旅の写真 10日間 vol.10 グムンデン

 オーストリア・ザルツカンマーグートの町、グムンデンです。予定もしなかったOeBB(国鉄)の駅での途中下車でした。
 乗客はみんな降ります。どうしたのかと戸惑っていると、隣の席のおじさんが「ここからはバスで行くんだよ。ついておいで」と。横に旧市街に向かうトラムが停まっていました。
 鉄道は不通になっていたようです。バスはトラウン湖岸を走り、思わむ景色を楽しました。
 バスを降りたときに振り返ると、窓に「代行」と表示されていました。

 おかげで、湖に浮かぶ美しい村、世界遺産のハルシュタットの滞在時間が短くなってしまいました。

 土産物店で緑色のラインが鮮やかなグムンデン焼きにひきつけられました。カルパッチョなんかを盛るときに重宝しています。
 最初にザルツカンマーグート観光したときのツアーガイドが、グムンデン焼きをバカにしたような案内をしました。わたしにとっては思い出深い町になりました。

 その旅の最終地のジュネーブです。GPL(ゴールデン・パス・ライン)の展望車の先頭に乗って、スイスの山岳田園風を楽しみました。モントルーからレマン湖を眺めて到着しました。
 気が緩んでいたのでしょう。ビールを飲んで、コルナヴァン駅(中央駅)の小荷物窓口に向かいました。でも、とっくに閉まってました。ゲペックという便利な託送サービスでスーツケースを預けていました。ここで受け取らなくては、翌朝の帰国便に間に合いません。
 案内の腕章をした駅員に助けを求めると、「ここで待ってなさい」と保管場所から2個のスーツケースを持ってきてくれました。 

 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を鑑賞しました。
 到着したマルペンサ空港でシャトルバスに乗り込みました。でも、なにかヘン!「Milano Centarale?」。運転手に確かめました。「No,No! あっちだよ」。おかげで旅の初日から迷子にならなくてよかったです。

 どの旅でも旅行傷害保険はかけていました。でもロスト・バッゲージにもあわず、使ったことはありません。それでよかったのです。
 スペイン巡礼では、その日の日課を歩き終えた午後は、シャワーを浴びてのんびりとビールでくつろぎました。
 そんなときにLINEに呼び出し音が響きました。パリ在住40数年という中学時代の同級生のマダムからでした。「困ったことができたら、いつでも連絡してよ。サンジャック(巡礼のゴールのサンティアゴのフランス語読み)にも知り合いがいるから」。これが、最大の安心保険でした。

 オーストリアとスイス、ドイツが接するボーデン湖の湖上につくられたブレゲンツ音楽祭の舞台です。

 大きな目が背景となった湖上の舞台で、プッチーニのオペラ「トスカ」を楽しみました。
 これもいうなれば偶然でした。この旅では、ルツェルン音楽祭を見るはずで、旅行代理店にチケットを手配していました。ところが、直前になって「席が取れませんでした」。あわてて調べたら、同じ日がブレゲンツの最終日でした。
 それ以来、旅はすべて自分で手配しています。航空券も、ホテルもコンサートも。
 さて、次に旅立てるのはいつになるのでしょうか・・・。

 あ、これで完結です。バトンを引き継ぐのを忘れてました。どなたか、お願いします。

旅の写真 10日間 vol.9 ベルン

 ベルンのトラムは真っ赤っかでした。石造りの町に調和していました。
 時計塔を抜けてトラムは走っていました。

 国旗も、窓の花も赤です。

 アーレ川を渡ります。

 どちらを向いても絵になる街でした。

 公園のちびっこの何気ない表情まで、絵になりました。

 ルツェルンにも架線は張られていました。でもこれはトロリーバス用でした。
 わたしは黄、赤、水色の旗にカメラを向けました。開催中のルツェルン音楽祭のシンボルでした。

 ルツェルン駅のすぐ横にあるルツェルン美術館のホールです。
 ここでラベルのピアノ協奏曲を聴きました。ピアノの横の青いドレスがマルタ・アルゲリッヒ。横で手を挙げているのが指揮のシャルル・デュトワでした。

 

サントリー山を越えて 日清焼そばでランチ

 きょうも良い天気でした。アウトドアで日清焼そばを食べようと、天王山に向かいました。お目当てのサントリー山は通り越して、長岡京側の麓の小倉神社の境内でいただきました。
 1.5人前と大盛りです。ベーコンやキャベツ、タマネギも入れたので、ボリューム満点です。
 木陰のさわやかな風に吹かれて食べれば、どんなジャンクフードも一流店の味に変身します。

 プシューのお相手は、サントリー山を想定していたので、サントリーの新製品、糖質ゼロのパーフェクトです。松嶋菜々子のテレビCMのやつです。

 まずはベーコンと野菜を刻みました。まな板代わりの合板は、いつでもザックの背中に入っています。
 ちょっと多すぎたかな。

 オイルを敷いて野菜を炒めます。
 規定の300CCの水をシェラカップで測ってそそぎます。
 沸騰した湯に麺を入れます。大きすぎてあふれています。
 よく混ぜて水分を飛ばします。 
 粉末のソースをいれてかき混ぜます。
 野菜を戻して完成です。 

 ああ、おいしかった。完食です。

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旅の写真 10日間 vol.8 プラハ

 とりあえずの「8」です。プラハの街角に停まっていた旧東ドイツの国民車・トラバントの改造車です。EU加盟後も、独自通貨のチェコ・コルナ(CZK)を使っているチェコですが、タイ式マッサージ店の広告で、お代は8EURでした。
 トラムはいっぱい走ってます。渋滞で数珠つなぎになった後ろはプラハ城です。 

 石畳の上を走ります。ビルができる前から走っていたのでしょうか。

 チェコといえばビールです。バドワイザーの発祥地です。
 名物ピヴニツェ(ビアホール)の「ウ・カリハ」は、ハシェクの「兵士シュベイクの冒険」の舞台になったそうです。といってもよくわかりませんが、壁には小説を題材にした落書きがあり、主人公・シュベイクなどのグッズも売っていました。

 同じポーズでジョッキを掲げました。
 南部ボヘミアのチェスキー・クルムロフは、世界遺産の古い街並みと城が美しかったです。
 まっ先に目指したのが、1560年創業の地ビール醸造所「エッゲンベルク」でした。ちなみにお代は、0.51リットルの大がたったの25クローネ(約100円)でした。

 プラハの市民会館でもビールを飲みました。アルフォンス・ミュシャが意匠を手掛けた素敵なレストランでした。
 ここのホールで「プラハの春音楽祭」が始まり、スメタナの「わが祖国」が演奏されます。

 音楽祭の水色の垂れ幕が下がるルドルフィヌム(芸術家の家)です。

 ここのドボルザーク・ホールで、バッハの「ヨハネ受難曲」を聴きました。
 ペーター・シュライヤー(テノール歌手=舞台中央)が指揮をし、物語を進めるエバンゲリスト(福音史家)を歌いました。バッハの宗教曲にに引き込まれるきっかけとなった夜でした。

旅の写真 10日間 vol.7 ベルリン

 「7」がないって? ベルリンを走るトラムです。旧東ドイツ側のテレビ塔から見下ろしました。7両編成です。急カーブを曲がれるように、短い車体が数珠つなぎになっています。共産党独裁時代に建築された、コンクリートで規格化されたような味気ない街並みを走っています。
 現代のLRTは、車いすにもワンコにも優しいです。
 旧西ドイツ側にはトラムの姿はありません。

 東西統一の象徴である連邦議会は、シュプレー川の遊覧船からもよく見えます。この裏手にブランデンブルク門があります。

 ベルリン大聖堂は、ひときわ目を引くドームが印象的な建物です。結婚式が行われていて、壮大なパイプオルガンがメンデルスゾーンの結婚行進曲を奏で始めました。

 ベルリンを3度も訪れたのは、これがあるからです。
 ヘルベルト・フォン・カラヤン通りを期待に胸膨らませて歩いてくると、ここにやってきます。ベルリン・フィルハーモニーです。左が大ホールです。

 マリス・ヤンソンスが指揮するドボルザークの「新世界」が終わったところです。ヤンソンスの一挙手一投足にくぎ付けになりました。間違いなく、これまでに聴いた最高のシンフォニーでした。

 サイモン・ラトルは大阪・シンフォニーホールでも聴いています。でも違いました。
 ブラームスの「交響曲2番」の一糸乱れぬ大爆発でした。金管が弾けてその風圧に圧倒される中に身を置きました。

 樫本大進がコンマスと務めるステージです。
 ピアノのアリス・紗良・オットが裸足で、天女のようにヒラリと登場しました。残念ながらその画像はありません。

 後日、ベルリンフィル・デジタル・コンサートホールにアップされた紗良・オットの姿を、自宅でゆっくりと楽しみました。
 旅の楽しさは、何度でも振り返ることができる思い出を作ってくれることです。

 
 

京都・伏見 水の雅KYOTO FUSHIMIのDejeuner A

 宇治の興聖寺で母の三回忌法要を行いました。昨年の一周忌に続いて今回も遠方の兄夫婦らは参列を見送り、わたしたち夫婦だけが手を合わせました。
 お斎(とき)は、ネットで見つけた伏見にある京フレンチの「水の雅KYOTO FUSHIMI」でいただきました。簡単なコースランチです。
 精進料理とはかけ離れた肉塊が登場しました。「牛フィレ肉のロースト 玉葱ドレッシングと醤油塩京地野菜添え」です。あまりかたいことは言わなかった母なので、「おいしく食べたのなら」と許してくれたでしょう。

 スタートのムースには、イイダコと昆布出汁のジュレが載っています。甘さ控えめです。

 京野菜12種が盛られたサラダです。斎藤酒造の酒粕ソースでいただきます。

 新ジャガイモと新玉葱の和風スープです。熱熱で、舌を火傷しそうになりました。

 メーンディッシュは魚や肉料理6種からのセレクトです。
 奥さまは「高知県宿毛漁港より天然鮮魚のポワレ」でした。皮までパリッとおいしかったそうです。

 口直しには、なんとカレーの小皿です。辛さはほどほどでしたが、スパイスがよく効いてました。

 デザートは「和三盆のブランマンジェとイチゴのソルベ」です。いや、ちんぷんかんぷんですが、おいしいです。

 飲み物は「京都伏見マルトシ珈琲オリジナル」と最後までこだわりが続きました。

 久しぶりの外食にゆったりとくつろいだ1時間半でした。コースはリーズナブルでした。
 

 庭の手水鉢にレンズを向けていると、映してくれとばかりにメジロ(?)がやってきました。一瞬のことでした。

 斎藤酒造の社長宅だった築150年の大きな京町屋のゆったりとした居間です。わたしたちを含めた4組が離れて静かにいただきました。

 斎藤酒造の「英勲」の菰かぶりが置かれていました。

 京町屋らしい高い天井の土間が、バースペースになっていました。

 水の雅KYOTO FUSHIMI
 京都市伏見区京町1-244
 075-574-7482

 

旅の写真 10日間 vol.6 コペンハーゲン

 コペンハーゲンにはトラムは走っていません。全廃されてしまいました。
 朝の通勤ラッシュです。皆さん、自転車をこいでました。健康的ですよね。
 おとぎの国のお城のようなコペンハーゲン中央駅を出発する「IC3」型の気動車です。「ヤツメウナギ」の愛称をもつデンマーク国鉄(DSB)の顔です。車両端には、ゴム製の大きな連結幌がついています。このため、編成連結が簡単という、すこぶる合理性を備えたデザインです。ホームからの転落防止にも役立ちます。 

 ハンブルクに直行する奥さまのツアーと別れて、ひとりコペンハーゲンまで回り道したのは、「渡り鳥ライン」と呼ばれる海峡横断鉄道に乗りたかったからです。
 ドイツ国鉄(DB)自慢のICE気動車版、ICE-TDでコペンハーゲンを出発。ロービュからのバルト海19キロは、列車ごとフェリーに乗り込んで渡りました。45分の船旅まで体験しました。ただ風が強いばかりでしたが。

 ドイツのプットガルテンに上陸しました。列車の横を大型トラックも走ってました。
 このルートは2019年から運休になり、現在は陸上ルートになっています。

 ハンブルクのレーパーバーンは飾り窓で有名です。ビートルズが活動を始めた街でもあり、「ビートルマニア」というミュージアムがありました。
 わたしは「ミニチュアワンダーランド」を楽しみました。鉄道模型とジオラマの驚愕スポットです。計12kmにもなるHOゲージ線路が敷かれ、890両の車両が縦横に動き回っていました。

 ハンブルクから遠くない塩の町、リューネブルクの聖ニコライ教会です。ここで奥さまたちの女声アンサンブルが日曜ミサに献歌しました。
 高いドームに、澄み切った声が響き渡りました。

 同じハンザ同盟都市のリューベックにあるホルステン門は、その重みから傾いています。
 左にそびえているのがマリエン教会です。バッハがパイプオルガンを聴くため、はるばる数百キロの道のりをやってきたそうです。

 で、無理やりにこじつけてバッハがカントールとして活躍したライプツィヒの聖トーマス教会です。
 ここでBCJのバッハ「マタイ受難曲」を聴きました。

 ライプツィヒ中央駅には、トラムがひっきりなしにやってきました。

ポンポン山 竃ケ谷の黄色い花と白い花

 ポンポン山の北の谷、竃ケ谷にまたも行ってきました。黄色いヤマブキソウが満開でした。真っ白なイチリンソウ、ニリンソウとの咲き比べも見事でした。
 4日前にも行ったばかりです。その日は雨上がりで増水していて竃ケ谷の上部をかすめただけでした。ネットの最新情報でヤマブキソウが咲いていることがわかり、リベンジしました。
 川の水は減っていて、問題なく谷を詰めることができました。これほど見事なヤマブキソウは初めてです。

 ヤマブキソウ(山吹草)は、ケシ科の多年草。ヤマブキに似た黄色をしているからヤマブキソウです。花弁は4枚です。

 イチリンソウが斜面を埋め尽くしています。

 裏側はほのかな紫色に染めたのもあります。

 ニリンソウはちょっと小ぶりで、シャープな花弁をしています。

 二輪という意味がよくわかります。

 大原野森林公園森の案内所からスタートしました。
 竃ケ谷の入り口は、4日前より水量は減っていました。頭を出している岩伝いに難なく渡ることができました。 

 何回も渡渉を繰り返しますが、たいしたことはありませんでした。

 フタバアオイが一面に葉を広げています。

 ツルカノコソウが小さな花をつけています。

 立派な葉です。金網でガードされていたので、花が咲くのでしょうか。

 モミジの緑もきれいです。

 ヤマブキソウなどを堪能したので、東尾根から下ってくるルートとの分岐でUターンしました。

 森の案内所に戻って、ベンチを借りて昼飯にしました。
 友だちに「おいしいよ」と紹介された高槻の地元スーパーのモリタ屋聖ヶ丘店で買ってきました。お薦めの鯖寿司は並んでいなかったので、「彩りちらし寿司」(519円)です。

 立派なエビにウナギ、タケノコまで載っています。

 即席みそ汁もつくって、おいしくいただきました。

 YAMAPを作動させようとして、スマホそのものを自宅に忘れてきたことに気づきました。物忘れが悲しいお年頃です。
 4日前の地図に、きょうのルートを赤線で手書きしました。

旅の写真 10日間 vol.5 グラーツ

 オーストリア第2の都市、グラーツには2010年と19年に訪れました。旧市街のハウプト広場は同じですが、走っているトラムはLRTに変わってました。わたしは味のある古い車両の方が好きです。
 わざわざグラーツまで観光に出かける人はそれほど多くはないでしょう。わたしは、1854年にアルプス山脈を越える初めての鉄道として開通したゼメリング鉄道のルートを走りたかったのです。
 その後、息子がグラーツに本社がある企業に転職して、たびたび出張するようになりました。奥さまも「どんなとこか行ってみたい」となりました。

 鉄道のグラーツ中央駅前は、きれいに整備されてトラム駅は地下化されていました。そこへ博物館から出てきたような旧型車がやってきました。

 ライプツィヒの聖トーマス教会近くにある鉄道模型店でみやげに買った車両です。なんとこのモデルでした。

 行先字幕にエッゲンベルクとありました。最初の旅では、時間切れでした。 

 エッゲンベルク城の「日本の間」には、17世紀初頭に制作された大坂城を中心に町の様子が描かれた「大坂図屏風」が残っています。古伊万里などとともに、ここまで渡ってきてました。8曲の屏風は1扇ごとに解きほぐされ、壁面に張り込まれていました(内部は撮影禁止)。

 おとぎの国のお城のようでした。

 グラーツは大指揮者、カール・ベームが生まれた地です。ザルツブルクで亡くなりましたが、墓はグラーツにあるそうです。
 このサインは、ウィーンのオペラ座近くの歩道に埋め込まれていました。

 ザルツブルクの郊外には、もうひとりの大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンが眠っています。わざわざ墓参りに訪れました。意外なほどに質素な墓でした。

 ザルツブルク音楽祭では、祝祭大劇場でベルリオーズの「幻想交響曲」を聴きました。初めて聴いたウィーンフィルハーモニーの弦が限りなく美しかったのを覚えています。

旅の写真 10日間 vol.4 ゲント

 ベルギーの古都、ゲントでは遊覧船からレイエ川に沿って建ち並ぶ壮麗なギルドハウスや鐘楼などを眺めました。
 ガイドさんは「トラムに乗ってモスコーにも行けるんですよ」と、橋の上を横切るトラムを指さしてしゃれていました。

 トイレが借りたくて入ったマクドナルドの窓からも、こんな眺めです。
 向こうにそびえる聖バーフ大聖堂には15世紀フランドル絵画の最高傑作といわれるヤン・ファン・エイク作の「神秘の子羊」がありますが、ミサ中で見ることはできませんでした。16世紀につくられた本格的なカリヨン(複数の釣り鐘からなる楽器)もあったようです。

 カリヨンの音を間近に聞いたのは、アントワープのノートルダム大聖堂でした。「フランダースの犬」のネロが憧れたルーベンスの3つの祭壇画が飾られていました。
 細い路地を縫うようにかわいいトラムも走っていました。

 馬車のパレードにはデン・ハーグで出会いました。アムステルダムから列車で1時間ほどのところです。
 その日は、年に1度の国王のパレードが行われていて、町は大混雑でした。おかげで、わざわざやって来たマウリッツハイス美術館は臨時休館でした。 

 フェルメールの名画「真珠の首飾りの少女」は、東京まで旅してきたときに出会ってました。もう一度、ゆっくりと会いたかったのです。

 フェルメールの絵画は37枚しか残っておらず、それが世界中に散らばっています。
 アムステルダム国立美術館にはそのうちの4点が、さりげなく並んでいました。フラッシュをたかなければ、カメラ撮影もOKでした。

 ウィーンの美術史美術館には「絵画芸術」が、あまたの作品の一つとして飾られています。
 「世界一きれい」といわれる美術館内のカフェでゆったりとしました。

 ベルリンの国立絵画館には2作品が所蔵されています。ところがお目当ての「真珠の首飾り」は見当たりませんでした。館員に尋ねると「東京に行っているわ」。

 ドレスデンのアルテマイスター絵画館は、ラファエロの「システィーナのマドンナ」で有名です。フェルメールの初期の作品「取り持ち女」はその後、大阪にもやってきました。

 絵画館の隣にはゼンパーオーパー(旧ドレスデン国立歌劇場)があります。ここでメンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト(メンコン)を聴きました。
 窓からは王宮やフラウエン教会(聖母教会)がよく見えました。黄色いトラムも風景に溶け込んでいました。