イワシ祭を見る余裕もなく~なんとか帰国

【 paso a paso 3 2023/06/13-14 】

 巡礼の旅は最終日を迎えました。
 リスボンの空港から独・ミュンヘンを経由して関西空港まで。そして大阪・水無瀬の自宅に帰り着き、「一番搾り」で乾杯しました。
 ところが、この間の記録(画像)がほとんど残っていません。
 実は、帰宅後のとんでもない事態の予兆が始まっていたのです。

 3泊したジェロニモス修道院近くのオステルを出発しました。
 朝食は、すぐ近くのパスティス・デ・ベレンで再びナタを2個、いただきました。これが固形物とのしばしのお別れとなりました。

 ジェロニモス修道院ともお別れです。
 この日はリスボンの守護聖人、聖アントニオを讃える聖アントニオ祭でした。「イワシ祭り」とも呼ばれ、あちこちの広場に屋台が出て、イワシが焼かれるそうです。「カテドラルの辺りに行かれたら」と、前夜にお会いした神父さまにも勧められていました。
 ところが、そんな元気はもう残っていあませんでした。

 私鉄-地下鉄-地下鉄と乗り継いでリスボン空港に直行しました。
 改札口が開かないというハプニングもありました。先に出た人が振り向いて、親切にももう使わない自分のカードを渡してくれました。3枚ほど試しましたが、すべてアウトでした。駅員はいません。
 端の方にインターフォンがあったので、押しました。「リスボンカードをもってるけど、出られないよ」。やってきた駅員はカードを確認してゲートを開けてくれました。
 よく考えると、72時間有効のリスボンカードは、3日前の10時過ぎに購入していました。タイムアウトだったのかもしれません。

 ルフトハンザ航空のミュンヘン経由で帰ります。
 ところが、ここで記録はストップしてしまいます。
 空港でみやげを買い、ミュンヘンまで。そこでもリューベックのチョコレート菓子を買って関空へ向けて飛び立ちました。
 そのころから腹の調子がおかしくなって、何度もトイレに駆け込んでいました。何回か出てきた機内食は、まったく口にしませんでした。わずかにジュースを飲むだけで、もっぱら眠っていました。

 関空に戻ってきました。

 ザックも無事に到着しました。

 JR特急・はるかに高槻まで乗り、島本からわが家まではわずかな距離ですが、奥さまに車で迎えに来てもらいました。
 ビールをひと口、飲んだだけで、すぐに寝てしまいました。
 時差ボケで翌朝は未明に目が覚めました。「帰ってきました」とブログに報告するくらいの元気は残っていました。
 その直後に40度近い発熱でした。「コロナか?」と気になって、近くのかかりつけ医に飛び込みましたが、結果は腸ウイルス感染と診断されました。点滴を2回も受けて、3日後くらいからなんとか快方に向かいました。
 最後の最後で、予期せぬ事態に陥りました。でもこれが帰国後で良かったです。独り、旅の途中にこんな事態に陥っていたらと考えると、ぞっとします。

 わたしの歩行記録は、スマホにも残っていました。後半の2週間は、縦目盛りが違います。
 巡礼中は、ほぼ3万歩を歩いていました。最高は5月29日の4万1700歩で、水車小屋の谷を下って大西洋岸のヴィジャノーバ・デ・アロウサまで歩いた日です。
 帰国後はほとんど歩いていません。61キロ台まで減少した体重は、徐々に戻りつつあります。

 きょうで出発から2カ月です。そろそろ新しい生活に入りたいと思います。
 長々と書き連ねてきた【 paso a paso 3 2023 】もこれが最後となります。ご愛読、ありがとうございました。

反田恭平ピアノリサイタル2023を聴く

 奈良・橿原の県立橿原文化会館大ホールで、「反田恭平ピアノリサイタル2023」を聴きました(13日夜)。
 1000人を超す大きなホールです。それがソールド・アウトの満席でした。大阪や京都などからもファンが詰めかけていたのです。
 開演直前まで、念入りに調律が行われていました。

 前から4列目の中央の席でした。
 目の前のスタインウェイのふたの裏側が、弦を反射して光っているのが印象的でした。

 プログラム(一部変更あり)は、近代ロシアのスクリャービン、ラフマニノフとショパンの影響を受けた2人から始まりました。
 わたしは、その日に病院で受診した2つの検査で疲れていたのか、不覚にもこっくりとする瞬間もありました。
 後半のショパンは、これは圧巻でした。雷が落ちたのかと思わせるほどの爆音が、ホールに鳴り響く場面もありました。でもそれは一瞬のこと。心にグイグイと迫ってきたのは、圧倒的な弱音!でした。これまでに聴いたことがない最弱音に息をのんでいると、その音色はいく重にも変化して、一音一音がしみわたりました。そのバリエーションの豊かさに驚きました。
 拍手にスタンディングにブラボーが途切れません。5曲もアンコールを弾いてくれました。
 その極みが、アンコールで弾いてくれたラルゴでした。何度も聴いています。でも、この夜のラルゴが、ショパンの母国・ポーランドに対する思いを、これまでになく静かに熱く表現しているように思えました。聴くたびに限りなく進化する反田くんでした。

 なんだか反田くん一座がどさ回りしているような案内です。

 ホール前には「増長天」が飾られていました。、

 近鉄・大和八木から歩いて5分ほどのところにありました。

 近鉄特急で帰宅しました。

 大和八木のホーム内にあるコンビニで、缶を買って乗り込みました。ガラガラの車内で、余韻とともに楽しみました。

リスボン土産も買いました

【 paso a paso 3 2023/06/12-02 】

 巡礼中は、荷物になるものは1グラムでも増やしたくありませんでした。
 旅も終盤です。土産のことも気にはなりました。娘がネットで調べて、アドバイスをくれました。「100年も愛される老舗、王妃もご愛用のビーガンコスメ」というBENAMÔRにしたら。
 カテドラル(リスボン大聖堂)からGoogleMapを見ながら路地を下りました。 

 シックなディスプレーです。化粧品店というより、ファーマシア(薬局)のイメージに近いです。

 あれこれ試した後は、手をお洗い下さいということでしょうか。

 わたしは決まっていました。スマホの画面を店員に見せて「これください」。 
 リップクリームならかさばりません。

 使ってみた奥さまは「サラッとしていて無臭。使い心地がよい」そうです。

 オーデコロンも並んでました。

 リスボンには他にも2店舗あります。世界各地に展開してますが、日本にはやって来てません。

 Benamôr 1925
 R. dos Bacalhoeiros 20A, 1100-074 Lisboa
 +351 21 800 3037

 サーディンの缶詰も土産にしました。

 派手派手なショップでした。

 自分でつくる サーディン入りナポリタンで食べてしまいました。

 大聖堂の前を市電28番がガトゴトと通過します。
 大勢の人は、翌日のサント・アントニオ祭(イワシ祭)のプレイベントかなにかを待っている様子でした。

 土産屋が並びます。あちこちのショーウインドーを飾っていました。
 目が点になりました。欲しい!

 こらえきれずに買ってしまいました。

 黄色い市電28番が走ってました。

 リスボンの坂道のイメージを、土産にしたモデルで再現しました。

 手作り感満載のモデルです。

 パソコンの前で、こんな風に撮影しました。

上を向いて歩こう サン・ジョルジェ城へ

【 paso a paso 3 2023/06/12 】

 1ヵ月近くに及んだ巡礼の旅も、この日が実質のラスト・デーでした。
 リスボンを一望して、見納めにしようと町の中心にそびえるサン・ジョルジェ城へ登りました。
 坂の町の坂の路地を、地図も確認しないままひたすら上に向かって歩きました。

 地下鉄のロシオを上ったところが、町の中心にあるロシオ広場でした。

 まずは腹ごしらえの朝食をと、すぐ隣のフィゲイラ広場に面したマクドナルドに飛び込みました。

 ディスプレーを操作して注文するのは、どこも同じです。

 エッグマフィンなど安心の3点です。

 どこで食べてもマクドです。

 ちょっと変わっていたのがこちら。日本ならポテトかなにかですが、生のリンゴがカットされていました。

 合わせて4.5€と、日本とあまり価格差はないようです。

 さて、歩きます。
 アウグスタ通りを下った先には勝利のアーチ展望台が見えます。 

 わたしは坂の上を目指します。

 階段が始まります。

 観光客はやってこないような裏路地です。

 味のある落書き、それとも壁画です。

 あの上を目指します。

 やっと展望が開けました。

 たどり着いたのはグラサ展望台でした。マドリードの7つの丘のひとつです。

 テージョ川にかかる4月25日橋が見渡せました。

 左手にサン・ジョルジェ城の旗がはためいていました。
 違うピークを目指してきたようでした。

 登攀ルートを確認して、再アタックです。

 城壁の近くまで路線バスがやってきてました。行先字幕には「CASTELO」とありました。キャッスル行きのこのバスに乗ればよかったのです。

 チケット売り場は行列でした。

 「オーバー65」と申告することを忘れませんでした。おとな15€のところがシニア12.5€になりました。

 テージョ川が一望できます。

 前日に乗ったエレベータも眼下です。

 ユリウス・カエサルの時代にローマ人によって要塞として建設されました。

 1500年に渡ってリスボンの町を見守ってきた城郭です。

 いくつもの目に見つめられていました。

 海に向かって下り続けました。

京都・荒神口 「旬菜 あだち」のハモと野菜のてんぷら

 京都府立医大病院での検査の合間に食べた昼飯です。「ハモと野菜のてんぷら」(1300円)です。
 鉾町ではきょう、山鉾の試し曳きも行われました。祇園祭は「鱧祭」とも呼ばれ、京都の夏にハモは欠かせません。
 サクっと揚がったハモが6個もかくれていました。シイタケ、なすび、カボチャにシシトウと、盛りだくさんでした。塩をちょいとつけていただきました。

 うなぎの寝床の京町屋を改装したような店です。長いカウンターだけでした。

 河原町の荒神口を下がったところです。1年前にもあったはずですが、気づきませんでした。
 33回(33日)にも及ぶ放射線治療のため、京都府立医大病院に通ってもうすぐ1年です。暑い夏の日々、「京の三十三食」とやけくそに食べ歩いたのが懐かしいです。
 経過観察のためにCTとRI検査を受けました。結果がわかるのは、もう少し先です。

 旬菜 あだち
 075-256-0011
 京都市上京区上生洲町247

ジェロニモス修道院とベレンの塔

【 paso a paso 3 2023/06/11 】

 名所観光の1日でした。ジェロニモス修道院、発見のモニュメント、ベレンの塔と巡りました。
 巡礼のスタート地、ポルトもそうでしたが、リズボンもすごい数の観光客であふれていました。
 田舎道を独り、歩いている巡礼と違って、これは疲れました。

 泊ったオステルの数軒隣がポルトガルの名物、パステル・デ・ナタ(エッグ・タルト)の老舗、パスティス・デ・ベレンでした。これは食べるしかありません。
 朝食にいただきました。

 温かいのをほおばります。甘さは控えめで、クリームが滑らかです。
 ジェロニモス修道院から伝えられたレシピを守り続けているそうです。

 パスティシュ・デ・ベレンで朝食を

 店のすぐ先が修道院です。

 午前10時からの開門前に行きましたが、すでに行列でした。

 チケットをどこで買ったいいのかわからないまま、行列を離れるのもシャクです。並びながらスマホであわててゲットして入場です。

 回廊のすばらしさに圧倒されます。

 エンリケ航海王子とヴァスコダ・ガマの偉業をたたえて1502年に着工。約1世紀をかけて完成しました。マヌエル様式を代表する壮麗な修道院です。

 京都からやって来たご婦人3人連れと出会いました。写真をとってもらいました。

 どなたかの石棺が置かれていました。
 ガマの棺もあるはずと探しました。

 サンタ・マリア教会では、日曜日のミサが行われていて、入れませんでした。
 ガマの棺は、この内部にあったようです。対面はできませんでした。

 観光客の流れにゾロゾロと歩いて退場しました。

 修道院の目の前の海岸に、発見のモニュメントはありました。

 前から3人目のひざまずいているのがガマです。

 「発見のモニュメント」でガマを発見する

 海岸を歩くと、ベレンの塔です。
 テージョ川を行き交う船を監視するため、16世紀初めに作られました。

 このストリート・ミュージシャンは、いつもここで演奏していて有名らしいです。

 内部に入ることもできますが、人数制限しているのか行列はほとんど進みませんでした。

 わたしは、すぐにあきらめて退散しました。

「哲&友号」 大川で浸水せずに進水

 山の友だちの「天満の哲」さんが、ヘンなことをしでかしました。
 ペットボトルをつないでボートをつくり、大阪湾に漕ぎ出すという奇想天外、いや気宇壮大な計画です。
 進水式を挙行するという知らせに、わたしも大阪・大川に駆けつけました。
 結果は無事に浸水、ではなくて進水。なんでもやってみようーの遠い昔のロマンが戻ってきたように、みんなの笑顔がはじけました。

 大阪・天六に近い哲さんのスタジオ「音太小屋」に集合しました。哲さんとその仲間たちです。「だれも欠けずに帰って来られるかな」の声も。

 分解したボートを台車に載せて歩いて出発です。

 早速に荷崩れを起こして、前途多難の様相です。

 大川(淀川の支流)の源八橋下流にある大阪ふれあいの水辺にやってきました。


 
 テープを張って組み立てです。

 浮かびました。「哲&友号」と命名されました。
 早速、哲さんとSさんが乗りこみます。

 岸をゆっくりと離れました。沈没するようなことはないようです。

 初航海を終えて、どや顔の2人です。

 対岸には帝国ホテル大阪や高層マンションがそびえます。どこを航海しているのかと思わせます。

 思わず笑顔がこぼれます。

 哲さんは、へっぴり腰で立ち漕ぎに挑戦です。

 水を漕いで、様になってます。

 警備員も見に来ましたが、お目こぼしにあずかりました。
 オトナの遊びは、撤収も完璧でした。

 都島橋を帰ると、わが母校の大学ボート部が練習中でした。あんな風に大川の本流を進み、大阪湾まで漕ぎ出るのはやり絵空事だったのでしょうか。

 音太小屋に戻って乾杯しました。哲さんの夢に便乗させていただき(ボートには、怖くて乗りませんでした)、ありがとうございます。

リスボンの町を市電28番は走る

【 paso a paso 3 2023/06/10-02 】

 リスボンの町です。坂道の曲がりくねった線路の向こうからトラムが走ってきました。ここでは「市電(エレクトリコ)」と呼びます。その28番線です。
 急いでカメラを構えました。走り去るのを追いました。
 これに乗るためにリスボンまでやってきたようなものです。次の停留所までいって、次の電車に乗り込みました。

 28番線は、「7つの丘」と呼ばれる起伏の多い町を、ガーガー、ギシギシと音を立てながら進みます。狭い路地も抜けていきます。

 町を半周するような路線です。1往復半も乗りました。(画像は「地球の歩きかたポルトガル」より)

 運転手は、長い髪の女性でした。

 始発駅のマルティン・モニスでは、定員しか乗せません。おかげで1時間ほど待たされました。
 走り始めると途中駅からどんどんと乗り込んできて、すぐにいっぱいになりました。

 カテドラル(リスボン大聖堂)の前で通過するのを待ち構えました。

 見飽きることなくシャッターを切りました。

念願叶ったバカリャウ・ア・ブラース

【 paso a paso 3 2023/06/10 】

 リスボンの昼飯です。ちょっと歩き疲れて、カイス・ド・ソドレ近くの公園にあるカフェに座りました。
 メニューを見ると、バカリャウ(干しタラ)があります。トラムに乗ってバカリャウを喰らうのが、リスボンにやってきたワケでした。
 出てきました。エッ、これがバカリャウ?

 バカリャウ・ア・ブラースという、家庭的な料理だそうです。あとでゆっくりと調べてわかりました。
 水で戻してほぐしたバカリャウとタマネギ、細切りジャガイモを炒めて卵とじにしてあります。
 ねっとりとした甘さと、塩気が口の中で混ざりました。

 上のメニューの2行目にあるバカリャウ・ア・ブラースを頼みました。
 予想に反したのは、下のようなグリルの切り身を想像していたのです。

 2500円ほどでした。

 気持ちよい風が吹き抜けるカフェでした。

 カラフルな通りを歩きました。

 1泊したアラメダ公園近くのホステルを出て、地下鉄に向かいました。

 前日、買ったカードにチャージしようとしましたが、うまくいきません。諦めて、新しいカード(乗車券代のほかにわずかですがカード発行代が必要)を買いました。

 リスボンの地下鉄は、日本のように改札が入口にも出口にもあります。

 さすがにコルクの国です。シートまでコルク張りです。

 ターミナルのカイス・ド・ソドレで下車しました。この駅は、何回も利用することになりました。

 ザックをコインロッカーに預けました。

 日本語表記があってうれしかったです。

 駅近くのカフェに飛び込んで朝食です。お決まりの3点セットです。

 地下鉄などが乗り放題になるリスボンカードが欲しかったのですが、どこで売っているのかわかりません。私鉄駅の有人窓口で聞くと、「あそこの黄色い店だよ」。そこは外貨交換所でしたが、ありました。

 72時間有効のリスボンカードです。これでトラムも地下鉄も乗り放題でした。

 1日、遊んで私鉄で今夜から3泊するベレン近くのオステルに向かいました。

 夕食は、ジェロニモス修道院の前のレストランでいただきました。サングリアです。

 イカとエビ、野菜が串に刺さって焼かれています。

 塩、コショウ―の味付けなので、これは口にあいます。

  向こうがジェロニモス修道院です。翌日に入りました。

とりあえずサーディンを! (再録)

【 paso a paso 3 2023/06/09 】

 サンティアゴ・デ・コンポステーラからの長いバス旅でリスボンにやってきました。安宿に荷を解いて夕食です。
 町に出ました。あちこちにカフェがあり、みなさんのんびりとビールを飲んでます。
 あたり前にサーディンが並んでいる食堂がありました。入りましたが、店主らが食事中で、「8時からだよ」。まだ夕食の時間には早すぎました。おおかたのレストランは閉まってました。
 適当に歩き続けて見つけました。
 まぎれもなくサーディンです。焼きたてです。パリッとした皮の塩味がイケます。

 やはり魚は良いですね。胃の腑にストンと落ちます。

 もちろん、こちらで焼けるのを待ちました。

 炭火をボーボーと起こして、モクモクと煙をあげてます。こうでなきゃいけません。

 バカリャウも試してみなくてはなりません。

 これで2000円ほどでした。

 FaceBookに書き残した記事を再構築しました。わたしの管理するブログに保存しておきたいからです。手作業でコピーしました。この作業を効率的にやる方法をどなたかご存知ではないでしょうか。