絵本のような村 Cirauqi

 エステージャまでの途中、絵本のような村を通り抜けました。ブドウ畑の向こうの丘の上にありました。

ちょっといただいて喉を潤しました。ワインになってなくても、おいしい。

村の入り口です。てっぺんに教会がそびえます。

迷路のような坂を上ります。

やっとてっぺん。教会の下をくぐり抜けました。

どんな人たちが住んでいるんでしょ?

Paso a paso Dos 6日目=8/30 星降る町・エステージャ

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 6日目は、エステージャまで22kmほど。これくらいの距離は、フツーに歩けるようになった。
 ブドウ畑を抜けていくと、シラウキの村が丘の上に浮かんでいた。

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 11世紀、羊飼いが天から降り注ぐ星の流れに導かれて聖母マリア像を発見。その地が「星」を意味するエステージャだ。

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 フエロス広場で少年にカメラを向けると、笑顔でポースを取ってくれた。

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my camino=6日目 最高に贅沢な時間の使い方 

 エステージャのフエロス広場です。カメラを構えると、ボールを追っていた少年がポーズを取ってくれました。

 キリスト教信者でもないのに、どうしてキリスト教の3大聖地のひとつであるサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す長い巡礼に旅立つのですか。そんな問いに、私が用意した答は「スピリチュアル」でした。
 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で「コンポステーラ(巡礼証明書」をいただくときに、巡礼の動機を尋ねられます。その選択肢は、「宗教的」、「宗教的または精神的」、「精神的」の3つです。宗教的とは、文字通りにキリスト教信者が聖地を目指しての巡礼です。最後の精神的には、例えば自転車ツーリングとか、体重の減量のためといった動機も含まれます。この場合は、到達証明書は発行されますが、巡礼証明書はいただきません。巡礼者事務所の統計では、ほぼ半数が宗教的、40数%ほどが宗教的または精神的、残りが精神的です。
 宗教的という宗教は、キリスト教に限られているわけではなさそうです。仏教徒もイスラム教徒にも門戸は開かれています。日本語ガイドブックには精神的と訳されていることが多い原語はCultualとなっています。文化的という意味合いがありそうでです。わたしは、これまでの自分自身を見つめ直すといった漠然とした動機もこの範疇に含まれると解釈して、自分に気持ちにぴったりとくる「スピリチュアル」というわたしなりの答えを出しました。
 66歳を過ぎて、40数年間務めてきた職業人生活を離れました。待ち望んでいた「毎日が日曜日」の日々を獲得することができました。周囲からは「もう何も仕事しないの?」と訝しげに聞かれても、「リタイアード」を選択しました。理由は、「サンティアゴ巡礼に行くので」という、わたしにしてみれば単純なものでした。
 3年前に、サリアから100キロ余りを4泊5日で歩いてコンポステーラをいただきました。ところが、サンティアゴの大聖堂の前に立っても、どこか満たされませんでした。もう一度、今度はフランス人の道を歩き切るということが、悲願になってました。
 1カ月半という長い時間を、自分と向かい合うためだけに過ごす。そんな時間の使い方は、これまでに経験したことがありません。最高の贅沢でした。800キロにならんとする長い道程を、体力が残っているうちに自分の足で歩いてみたい。そんなわが人生最大の冒険でもありました。
 二度目となった大聖堂の下で、今回は心から「やった!」と叫ぶことができました。