北山西部①
二ノ瀬-夜泣峠-雲ヶ畑街道大岩-山幸橋氷室口-小峠-氷室-京見峠-鷹峯源光庵前バス停
2005/06/25
総歩数=26,647
四条大橋から北を眺める。
残念ながら北山は霞んでいて見えない。
叡山電鉄の出町柳駅。
比叡山へ、貴船へとよく利用した。
二ノ瀬で叡電を降りる。
線路を越えた登り口にあった神社。ご神体は左右に2体ある。石碑には「東 守谷神社 西 富士神社」とある。それぞれのことか?
拝殿の上をみてびっくりした。さして古いとは思わなかった額の文字は「明治三十九年六月」とある。改めて見ると「祝凱旋」。何の凱旋かというと「征露紀念」とあった。
夜泣峠には、大木の下に祠が。
幼い惟喬親王(これたかのみこ)が母とともにこの峠を越えて貴船へ向かおうとしていたが、日が暮れて峠で夜を過ごすことになった。ところが親王が泣きやまないので、峠の地蔵に祈ったら泣きやんだということからこの名前が付いたと案内板にある。
惟喬親王は文徳天皇の第一皇子だったが、母が藤原氏の出でなかったため皇位につけず世を避けて仏門に入り、大原の奥に隠棲した。
滝谷峠への道を行くと、「北山山荘」がある。京都一中-洛北高校山岳部の山小屋で、その昔、今西錦司、西堀栄三郎といった先輩たちが建てた。
北山杉の下枝を伐採した枯れ枝のクッションの上を歩く。北山ならではの道だ。
雲ヶ畑街道の大岩に降りる。名の通りの大きな岩が街道に覆い被さっている。道が拡幅されていて、昔よりスマートになった感じがする。
中学生時代にこの辺りの川原で飯ごう炊さんをしたことがある。
紫色の紫陽花が、見る人もない谷間にきれいに咲いていた。
「盗人谷」と、ちょと物騒な名前の谷を行く。昔は盗人が隠れ住んでいたのか。橋はきれいに付け替えられている。
小峠に着いた。
氷室の民家の築地。サルが鎮座してあたりを見渡していた。
「延喜式」に記された山城国愛宕郡の5カ所の氷室のうちの「栗栖野氷室」跡にたつ氷室神社。
冬の氷を保存しておき、夏になると都の宮中に献上された。
江戸時代中期の創業という京見峠茶屋。
サイコーでした。この一本。 どうってことのないビールです。でも箸袋に注目してください。「京見峠茶屋」とあるんです。 この暑いなか、京都一周トレイルの「京都北山西部①」を歩いてきました。コースはこれまでになく単調で、ただただ暑いばかり。終盤の京見峠の茶屋にはいり、「冷たいものあります?」と聞くと、「ビール、冷えてますよ」とおばちゃんの天の声。店先の床机に腰かけて、吹き抜ける風をアテに楽しみました。 自動車でなら何度も通った道ですが、汗を流して歩いたごほうびでした。
気をつけてください。ヘアピンカーブの向こうから車がやってきますよ。そこで写真を撮っているオジさん! 京見峠から鷹峯・光悦寺に下ってくる途中です。
鷹峯・光悦寺の前にはハイカーが。源光庵バス停は目と鼻の先にある。
ここから京都市バスで北大路バスターミナルへ。地下鉄に乗り換えて四条まで行き、錦小路の博多ラーメンの店「一風堂」で空腹を満たした。
京都一周トレイル その5 北山西部①
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静かな静原
京都一周トレイルの4回目は、大原から静原-鞍馬-二ノ瀬と歩くみちです。全コース、何度も歩いたことがありますが、考えてみれば中学生時代以来という部分もあって、懐かしい道でした。
写真は静原です。稲も順調に育っているようです。
京都一周トレイル 北山東部 その2
北山東部②
戸寺-江文神社-江文峠-静原-薬王坂-鞍馬-貴船口-二ノ瀬 2005/05/12
総歩数=16,655
大原の「戸寺」で京都バスを下車する。
8時半前に家を出て、四条河原町ではほとんど待ち時間なしで大原行きのバスがきた。
前方に金比羅山が見える。山肌のちょっと白くなっているところが岩肌になっていて、京都のロック・クライマーの訓練ゲレンデになっている。
あそこの畑でとったばかりのエンドウだけどいらない? と一輪車を押したおばちゃん。おみやげに買ってしまった。400円は安かったのか?
小松均は孤高の人生を貫いた昭和の画家だそうだが、残念ながら知りません。
金比羅山に向かうクライマーが追い抜いていく。ヘルメットをさげ、ザイルをかついで。
江文神社に参拝する。
江文峠への道を歩む。
ここは、中学校(京都市立下鴨中学校)のときの年に一度のマラソン(適応遠足-そんな呼び方だったか)のコースだった。ここを息を切らして走ったのだ。
江文峠。中学生のときはなかった車道ができている。
この道は父親が好きで、よく車に乗せてドライブした。
遠くに静原が。
水田の稲は順調に育っているのだろう。
静原神社で休憩する。
静かなたたずまいだ。
のんびりしていると「歩こう会」の一団がやってきた、百人以上の団体で、さすがにすぐに退散した。
石垣の花。
コンクリート敷きの急坂を上る。
薬王坂二尊板碑。
赤松の根本に立つ板碑で、二体の阿弥陀如来が彫られている。
右側の道から薬王坂に登ってきた。
その昔、伝教太子が鞍馬で薬王如来像を造り、比叡山に帰ろうとこの坂を越えたとき、薬王がその姿を現したことから、この名が付いたという。
義経ブームで観光客を集める鞍馬に降りたつ。
鞍馬山の正面。本殿には、ここからケーブルカーも出ている。
叡山電鉄の終点、鞍馬駅。
今回はここを素通りする。
鞍馬石は庭園の石材として珍重されてきた。
貴船口。鳥居をくぐり、左に行くと貴船神社がある。
二ノ瀬近くのガレージで見つけたシトロエンBX。シルバーに塗装され、外観はこれまでみたBXでは最高の状態を保っていた。
、
叡山電鉄の二ノ瀬駅。新緑の中から叡山電車がやってくる。
北山杉
京都一周トレイルの3回目は、ケーブル比叡山から延暦寺の境内を抜け、元三大師道の尾根道をたどり、横高山を経由して仰木峠から大原・戸寺に下りました。
京都北山らしい北山杉の間を行く気持ちのよい道です。
京都一周トレイル 北山東部 その1
ケーブル比叡山-釈迦堂-横高山-水井山-仰木峠-大原戸寺 2005/04/29
総歩数 22,022歩
叡山ケーブルカーのケーブル八瀬駅。
1週間のことだが、緑が一段と鮮やかになっている。
標高690メートルのケーブル比叡駅から歩き始める。
昔は、このあたりに「お化け屋敷」があったはずだが、そんな感じの土地はなかった。記憶とはちょっと雰囲気が違う。
頂上行きのロープウエーが頭上を通り抜ける。
比叡山人工スキー場は閉鎖され、荒れ果てつつある。
北の方角に、これからたどる尾根と横高山が見える。
はるか彼方には比良の山々が。
延暦寺の境内を通る。
山王院の前を左折して、石灯籠が並ぶ長い坂を下る。
延暦寺を開いた伝教大師最澄の廟所、浄土院。
釈迦堂は、鎌倉時代の建物を移築したもので、現在の比叡山では最古の建物だそうだ。
このあたりまでは観光客の領域だ。
若山牧水の歌碑があった。
「比叡山(ひえやま)の 古(ふ)りぬる寺の木がくれの 庭の筧を開きつつ眠る 牧水」
石の地蔵が並ぶ。
玉体杉から京都市内を振り返る。
西塔から横川(よかわ)まで尾根伝いに通じる峰道の中間地点。回峰行者はここで止まって、御所に向かって玉体加持をする。そのことから、ここにあるスギを玉体杉という。
せりあい地蔵。
元三(がんさん)大師道は右に折れる。トレイルコースはまっすぐ横高山に登る。
標高差約80メートルを一気に登ると、横高山の頂上。眺望はない。
水井山には三角点がある。
北山らしい杉道を、仰木峠に向けて下る。
仰木峠からは、琵琶湖が望める。
大原・戸寺に降りてきた。
正面には、次回登る金比羅山と江文峠が。
中ビールセット(980円)でちょっと遅い昼食。
ガイドブックにも紹介されている「スタンド」は、観光客らしき若者もよく入ってくる。
店内右手の大理石(?)のカウンターが常連のおじさんの席で、こちらはビールか酒を飲みながらテレビで競馬観戦している。左手のテーブルは、一見の食事を客と、二分される。
ねじりまんぽ
京都一周トレイルの2回目、東山②は、蹴上をスタートする。まずはインクラインの下のトンネル「ねじりまんぽ」を抜ける。
トンネル上部の石額には「雄観奇想」とある。見事な眺めと奇抜は発想-という意味らしい。
(2005/04/23)
ケーブルカー
ケーブルカーって、だれが考えたんでしょうね。反対側からやってくる車両とすれ違いう度に感心します。
片側の車輪は凹状になっていて自分の側のレールをくわえ込み、もう一方は平らになっている-そんなことを教わったのは小学生のころだったでしょう。
叡山ケーブルカーでも、一番前に陣取って、改めてポイントを眺めてしまいました。
十年一日
銀閣寺の橋の上。見覚えのある風景に出会いました。前にここを訪れたのは、5年も前のはずです。そのときと同じでした。
ケネディ・コインなどの銀貨を、図案の輪郭にそって糸ノコでくりぬき、透かし彫りのように仕上げてペンダントにしているのです。
「もう10年、いや15年くらい、ここにいるかな」。そんな答えが返ってきました。
法然院と谷崎潤一郎
京都一周トレイルの2回目、東山②コースは、大文字山と比叡山という2つのピークを目指す山道が大部分です。でも、中間の哲学の道-銀閣寺と人気の観光スポットも通ります。
緑が美しい法然院にも、観光客が訪れていました。でも、すぐ近くにありながら、ほとんど訪れる人がないのが墓地。ここに、谷崎潤一郎の、自然石に「寂」と刻んだ墓もあります。