高槻・トリシマホール 旧三商大OB男声合唱団交歓演奏会

 高槻の高槻城公園芸術文化劇場・トリシマホールで「第11回旧三商大OB男声合唱団交歓演奏会」を聴きました。
 旧三商大とは、戦前の東京商大、神戸商大、大阪商大を前身とする一橋大、神戸大、大阪市立大(現大阪公立大)の3大学です。学問や文化・スポーツで今も交流があります。ひょんなことから招待券をいただきました。グリークラブとは縁のない学生生活を送りましたが、母校(市大)の応援でした。
 プログラムの最初はエール交歓でした。逍遥歌(寮歌)の「桜花爛漫」の出番を期待しましたが、学生歌でした。体育会系の山登り同好会では、今もOB会などで集まると最後に肩を組んで歌っています。でもそれは違う世界だったようです。
 あまり聴くことがない生の男声大合唱は、分厚い低音にテノールが重なり新鮮な響きでした。市大の「花に寄せて」が一番良かったかな! 3大学合同、130人のアンコール「明日に架ける橋」で大盛り上がりのフィナーレでした。

 舞台は当然のことながら、客席もわたしと同年代の男性ばかりが目につきました。「じ~じ!」と応援するお孫さんの声も。休憩中のトイレは、男性の方に行列ができる、いつもとは違う光景でした。

自分でつくる アンチョビとブロッコリーのパスタ

 3週間ほど前にオイルに漬け込んだアンチョビが、そろそろ仕上がっているはずでした。ブロッコリーとともにパスタにしました。
 塩分控えめのいいお味に仕上がってました。ブロッコリーはもとより、ジャガイモなどの炒め物には何よりです。
 パルミジャーノ・レッジャーノにエクストラ・バージンオリーブオイルも加わってちょっとした豪華版でした。

 自家製ですから塩以外の添加物は一切なし。イワシも娘婿が大阪湾で釣ってきてくれたものですから安心です。

 あまり出番がなかったチーズカッターです。うまく削れました。

 最後に追いオリーブオイルしました。ひと味違う仕上がりとなりました。

 ニンニクはフードプロセッサーで細かくして、冷凍保存しています。便利です。

My memory 駅 インスブルックの「ジパング倶楽部」

 インスブルックは、ドイツ、スイス、イタリアと国境を接し雄大なアルプスの大自然を満喫できるチロル州の州都です。ÖBB(オーストリア国鉄)のホームからも、雪をかぶった白い岩峰がのぞいていました。
 ゆったりとしたコンコースから券売窓口に直行しました。長期滞在社向けの「フォアタイルスカード(VORTEILSCARD)」がほしかったのです。
 日本のJRの「ジパング倶楽部」のÖBB版ともいうべきスグレモノで、63歳以上のシニアは1枚(1人)で29EURしかしません。それで乗車券の普通運賃がなんと45%割引になります。
 駅員には「どれくらいいる(滞在する)んだ?」とか聞かれましたが、1ヵ月有効の仮カードを発行してくれました。 

 このカードのおかげで、インスブルックからザルツブルクを経てウィーンなどへの旅の足は割安となりました。

ÖBBの旅 「ジパング倶楽部」の大恩恵

 どちらを向いても雪山がそびえる美しい町でした。

アルプスの山に取り囲まれたインスブルック

 ロープウェーで山にも登りました。寒さに耐えて咲くエーデルワイスと出会うことができました。

インスブルック 雪に咲くエーデルワイス

京都・京阪三条 篠田屋の皿盛

 「木製仁丹看板」を追って京都の町を歩きました。ゴールは三条京阪に近かったので、迷うことなく篠田屋の皿盛にしました。
 百年食堂です。百年一日とはいいませんが、店の趣は変わっていません。ちょっと値上がりはしてますが。
 ペラペラだけれどパリパリのカツに、トロリとした「カレーうどんの出汁」がかかっています。カツカレーでもカレーうどんでもありません。ここだけでしか食べられないお味です。
 さすがにビールは小瓶でちょうどです。 

 「品は高田で 値は安兵衛」。いつからあるのか、そんなことばが柱の上に張ってあります(右上は拡大)。この店の営業モットーのようです。
 客が途切れたタイミングで撮影しました。

 この日の一番人気は中華そば、そして皿盛。にしんそばを頼んだ客もいました。

 篠田屋
 075-752-0296
 京都市東山区三条通大橋東入大橋町111

 三条通りをはさんで筋向かいの肉屋さんは、遂に取り壊しとなったようです。一帯の再開発が進むようで、その一環でしょうか。

 京都・三条京阪 「篠田屋」の皿盛

京都を歩く 続・「木製仁丹看板」を追って

 「木製仁丹看板」を追って、再び京都を歩きました。小雨も混じった前回とは違って秋らしい気持ち良い天気でした。
 東本願寺の北西の裏手あたりの立派な民家に掲げられた「下京区新町通花屋町下東若松町」です。
 ネット上の古い画像とは設置場所が違っているようです。民家の壁などを改修したときに、よく見える正面にもってきたようです。誇らしげにみえます。 

 四条烏丸に近い「下京区佛光寺通烏丸東入下ル匂天神町」です。カメラの設定がズレて、モノクロになってしまいました。

 3枚目は川端御池の東側。「上京区新麩屋町通仁王門下る大菊町」です。
 長屋の路地の前、お地蔵さんに隠れるように残っています。仁丹の文字とカイゼル髭のトレードマークも鮮やかです。

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My memory 駅 交通の要衝、インターラーケン・オスト

ベルナー・オーバーラント三山観光の拠点でもあるインターラーケンは、「湖の間」を意味する通り、トゥーン湖とブリエンツ湖の間にある交通の要衝です。シックな駅舎のオスト(東)駅には、3つの私鉄が発着します。
 グルンデルワルトに向かう登山電車のベルナー・オーバーラント・バーン(BOB)は、ブルーとイエローの長い車両で多くの観光客を運びます。

Interlaken Ost発 BOB鉄道

 インターラーケン・オストへは、ルツェルンからツェントラル・バーン(ZB)のGoldenPassLineと呼ぶ展望列車でやってきました。ところが、生憎の雨。せっかくのパノラマビューが台無しでした。

GPL ZB Brünig線は無情の雨

 町を散歩しました。かなたにユングフラウの頂きがのぞいていました。

 こんなろロケーションのワインは最高でした。

Interlaken でひと休み

My memory 駅 崖の上のミューレン

 ベルナーオーバーラント三山を正面に見渡せる崖の上の村がミューレンです。
 麓のラウターブルンネンからケーブルカーでそそり立つ崖の上に登り、ラウターブリュンネン・ミューレン山岳鉄道(Bergbahn Lauterbrunnen–Mürren=BLM)に乗り換えて急勾配、急カーブを走ってきました。
 長さは4.2キロ。途中駅がひとつあるだけです。3両しかない電車が物資運搬用の荷物車をつないで往復していました。

カーブが多いBLMにはハンドルが

 アルメントフーベルの丘に登りました。雲が晴れると、正面にアイガーがドーンと鎮座していました。

Allmendhubel を歩く

 ガソリン自動車は走らない、澄んだ空気とアルプスの素朴な雰囲気があふれるのどかな村です。

Mürren の道ばたで

 2泊したホテルの窓からのんびりとアイガーの眺めを楽しみました。

ホテルと朝食 Mürren 22、23日

My memory 駅 ユングフラウヨッホは雪の中

 Top of Europe、ヨーロッパで一番高所にある鉄道駅、ユングフラウヨッホにやってきました。アルプスの山々や、眼下に流れ落ちるグレッチャー氷河が見渡せるはずでした。
 期待に反して生憎の空模様。眼の前にそびえるスフィンクス展望台ですら雪に霞んでいました。
 

 ただただ寒さに震え、足跡を記しただけでした。

Top of Europe に足跡

 クライネシャイデックから乗り継いだユングフラウ・バーンは、アイガーの山腹をぶち抜いた景色のないトンネルをひたすら登りました。

JB に乗って Jungfraujoch へ

 クライネシャイデックに戻ってきての昼飯は、目玉焼きでした。

21日のランチ Kleinesheideggの目玉焼き

京都・四条烏丸 「京町スタン 若旦那」で軽く昼のみ

 「木製仁丹看板」を探して京都の町を歩きました。四条烏丸まで戻ってきて、遅い昼飯となりました。午後2時を大きく回って開いているランチはどこかないかとスマホで探しているうちに、もう営業している「京町スタンド 若旦那」がヒットしました。リアル若旦那もすぐに見つかりました。
 テーブルもありますが、独り者はカウンターでお立ちです。
 お薦めのサンマの刺身は売り切れとのことで、「お造り盛り合わせ」を奮発しました。

 「とりあえず生」で、ピクルスをつまみました。

 お次は揚げ出し豆腐です。揚げたての温かいのがうれしいシーズンです。

 ハッピーな角ハイボールを追加しました。

 隣のお嬢さんが独りで食べていた肉じゃががおいしそうだったので、わたしも。

 大きなジャガイモが柔らかくなってゴロンと。

 アルコール3杯、あて4品でお代は2400円とリーズナブルでした。

 さすがに日曜日の昼下がりとあって、広い店はゆったりとしていました。

 京町スタンド 若旦那
 075-353-1888
 京都市下京区綾小路高倉下ル綾材木町188-2

京都を歩く 「木製仁丹看板」を追って

 「木製仁丹看板」を追って、京都の町を歩きました。
 仁丹町名看板とか仁丹町名表示板とも呼びます。京都人なら、あれあれと、ご存知と思います。大阪に本社を置く「森下仁丹株式会社」が明治43(1910)年から広告も兼ねて町の辻々に掲げた町名表示板のことです。今も500枚以上が残っているそうです。白いホーロー(琺瑯)製 「木製仁丹看板」を追って、京都の町を歩きました。
 仁丹町名看板とか仁丹町名表示板とも呼びます。京都人なら、あれあれと、ご存知と思います。大阪に本社を置く「森下仁丹株式会社」が明治43(1910)年から広告も兼ねて町の辻々に掲げた町名表示板のことです。今も500枚以上が残っているそうです。
 白いホーロー(琺瑯)製の板に青字と赤いアクセント、カイゼル髭の紳士とお馴染みの看板の他に、もっと古くに設置された「木製」の看板もあることを知りました。
 ありました。四条烏丸近くの膏薬辻子(図子、こうやくずし)にある商家の上に「新釜座町」とかかっていました。小雨が降っていたので、レンズが水滴をかぶっていたのでしょう。画像が乱れています。

 2枚目は、古い商家の柱と同化しているような「東魚屋町」です。上部に仁丹と書かれているのが読み取れます。

 ホーロー製の仁丹看板にもバージョンがあります。
 仁丹のマークが上部にある方が古いのでしょう。中京区は現代風に左から、上京区は右から書かれ、区も旧字体です。

 鮮やかな看板もありました。「慈眼庵町」ですが、レプリカでした。

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