日の丸を描く リコンデにて

「前に来たとき、黒板に日の丸書いたけど、なくなったの?」、「あるよ、あるよ、こっち」

おばちゃんが連れてってくれた部屋の中に、その黒板はありました。もう一度、描いてきました。

古い泉が巡礼者の喉を潤い続けてきました。

いまはコーヒーなんかをドナティボでふるまってくれます。世界各国から巡礼者はやって来ます。

国旗も様々。ザックの背には、洗濯干しの靴下と同居して。

カナダと、さて。

これはオランダ?

よく見るのがブラジル。

土産物屋には、こんなのも。ホタテ貝は巡礼のシンボルです。

みんなまとめてこんな看板もありました。

my camino=33日目 巡礼巡礼路の「お接待」 

 リコンデの村が楽しみでした。前回の巡礼では、ここの休憩所の前に立てかけられていた黒板に日の丸とJAPANと書き込みました。なんだか誇らしかったのです。ルクセンブルク、ドイツ・・・。いろんな国旗が並んでいました。
 再びやってこれた懐かしい村でした。「あれ、黒板、なくなったのと?」とおばちゃんに聞くと、「あるよ」と部屋の中に連れて行ってくれました。そこで2度目の日の丸を描きました。
 満足してセルフサービスのコーヒーをいただきました。これがドナティーボでした。かたわらに箱が置かれていました。ここにしかるべき額のコインを「寄付」するのです。コーヒーという商品への対価ではなかったのです。
 カミーノのあちこちに、ドナティーボの休憩所はありました。ジュースを飲み、スイカをかじり、オレンジをいただきました。スーパーメルカド(スーパーマーケット)に行っても、スイカ一切れは買えません。コンビニの存在しないスペインでは、ありがたい存在でした。わたしはお世話になることはありませんでしたが、ドナティーボで1夜のベッドを提供してくれるアルベルゲも存在しました。
 それは営利を目的とはしていませんでした。ドナティーボの額も決まっていません。カネのない巡礼者は、そこから拝借することさえ許されているそうでした。 
 四国のお遍路には「お接待」という風習がありました。遍路道を歩き始めて間もないころでした。すれ違ったおばちゃんに、「何もないから、これで冷たいジュースでも買って飲んでください」と百円玉2枚を渡され、合掌までされたことがありました。どう対応すればいいのかわからず、どぎまぎしたことを覚えています。タコ焼きをごちそうになったり、食堂でうどんとともに食べたおにぎりが無料になったこともありました。自分は歩けなくても、お遍路さんをもてなすことで、自らもお大師さまとともに巡礼する功徳にあやかりたいという願いがこもっているのだそうです。
 ドナティーボもお接待も、巡礼者に対する心持ちは同じことだったのです。

Paso a paso Dos 33日目=9/26 みどり深い巡礼路

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 パラス・デ・レイまで25kmほどのステージ。足の痛みも、徐々には軽くなってきた。なんとか歩ききれそうだ。
 雲海の彼方に墨絵のような光景が広がった。

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 サリアを過ぎてから、一段とみどりが濃くなった。

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 昼飯に食べたのは、パン地に包まれたオムレツの具のようなものだった。おいしそうだったので、「それちょうだい」と指さした。

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2つの100kmモホン

やっとのことで到達しました。聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで「あと100km」のモホンです。

でも、今回もちょっとヘンです。3年前と場所が違うし、肝心の数字もフェルトペンで書かれています。

「写真、撮ってやろう」という申し出にありがたくポーズを決めましたが、半信半疑でした。

やはりさっきのは偽物でした。

こちらのモホンは、「km100.000」と石に刻み込まれています。それをフェルトペンでなぞってます。

いたずらまで前回と同じでした。

ガリシア州に入ると、すべてのモホンが一新されてました。3年前は、0.5kmごとに規則正しく立ってました。

新しいモホンは、距離数こそ小数点以下3 ケタと正確ですが、間隔は適当です。前の方が良かった気がします。おまけに距離表示は、別のプレートを張り付けているので、剥がされてなくなっているのが多いです。

おしろいばなは、同じ場所に同じように咲いていました。

同じカフェで、同じコーラを飲み、同じようにおいしかったです。