初めての「巡礼定食」

みんなと食べる巡礼定食です。昨夜、宿泊したアルベルゲ「el palo de avellone」で夕飯も食べました。選択の余地はありませんでした。

13eurのディナーは7時からです。

まずはサラダから。

ワインは地元・ナバーラ産の赤。飲み放題です。

スープは、隣に座ったイタリア娘、リサがサーブしてくれました。

バルセロナ出身の陽気なニックが座を盛り上げてくれます。

ライスのなんとかかんとか。みんなでつまむ。

ポークリブ、ポテト添え。「イタリアでは手で食べるの」と、リサは豪快にペロリと。

テザートはティラミス。

ここまでくるのに一時間半ほど。楽しかったけれど、たいへんでした。

一番乗りでチェックインしたので、平ベッドを確保して、ゆっくりと休みました。

スペインを横切るフランス人の道

人通りが途切れることのない巡礼路です。

フランス人の道と言いますが、様々な国からやって来たペルグリーノが歩いてます。

角が立派な牛がのんびりと草を食みます。牧草地は、きれいに刈り込まれたゴルフ場のようで、牛も食料調達に必死かもしれません。

聖地のサンティアゴ・デ・コンポステーラまで、ホタテ貝をモチーフにしたモホンに導かれて歩みます。

右側がわたしの影です。常に西に進み、太陽に追いかけられます。

Paso a paso Dos 2日目=8/26 日はまた昇る

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 2日目の行程は、スビリまで下り坂の21.9キロ。
 途中のブリゲッタの村を通過したところで日の出を迎えた。
 「日はまた昇る」を書いたヘミングウェイが、マス釣りに訪れた地。

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 通り過ぎる村の、何気ない風景が素敵。

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 スビリには、昼過ぎに到着。ゆっくりとした午後を過ごした。

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my camino=2日目 コミュニケーション・ディナーの食べ方 

 みんなといっしょに食べるコミュニケーション・ディナーです。偶然にもテーブルの隣や前に座った人たちと会話を楽しみながらいただきます。何を食べるかではなく、いかに楽しく食べるかということが味付けになります。
 2日目に宿泊したアルベルゲ「el palo de avellone」では、夕飯も食べました。選択の余地はありませんでした。13eurのディナーは7時から始まりました。一斉に席に着きました。まずは自己紹介からー。

 ペルグリーノ・メヌー(巡礼定食)はサラダから。

 ワインは地元・ナバーラ産の赤。飲み放題でした。

 スープは、隣に座ったイタリア娘、リサがサーブしてくれました。

 バルセロナ出身の陽気なニックが座を盛り上げてくれます。スウェーデンからの女性が相槌を打ちました。

 ライスのなんとかかんとか。みんなでつまみました。

 ポークリブ、ポテト添え。「イタリアでは手で食べるのよ」と、隣のリサは豪快にペロリと平らげました。

 テザートはティラミスでした。

 スビリには昼前に着きました。泊まろうと心づもりしていだアルベルゲはまだ閉まってました。午後1時のチェックイン開始を待って、一番乗りです。
 2階のベッドルームには、10台ほどの2段ベッドが並んでました。屋根の傾斜にあわせて天井が低くなっている壁際には、数台の平ベッドがありました。選び放題のわたしは、隅の平ベッドの上にシュラフ(寝袋)を開けました。これで今夜の寝場所が確保できました。
 私営のアルベルゲで、1泊は10ユーロ(当時のレートで約1200円=以下同じ)でした。眠るベッドとシャワーがあるだけの、男女同室のコンドミニアムです。でもこれで十分です。食事は、夜朝2食で13ユーロでした。
 この夜のペルグリーノ・メヌー(巡礼定食)です。エントランス(前菜)は、ミックスサラダでした。レタス、トマト、コーン、ニンジンにシェリー・ビネガーがかかってました。野菜が新鮮です。次に出てきたのは「レレロ」。地元・ナバーラのローカルフーズで、米団子のトマトスープ煮といったものでした。
 お次のファースト(プリメロ)は野菜スープ。隣に座ったイタリア娘のリサがサーブしてくれました。トロリとおいしいです。メーンはポーク・リブのポテト添え。リサは「イタリアでは手で食べるの」と豪快にしゃぶりついてました。デザートはティラミスでした。
 ここまでくるまで1時間半ほどはたってました。実は大変でした。これがコミュニケーション・ディナーというものでした。
 たまたま同じテーブルに腰かけた何人かが、おしゃべりをしながら食事を楽しむのです。
 その時、テーブルを囲んだのは、マドリードからやってきた陽気なニック。スウェーデンの2人組女性。それにリサとわたし。ニックがあれこれとおしゃべりして座を盛り上げてくれました。わたしはおいしい食事を口にしながらも、みんなの会話についていくのが必死でした。
 それでも、日本のこと、どこからやって来たのかなんかをボソボソと英語で話すと、みんな聞き耳を立てくれました。
 まだまだ緊張が解けない2日目でした。歩くことは何とかなりそうでしたが、このコミュニケーションに関しては、ちょっと先が思いやられました。
 とはいえ、コミュニケーション・ディナーの機会は、それほど多くはありませんでした。わたしはもっぱらひとりでレストランやバルに出かけ、だれに気兼ねもなくゆっくりとワインを傾けていました。