テスト・パッキングと I’m Japanese

 【paso a paso 3 day-03】
 3度目のサンティアゴ巡礼の出発はあすに迫りました。準備に抜かりはないかと気がかりです。
 もっていく荷物を並べました。Tシャツの数まで厳選しています。1グラムでも軽くしたいのです。
 旅行用の圧縮袋も導入して、荷物を小分けしてザックに入れてみました。
 今回のザックは、ミレーのサースフェー40+5リットルです。余裕で収まりました。

 ザックをヘルスメーターに載せてみました。重さは7.0Kgでした。
 わたしのきょうの体重は68.0Kgです。担ぐ荷物は、体重の1/10が理想といわれます。これならまずまずでしょう。

 カメラや小物は、黄色いショルダーバッグに収めます。

 ザックにつける日の丸をつくりました。前回の巡礼で使用したフェルトが残っていました。
 裁縫仕事は奥さまにお願いしました。

 I’m Japanese のでき上がりです。

お守りとお守りカネ

 【paso a paso 3 day-04】
 お守りカネを準備しました。前回のサンティアゴ巡礼の踏襲です。
 靴のインソールの下に、折りたたんでビニール袋にパックした100€札(約15000円)を忍ばせました。
 都会では、スリやノックアウト強盗にまで要注意です。もし身ぐるみはがされたときの緊急用のお守りとなります。

 インソールは、オリジナルをはずして、長距離歩行用のものを使っています。

 靴は、米国メーカーのKEENのローカットです。
 すでにかなり履きこんでいて、ソールはすりへりつつあります。

 知人が「安全な旅を」と中山寺のお守りを送ってくださいました。ザックに結び付けていきます。

 別の知人は、「たくさんあるから」と、抗炎鎮痛剤のテープと軟膏を届けてくださいました。足が痛くなったときのお守りで、出番がないことを期待します。

 ありがとうございます。

 巡礼のシンボルはホタテ貝です。現代の巡礼者は、これをザックに結び付けて歩きます。これもお守りです。
 これまで2回の巡礼の記念として、わたしの部屋にもぶら下がっています。3つ目の貝を、3つ目のクレデンシャル(巡礼証明書)とともにみやげにします。

ガイド本 ダブル・ブックスが2つ

 【paso a paso 3 day-06】
 旅のガイド本が2冊づつ重なりました。ダブル・ブッキングではなくてブックスです。
 John Brierleyの「Camino Portugues」です。英・スコットランドで刊行されていて、英語圏のペルグリーノ(巡礼者)には絶大な支持を得ています。右は「フランス人の道」編で、今回はサンティアゴ・デ・コンポステーラから太平洋岸の岬、フィニステーラまでの部分をPDFにして、スマホに取り込みました。
 新型コロナウイルスで挫折した2020年の巡礼の前に買っていました。基本的な地図の部分は変わりません。でも3年が過ぎて、コロナの前と後では、アルベルゲ(巡礼者用簡易宿泊所)の情報などに変化があるはずです。
 今夜はここに泊まろうと歩いた先に、予定したアルベルゲがなかったのではたまりません。やはり最新版が必要と判断しました。
 AMAZONで2450円でした。英国から郵送されてきました。円安の進行のせいか、本日の価格は2781円です。わずか1ヵ月ちょっとで、これだけ違うのです。

 右ページに、1日分の行程の概略図が。左ページには、アルベルゲなどの情報が掲載されています。
 フランス人の道を歩いた前回巡礼では、ガイド部分が充実している同じシリーズを使いました。
 頼りのガイドブックは1冊

 「地球の歩き方」も2冊あります。これは予期せぬダブリでした。
 巡礼のスタート地、ポルトや、巡礼後にトラムに乗りたくて訪れるリスボンの観光情報を得るためでした。
 こちらも必要部分だけをPDF化しました。

 1979年の創刊以来、ダイヤモンド・ビッグ社が発行してきましたが、2021年に学研グループに事業譲渡されました。海外旅行者が激変したコロナの影響でしょう。
 同じ本にシールが張られています。

 連休に遊びにやって来た孫娘がわたしの本棚を見ていいました。「同じ本がいっぱいある」。それは目立つ背表紙のことを話したのです。
 わたしは、それを聞いてはっとしました。ポルトガル編も、コロナ前に購入していたのです。それをすっかり忘れて、同じエディションの2冊目を購入してしまいました。
 1冊はすぐにメルカリで売り払いました。買い手は見つかりましたが、送料や手数料を差し引くと、大損失でした。

 封筒に入れた本を発送するために近くのコンビニに行きました。メルカリから送られてきたQRコードを見せるだけでした。
 続きにホームセンターに併設されている百均に行き、あれこれと買いました。
 もうこれで足りないものはないはずです。

巡礼カメラも3代目~デジタル武装

 【paso a paso 3 day-07】
 ポルトガルの道巡礼にもっていくカメラはこれで決まりです。最近の常用機であるLUMIX LX100Ⅱ(左上)です。
 2013年の最初の巡礼はCANON S110(下)、16年はCANON G9X(右上)でした。どちらもいいコンデジでしたが、S110はその後、熊野街道の峠道でスリップして壊してしまいました。G9Xは、雨の尾瀬沼でオシャカになりました。
 フィルム時代はNIKON F2Photomicを愛用してました。デジタル一眼もNIKONでした。コンデジはCANONを何台も。RICHOもありました。それが今ではLUMIX党です。ミラーレスのGX7MK2は3台になってます。これが、我がカメラ遍歴です。
 でも巡礼カメラの決め手は、重さです。

 バッテリーは、LX100ⅡとGX7MK2は同じです。純正やサードパーティー製がいろいろあります。電圧は同じですが、容量はバラバラです。元気がよさそうなのを数個、充電器とともに持っていきます。

 メモリーは、大容量なものがびっくりするほど安くなりました。64GBが1000円を切ってます。
 動画も撮ろうかと思ってますので、多めに持っていきます。

 スマホのGoogle Pixel5Aも予備のカメラとなります。防水仕様なので、雨の日も気兼ねなく使えます。

 日本を飛び立つと、欧州用のプリペイドSIMと差し替えます。これでWiFiがいつでも使えます。ポルトガル、スペイン国内通話も可能です。
 日本との連絡は、もっぱらLINE電話となります。
 AMAZONで買ったプリペイドSIMは30GB、28日間用で3000円ほどでした。

 スマホなどの充電用にモバイルバッテリーも持っていきます。
 左の金色のは前回、使用しました。20000mAhと強力ですが、重さが200gを超えます。右の青色は小型すぎます。
 白色を購入しました。5000mAhとスマホ充電1.5回分です。100gと軽量です。

 電源、ケーブルもあれこれ考え、これで落ち着きました。準備は着々です。
 パソコンは、重たすぎるので敬遠です。

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ああ、円安!! なんと1ユーロが152円

 【paso a paso 3 day-08】
 ポルトガルの道巡礼のためにユーロを買いました。高槻市内の都市銀行支店です。ドルとユーロは、あらかじめパックされたものを、自動販売機で買うことができます。
 気になるのは外国為替相場です。時々チェックしてましたが、下がる一方でした。最悪の時点(これから先は不明ですが)で買わざるを得なくなりました。
 本日のレートは1ユーロが148円台。交換手数料を加えると、152円オーバーでした。
 ユーロと交換したのは10数回目ですが、これまでの最安値140円を大きく上回る記録更新です。ベルリンの豪華ホテルにツイン朝食付きでたった100ユーロ、しかも1€=¥100で泊まった昔が夢のようです。

 2018年のウィーン旅行で使い残した100€と5€紙幣と並べました。デザインが変わっています。

 カネとともに大事なのがクスリです。
 眼科医では、緑内障と黄斑浮腫の治療目薬をもらいました。毎朝、アルベルゲでこれを垂らすのは面倒ですが、仕方ありません。

 昨日の内科医では、常用の血圧降下剤や鼻炎対策薬の他に、事情を説明していろんな予備薬を処方してもらいました。

 抗生剤は、前回の巡礼でも持っていきました。足が腫れて歩けなくなったときに服用すればよかったのです。使い方を勉強しておきます。

歩いて京都十六社 その3完 市比賣神社~御香宮

 歩いて「京都十六社朱印めぐり」は、3回目。前回の続きで市比賣神社から御香宮まで5社を参りました。巡拝成就の印と干支の卯の置物をいただきました。
 一筆書きに京都市内をほぼ一周して歩いた総距離は50キロほどに達しました。健康祈願を神頼みだけでなく、自ら実践することができました。

 市比賣(いちひめ)神社は、女神さまだけお祀りしているところから女性の守り神とされます。この日も祈祷を受ける女性参拝者が多く見受けられました。

 市比賣神社
 女性の守り神 市場の守り神
 京都市下京区河原町五条下ル一筋目西入ル 

 豊国(とよくに)神社は、天下統一を成し遂げた太閤秀吉を祀っています。伏見城遺構と伝わる国宝唐門は金ピカで、立派なたたずまいです。

 豊国神社
 開運招福 良縁成就
 京都市東山区大和大路通正面茶屋町530

 新熊野(いまぐまの)神社は、熊野詣を繰り返した後白河法皇が紀州国熊野の神を勧請して創建されました。京都三熊野のひとつです。

 新熊野神社
 健康長寿 病魔退散 お腹の神
 京都市東山区今熊野椥ノ森町42

 藤森(ふじのもり)神社は、今日では勝運と馬の神様として知られ、馬主や騎手などの競馬関係者や馬券的中を願う競馬ファンの参拝者でにぎわいます。

 藤森神社
 男人守護の神 勝運と馬の社
 京都市伏見区深草鳥居崎町609

 御香宮は、境内に香のよい水が湧き出て、この水を飲むと病がたちまち癒ったという奇瑞から清和天皇より「御香宮」の名を賜っています。

 御香宮
 安産 病気平癒
 京都市伏見区御香宮門前町174

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歩いて京都十六社 その2 わら天神宮~粟田神社

 歩いて「京都十六社朱印めぐり」の2回目です。阪急・西院から北上してわら天神宮から時計回りに7社で朱印をいただきました。今回も総距離は20㌔近くに達し、3万歩を超えました。
 子授けうさぎがいる東天王岡崎神社は、卯(うさぎ)年とあって参拝者でいっぱい。人気のうさぎみくじのうさぎが、ズラリと並んでいました。

 わら天神宮(敷地神社)から参りました。
 安産の神さまとして知られます。わたしも初孫が生まれる前に、帯をいただきにやってきたことがあります。

 わら天神宮
 安産 厄除 子授け
 京都市北区衣笠天神森町

 「玉の輿(たまのこし)神社」とも呼ばれる今宮神社は古い神社です。

 今宮神社
 健康長寿 良縁開運
 京都市北区紫野今宮町21

 御霊神社はいただいたパンフレットではこれで「かみごりょうじんじゃ」とルビが振られています。上御霊神社のことです。
 「応仁の乱」が始まった地といわれ、境内には碑があります。

 御霊神社
 こころしづめ 厄除 学業成就
 京都市上京区上御霊前通烏丸東イル上御霊町495

 京都熊野神社は、紀伊国熊野から熊野大神を勧請したのに始まります。京都三熊野のひとつです。
 シンボルは3本脚の八咫烏(やたがらす)で、最近ではサッカーの神さまです。

 京都熊野神社
 縁結び 安産 病気平癒 災い除け
 京都市左京区聖護院山王町43

 東天王岡崎神社は、桓武天皇が平安京遷都にあたり王城守護のあて京の四方に建てた社のひとつで、都の東(卯の方位)にあるから東天王です。
 うさぎとの縁が深く、ことしは大にぎわいです。 

 東天王岡崎神社
 子授け 安産 縁結び 厄除け
 京都市左京区岡崎東天王町51

 熊野若王子(にゃくおうじ)神社も三熊野のひとつで、哲学の道の南端の山際にあります。
 熊野詣の修験者は、ここで身よ浄めて出発したといわれます。わたしも熊野向けて歩いたときに参ったことがります。

 熊野若王子神社
 学業成就 商売繁盛
 京都市左京区若王子町2

 粟田神社は京の七口の粟田口にあり、古くから旅立ちの守護神として参られてきました。

 粟田神社
 旅立ち守護 厄除
 京都市東山区粟田口鍛冶町1

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歩いて京都十六社 その1 長岡天満宮~西院春日神社

 京都にある16神社を巡って一年の祈願成就を願う「京都十六社朱印めぐり」を始めました。
 巡る順番や方法は自由です。わたしは歩くことにしました。GoogleMapでルート探索してみると、ざっと40㌔ほどになります。
 スタートは、自宅に近い長岡天満宮に参りました。ここで朱印巡りの朱印帳もいただきました。
 初回は、西院春日神社まで4社に参拝しました。20㌔に及ぶロングウォークとなりました。

 天満宮(天神さん)は、日本全国あちこちにあります。菅原道真を祭神とする神社であす。
 長岡天満宮は、道真が太宰府へ左遷されたときに立ち寄り「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ縁故によって、道真作の木像をお祀りしたのが創立だそうです。
 十六社のうちでは、ここだけが京都市内から離れています。ここを起点に時計回りに歩くことにしました。

 長岡天満宮
 学問の神様 厄除開運
 長岡京市天神2-15-13

 吉祥院天満宮は、道真公誕生の地とされます。

 吉祥院天満宮
 受験合格 開運招福
 京都市南区吉祥院政所町3

 六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)は、清和源氏始祖の源経基を祭神とします。「源氏三神社」のひとつです。

 六孫王神社
 出世開運 家運隆盛
 京都市南区壬生川通八条角

 西院春日神社
 淳和天皇が退位に伴い淳和院離宮(別名西院)へ居を移すに際し、その鎮守社として創建されました。

 西院春日神社
 厄除 病気平癒 交通旅行安全
 京都市右京区西院春日町61

 「京都十六社朱印めぐり」は、2月15日までに16社の朱印を集めると巡拝成就となります。

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伊勢参り 番外 起点は玉造稲荷神社

 歩いて伊勢参りは、京都・観月橋からスタートして、7回で宇陀・榛原に達しました。でもまだ全行程の半分といったところです。
 わたしが歩いている伊勢本街道は、大阪・玉造の玉造稲荷神社が江戸時代の玄関口でした。そこに「起点」と記した碑が建っています。
 遅まきながら訪ねました。伊勢まで約170キロです。 

 江戸時代のお伊勢参りの風景が錦絵になっています。

 社伝によると、垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建されました。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承があるそうです。

 大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家、なかでも豊臣秀頼と縁が深いです。この石鳥居も秀頼に寄進されたものですが、阪神大震災で崩壊、現在は上部だけが残っています。

 秋田実の笑魂碑というのもあります。

 上町台地の北端にあります。この辺りは坂が多いです。

 玉造稲荷神社
 大阪市中央区玉造2-3-8

 10分ほど歩いたところにある玉造稲荷神社分社です。
 こちらには浪花講発祥の地の新しい碑が建っています。浪花講は、伊勢参りなどの旅を安全なものにしようと文化元年(1804)に立ち上げられました。現在の協定旅館のルーツとされます。優良加盟店では「ぼったくり禁止」「飯盛り女を置かない」「賭博禁止」などの規制を設け、目印に浪花講の看板を揚げさせました。

 道標には、なら、伊勢、暗峠の手前にある大師堂と刻まれています。

 浪花講のかわいい御守もあったようです。

 わたしが玉造稲荷神社に参ったのは、これが欲しかったからです。神社が発行している「伊勢参宮本街道行程図」(500円)です。国土地理院の2万5000分の1の地図に、伊勢までのルートが赤線で引かれています。
 開いている榛原などの地図が、冊子のちょうど真ん中の22-23ページです。

 榛原から先は、日帰りで区切ることはできません。途中にはコンビニ一軒ないような山道と田舎道が続くようです。

伊勢参り その7 伊勢本街道を長谷寺、榛原まで

 歩いて伊勢参りのその7です。山の辺の道を南下してきた大和路は、桜井から伊勢本街道に沿って東進します。JR三輪から歩き始めて、長谷寺を通り榛原まで13.6キロほどでした。
 道中で「いせ」の文字と何度も出会いました。
 長谷寺の紅葉を期待していました。しかし、五重塔はまだ緑の中に頭を出していました。 

 長谷寺の前にある茶屋で昼飯を食べて、拝観せずにUターンしました。

 「いせ」が近づいてきたようです。

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