ポンポン山・竃ヶ谷 ヤマブキソウとイチリンソウと

 ヤマブキソウに会いに出かけました。ポンポン山の北側の谷、竃ヶ谷(かまがたに)です。ボランティアによってフェンスが張られて、獣に食い荒らされないよう保護されています。
 ケシ科の多年草です。ヤマブキと花の色が似ています。

 陽の光を浴びて、鮮やかな山吹色です。

 茎の高さは30センチほどでしょうか。

 京都府のレッドデータブックでは、「絶滅寸前種」に指定されています

 真っ白いイチリンソウが美しいです。

 今が満開のようです。

 裏側は、恥じらうような紫色がにじみます。

 二つの花をつけるからニリンソウです。

 ヒトリシズカ(一人静)は、花が終わってました。

 アオイ(葵)の葉が光ります。

 タラの芽が延びてました。

 独り、車で走り、大原野公園森の案内所近くに止めました。森の案内所は新型ウイルスのため閉鎖されていて、そこの駐車場は使えませんでした。
 竃ヶ谷を往復しただけで、ハイカーがたくさんいそうなポンポン山の頂上は敬遠しました。
 竃ヶ谷は、ポンポン山のメーンルートから外れていて、地図にも表記されていません。何回も渡渉を繰り返す必要があります。ほとんどハイカーと出会うこともなかったです。

ポンポン山 福寿草に会いに行く 2020

 ポンポン山に福寿草(フクジュソウ)を見にやってきました。
 ことしは2月の初めに開花したそうで、すでに3番花。満開は過ぎてました。でも、初夏のようなポカポカ陽気を浴びて、黄金色にピカピカと光っていました。

 これがヤマシロネコノメでしょう。雄しべが8本あります。この地域にしか生育しない固有種で、京都府の絶滅危惧種です。

 こちらはネコノメソウでしょう。

 ノーブルにも見えるこの白い花は、ハコベのようです。

続きを読む ポンポン山 福寿草に会いに行く 2020

季節外れのクリンソウ咲く「水声の道」をポンポン山へ

 秋晴れの好天でした。急に思い立ってポンポン山に登りました。ほぼ1年ぶりです。
 昨年の台風で大きな被害を被っています。南東側の斜面の被害が甚大で、わたしが好きな「水声の道」も倒木の山で通行不能になってました。
 ところが、ネットで調べていると最近、この道を歩いている人がいました。倒木の下を潜り抜けるのを覚悟して、わたしも歩きました。
 想像以上にすごい倒木に絶句する個所もありました。でも、最低限の歩行には支障ありませんでした。

 季節外れのクリンソウが1輪、荒れた谷に健気に咲いています。

 地元・島本町の最高峰、釈迦岳で食べた昼飯です。「焼肉のお弁当」は、肉よりも野菜たっぷりですが、文句はありません。

続きを読む 季節外れのクリンソウ咲く「水声の道」をポンポン山へ

花ボランティア 小塩山のカタクリ2019 その1

 京都・西山の小塩山に、もうすぐカタクリの花が咲きます。
 毎年のように登り、カタクリの可憐な花を楽しんできました。ことしは、永年の恩返しにと、カタクリ保護にあたっている「西山自然保護ネットワーク」の会員になり、初めての花ボランティアでカタクリ開花に備えた準備作業に参加しました。

 ことしのカタクリも2週間ほどで開花しそうでした。わたしが小塩山で初めてカタクリの花を見たのは、20年ほど前のことです。カタクリは種から7~8年して、やっと開花します。今年見る花は、ひょっとしたら最初の花の「孫」にあたるのかもしれません。寿命は15年ほどだそうですので「子」でしょうかね。

 双葉から、すっくとつぼみが伸びています。

 芽を出したところです。

 集合は洛西ニュータウンでした。わたしは阪急桂から京都市バスに乗りました。そこからメンバーの車に分乗して、一般車は乗り入れ禁止の府道141号小塩山大原野線を走り、小塩山に上がりました。
 カタクリ保護地のひとつ、Nの谷の近くに会の資材小屋がありました。30人ほどのメンバーが集まりました。

 Nの谷、炭の谷、御陵の谷と3か所に保護地があります。
 わたしは炭の谷の担当になりました。

 シカやイノシシの侵入を防ぐために、ネットで覆われた保護地です。

 わたしたちの任務は、炭の谷中央に昨秋の作業で積み上げられていた薪を、上部に運び上げる作業でした。

 ズシリと重い背負子を背負って、荷揚げしました。ちょっと頼りないにわかボッカでした。
 それでも午前、午後を通じて39往復しました。高低差は14mでしたので、それだけで546mの山に登り、降りた計算です。

 こんな荒業は、素人には無理です。

 冬に逆戻りした寒い1日でしたが、体を動かすと温かくなり、腹も減ります。きょうのわたしの昼飯は、自宅近くのローソンで買ってきた助六とみそ汁でした。

 ミヤマカタバミもつぼみを膨らませていました。

 西山自然保護ネットワーク

ポンポン山で食べる 揚げと九条ねぎたっぷりカレーうどん

 ポンポン山の上で食べる「揚げと九条ねぎたっぷりカレーうどん」です。そんな名前は自分でつけました。
 急に思い立って登ったポンポン山です。本日の昼飯用にと冷蔵庫に用意されていたうどんを持ってきました。途中のコンビニでレトルトのカレーを買ってきて、それを加えました。簡単ながら、立派なカレーうどんです。山の上で食べれば、文句なくおいしいです。

 九条ねぎを刻み、冷凍されていた揚げをもってきました。これで食べ応えが2段階くらいアップです。

 ペットボトルの中身は、出来合いの出汁です。念のためにこの上に保冷材も入れてきました。

 ポンポン山の頂上です。コッフェルに出汁を入れ、バーナーで熱しました。

 レトルトカレーは、ファミリーマートで100円ほどでした。
 温まった出汁に放り込みました。
 うどんは、「稲庭風細うどん」でした。
 九条ねぎ1本と、揚げも入れました。
 最後には、京都・清水の七味家の七味も忘れませんでした。

 カレーうどんといえば、白いご飯も欠かせません。具の入っていないおにぎりを買ってきました。

 締めは、ちょっと甘いいつものインスタントのカフェラテでした。

 隣のお兄さんもうまそうなものを食べてました。「焼いただけですよ」と謙遜してましたが、レトルトのカレーをはさんだ焼きカレーパンは気になりました。おまけにいっしょに飲んでられた「秋味」も。次は、わたしも真似してみます。

台風の爪痕が深く刻まれた ポンポン山

 天気予報が「はれ」だったので、急に思い立ってポンポン山に登りました。大阪-京都府境にある、わがホームグラウンドの山です。
 台風の爪痕が深く残っていました。神峯山寺(かぶさんじ)から本山寺を通っていくメーンルートですら、何か所も寸断されていました。う回路がつくられていて登山は可能でしたが、変りはては山道にあ然としました。川久保渓谷や、大好きな水声の道は倒木がすごく、当分は登山不能ということでした。

 木々の間を気持ちよく歩ける道だったのに、障害物があちこちに散乱していました。

 【2018-09-23 09:38】
 ポンポン山をピストンするルートにしたため、マイカーでやってきました。本山寺の駐車場にとめさせていただきました。

 本山寺の掲示板には「通行不可」の張り紙がありました。

 本山寺の勧請掛は無事だったようです。

 境内の階段を上がると、鐘楼に大きな木が横たわっていました。直撃を免れてよかったです。

 熟せなかった銀杏がこぼれていました。

 本堂は無事なようです。紅葉はまだです。

 本堂の右裏手から登山道が始まります。北西側の斜面は被害が少なかったようです。

 【10:14】
 ポンポン山へは神峯山寺から歩いても6キロほど。秋は絶好のハイキングシーズンで、多くのハイカーがやってくる人気のコースです。

 【10:27】
 「天狗杉」までやって来ました。
 南向きに祠があります。高槻の古木百選のひとつだそうで、樹齢300~330年、高さ20mあります。強風にも耐えたようです。しかし、南側の樹々は倒されたのか、明るくなったような感じがします。

 天狗杉を過ぎると、最初の通行不能個所です。山道を何本もの倒木がふさいでいます。

 巻き道(う回路)がつくられていました。白いテープに導かれて樹林の間の踏み跡を進みました。

 通行不能個所の反対側です。こちらからもとても進めません。

 しばらくは被害のない静かな道を進みました。トレランの3人組が走ってきました。振り返って写しました。

 南東側の斜面に被害が大きかったようです。
 ポンポン山から遠くない島本町のわが家でも、台風の強風は東南から吹いてきました。

 この辺りは、倒木をまたいで進みました。

 茂みの中から声がすると思ったら、ボランティアの人でしょうか、倒木を整理しておあられました。ご苦労さまです。
 おかげで下山時には、この個所は通過することができました。

 ポンポン山の頂上が近づいてきました。

 【11:15】
 ポンポン山の頂上です。

 広い頂上には変わりがなく、ここでわたしも昼食にしました。

 行きと同じ道を下山しました。
 キノコがびっしりと幹を覆っていました。

 すれ違うハイカーもかなりの数でした。小さな子供も何人もいました。まあ危険はないとは思いますが、平穏なハイキングコースが、想像以上の悪路に化けていることをご存じなのかと、ちょっと心配になりました。

 本山寺の境内をバイパスする南側のルートを下山してみました。

 やはり大きな木がルートを覆っていました。それが見事に枝が払われていました。

 【13:10】
 駐車場に戻ってきました。行きより車が増えていました。やはり人気の山です。

 神峯山寺に向けて下る林道の途中に、すごい杉の倒木の斜面がありました。クルマを下りて写しました。南東の風をもろに受けたようです。
 この倒木は今後、どうなるのでしょうか。莫大な手間と費用をかえて間伐材が整理されるとも思えません。気になります。

ポンポン山 早くもクリンソウが花盛り

 ポンポン山に登りました。汗もかきましたが、清々しい良い天気でした。
 今年は、サクラをはじめ、カタクリの花も開花が早かったので、ヤマブキソウも咲いているかなと期待してました。残念ながら、黄色い山吹色は拝めませんでした。ところが、予想外のクリンソウが、すでに満開状態でした。明るい陽を浴びる紫色を堪能しました。

 道路の真ん中にも1株が花をつけてました。踏まれなければいいのですが。

 JR高槻の北口から高槻市営バスの中畑回転場行きに乗車。出灰(いずりは)で降りました。出灰川に沿って20分ほど歩くと橋を渡ったところが登山口の尸陀寺(しだじ)跡です。一休禅師ゆかりの場所です。
 その手前にクリンソウは咲いています。以前は民家の庭だったところですが、1軒の民家は取り壊されてしまいました。クリンソウも瓦礫とともに撤去されてしまうのかと心配してましたが、工事用トラックのタイヤ痕が残る土地のすぐ脇で元気に咲いてました。

続きを読む ポンポン山 早くもクリンソウが花盛り

小塩山 花と弁当と餃子と、美女はなし

 京都西山の小塩山は、カタクリの花が咲くことでこの時期、人気の山です。寒い一日で、日差しもなかったのでカタクリの花はイマイチでしたが、いろんな花が咲いてました。ミツバツツジも咲き誇ってました。
 花より男子の弁当は、JR向日町のセブン・イレブンで買ってきた「たっぷり明太子と焼き鮭ぎごはん(麦飯)」です。サケとイクラなら親子ですが、タラコでは他人ですね。いや、おいしさに変わりはありません。

 ゴールとなった善峯寺の枝垂れ桜は、山の上とあってまだ満開でした。光線がないので残念ながら輝いていません。

 仕上げは、阪急・東向日駅前の珉珉で餃子です。ちょっと寒い中を歩いてきましたが、生中で暖まって、きょうもいい1日でした。
続きを読む 小塩山 花と弁当と餃子と、美女はなし

小塩山のカタクリの花 2018

 京都西山の小塩山に登りました。ことしもカタクリの花と出会うことができました。
 残念ながら薄曇りとなって、日差しがありません。おまけに気温も上がらず、花は堅く閉じたままです。イナバウアーしている花はほとんどなく、ちょっと寂しい光景でした。
 ことしはすべての花が早かったようです。カタクリも例外ではなく、3日には満開になっていたとか。毎年、早くなってます。

 日差しがないので、残念ながら鮮やかさはありません。

 8度ほどしかありません。花が開かないはずです。

 それでも熱心にカメラを構えるタイガースのタオルを首にした同行者2人です。
 昨日の日曜日は250人が訪れたそうですが、きょうはまばらでした。
 小塩山に山頂近くにある3つのカタクリ保護地は、西山自然保護ネットワークの皆さんによって守られています。カンパしてきました。
 山行については、改めて記します。

山城三十山 ポンポン山と釈迦岳

 ポンポン山と釈迦岳。この2座は、裏山のように何度も登っています。
 ポンポン山(正式には加茂勢山、678.9m)には2等三角点があります。頂上で足踏みすると「ポンポン」と音がするという言い伝えもあって、北摂の人気の山です。
 釈迦岳(630.8m)は、わが町・島本町の最高峰です。3等三角点もあります。しかし、見晴らしがよくないこともあって、「頂上」という響きには欠けるところも認めざるをえません。
 いずれも9月に登った時の画像です。このブログにはアップしてませんでした。

 最近、登った音羽山瓢箪崩山には「山城三十山」とタイトルにつけています。
 すでに1世紀が過ぎようとしている大正時代、京都府立京都第一中学校(京都一中、現在の京都府立洛北高校)の登山グループだった今西錦司氏(人類学者、元京都大学教授、元岐阜大学長)や西堀栄三郎氏(第1次南極越冬隊長)らが、旧山城国のなかで最も標高が高い三国岳から順に30山を選んで登ったのが「山城三十山」の最初でした。その後、昭和初期に梅棹忠夫氏(民族学者、元国立民族学博物館館長)らによって見直されたのが「新山城三十山」です。
 わたしも高校生(洛北高校)のころに知りました。そのころ、いくつかの頂上には立ちました。半世紀が過ぎた今になって、もう一度、登りたくなりました。
 参考にしているのが「山城三十山」(日本山岳会京都支部編著、ナカニシ出版)です。1990年ごろのグループ登山記が収められています。その第1回登山がポンポン山でした。

 書籍の「山城三十山」の1ページです。ここでは「新山城三十山」が「山城三十山」として扱われています。
 ポンポン山はどちらの三十山でも西山の盟主となっています。ところが、釈迦岳の方は残念ながら「新」では姿を消してしまっています。
 瓢箪崩山は、大原から岩倉に抜ける峠道から入ったところにある里山でした。ところがその林道はいたるところに倒木が横たわっていて、里山の荒れ方に驚かされました。わたしが中・高校生時代に北山に行くためによく乗ったバス路線も、今は運行していません。
 無理をしないで、ぼつぼつと歩きたいと思います。これも Paso a Paso(一歩一歩)です。