関西百名山 紅葉の伊勢・局ケ岳

 「伊勢の槍ヶ岳」といわれる局ケ岳(つぼねがたけ、1026.8m)に登りました。わたしは初めて聞いた山でしたが、紅葉がきれいな鋭鋒でした。
 関西百名山の踏破を目指している山仲間にとっては、外せない一座です。とはいえ、とにかくアクセスがたいへんでした。大阪・梅田で仲間の車に拾ってもらいましたが、阪高-南阪奈-国道166と走って麓の登山口まで2時間半ほどもかかりました。運転、ありがとうございます。
 そのかいあってか、青空に輝く今年初の紅葉を満喫することができました。

 頂上では360度のパノラマが広がり、三峰山から高見山までが見渡せます。

 恒例のデザートタイムです。おいしいお手製のケーキに甘い柿、チョコレートを紅葉の下で味わいました。

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今夜の一献 スキレットで独り焼き肉

 独り食べる夕食は、スキレットと卓上コンロを使って簡単に済ませました。
 肉と野菜を焼いただけです。出汁も調味料も不要の超簡単レシピですが、おいしくいただきました。
 テレビでは卓球W杯の女子で、日本が中国に完敗しました。そちらは残念でした。

 スキレットが大きくないので、野菜はピーマン、タマネギ、モヤシとほんのわずかでした。でも程よいでした。

臨時特急「まほろば」で奈良へ~JR大回りの旅

 JRの新大阪~奈良間を走るノンストップ特急「まほろば」がこの秋、臨時運行されています。今春、全線開通したおおさか東線を優等列車が走るのは初めてです。
 急に思い立って、このシーズンの土、日曜日に13往復するだけの限定列車に「乗り鉄」体験をしました。しかも、京都までの「大回り乗車」でしたので、時間だけはたっぷりとある年金生活者の懐にも優しい半日でした。

 新大阪の1番ホームに行くと、「まほろば自由席」と書かれた辺りには、発車半時間前だというのに行列ができていました。それが見る見るうちに伸びました。
 大阪から大和路快速に乗っても奈良までの所要時間は10分ほどしか違いません。どうせガラガラだろうとタカをくくっていましたが、大違いでした。3両編成の指定席2両は、すでに満席でした。

 行列に対して検札が始まりました。自由席特急券は1200円でした。
 検印を押されたわたしの乗車券は、島本から京都までの310円区間です。「大回りです」と告げると、何の問題もありませんでした。

 行先表示は当然ながら「奈良」です。「特急」ともありますが、「まほろば」という列車名がないのが残念です。昔の特急のような列車ごとのヘッドマークもありません。

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高槻 「サンデーズ ベイク 569」のサンデーズランチ

 高槻の「安満(あま)遺跡公園」にできたピッツェリア&カフェ「SUNDAY’S BAKE 569(サンデーズベイクゴーロクキュー)」まで、わが家から歩いてきました。それも太閤道という山道を10キロほども遠回りして。
 喉も乾き、お腹も空いていました。
 「サンデーズランチ」(1200円)の週替わりメーンは、豚肩肉のコンフィでした。肉に塩とハーブをまぶして油脂の中で低温で加熱した後、そのまま冷やして凝固した油脂の中で保存する(Wikipediaより)料理だそうです。シコシコとした味わいがします。

 レンズ豆も、あちらの料理にはよく出てきます。

 もちろん、泡の液体は忘れていません。このために汗をかいてきました。

 明るくてゆったりとしています。
 わたしの座ったカウンター席の目の前には、薪を燃やしたピザ窯がありました。注文が入ると生地を広げてトッピングして、焼いてました。

 安満遺跡は、高槻市の東部にある弥生時代の遺跡で、多量の弥生時代の石器や土器が出土し、集落跡が広範囲に広がっていたことがわかっています。京大農場の移転に伴い、高槻市が遺跡公園として整備しています。

 サンデーズ ベイク 569 (SUNDAY’S BAKE 569)
 050-5597-2027
 高槻市八丁畷町12-7

「太閤道」から三川合流を眺める

 天気が良いので裏の山に散歩に出かけました-といえば、ちょっと言いすぎでしょうか。まあ、急に思い立ってカメラ片手に「太閤道(たいこうみち)」を歩きました。
 京・本能寺での変を聞いた羽柴秀吉が、備中から駆け戻る途中に使ったとされる山道です。もう少し東の天王山で、明智光秀軍と対峙しました。
 三川合流がきれいに見渡せます。左から桂川、宇治川、木津川が合流するポイントです。宇治川と木津川の境は「背割り堤」といって、桜の名所です。

 【2019/11/07 10:55】
 水無瀬の自宅から歩き始めて20分ほど。若山神社から登りが始まります。

 本殿前からも三川合流が見降ろせます。

 若山神社は、大宝元年(701)創建と伝えられる古い神社です。
 お神酒は、地元・サントリー山崎工場のウイスキーの樽です。

 紅葉にはまだ早いようです。
 真っ赤なころはこんな風景です。

 太閤道のハイキングコースは、境内から始まります。

 このあたりはツブラジイ(ブナ科)の巨木が自生していて大阪府天然記念物に指定されています。

 しばらくは階段の急坂が続きます。一気に汗が噴き出してきました。

 平日ですが、何組かのハイカーとすれ違いました。

 【11:25】
 稜線までやってきました。

 ドングリが散らばっています。

 右側は新大阪GCの緑のコースです。プレーヤーの姿はありません。

 【11:53】
 わがマンションのベランダからいつも見えている稜線から逆に見下ろした光景です。
 昔は、わたしの住むマンションはよく目立ちました。いまは周りにもマンションばかりです。

 カメラには12-60mm(望遠端で35mm換算120mm)のズームレンズをつけ、望遠レンズは持ってきてませんでした。それでもデジタルズームで4倍にしてみると、駐車場に止めたわたしの車が確認できました。右の列の向こう端の赤い車です。

 気持ちの良い尾根道を進みます。

 若山(315.2mm)のまだ新しい3等三角点です。初めて気づきました。といっても前回、歩いたのは7年前です。

 金竜寺跡に向けて下ります。

 金竜寺は昭和58年(1983)に、ハイカーの火の不始末で焼失しました。創建は平安時代にさかのぼる名刹でした。

 「十三丁石」が残っています。

 途中の岩陰には祠があります。地蔵にはビニール傘がかぶせられています。

 【12:54】
 新名神の高槻IC辺りに降りてきました。

 下って来た道を振り返ります。
 高槻市営バスの停留所がありますが、もう少し歩きます。

 旧西国街道を横切ります。

 JR京都線の下をくぐると、太閤道の稜線がよく見えます。

 京都大学の農場だった広い用地が再開発されています。

 【13:25】 
 今春、オープンした「安満(あま)遺跡公園」に初めてやって来ました。
 ここのレストランをゴールにしました。

京都・鳥居本 「鮎茶屋 平野屋」の志んこだんごと抹茶

 雲ひとつない青空が広がりました。わが家近くの施設で暮らす義母と一緒にドライブに出かけました。嵐山まで走りましたが、まだ紅葉には早いようです。それでも渡月橋から天龍寺にかけての道は、観光客であふれています。そのまま走って鳥居本の「鮎茶屋 平野屋」に行きました。愛宕社の一の鳥居は修復中で足場が組まれていましたが、運よくその横に車を止めさせてもらえました。
 赤い毛氈が敷かれた床几でいただいたのは、名物の志んこだんごと抹茶との「一服」(840円)です。京都のしんこは「上新粉」からきており、それを蒸しています。ニッキ、お茶、白の3種がひねってあります。だんごに甘みはなく、きな粉をまぶした黒砂糖が甘さを演出していました。

 クロモジの枝の先をとがらした、手作りのような楊枝でいただきました。

 たまにいただく抹茶はおいしいものです。

 桜茶でしょうか。淡い花弁が浮かんでいます。

 餅といえば、嵯峨野鳥居本の[平野屋]で茶うけに出す糝粉(しんこ)餅も、私は大好きだ。もとより平野屋の売りものは糝粉餅ではない。鮎である。
 池波正太郎の「散歩のとき 何か食べたくなって」の一節です。
 司馬遼太郎も白洲正子もここでアユを食べてました。わたしも食べてみたいです。

 創業400年の老舗です。 

 柱には千社札がぎっしりと張られています。

 紅葉には、まだ早すぎました。

 平野屋 
 075-861-0359
 京都市右京区嵯峨鳥居本仙翁町16

「JR鍛冶屋線廃線30年 メモリアルウォーク」を歩く

 「JR鍛冶屋線廃線30年 メモリアルウォーク」を歩きました。
 鍛冶屋線は、兵庫・西脇の野村駅(現・JR西脇市)から北に13.2キロ、鍛冶屋駅まで走っていたローカル線です。大正12年に播州鉄道として開業、播州織物の運送などを担ってきましたが、平成2年に廃線となりました。その廃線跡に残された駅舎や整備された遊歩道などを巡るイベントでした。
 今年は、猛暑のためかわが町あたりの紅葉はまだまだ先のようです。でも、播州の廃線跡は、晩秋を感じさせる光景があちこちにありました。

 鍛冶屋線の跡地にできた日野北バイパスの開通プレイベントも行われていました。羽安駅では、無料でジビエ焼き肉なんかもふるまわれていました。

 鍛冶屋線の鉄橋をそのまま使った橋がかかっていました。
 山仲間で鉄ちゃんでもあるOさんと一緒に歩きました。

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グラーツ・エッゲンベルグ城の魅力と「豊臣期大坂図屏風」

 大阪城がオーストリア第2の都市、グラーツにあるエッゲンベルク城と友好城郭提携を結んで10周年となる11月2日、大阪歴史博物館で開かれた記念フォーラムを聞きました。
 グラーツからやって来た博物館長や学芸員が、グラーツの魅力や「大坂図屏風」があるエッゲンベルク城の城主などについて説明しました。残念ながらパワポの画質が悪く、説明も通訳は事前に用意されたテキストを読み上げているだけといった印象でした。
 広い会場は、わたしと同年配のいかにもヒマなリタイア組らで満員でした。それが、あちこちでコクリとしていました。
 この催しはエッゲンベルグ城と「グ」と表記していますが、わたしはこれまでエッゲンベルク城としてきました。

 エッゲンベルク城は、9月に訪れたばかりです。「エッゲンベルク城の『大坂図屏風』」に書いています。
 このときは英語のガイドツアーに入りました。おかげで「大坂図屏風」と対面できました。でも説明の方は、あまり理解できませんでした。もう一度、じっくり理解したかったのです。
 

 大阪城天守閣の北川央館長の話になると、がぜん、おもしろくなりました。やはり日本語です。
 豊臣期に城は黒色、徳川期は白色という通説はウソ。という説明の結論は、屏風の大坂城は白黒のミックスです。再建された大阪城も白黒です。これで正解です。
 屏風では大坂城を正面にして「極楽橋」(赤丸印)がかかっています。橋には壁があり、屋根には櫓が載っています。この櫓が、後に徳川家の命で豊国神社(京都)に移築され、さらにびわ湖に浮かぶ竹生島に移されたそうです。
 北川館長らのこんな分析から、屏風が慶長元年(1596年)から同5年の間の大坂を描いていると時代特定がされたのです。

 西国巡りをしていた時(2008年)に訪れた竹生島です。移築された唐門を記録していました。これが屏風に描かれた極楽橋の現存する姿だったのです。

 エッゲンベルク城でもらったのと同じ日本語のパンフレットを資料としていただきました。
 屏風の画像は、このパンフレットのものです。

 馬場町の交差点の南西角に立ってます。この辺りの景観は、大阪府警などわたしが新聞記者時代に毎日のように通っていた時とはすっかりと変わりました。大阪府庁だけはそのままでした。

 大阪歴史博物館
 大阪市中央区大手前4丁目1-32
 06-6946-5728

 大阪府庁前から見る大阪城は、あたりまえながら同じでした。

大阪・梅田 「心斎橋ミツヤ ホワイティ梅田店 」の元祖カニコロッケスパゲティ

 3日連続で梅田に出かけました。珍しいことです。
 ちょっと早めの昼飯は、ホワイティ梅田の地下街の一番目につく角に昔から変わらずにある「心斎橋ミツヤ ホワイティ梅田店 」に入りました。いつ以来でしょうか。
 頼んだのは、「元祖カニコロッケスパゲティ」(700円+税)です。カニコロッケはともかく、ミツヤといえば鉄板に載った熱々のスパゲティが食べたかったのです。鉄板の上で焼きそばのような伸び切った麺がジュルジュルと音を立てているのは、昔のままです。お味の方は、さて昔の味の記憶はありません。

 ハバネロソースをかけてみました。タバスコではありませんが、これでなんだか懐かしい辛さが蘇ってきました。

 一緒にたのんだカフェオレが真っ先に出てきました。

 ショーウインドーをのぞき込むだけで楽しいです。
 手前のプレートは「おとな様ランチ」です。

 ぜんざいからパフェまで、メニューは多岐に渡ります。
 若い客はほぼゼロ。中年以上のご婦人の姿が目につきました。メニューのせいもあるのでしょうが、これだけにぎわっていれば、路線変更する必要もないのでしょう。

 学生時代によく行ったのはアベノ地下街にあったアベノ店です。

 心斎橋ミツヤ ホワイティ梅田店
 06-6312-4761
 大阪市北区小松原町梅田地下街4-7