野辺に花咲く巡礼路~編集編

【 paso a paso 3 2023/05/22 】
 巡礼第5日  野辺に花咲く巡礼路~編集編

 タメルからポンテ・デ・リマまで22kmほど歩きました。やっと巡礼路らしくなってきました。
 野辺に花咲く巡礼路は、ほとんどの写真を巡礼中にアップしています。ダブりますが、改めて再構成します。

 オステルの朝です。

 コーヒーをいれ、パンと果物、ハム、チーズ。これだけあれば十分です。

 ガロの飾りをプレゼントされました。かわいかったのでみやげにしようと思いましたが、夜中にテーブルから落として壊してしまいました。

 ポルトガルのオステルは20~30€しましたが、ゆっくりと眠れる個室ベッドのうえ朝食付きのところが多くてリーズナブルでした。
「AL」は、Alojamento Localの略ですが、公認の地域宿泊施設といった意味でしょうか。日本の「民泊」ですかね。

 ブラジル人のおばちゃんがずーっと前を歩いていました。

 野辺の花があちこちに咲いていました。

 グーグル先生によるとアストロメリアというそうです。

 ホワイト・キャンピオンだそうです。

 横から見ると、大きな袋がついています。

 これは間違いなくローズ(バラ)です。

 向こうの教会の鐘が鳴り響きました。

 熊野古道のような石畳です。

 中世の石の橋がかかっていました。

 どんよりとした1日でした。

 広い農場です。

 きょうの目的地、ポンテ・デ・リマまで18kmも残っています。がんばって歩きます。

 ユリかと思ったら、アフリカハマユウだそうです。

 エサはないよ!

 曲がりくねった巡礼路です。

 ジャイアント・ホグウィードと知らない名前が続きます。

 これはタンポポでしょう。いやセイヨウタンポポだそうです。

 ヒナギクによく似たフランスギクというのもあるようです。地域柄、そちらでしょうか。

 モホンの上にはガロもいます。

 ポルトから73km歩いてきました。

 カエシア・ミクラタン? 難しい名前が出てきます。

 新しい教会が立っていました。

 これはおなじみのカラー(オランダカイウ)でしょう。群生していました。

 絵になる風景です。

 冷たい水で顔をぬぐいました。
 板切れに飲料可かどうかが書かれていますが、色褪せて読めませんでした。

 日陰があったので、ちょっと休憩しました。

 もってきたシリアル・バーで空腹を満たしました。

 白い花がいっぱいです。

 日本なら、お地蔵さんといったところでしょうか。

 カフェに飛び込みました。甘いコーラがたまりません。

 フェンス越しの飾りです。

 フジが垂れ下がっています。

 あと少しです。

 黄色い花が一面を覆っていました。

 アントニオ・サンフランシスコ教会です。

 リマ川に沿って市が立っていました。

 ああ、スイカにかぶりつきたい!

 バカリャウ(乾燥タラ)がドーンと山積みです。

 鎖の塔(Torre da Cadeia)がそびえます。昔は城壁に囲まれた町であったことがわかります。

 テントの向こうに、あす渡るローマ橋がかかっています。

 手ごろそうなレストランを見つけて昼飯にしました。
 もちろんスタートはよく冷えたビールです。

 メニューの最下段に「メニュー・ペルグリーノ(巡礼定食)」を見つけました。もちろん、それを頼みました。

 メーンは白身魚のフライでした。ポテトがたっぷり、パンまであるのに、ご飯までついてきました。食べきれません。

 パリッと安心な味でした。

 レストランは混んでました。

 泊ったオステルは、町の中心からちょっと離れてました。夕食は、ハンバーガーとビールで簡単に済ませました。

 どこで食べてもマクドです。

自分でつくる アーリオ・オーリオ巡礼路編

【 paso a paso 3 2023/05/21 】
 巡礼第4日 自分でつくる アーリオ・オーリオ巡礼路編

 巡礼中に自炊したのは初めてでした。泊ったオステルには、材料一式がそろっていました。ご自由にお使いくださいと。
 ならばと、手慣れたアーリオ・オーリオをつくり、Super Bock(ビール)とともにおいしくいただきました。

 満足の出来です。

 ペペロンチーノ(タカニツメ)がなかったので、これでいいだろうと「PIRI PIRI」というソースをかけました。予想通りタバスコのようなものでした。

 ちょっとブランドは違ったようですが「PIRI PIRI」は帰りの空港のショップで見つけて、みやげにしました。

 Super Bockはポルトガルを代表するビールです。
 何本も冷えていて、飲んだ本数だけ料金箱に支払ってきました。1本、1.5€だったと思います。

 ミニ瓶です。20センチ・リットル、つまり200cc入りです。

 パスタの他にいろんな調味料が並んでいました。
 朝食用に用意されていたハムを、ちょっといただいてきました。
 ニンニクもあったので、万全です。

 カップ麺や缶詰類もありました。

 広くてきれいなキッチンです。この時点では他に客がおらず、自由に使いました。

 リビングもゆったりとしていました。

 バルセロスのオステルでは、コーヒーを入れて飲みました。

 こちらのもきれいなキッチンがありました。

 買っていたクロワッサンで朝食にしました。

 この民家のような左の家の地下部分がオステルでした。探すのには苦労しました。

 朝日が昇るバルセロスを後にしました。

 なにかのモニュメントです。

 雄鶏が、「コケコッコー」と元気よく鳴きました。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラまで200kMを切ってました。

 トケイソウというそうです。

 かわいいチャペルです。

 やっと巡礼路らしい雰囲気になってきました。

 線路を横切りました。

 ちょっと休憩です。

 木陰の教会です。

 アジサイは日本と同じです。

 自転車のグループに追い抜かされました。「ブエン・カミーノ」と声をかけてくれます。

 民家の門の前に、花弁がジュータンのように敷き詰められていました。
 春の祭り、フェスタ・ダス・クルーズィスの飾りだったのでしょう。

 こちらもきれいに飾られていました。

 タメルの町に着きました。

 公営のアルベルゲに泊まるつもりでした。チェックインは2時からです。ちょっと早すぎました。

 日曜日だったので、教会ではミサが行われていました。

 もう少し歩くことにしました。

 BOOKINNG COMで急きょ予約した巡礼路沿いのオステル、Casa do Santiagoが今夜の宿でした。

 近くのレストランまで行き、昼飯にしました。

 選択の余地はあまりなく、めずらしいステーキでした。

 帰り道に国鉄の駅をのぞきました。列車はいつやってくるのか、客の姿はありませんでした。

 この日も10kmちょっとの、余裕の区間でした。

ガロの町の民族舞踏

【 paso a paso 3 2023/05/20 】
 巡礼第3日 ガロの町の民族舞踏

 この日は歩きはお休み。早くも休養日としました。
 前日の海岸のボード・ウォークで、マメができ、左足首も痛かったからです。無理はせず、バスで内陸部のバルセロスにワープしました。

 ヴィーラ・ド・コンデを出発しました。しかし、矢印をは逆の方向に進みました。

 ローマの水道橋のような水路(?)が、城跡に向かって延びていました。

 墓地の向こうにもきれいなアーチが続いていました。

 メトロの線路でアーチは途切れていました。

 バスで40分ほど。ガロ(雄鶏)伝説の町、バルセロスに着きました。

 ボン・ゼウス寺院の立派な祭壇です。

 町の南端まで行ってみました。カヴァド川に中世橋がかかっています。ここからしか入城できなかったのでしょう。
 巡礼路も、ここを通っていました。

 川沿いに城郭がそびえていました。

 マトリス教会にも入ってみました。

 バラ窓がきれいでした。

 お祭りなのでしょうか。民族衣装のお嬢さんに「写真、撮らせて」と頼みました。ちょっと緊張気味にポーズをとってくれました。

 広場ににぎやかな音楽が響き、民族舞踏が始まりました。

 クルクルと回るたびに、スカートが翻ります。

 明るい日差しを浴びて、陽気な踊りは続きました。

 市が開かれていました。カラフルです。

 足元にはホタテのマークがありました。

 昼飯を食べました。

 ガロの町、バルセロスにワープに書いてます。

 夕食は、泊った町はずれのオステル近くにレストランがなかったので、スーパーでパンや果物を買ってきて簡単にすませんました。

 この日の歩行距離は16.8kmと記録されています。でもそんなには歩いていないでしょう。

3枚目のコンポステーラを飾る

 サンティアゴ巡礼のコンポステーラ(巡礼証明書)が3枚になりました。
 左下は2013年、右下は16年。そして今回の巡礼です。
 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で発行していただきました。
 前回までは、名前の部分は手書きでした。今回はすべてプリントアウトされました。

 同時にいただいた到達距離証明書です。
 ポルトからの距離は240キロと書かれています。

 写真用のマット台紙をAMAZONで購入しました。

 ザックにぶら下げて巡礼したシンボルのホタテ貝も3枚になりました。

 クレデンシャル(巡礼手帳)も3冊になりました。前回までは、日本カミーノ友の会の発行したものでした。今回は、巡礼の出発地、ポルトの大聖堂でいただきました。左上は、熊野古道との共通クレデンシャルです。

 クレデンシャルには、宿泊したアルベルゲや、休憩したカフェなどのスタンプが並んでいます。思い出が詰まっています。

バルセロスへバスでワープ

【 paso a paso 3 2023/05/20-2 】

 幸運を呼ぶ雄鶏「ガロ」の町、バルセロスまでは、ヴィーラ・ド・コンデから30キロほどあります。海岸を北上するコースト・ルートから、内陸を抜けるセントラル・ルートへとバイパスルートを進みます。
 この区間はバス移動も想定していました。前回巡礼のフランス人の道のように、全行程をわが足で歩き切るといった強い意志はもはや持ち合わせていませんでした。でも、事前の調べでは、この区間のバス移動ルートは見つかりませんでした。

 ヴィーラ・ド・コンデに観光案内所がありました。前日、たまたま前を通り飛び込みました。バルセロスまでのバスルートが知りたかったのです。
 案内所のおばさんは親切で、あちこちに電話をかけて調べてくれました。隣町まで行けばバスはあるということで、ルートから時刻表まで丁寧に教えてくれました。

 泊っていたオステル最寄りのSanta Claraでメトロを待ちました。まだポルトの郊外をウロウロしていたことになります。

 終点のポーヴォア・デ・ヴァリジンまで乗ります。

 ポルトで使ったカードに運賃をチャージして、乗車しました。

 通勤時間帯のはずですが、乗客の姿はまばらです。

 通勤ラッシュというのは存在しないのでしょうか。

 終点のポーヴォア・デ・ヴァリジンで下車しました。

 黄色い線をバスセンターまで歩きました。

 駅前の通りを抜けていきます。

 広場の向こうは市役所でしょうか。

 公営市場です。この前にバス停があり、乗車することができます。でもバスセンターに直行してよかったです。

 バスセンターが見えてきました。

 バスセンターの電光掲示板には、予定のバスがありまえん。

 教えられたのは9時ちょうど発のバスでした。

 バスセンターの案内所に行ってみましたが、まだ開いていません。保安員のような男性がいたので、聞いてみました。
 英語は通じません。ポルトガル語での会話なんて無理です。そこで飛び出した秘密兵器が、スマホに入れた「ポケトーク」という同時翻訳アプリです。これのおかげで、男性の説明が理解できました。
 「ブラガ」と書いたバスがくるので、それに乗れということでした。
 目的のバルセロスは、途中の駅だったわけです。

 バスの発着本数は少なく、ガラーンとしていました。

 朝食を食べたかったのですが、カフェなんかはありません。オステルでいただいてきたリンゴをかじりました。

 時刻表通りにバスやってきました。
 男性保安員も出てきて、「これだよ」と教えてくれました。親切でした。

 運賃はバルセロスまで3.8€でした。

 バルセロスが近づくと、ちょっと渋滞していました。

 40分ほどでバルセロスに到着しました。

どこまでも続く青い水平線

【 paso a paso 3 2023/05/19 】

 巡礼第2日 どこまでも続く青い水平線
 ヴィ―ラ・ノ・コンデまで20キロほど。ずっと大西洋を左手に進みました。

 マトシーニョスの町を出るところで開いているカフェをみつけました。朝食です。

 カフェ・コン・レチェ(ミルク入りコーヒー)とパンです。

 ポルトのメトロは、こんなところまで走ってきていました。実はもっと北まで延びてました。

 港を横切りました。

 いよいよ海岸線の巡礼路のスタートです。

 大西洋の白波が打ち寄せます。

 高い灯台がそびえていました。

 岬のチャペルです。裏の丘に登りました。

 チャペルを振り返ります。

 ボード・ウォークが始まりました。砂浜と違って歩きやすいです。でも足首にとっては、同じ角度で踏ん張るのでかえって負担となります。

 前を女性2人の巡礼者が歩いていました。

 あと258キロ。サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの距離です。

 何かの塔が、青い空に向けて立ってました。

 ボード・ウォークが続きます。

 道端の砂浜にいっぱい咲いていました。

 喉が渇きました。海沿いの集落に入って、カフェでコーラ休憩しました。

 ここにもチャペルが。

 大西洋を背にした撮影スポットです。案山子が整列してお待ちかねです。

 きれいなタイルが並んでいました。

 ちょっと休憩です。塩分補給に持ってきたほし梅をかじりました。

 若い女性が独り、陽を浴びていました。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラとは逆方向にファティマへの矢印もあります。聖母出現伝説の聖地です。

 ビーチの案内でしょうか。

 若者たちがサーフィンを楽しんでいまいた。

 もうすぐきょうのゴール、ヴィ―ラ・ノ・コンデです。

 町の中心にやってきました。市が立っていました。

 市の前のカフェで昼飯にしました。

 初の巡礼定食に書いてます。

 港に帆船が係留されていました。

 マーメイドのような像もありました。

 宿泊したオステルです。外観は普通の民家です。チェックインの時間を連絡していたので、管理人のおっちゃんが車を止めて待機していてくれました。

 部屋が3つにバストイレやキッチンがありました。まぎれもなく民家です。まだ新しく、気持ちよかったです。

 近くにレストランはなく、スーパーメルカド(マーケット)に行って、パンとバナナ、缶ビールを買ってきて簡単に済ませました。

 23キロほど歩きました。ずっと海岸線沿いで高低差はありませんが、ボード・ウォークで疲れました。

きょうの昼飯 お手製弁当

 外出する奥さまが、弁当をつくっておいてくれました。
 輪っぱに入ったかわいい大きさです。インスタントみそ汁といっしょにいただきました。
 おいしゅうございました。

 から揚げにきんぴらごぼう、卵焼きです。

 早くも帰国から1週間が過ぎました。
 実は帰国直前にウィルス性の腸炎となり、帰国便では機内食に手が出ませんでした。自宅に帰り着くや、ベッドとトイレの往復だけ。3日間、水分だけで過ごしました。かかりつけ医に2回、点滴をしてもらい、なんとか快方に向かいました。
 一昨日あたりからビールもおいしく飲めるようになりました。今さらながらに、無事に帰って来れたものです。

トラムを横目に歩きました

【 paso a paso 3 2023/05/18-2 】
 ポルトの町は、大好きなトラム(路面電車)が走ってます。巡礼路のドウロ川沿いの道も、クラシックなトラムが行き来していました。乗車するわけにはまいりませんが、抜き去られるのも気持ちよかったです。

 前面にカゴをぶら下げた車両がやってきました。

 思わず振り返ります。格好良すぎます。

 ちょっと幅広に見えます。

 トラムの走り去る音です。モーターがうなるのがたまりません。

 STCPトラム博物館(Museu do Carro Eléctrico)がありました。これは見学するしかないでしょう。

 きれいに整備されています。

 トラムはポルトガル語でカーロ・エレークトリコ(carro eléctrico)、つまり電気馬車というそうです。
 1872年に馬車軌道として開通し、1895年に電化されました。

 チビッ子たちも見学に訪れていました。

 日本の平安貴族がのった牛車とよく似た格好をしています。

 これが開通当時の姿のようです。

 巡礼を再開しました。

 河口近くのカンタレイラで線路は途切れていました。
 昔は、わたしが巡礼初日を終えたマトジーニョスまでつながっていたそうです。

 

ポルト大聖堂から巡礼をスタート

【 paso a paso 3 2023/05/18 】

巡礼第1日 ポルト大聖堂から巡礼をスタート

 いよいよサンティアゴ巡礼をスタートさせる日がやって来ました。前日に参って巡礼のパスポートであるクレデンシャルをいただいたポルト大聖堂がスタート地点でした。

 ザックとともに準備完了です。

 大聖堂のファザードから巡礼路は始まります。

 青空が広がる「ポルトガル晴れ」の旅立ちとなりました。

 ちょうど午前10時になりました。

 「カーン」と鐘の音が響きました。

 歩き始めました。黄色い矢印は、ポルト以南から歩いてきた巡礼者向けの方向を指しています。

 丘の上にある大聖堂から、まずはドウロ川に向けて下りました。

 ポルトからサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路は、内陸を抜けていくセントラル・ルートと、大西洋岸に沿って北上するコースト・ルートの2つがあります。
 わたしは最初の2日間は、コースト・ルートを歩くことにしていました。

 ドウロ川の右岸を堤防に沿って河口を目指しました。

 海鳥の保護エリアのようです。

 錨を配した何かのモニュメントが立っています。

 河口が近づいてきました。潮風が気持ちよいです。

 カモメが羽を休めています。

 大西洋に突き出した突堤の先端まで歩いてきました。

 ここから大西洋に沿ってフォス・ド・ドウロの海岸を北上しました。

 大西洋に突き当たるでレポートしています。

 マトジーニョスの海岸までやってきました。

 矢印は続いてますが、きょうはここがゴールでした。


 予約していたマトジーニョスのアルベルゲは、チェックイン・タイムには早すぎました。
 途中にカフェがあったので、そこで昼飯を食べて待ちました。
 初日ですので、歩行距離を控えめに設定していました。余裕で歩くことができました。

 サーディンに初挑戦

 GPSアプリ「YAMAP」で歩行記録をとりました。この日の距離は12キロほどでした。

ドン・ルイスⅠ世橋を歩いて渡る

【 paso a paso 3 2023/05/17 】

 巡礼を前にポルトを観光した1日でした。
 歩いてドン・ルイスⅠ世橋を渡ってポルト大聖堂へ。巡礼のためのクレデンシャル(巡礼証明書)をいただきました。あとはアスレージョの駅や教会を訪ね、もう一度、ドン・ルイスⅠ世橋を渡って対岸のポートワインの倉庫群を回りました。

 オステル「ORIGAMI」に2泊しました。折り紙のことかなと思っていると、東洋系のオーナー(管理人?)は、片言の日本語を話しました。部屋には折り紙が飾られていました。

 広いリビングに客室が5つ。食堂と共用のバス・トイレが2カ所ありました。

 朝食のテーブルです。4人分がセットされていました。簡単ですが、十分でした。

 シリアル類やジュース、ヨーグルトもありました。

 こちらは2日目です。パンをトーストしました。

 部屋は質素ですが清潔に保たれており、ゆっくりとくつろげました。

 さて、出発です。大通りを歩いてドン・ルイスⅠ世橋に向かいました。

 ドウロ川の左岸までやって来ました。対岸に旧市街の赤い屋根が連なっていました。

 ドン・ルイスⅠ世橋は3層構造になっていて、最上部はメトロと歩行者用です。

 メトロが近づく音さえ聞いておれば、あとは自由に歩けます。

 夜は大にぎわいだった川辺です。

 左岸には名産のポートワインのワイナリーや倉庫が並びます。

 川辺からケーブルカーで上がることもできます。

 ポルト大聖堂に参り、巡礼の通行手形ともいうべきクレデンシャルをいただきました。塔から眺めたポルトの町は、映画「魔女の宅急便」そのもののようでした。

 ポルト大聖堂でクレデンシャルをいただく

 世界で一番美しい書店、リブラリア・レロを訪れ、アスレージョの駅や教会を見て回りまし。
 町は観光客でいっぱいでした。だれもマスクなんてしてませんでした。 

 足元のマンホールのふただって、こんなにおしゃれです。

 ドウロ川に下っていきます。

 右岸を下っていくと、トラムが走ってきました。飛び乗りたかったのですが、停留所は待ち客でいっぱいでした。

 昼飯は、川沿いのカフェで名物のフランセジーニャをいただきました。
 おやつには、これも名物のナタ(エッグタルト)まで口にしています。

 ポルトを食べる フランセジーニャとナタ

 腹ごなしにはドン・ルイスⅠ世橋の最下層を渡りました。

 橋の銘板です。

 ちょっと違った視界です。

 左岸も散歩道になっていました。頭上をゴンドラが動いています。

 ポートワインを試飲させてくるワイナリーもあります。どこにしようかと迷っているうちに、一番奥のエリアまで来てしまいました。

 ちょっと疲れたので、ゴンドラで引き返すことにしました。

 どの角度から見ても絵になる橋です。

 見どころいっぱいのポルトでした。