高槻 焼鳥のヒナタの炭火焼鳥丼

 久しぶりとなった高槻での外食です。高槻阪急で買い物をした後、JR高槻北口の商店街、アクトモールに入ると、「焼鳥のヒナタ」が目に入りました。1年ほど前にできた人気店のようです。
 「炭火焼鳥丼」(730円)は、ちょっと甘めのタレで焼き込まれたもも肉1枚が、ご飯を覆っています。周辺はパリッと、中は柔らかくてジューシーです。山椒を振りかけると、うまさがさらに引き立ちました。

 フィットネスジムで汗を流した後でした。アワの液体もたまりません。

 ボーボーと煙をあげて焼けてます。

 「俺の昼呑み」にもピッタリ。今度は串で飲みにやってこなくてはなりません。

 焼鳥のヒナタ 高槻店
 072-668-5056
 高槻市芥川町1-7-7 1F

 京都・清水坂の七味家の「七味唐がらし」です。わが家の冬の鍋や湯豆腐には欠かせません。
 1袋で800円もしました。ヒィエ~ッ。値上がりしたものです。300円ほどだった記憶は、いつの時代ものでしょうか。

ポンポン山 花はどこへ行った

 晴れ上がった秋空に誘われて、ポンポン山に登りました。
 スマホGPSアプリのYAMAPの活動記録に、きれいな花をアップしている方がおられました。わたしもその花をレンズに収めようと歩きました。このあたりと思われるポイントでは、5回も行ったり来たりしました。でも見つかりませんでした。
 これまでになく多くのハイカーでにぎわうポンポン山の頂上でコンビニ弁当を食べてきました。

 【2024/11/04 09:59】
 西国札所の善峯寺駐車場に車を置かせてもらってスタートしました。まずは西山巡礼古道を進みます。

 善峯寺の紅葉はまだまだ先のようです。

 西山古道と釈迦岳に直行する分岐です。急登の右へ進みます。

 ああ暑い。汗がしたたります。これほど暑くなるとは思っていませんでした。
 後から登ってこられたお二人も「暑いですね」と衣服調整しておられました。

 ミヤマシキミが真っ赤な実をつけていました。

 ゆっくりとではありますが、釈迦岳に通じる尾根まで登ってきました。
 2カ月ほど前に登ってきたときは、この辺りでもうバテバテでした。それをきっかけにフィットネス・ジムに通うようになりました。若干なりとも効果はあったようで、体の軽さが違いました。

 釈迦岳は、わたしが住む島本町の最高峰です。

 このあたりに花は咲いているはずでした。でも見つけられませんでした。

 【12:05】
 ポンポン山の頂上です。2時間近くもかかっていました。花を探していたこともありますが、ノロノロペースでした。
 頂上は昼飯を食べるハイカーでいっぱいでした。

 坦々スープにボトルの湯を注いでいただきました。伊那福島のスーパー・ツルヤで買っていました。
 コーヒーも飲みました。京都・小川珈琲のドリップでした。

 帰りは、やってきた縦走路を戻り、まっすぐ杉坂から下山しました。アセビ(馬酔木)が実をつけていました。

 善峯寺の阪急バス停は、今秋から運行が2時間に1本となったこともあってか、長い待ちの列ができていました。

遅まきながら デュアル・ディスプレー化を達成

 わたしのデスクトップ・パソコンのモニターを2台接続にしました。画面の広さが、横に2倍となりました。
 動画では、最初は左に重なっていた画像を右に移します。左のブログ(WordPress)作製画面で作業しながら、右の画面で即座に作業結果を確認できます。さらに右は、アマチュア無線を運用してる画面に変わります。最近のアマ無線は、マイクなしでパソコンの操作で交信をしています。
 ブログ編集などで張り付ける画像が多い時は、説明文を付ける作業が煩雑でした。これで効率アップです。

 これまでのわたしのパソコン環境でした。

 フリマ・サイトをのぞいていたら、わたしが使ってきたモニターと同じ型番のものが格安で売りに出ていました。2つ並べるには最適でした。さっそくポチリしました。
 厳重包装で送られてきたモニターは、予想以上にきれいに表示しました。

 そこから泥沼の日々に突入しました。モニターのデュアル化が、思っていた以上に大変な作業でした。
 パソコンとモニターをつなぐケーブルだけでも4種類もあります。それを合わせなければなりません。

 最大の問題は、グラフィック・ボードという、パソコンの画像処理を担当するパーツでした。
 これまで正常に使ってきたものを、あれこれ試しましたが、どうしても2つの画像が処理できませんでした。ソフトを入れ替えたり、BIOSとい基本ツールをアップグレードしたりと数日間、試行錯誤の連続でした。
 これは買い増したモニターが無駄になったかと悩みました。最後の手段として、これまたフリマでデュアル出力をうたっている格安のグラフィック・ボードを購入しました。これでうまく作動しました。高速動作が要求されるゲームをすることもないので、古いボードで十分でした。

 ひっくり返っていた机の周りを整理しました。パソコンの本体は、机の下に放り込みました。
 やっと、ひと段落となりました。

 テレビ・ニュースなどで為替トレーダーがいくつもの画面とにらめっこしているシーンを見ます。あれほどには格好よくはありませんが、パソコン歴30数年にしての到達点です。
 来年は阪神大震災から早くも30年です。同じ1995年にWindows95もデビューしました。わたしはその前のMS-DOS、さらに前のパピコン(PC-6001)時代からのつきあいです。