京都を歩く 仁和寺の五大明王壁画を鑑賞

 御室の仁和寺は観光キャンペーン「京の冬の旅」にあわせて「裏堂 五大明王壁画」を特別公開しています。建立から377年を経た国宝を拝観できる2度目のチャンスです。
 金閣寺からきぬかけの路を歩き仁和寺へ。さらに広沢の池などを通って嵐山まで歩きました。
 冷たい風が吹き抜ける、冬に逆戻りしたような一日でした。

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京都を歩く 御土居を巡る 北大路~九条

 豊臣秀吉が京の都をぐるっと取り巻いて築いた御土居を巡るウォーキングの続編です。東側から南へと、現在の地名では北大路から賀茂川-鴨川とほぼ並行する河原町通を京都駅まで、さらに南辺の九条通まで歩きました。
 早くから市街化が進んだ地域ですので御土居が残るのは紫式部ゆかりの盧山寺だけでした。
 今出川を横切る出町には京七口の一つ、大原口を示す立派なの道標が立っていました。ここは若狭から続く「鯖街道」の終点でもありました。
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京都を歩く 御土居を巡る 西院~北大路

 天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、京の都の改造計画の一つとして築いたのが都を取り巻く「御土居(おどい)」でした。北は上賀茂から鷹峯、西は紙屋川、南は九条通、東は河原町通まで、総延長は22.5キロに及びます。それを秀吉は天正19(1591)年に2~4カ月で完成させました。
 その土塁の一部が残っていて、9ヵ所が国の史跡に指定されています。
 寒い京都を御土居に沿って巡りました。

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京都を歩く 金閣寺から銀閣寺へ

 積雪の金閣寺は昨日だけだったようです。でも寒い京都を歩きました。
 金閣寺から鞍馬口通りを東へ。船岡山に登り、賀茂川を渡る出雲路橋では雪をかぶった比叡山を仰ぎました。下鴨神社を抜けてさらに東鞍馬口通へ。疎水沿いを銀閣寺まで、GPSアプリのYAMAPでは計ったように10キロちょうどのウォーキングでした。
 金、銀には、さして意味はありません。
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京都を歩く 市電の残影~北野線

 あすからは寒くなりそうという天気予報です。その前に京都を歩きました。
 テーマは「京都市電の残影」です。20年ほど前に、路線跡や保存車両を見て回ったことがあります。このブログにも、その記録は残っています。
 北野線は京都駅から北野天満宮まで6.3キロをを結んでいました。昭和36(1961)年に廃止されるまで狭軌のままで走っていたチンチン電車です。
 路線跡をもう一度、歩いてきました。

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京都を歩く 羅城門から大極殿 源氏物語ゆかりの地

 きょうも京都を歩いてきまいた。シリーズ化した4回目です。
 羅城門から平安京のメーンストリート朱雀大路(現在の千本通)を上り大極殿、内裏(だいり)を巡りました。源氏物語、そしてNHKの大河ドラマ「光る君へ」の舞台です。
 とはいえ、当時の華やかな都をしのばせるような建造物などはなく、ただただここがその地だったことを記す石碑と案内板だけでした。

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京都を歩く 東山山麓の社寺を巡る

 朝の京都は冷え込んだようです。でも良い天気でした。
 京を、いや今日も歩きました。銀閣寺からスタートして、平安神宮、青蓮院、知恩院、円山公園、清水寺、智積院と東山山麓の社寺を巡りました。
 三十三間堂では、通し矢が行われていました。晴れ着姿のお嬢さんたちが、たすきをかけて弓を引く姿を拝見しました。

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京都を歩く 四神相応の地 青龍から白虎へ

 京の都、平安京は方角を司る四神、北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎に護られた「四神相応の地」にあります。
 玄武の上賀茂神社は参ったばかりです。
 青龍の八坂神社と白虎の松尾大社は京都のメーンストリート、四条通りの東西両端にあります。この10キロほどを歩きました。

 西山の麓にある松尾大社から歩きました。

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京都を歩く 上賀茂神社から下鴨神社に参拝

 食べて飲んでいるうちに松の内も過ぎてしまいました。これはいかんと、京都を歩きました。
 スタートは上賀茂神社です。きょう8日は、もう成人の日でした。境内には、後ろ姿はすべてよしの振り袖新成人が集っていました。
 初詣の人たちもまだまだ多くて、にぎわっていました。

 神馬の神山号は出社していまいた。好物のニンジンをもらって、ご機嫌のようでした、

 立砂を模した竹に、おみくじが花を咲かせています。

 細殿の前に円すい形に盛られた白い砂山があります。

 橘手水には、タチバナの実がいっぱいに浮かべられていました。でもこの手水には、初めて気づきました。

 朱が鮮やかな楼門です。その前の玉橋に整列して記念撮影するのが、わたしの両親が健在だったころの家族の年明けの慣例でした。
 両親と兄家族3人、わたしたち家族4人、プラス犬一匹が最大でした。
 この正月、わが家には娘家族4人、息子家族3人の9人が集まりました。ちょうど一世代が回りました。

 中門には宝船がぶら下げられています。この下を潜ると良い年になるといわれています。

 この朝は、雪が降ったそうです。北向きの屋根には、白い雪が残っていました。

 成人の日の記念撮影が行われていました。どこかの学校の同窓会1クラスでしょうか。

 社家町を歩きます。

 わたしが育った下鴨北園町の近くにある萩公園を通り抜けました。この塔は、3角ベース(少年野球)を楽しんだ児童公園の中央に、当時から同じ姿で立っていました。

 何だろうと改めて見ると、「JOOK」と書かれていました。NHK京都放送局のコールサインです。
 ということは、ここからラジオが流れ、住民がラジオ体操とかをしていたのでしょうか。

 ここには、わたしが小学生だった当時にすでに老朽化して使われなくなったコンクリートのプールがありました。その周りをローラースケートで走り回ったものです。

 当時の通学路を歩き、京都市立葵小学校までやって来ました。
 当時の木造校舎は鉄筋になってますが、それも老朽化してます。

 中学校へ向かう道です。
 2年前の夏の「京の三十三食」で廃墟探検と書いた音色食堂です。
 シャッターが閉まり、手書きの学習塾入塾案内が張られているだけでした。食堂はまだ健在なのでしょうか。

 下鴨神社までやって来ました。

 本殿の前にある言社(ことしゃ)は、干支の守り神です。わたしはうしにお参りしました。

 水みくじは、境内を流れる御手洗川に浸すと文字が現れます。

 次のタスクは、百万遍近くにある金平糖の老舗、緑壽庵清水に寄ることでした。

 いろんな味の金平糖から3種を選んで、土産用にパッケージしてもらいました。
 昨年のポルトガル~サンティアゴ巡礼で、最終日のリスボンでごちそうになった神父さまに届けようと思います。
 金平糖は、鉄砲などとともにポルトガルから渡来しました。

 古い製法を継承しています。

 緑壽庵清水
 075-771-0755
 京都市左京区吉田泉殿町38-2

 この後、東山通を南下。昼飯を食べよう思っていた三条の中華の店は、ものすごい行列。次のからしそばの店は、前に並んでいた若者が「僕で最後といわれてます」。
 四条大橋から鴨川を眺めました。YAMAPを見るとまだ10キロちょっとでしたが、ゴールとしました。

歩き始めのポンポン山 2024

 久しぶりのポンポン山です。これがわたしの2024の歩き始めでした。
 予報に反して天気はイマイチだったせいもあるのでしょうか。頂上に人影はありませんでした。途中、すれ違ったハイカーも、ほんの数組でした。

 中腹の本山寺の駐車場に車を置いてスタートしました。

 勧請掛を潜って、本山寺に参っていきます。

 本堂で手を合わせ、いつものように浄財を入れ、摩尼車(まにぐるま)をガラガラと回しました。

 高槻の古木、天狗杉です。
 夏にやって来たときは、切り株が並んで立てられていました。

 ゆっくりと登ってきました。1時間半ほどで頂上に到着しました。

 昼飯は、高槻市内の途中のスーパーで買ってきたネギトロ太巻きです。

 豚汁に熱湯を注いで、さあ食べようととしてびっくりしました。太巻きには包丁が入っていませんでした。

 今年の節分の恵方はどの方向だろうと思いながら、そのままかぶりつきました。

 途中で一瞬だけですが雨がパラつきました。どんよりとした空です。それでも風がないためか、それほど寒くは感じませんでした。

 視界もほとんどありませんでした。

 途中でGPSアプリのYAMAPを起動させていないことに気づきました。スマホを取り出して操作しましたが、動きません。昨年暮れにスマホを機種変していました。その時に地図データが引き継がれなかったようです。ダウンロードを試みましたが、電波が弱くてダメでした。残念ながら本日の歩行データは記録されませんでした。
 スマホに歩数記録は残っていました。それしても正月の間、ほとんど歩いていなかったことが明らかです。