車場まで戻ってきてチキンラーメンをいただきました。

 昨年末に積もった雪は、わずかに残っているだけでした。

 チキンラーメンに刻みねぎとゴマ、それにラー油を加えたピリ辛版です。鍋で煮込んだ熱々をいただきました。

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京都一周トレイル 伏見・深草ルートのぜんざい

 京都一周トレイルの伏見深草コースを歩きたいという山友の声に、ゴール後に焼き鳥を付き合ってもらえるのならと、寒い中を歩きました。
 4人分のぜんざいの材料をザックにかついで行きました。 
 大岩展望台でいただきました。温かくて、甘いです。「こんなのが食べられるって思ってなかった」と、友にも大好評。甘辛両刀で、今年の締めくくりの素晴らしい山行となりました。

 伏見稲荷大社の「おもかる石」です。想像していたより軽く感じたら、良いことがあるそうです。
 同行の3人は、「重かった」とか…。

 伏見桃山城をバックに恒例のチーズです。今にもポツリと来そうで、暗くなってました。でも、最後まで降られることはありませんでした。
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穏やかな冬の1日、中山連山を巡る

 よく晴れて寒さが和らいだ1日でした。いつもの山仲間に誘われて宝塚の中山連山縦走路を歩きました。
 最高峰の中山でも標高は478.2mしかありません。それでも累積上りは743m、10キロを超えるルートでした。
 ゴールの阪急中山寺近くのお好み焼き店でミニ忘年会もできて、大満足しました。

 【2021/12/20 09:05】
 阪急山本に集合して、反時計回りに中山寺までの縦走コースです。

 先日の箕面から池田までのコースと同じ7人で歩きました。

 縦走路から外れて突如現れた大聖不動明王の山門(?)を潜り抜けます

 【09:27】
 最明寺滝に到着です。

 落差10mほどの滝です。ここで北条時頼が出家して最明寺入道として修行したと言われます。

 冷たそうな水がほとばしります。

 縦走路を進みます。ちょっと不安定な橋もありました。

 中山最高峰までは2時間です。
 ずい分と昔に歩いたことがありますが、ルートはまるで記憶に残っていません。

 「宝塚ロックガーデン」と呼ばれる岩場です。高低差約100mほどの急勾配の岩壁です。

 ロープなどはありませんが、乾いていればスリップの危険もそれほどありません。
 それよりも、わたしの左足がつってきました。最近は、急坂などを一気に登ると現れることが増えました。

 途中で休憩をはさみながら、だましだまし登りました。
 向こうに甲山が見えます。

 振り返れば、北摂の山々です。

 鉄塔の下で休憩となりました。向こうの六甲がきれいです。
 わたしは「芍薬甘草湯」という常備している漢方薬を飲みましたが、あまり効果はありませんでした。

 ちょっと回り道をして西山というピークです。

 住宅地が山際まで迫っています。

【11:13】
 中山に着きました。
 ここに来るまでに、わたしの両足は一気に硬直して仁王立ちから一歩も動けなくなるという場面もありました。皆さんに先に行ってもらっていて、心配をかけずにすんで良かったです。しばらく休むと回復しました。

 北摂の山々が連なります。眼下がゴルフ場というのが、ちょっと興ざめです。

 昼飯はカップヌードルでした。まずは湯を沸かしましたが、肝心の麺を写すのを忘れていました。余裕がなかったのでしょう。珍しいことです。

 残りの縦走路を進みます。

 ルートはたくさんありますが、道標が整備されています。

 【12:58】
 中山寺奥之院まで下ってきました。朱塗りの立派な社殿です。

 本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれています。お願い石のお守りを納めるところです。

 奥之院への道すがら、きれいな小石を見つけて、大悲水で洗い清め、お守りとして懐中すると、願いが叶うそうです。
 小石は、本殿脇にも置かれていました。
 Fさんは、そのひとつをいただいて、流水で清めました。
 社務所で梵字を書いてもらい、御守りとしました。

 わたしはご朱印をいただきました。
 「厄神明王」と書かれています。

 丁石もある参道を下りました。

 大きな岩が2つ並んだ夫婦岩を通り過ぎました。

 参道から外れて谷筋のルートを下ると、QRコードが付いた道標がありました。試してみると、周辺の地図が表示されました。時代は変わったものです。

 【14:23】
 西国巡礼札所の中山寺まで下ってきました。
 安産祈願で人気を誇ります。そのご祈祷料の蓄積が、このピッカピカの輝きをもたらしたのでしょう。

 石段にはエスカレーターまでも併設されています。そちらのお世話になりました。

 青龍塔という紫も色鮮やかな五重塔がそびえます。

 【14:31】
 宝塚で一杯やる予定でした。ところが、阪急中山寺の駅前に、こんな時間なのに営業しているお好み焼き屋がありました。「お好み しんちゃん」です。これ幸いとなだれ込みました。

 まずは乾杯です。7つのジョッキが並びました。

 豚玉にねぎ焼に焼きそばにと、あれこれと頼みました。
 ふんわり軟らかいお好み焼きの温かさが、冷えた胃袋を満たしました。

 わたしの2杯目はチューハイでした。大先輩、といってもわたしよりもお元気なお二人は、やはり熱燗です。

 【15:56】
 阪急中山寺のホームです。宝塚に向かう仲間と別れました。今年最後の何人かとは、「よいお年を!」と。

京城勝覧を巡る 第十四日 「声明」を訪ねて勝林院、来迎院と音無の滝

 「京城勝覧を巡る」は、1ヵ月も空けてしまいました。第十四日は『小原(大原)にゆく道をしるす 京より四里あり』です。
 『音なしの瀧をつたひてゆるくながるるゆへに音なし」(「京城勝覧」より)と同じ風景です。流れ落ちる水の音は、雑念がいっぱいなのかわたしには聞こえます。
 「聲明(声明=しょうみょう)」とは、仏教の儀式において経文を朗唱する声楽の総称だそうです。来迎院を建立し良忍上人が、この滝に向かって修行していると、声明の音と滝の音が重なって音が聞こえなくなったそうです。だから音無の滝です。

 大原は時雨れていました。枯れ紅葉にたまった雨滴が、差し込んだ太陽にきらりと光りました。

 上高野の『御蔭神社』は、下鴨神社の摂社です。こんな山中に、これほどに立派な社がありました。

 【2021/12/13 11:20】
 10時ごろに車でわが家を出ました。終日500円の駐車場に駐車して、三千院などがある「大原女の道」を上ります。

 三千院のかわいい朱塗りの朱雀門を横目にします。

 来迎院も通り過ぎます。

 「大原の里10名山」の大尾山への登山口です。仰木峠から北に続く尾根にあります。改めて登りたくなりました。

 音無の滝です。ここまでやって来たのは初めてです。

 滝から流れる川面は、落ち葉で覆われています。

 三千院の前までやって来ました。紅葉のシーズンも終わって静かです。

 突き当りが勝林院です。

 勝林院は長和2(1013年)、寂源によって法儀声明念仏三昧の根本道場として建立されました。

 『証拠の阿弥陀』です。
 大原問答は、法然上人が勝林院で行った浄土の宗義について交わした論議のことです。法然上人が念仏によって極楽へ往生できること示したとき、本尊の阿弥陀仏がまばゆい光を放ったという言い伝え残っています。

 わたし独りの静かな阿弥陀堂です。

 平安中期の作で重要文化財の梵鐘は、大晦日除夜に響きます。

 勝林院
 京都市左京区大原勝林院町187

 勝林院を出たところに、後鳥羽天皇、順徳天皇の御陵がありました。

 後鳥羽天皇(上皇)をしのぶ法華堂は、わたしが住む水無瀬にある上皇の水無瀬離宮の建物が移築されたそうです。

 鉈捨藪は、熊谷直実が大原問答で法然が敗れたときには、その法敵を討ち果たそうと袖に鉈を隠し持っていましたが、法然に諭されて投げ捨てたと伝えられるところです。

 『梶井宮 宮御門跡なり』という三千院は、きょうは素通りしました。

 マップの右上の「響き道」を歩きました。寂光院にも行きたかったのですが、小雨が降ってきたので遠慮しました。

 八瀬まで戻ってきて高野川を渡り、『御蔭神社』を訪ねました。
 ケーブルの乗り場や、紅葉で有名な瑠璃光院の前を抜けたところにあるパーキングに車を止めました。

 これであっているんだろうかという山道です。

 向こうから来る道との合流点に、場違いのように立派な鳥居がありました。

 石段の参道が続きます。

 鎮座地は、鴨大神が降臨された場所と伝えられる御生山にあります。東山三十六峰第二の山です。 

 ご祭神は、本宮の賀茂御祖神社(下鴨神社)と同じ玉依媛命、 賀茂建角身命の2柱です。
 下鴨で長く過ごしましたが、こんな摂社があることは知りませんでした。

 御蔭神社
 京都市左京区上高野東山207

 向こう側に歩くと、すぐに叡山電車の横でした。

紅葉の箕面大滝から六個山、五月山へ

 山友に誘われて紅葉最高潮の箕面から六個山、五月山と巡りました。
 秋晴れとはなりませんでしたが、行楽には最高の1日。真っ赤と黄色にいやされ、大勢のハイカーらと出会いました。
 7人で歩きました。なんと4人が同じ大学卒で同窓会(?)のようでした。

 真っ赤な紅葉の向こうを真っ白な箕面大滝が滑り落ちます。

 ただただ赤いです。

 黄色も素敵です。

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京都北山 紅葉の峰床山と八丁平

 山友に誘われて久しぶりの山歩きでした。
 京都北山の最も奥深い山々の1つで、隣の皆子山に次いで府内第2の高峰である峰床山(970m)に登り、高層湿原の八丁平の木道を歩きました。
 峰床山は、わたしが中学校のワンダーフォーゲル部で目指した山でした。当時は一帯がクマザサに覆われていて、ブッシュの連続。何回かトライしましたが、ピークには達しなかった幻の山でした。その後、クマザサはすべて枯れたり、鹿に食べ尽くしてしまわれました。現在は見晴らしの良いピークで360度のパノラマを眺めました。
 ハイカーともほとんど出会わず、静かな紅葉を楽しみました。

 カサコソと落ち葉を踏んで歩きました。かつてのブッシュ連続のイメージとは大違いでした。

 八丁平の木道を進みました。そう快な気分でした。

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京城勝覧を巡る 第十三日 「らーめん切符」で鞍馬へ

 貝原益軒が記す江戸時代の京都ツアーガイドブック「京城勝覧」を巡る第十三日です。「鞍馬山にゆく道をしるす 京より三里あり」です。
 鞍馬や貴船は、いく度となく訪れたスポットです。鞍馬街道を都まで歩いたこともあります。でも、おもしろいものを見つけました。鞍馬まで走る叡山電車(叡電)の「えいでん麺 京都一乗寺らーめん切符」です。1700円で叡電が1日乗り放題のうえ、一乗寺ラーメン街道の7店のうちで好きなラーメンを食べることができます。
 展望電車「きらら」で鞍馬までやってきました。きららは、第十一日に比叡山に登った雲母坂からとられています。デオ900系には「メープルグリーン」と「メープルオレンジ」の2編成が走っています。

 二ノ瀬-市原間にある「もみじのトンネル」です。紅葉のシーズンには、電車がゆっくりと走ってくれます。
 真っ赤とはいえませんが、ずい分と色づいています。


 
 昼飯は、ラーメン激戦区の一乗寺で、もはや古参となった「中華そば 高安」でいただきました。

 観光列車「ひえい」で、比叡山の登山口・八瀬にも回りました。
 2路線計14.4キロの叡電ですが、全線踏破しました。
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伊勢参り 番外 起点は玉造稲荷神社

 歩いて伊勢参りは、京都・観月橋からスタートして、7回で宇陀・榛原に達しました。でもまだ全行程の半分といったところです。
 わたしが歩いている伊勢本街道は、大阪・玉造の玉造稲荷神社が江戸時代の玄関口でした。そこに「起点」と記した碑が建っています。
 遅まきながら訪ねました。伊勢まで約170キロです。 

 江戸時代のお伊勢参りの風景が錦絵になっています。

 社伝によると、垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建されました。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承があるそうです。

 大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家、なかでも豊臣秀頼と縁が深いです。この石鳥居も秀頼に寄進されたものですが、阪神大震災で崩壊、現在は上部だけが残っています。

 秋田実の笑魂碑というのもあります。

 上町台地の北端にあります。この辺りは坂が多いです。

 玉造稲荷神社
 大阪市中央区玉造2-3-8

 10分ほど歩いたところにある玉造稲荷神社分社です。
 こちらには浪花講発祥の地の新しい碑が建っています。浪花講は、伊勢参りなどの旅を安全なものにしようと文化元年(1804)に立ち上げられました。現在の協定旅館のルーツとされます。優良加盟店では「ぼったくり禁止」「飯盛り女を置かない」「賭博禁止」などの規制を設け、目印に浪花講の看板を揚げさせました。

 道標には、なら、伊勢、暗峠の手前にある大師堂と刻まれています。

 浪花講のかわいい御守もあったようです。

 わたしが玉造稲荷神社に参ったのは、これが欲しかったからです。神社が発行している「伊勢参宮本街道行程図」(500円)です。国土地理院の2万5000分の1の地図に、伊勢までのルートが赤線で引かれています。
 開いている榛原などの地図が、冊子のちょうど真ん中の22-23ページです。

 榛原から先は、日帰りで区切ることはできません。途中にはコンビニ一軒ないような山道と田舎道が続くようです。