ダイニングテーブルをオイルフィニッシュ

 わが家のダイニングテーブルが、毎食後の水拭きのため、油分が飛んでざらついてきました。
 サントリーの「樽ものがたり」という、ウイスキーの蒸留に使った樽のオーク材を再利用したテーブルです。わが家と同じ町内にあるサントリー山崎蒸溜所を見学したときに展示されていました。気に入って、手に入れてからかなりの歳月が流れました。
 仕上げは、塗装ではなく、オイルフィニッシュだったはずです。ならばとオイルを探して、自分ですり込みました。

 ネット通販で購入したリボス(ドイツ)のメンテナンス用オイルワックス・ビボスNo375です。
 50cc瓶が2本のセットで、2000数百円でした。

 成分を見ると、蜜蜂ワックスなどのワックス類やアマニオイルなどすべてが天然素材由来のようです。

 ぼろ布と、無害オイルですが使い捨ての手袋を用意しました。

 まずは試しに、目立たない脚部に塗ってみました。ちょっとかさつき気味だった表面がしっとりとして、いい具合です。しばらく様子を見ましたが、問題もなさそうでした。

 広いテーブルの表面にすり込みました。ニスなどの塗料とは違って、刷毛目が出る心配もなく、作業は簡単でした。
 左が作業前。右が作業後ですが、画像ではその違いはあまりわかりません。ひいき目に見ると、オークの特徴の虎班(とらふ)模様が、ちょっと鮮やかになっています。

 電動サンダーにフェルトパッドをつけて、表面を仕上げました。新品だった時の風合いも蘇って、いい具合に仕上がりました。
 次は、椅子にもオイルフィニッシュします。

自分でつくる キャベツたっぷりソース焼きそば

 真っ赤な紅ショウガでもあれば、もう少しインスタ映えしたはずです。
 ま、お味の方はソース焼きそばですから失敗のしようがありません。冷蔵庫に冷えていたオールフリーでおいしくいただきました。

 最初にそばを焼きました。
 いったん取り出して、豚肉を炒め、たっぷりのキャベツを、その上をそばで覆い、蒸し焼きにしました。

 オタフクの「お好みソース」でした。ちょっと甘そうなので、ウスターソースも加えました。

「数」ある欧州旅 番外編『end ~3571』

 「Top of Europe」(3571m)で、『「数」ある欧州旅』は最終回といたします。
 スイスの名峰アイガー、ユングフラウ、メンヒが連なるベルナーアルプス三山をのぞむクライネ・シャイデックから約100年前に開通したユングフラウ鉄道で、ヨーロッパ最高地点の鉄道駅、ユングフラウヨッホまで行きました。アレッチ氷河なんかの絶景が望めるはずでした。ところが、無情の雨。登ったという記憶だけが残りました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼では、フランス-スペイン国境のピレネーに始まって、いくつもの峠を越えました。
 巡礼も終盤のサン・ロケ峠には、帽子を押さえたペルグリーノ(巡礼者)の像が風雪に耐えて立っていました。

 スイス・エンガディン地方のマローヤです。「アルプスの画家」といわれるセガンティーニのアトリエが残っていました。
 ここからブレガリアの谷を下り、セガンティーニは「天国の入り口」といった村、ソーリオを訪ねました。

 おいしいビールをたくさん飲みました。
 「1516」は、ウィーンでいただきました。ケルントナー通りの近くにあるビアレストラン「1516」のオリジナルビールでした。

 巡礼中のフロミスタで飲んだビールです。特に指定した記憶はありません。「クローネンブルグ 1664」はフランスのストラスブール産でした。

 「1906」も巡礼の途中で飲んだビールです。よく飲んだエストレーリャ・ガリシアのプレミアム・ヴァージョンのようでした。

「数」ある欧州旅 番外編『over 100』

 スイスのアイガーの麓です。ベルナー・オーバーラント鉄道でクライネ・シャイデックから下ってきて、ベンゲンで途中下車しました。駅といってもホームはありません。レールの間には、板がかぶされていました。ラックレールのギザギザもよく見えました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼で、あと200キロ。最後の峠、オ・セブレイロを越えたらゴールも見えてくるはずでした。ところが、積もり積もった疲労が限界に達したのか、左足に激痛が走るようになりました。苦しかった記憶も、今では思い出です。

 オランダ・スキポール空港で乗り継ぎのミラノ行きを待ちました。窓の外を眺めていると、ちょっとヘンな光景が繰り広げられました。
 パンクしたのでしょうか。自動車修理工場のジャッキのようなものが登場して、いとも簡単に前脚をもちあげてしまいました。いくら飛行機が軽いとはいえ相手はBoeing737-300です。

 プラハのマラー・ストラナは官庁街です。在チェコ日本国大使館がありました。
 春江一也の小説「プラハの春」の舞台だったところです。

 ドレスデンで見かけたリムジンです。なんと、かのトラバントの改造車でした。

 スイス・サンモリッツで発車を待つGlacier Express(氷河急行)塗装のELです。マッターホルンの麓の村、ツェルマットまで平均時速は30キロほどで走り、8時間もかかりました。

高槻 関西大学「レストラン ミューズ」の本日の日替り

 「社食」の次は「学食」です。JR高槻の駅前にあるジムで汗をかいて、昼飯は駅の反対側にある関西大学の高槻ミューズキャンパスに行きました。学生食堂「レストラン ミューズ」は、学外者でも食べることができます。本日の日替りは「豚肉の生姜炒め」(300円)でした。これに「かけそば」(190円)と「ご飯M」をあわせてたったの600円でした。みそ汁にしておけば、1コインで済むところでした。学食らしいリーズナブルさです。
 お味の方もなかなかいけます。安かろう、まずかろうでは今の学生は振り向いてくれないでしょう。 

 メニューはそれほど多くはありませんが、一通りはそろっています。

 学食なのに学生は食べられない(10歳未満限定)というお子様ランチもありました。

 広い食堂です。混雑時は一般席のコナーができるようです。

 キャンパスの入り口で、警備員に「学食へ」と告げると、記帳を求められ、入館証を貸し出されました。ていねいな対応でした。

 関西大学高槻ミューズキャンパスには、小学校から中、高、大学(社会安全学部)があります。
 レストラン ミューズは、左の建物の1階です。

 高槻市白梅町7番1号
 072-684-4000

「数」ある欧州旅 番外編『100』

 スペイン・サンティアゴ巡礼で、ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで100キロを示すモホン(道標)です。巡礼では、100キロ以上歩くとコンポステーラ(巡礼証明書)がいただけるため、とりわけ印象深い地点でした。

 2度目の巡礼では、ガリシア州のモホンがすべて交換されていました。ところが、100キロの手前にフェイクのモホンがあることは、きっちりと引き継がれていました。

 こちらがニセモノ。距離表示のプレートが持ち去られ、フェルトペンで100キロと書かれていました。
 改めて見ると、同じような格好をして歩いていたのですね。

 パンプローナ郊外のナバーラ大学の広いキャンパスには、日本語も交えた案内板が立っていました。ここでクレデンシャル(巡礼パスポート)にスタンプを押してもらいました。

「数」ある欧州旅 番外編『less than 100』

 アムステルダムの朝です。シトロエンDSのお尻がフワリと持ち上がり、さっそうと走り去りました。「60年前の未来のクルマ」が、現役のままでした。

 スイス国鉄にはライゼゲペックという便利な荷物託送サービスがありました。乗車券をもっていると駅から駅へ、荷物を直送してくれます。到着は翌々日でした。朝に送ると、その日の夕刻に着くファストラッゲージもありました。

 スペイン・サンティアゴ巡礼の途中、サリアのアルベルゲに張られていた「Shikoku 88 temples」のシールです。同じシールを四国でも見たことがりました。

 スイス-オーストリア国境の町、ザンクト・マルガレーテンから乗ったルツェルン行きのVorAlpen Expressです。あいにくの雨の中を走りました。

 グリンデルワルトからロープウエーでフィルスト展望台に登りました。
 アルプスのトレッキングでは、麓から2000メートル超の高さまでロープウエーで一気に登り、あとはほぼ水平な道を歩く足に優しいスタイルも多かったです。

「数」ある欧州旅 番外編『over50』

 スイス・ルツェルンのカペル橋は、1333年に作られたヨーロッパで一番古い木造橋です。屋根の下には、ルツェルンの歴史を描いたたくさんの絵がかかっていました。

 ウィーンからグラーツまで乗ったスイス国鉄の列車はお隣の国、スロベニアの首都、リュブリャナ行きでした。古いコンパートメントのドアの上に、窓際の2席が「指定席」と知らせるカードがはさまっていました。

 ベートーベンは引っ越し魔だったそうです。ウィーンには、ベートーベンが暮らした家がいくつも残っていました。
 「夏の家」です。1898年の夏、この家の2階の部屋を借りて「田園」を完成させたそうです。

 スペイン・サンティアゴ巡礼では、毎夜のごとくワインを飲みました。おいしかったのがワインの名産地、リオハ州のワインでした。75clは、日本表記なら750mlです。

 巡礼を歩き始めて2日目。ブリゲッタの村を通りました。赤いドアが素敵でした。
 ここは、ヘミングウェイがよくマス釣りに訪れたところでした。定宿にしたホテルも残ってました。

京都水族館 ~孫娘と一緒に

 京都水族館に初めて行きました。孫娘(2つ)のお相手です。
 ジャンプ!! イルカのショーが始まりました。
 さすがに台風がやって来る前の日です。

 よく教育されています。というか、イルカの賢さがわかります。

 かわいいイルカたちでした。でもー
 牛豚はOKでもイルカはNO。有無をいわせず水族館を閉鎖に追い込もうとするSSの無法には、賛同しかねます。

 京都水族館
 京都市下京区観喜寺町35-1(梅小路公園内)
 075-354-3130

 梅小路公園の入り口に、懐かしい京都市電が止まっていました。「935」です。
 「京都市電の残影」を探していたのは10年も前のことです。

「数」ある欧州旅 番外編『50』

 ベルギー第3の都市、ゲントです。運河の両側に切妻屋根のギルトハウスが並ぶ美しいところでした。遊覧ボートに乗って、水際から見上げました。

 コペンハーゲンの遊園地、チボリの中にあるレストランで昼ご飯を食べました。支払いはデンマーククローネ(DKK)でした。

 スイスのグリンデルワルトでハイキングに出かけました。フィルスト展望台(2167m)までロープウエーで登り、あとは緩やかなルートをたどりました。3大北壁がそびえるアイガーが湖に映えるスポット、バッハ・アルプゼーまで50分でした。あいにくの天候で、アイガーは雲の彼方でした。

 最初のスペイン・サンティアゴ巡礼は、サリアから100キロちょっとを歩きました。メリデの街にある50キロのモホンまでやって来たときは、ほっとしたことを覚えています。700キロ以上を歩いてたどり着いた2度目は、建て替えられてこのモホンはありませんでした。

 2度目の巡礼は、バスでパンプローナからピレネーのスペイン側の町、ロンセスバージェスを通って、フランス側のサンジャン・ピエ・デ・ポーに向かいました。2日後にはここを自分の足で歩くのだと、緊張して見つめていました。